ホーム現役時代の主張「飛行と安全」

「飛行と安全」

変わらぬ原点と安全文化の確立・継承 (平成28年10月:荒木淳一)

この記事は、航空安全管理隊が編集、航空幕僚監部が発行している「飛行と安全」No.〇〇から再掲載したものです。

1 はじめに

 この度、「飛行と安全」に寄稿する二度目の機会を得た。本誌は、常に身近にあって、職責や立場に応じた様々な気付きを与えてくれる機関誌であり、若手操縦者の時代から現在に至るまで大いに活用させて貰っている。果たして自分の拙稿が読者の役に立つかどうかは甚だ疑問ではあるが、恩返しのつもりで思いつくままに述べてみたいと思う。

 前回寄稿したのは、平成22年に第7航空団司令を拝命している時であり、「常に原点に立ち返って、ππ(こつこつ)*と」というタイトルで、自らの考える戦闘航空団における安全の原点と部隊長として着意していることについて述べた。今回の寄稿に当たり、諸先輩の貴重な考えや想いが書かれたコピーを読み返す時に、改めて拙稿を振り返る機会を得たことから概要について再度紹介してみたい。*「ππ(こつこつ)」:絶えず努める様、一心不乱な様

 次に、空自における安全に係る文化について考えてみたい。最近、空自における安全に係る文化を確立し、根付かせることが重要であるとの指摘をたびたび耳にする。組織論において、ある組織の文化とは、組織の構成員に共有される信念や知識を指すのだという。果たして、空自において安全に関する信念や知識が広く航空自衛隊員に共用されているのか否か、つまり安全に係る文化が確立していると言えるのだろうか。個人的には、空自は創設以来、宿命ともいえる航空大事故を絶無のするための取り組みを通じて、安全に係る制度や体制が整えられ、安全に係る各種の活動や取り組みが組織的に行われていることを考えると、安全に係る文化は存在するように感じる。しかし、空自を取り巻く環境が激的に変化する時代となり、環境の変化への適合が求められる中で、安全に係る文化の発展、継承を適切に行う為にも、そのことについて今一度じっくり考える必要があるのではないだろうか。従って、組織における知識創造にかかる理論をまとめた野中郁次郎氏の「知識創造企業」(東洋経済出版社、1996年3月)を参考に若干の考察を加えてみたい。何らかの参考になれば幸いである。

2 変わらない原点


 前回の寄稿文は、第7航空団司令を拝命して暫く経ってから書いたものである。改めて読み返してみるとやや気恥ずかしいほどの気負いがある。久しぶりの部隊勤務であり、かつ初めての指揮官職ということもあったのかもしれない。しかし、そのようなトーンになった原因は、部隊の現場における安全にかかる取り組みの中で感じた違和感、危機感であったように思う。それは、日々の隊務運営や練成訓練において、飛行、地上、服務を問わず事故を防止することが目的となり、事故がない状態が維持されることを評価するかのような雰囲気を感じたからである。団の安全会議等における発表内容に所々首を傾げざるを得ない点があっても、誰も指摘しない様子に漠然とした不安感を抱いたことがある。又、飛行訓練の現場において飛行安全の確保が至上命題のごとく強調され、決められた手順、ROE、シラバスに従って淡々と訓練をこなすことに専念しているように感じられた。リスクをしっかり認識したうえで、最悪の場合の腹案を持ちながら段階的により実戦的訓練を作為しようとする意識が薄いことに少なからず驚かされたことを憶えている。

 従って、改めて戦闘航空団における安全の原点を振り返る意味で、更なる精強化の追求と安全確保の吻合が極めて重要であることを強調した。そして、偶然なのか、必然なのか、判然としない無事故の状態を良しとするのではなく、リスク管理を適切に行いながら如何に精強化が図られたか、各レベルにおける指揮、統率が適切になされているか等を併せて評価すべきと述べた。その上で、部隊長として着意すべきは、1)隊員一人一人のプロフェッショナル意識、当事者意識の振作、2)編成単位部隊長の活用であると自らの考えを述べている。安全という切り口から、隊務運営や練成訓練等を見たときに、ややもするとその切り口に囚われて本質を見失う危険性があり、「常に原点に立ち返る」ことを肝に銘じなければという想いであった。

 その想いは、今も変わらず常に心の中にある。しかし、方面隊等の指揮官として戦闘機部隊だけではなく、様々な機能を有する多様な部隊を指揮する立場になると、より幅広い観点から部隊指揮を行わなければならず、部隊特性に応じて隊務運営や練成訓練の監督指導を行う必要がある。隷下の編制部隊長を介しての間接的な指導、監督となり、ややまどろっこしさを感じるが、内容に応じて指揮系統、監理監察系統、准曹士先任系統を使い分けるよう着意している。

 南混団は幸いにして全ての直轄部隊長が同じ那覇基地内に所在することから、日々のコミュニケーションのみならず一堂に会しての認識の共有が容易であり、その恩恵を最大限活かすよう努力している。一段と厳しさを増す南西域の状況下にあって、泣き言一つ言わず黙々としかし明るく前向きに任務完遂に努めると同時に、各種事業や更なる精強化に励んでいる南混団の部隊、隊員に例えようのない愛おしさを感じる。だからこそ、大切な仲間である隊員を一人も失わない、装備品も失ってはならないとの想いは益々強くなっている。未だに「人事を尽くして天命を待つ」との心境に至らず、自省自戒することばかりであるが、改めて「ππ(こつこつ)」と隊務運営、責務の完遂に邁進したいと考えている。

3 安全にかかる文化の確立と継承


 空自における安全に対する取り組みは、航空大事故やその他の事故で職に殉じられた諸先輩方の尊い犠牲の上に、事故処理や再発防止に取り組んだ方々の涙と汗の結晶とともに積み重ねられてきた、その蓄積は、諸外国空軍が参考にと大いなる関心を寄せられるまでに発展してきている。事故防止に掛かる各種活動、事故発生後の原因の分析、再発防止検討にかかる検討、各レベル・特技に応じた教育要領等については、CRM(Crew Resource Management)やHF(Human Factors)といった一般社会でも使われている手法を取り入れながら、制度化が図かられ空自内では当たり前のように実行されてきている。ある意味で、安全にかかる文化が空自の中に確立されつつあるとも言える。しかし、空自を取り巻く環境は大きく変化しており、その変化に何を適合化させ、何を継承するのかを考えるうえで、改めて空自における安全に係る文化について考えてみたい。

 経営・組織理論の世界では、組織文化は構成員によって共有された信念と知識であると考えられている。ユニークな企業文化を持つ企業がイノベーションを成し遂げ、優良企業として発展していると言われる。空自における安全に係る文化は、安全に係る知識(信念も知識の一部)であると捉えるならば、野中氏の著書「知識創造企業」で提示されている知識創造の理論は、我々に数多くの示唆を与えてくれるはずである。

 野中氏は、トヨタや日産を含めた国際的に活躍する日本企業が成功している根本要因は、「組織的知識創造」つまり、新しい知識を作り出し組織全体に広め、製品やサービスあるいは業務システムに具体化する組織全体の能力であると主張している。そして組織が創り出す知識に着目し、「形式知」(文章、数学的表現、技術仕様、マニュアル等にみられる形式言語によって表わすことが可能な知識)と「暗黙知」(個人の経験に根ざす知識で、信念、ものの見方、価値システムといった無形の要素を含む知識)という二種類の知識が相互作用するダイナミズムが知識創造の鍵であるとしている。そして、そもそも知識を所有し処理する主体は個人であるが、個人と組織が知識を通して相互に作用し、個人、グループ、組織の三つのレベルで知識の創造が起こるとしている。空自内で共有された安全に係る知識が「形式知」と「暗黙知」の二つの形態をとり、その二つの相互作用によって新たな知識が創造され、組織内で共有されているならば、安全に係る文化が確立しているとも言えるのだろう。

 「形式知」と「暗黙知」の相互作用には、共同化(個人の暗黙知からグループの暗黙知を創造)、表出化(暗黙知から形式知を創造)、連結化(個別の形式知から体系的な形式知を創造)、内面化(形式知から暗黙知を創造)という4つのモードが存在するという。

 共同化は、経験を共有することにより暗黙知を獲得することであるとされる。安全にかかる失敗談、ヒヤリハットの経験談、のみならず部隊の指揮・統御の在り方、指揮官、幕僚としての心構え等々、先輩から経験談、失敗談として「口伝え」で聞くことは暗黙知の共同化であると言える。

 表出化とは、体験や追体験を経て獲得した暗黙知を言語を用いて表現することである。つまり、個人の信念や知識を具体的に文書に書き表したり、普遍的な原理・原則として整理・表現することである。「飛行と安全」に投稿されている諸先輩が自らの体験を通じて得た考え方や信念、更には安全に係る教範等に書かれている内容は、暗黙知が形式知に表出化したものだと言える。

 連結化とは、異なる形式知と形式知を組み合わせたり、整理・統合して組み替えたりすることによって新たな知識を作り出すことである。後方部門におけるM-Shellモデルによる事故原因の分析や再発防止策の検討、運用部門におけるCRM(Crew Resource Management)手法やHF(Human Factors)手法の安全活動への応用等は、部外の社会科学的手法が空自内の活動に応用され、空自内において普通の活動として定着していることは、ある意味で知識が連結化されたのである。

 内面化とは、形式知を暗黙知へと昇華させるプロセスであり、書類やマニュアル、手記や体験談等の文書に言語化された知識を実際の行動や実体験によって学習、追体験し自らの暗黙知にすることである。部隊において安全教育等の場で得た知識を、現場の隊務運営の中で活用し、実践することにより、その知識が当たり前のこととして慣習化されていくことは、内面化の作用であり、ごく普通に身近で行われている。

 この4つの相互作用は、個人を主体に行われるものの、主に表出化、つまり暗黙知を形式知にすることで他者と共有され、増幅され、スパイラル的に組織としての知識に昇華してゆくとされる。つまり、個人の暗黙知が表出化、連結化を通じて、組織としての知識に変換される、つまり組織の文化が確立されるのである。空自における安全に係る知識は、長年にわたる安全に係る様々な取り組みを通じて、「形式知」と「暗黙知」の形態を取りながら、4つの相互作用(共有化、表出化、連結化、内面化)が行われ、現状にまで確立、定着してきていると言える。しかし、より確たるものとして安全に係る文化を確立し継承するためには、組織における知識創造の鍵と指摘されている表出化と連結化、個人と組織間のスパイラル的作用に着意する必要がある。つまり、個々人の経験談、経験から得られた信念等を文書化するのみならず、指揮運用等の原理・原則や空自ドクトリン等との関係を整理し連結化することによって、より普遍的な知識として整理され、認識の共有や組織の隅々までの浸透を容易にするのである。

 安全は目的ではなく、部隊の任務をより効率的、効果的に完遂するために行う部隊の指揮・統御の結果であり、航空戦力運用の思想的準拠である空自ドクトリンや指揮・運用綱要等の他の形式知との連結をはかることで、より適切な安全に係る知識が創造され、理解され、浸透してゆくのである。更に個人と組織の相互作用を更に強化することが、安全文化の確立に寄与すると思われる。

 私自身も部隊長として、自らの経験、想いを日々の隊務運営の中で体現し、実行していくプロセスを通じて、幕僚、部下指揮官、隊員に想いを伝えたい。又、将来を託せる後輩に「口伝え」で伝える努力を今後とも継続していくつもりである。同時に、安全に係る文化を確立、継承するために、安全に係る知識の表出化、連結化を更に促進する組織的努力、取り組みが個人の努力と並行して行われることが重要である。又、個人の安全に係る知識を明確に確立することが、どの部分を時代の変化に適合させ、どの部分を継承してゆくのかという判断を容易にし、空自における貴重な安全にかかわる文化を適切に継承することにも繋がると考える。

4 終わりに


 二度目の寄稿でもあり、思いつくままに安全に係る想いを綴ってみた。まず、前回の寄稿を読み返して、自らの原点を思い起こした。「常に原点に立ち返り「ππ(こつこつ)」と」為すべきことをやり尽くすという覚悟と更なる精強化の追求と安全の吻合を実現することによってのみ、指揮官としての責務を完遂することが出来るという想いを再確認できた。そして、空自における安全にかかわる文化について考えてみた。取り巻く環境が一層厳しくなる時代にあって、空自が変化への適合を図りながら更なる精強化を実現し、国防の任を全うするためには、創設以来築き上げてきた安全に係る文化を再度しっかりと確立することが不可欠であり、組織における知識創造の理論を参考にすると、空自の誇るべき安全に係る知識を表出化、連結化させること並びに個人と組織が共に取り組み、個人の知識と組織の知識をダイナミックに作用させることが肝要であると感じた。

 空自の安全に係る文化の一翼を担う「飛行と安全」への寄稿が、私自身に又、新たな気づきを与えてくれたことに感謝するとともに、空自の安全にかかる文化の確立、継承を願ってやまない。勿論、そのために「常に原点に立ち返って「ππ(こつこつ)」と」自ら為すべきことを精一杯尽くす所存である。

続々・安全意識の根底(平成28年4月:福江広明)

 この記事は、航空安全管理隊が編集、航空幕僚監部が発行している「飛行と安全」No.715から再掲載したものです。

1 指揮統率上、安全に募る思い

 前回寄稿した本誌(2013年6月号)の巻頭言では、「安全とは、生命という尊厳の確保であり、死生と密接に関わる極めて重要な課題。この解決に当たっては、自らの安全意識の根底に確固たる死生観が定着していることこそが肝心」と、初回(2009年3月号)の『安全意識の根底』における総括的な持論から書き出した。

 
 そして、隊員の安全意識を組織理念化すべきとの願いをかけ、「安全文化を育む着実な歩みの先に、空自の永続と発展が見えてくるのだと確信している」と結んだ。

 
 これら2つの巻頭言をもって、過去の私事に基づく哀惜の極みを職務上の安全意識に絡ませ綴ることにより、指揮と安全の相関等について完結させた、つもりだった。


  昨冬、現職を拝命。今日に至るまで間、現場隊員に直接的に訴える機会を捉え、各種事故防止のための意識や価値観の持ち方等について、従前の様々な経験を踏まえ訓示してきた。こうした現場進出の行為は、これまでの安全に対する自分自身の認識をさらに深める絶好の場ともなった。


 今回は、まず近年における私が執る指揮のスタイルに影響を及ぼしている、疾病経験から得た個人的な死生観を明らかにする。次に、先述の安全に関する自己主張を客観的に見詰めるため、先人の教示等に照らし合わせ、指揮統率にあたって定着させるべき安全にかかる理念の探求に努める。



2 身命を賭す覚悟

 西部航空方面隊司令官以降の職においては、着任の辞の度に「身命を賭す覚悟(あるいは決意)」という文句を意図的に盛り込んだ。文字通り、命を賭けるほどの意気をもって、補職の重責を果たし任務を完遂することを指す。これには、自身の特別な思いがある。


 航空幕僚監部装備部長職の時代に癌を発症。身体の異変に気づいたのは、東日本大震災の発災から間もない時だった。痛みを伴うものではなかったため、医務室に足を運んだのは被災地の民生に改善・回復の兆しが見え始めた頃。発災から5か月が経過していた。精密検査の結果、病巣の摘出手術を選択。その後半年以上にわたる抗癌治療に心身が苛まれることになったが、幸い再発なく体調は良好である。ただ、以後死生を強く意識するようになった。


 当時を振り返ると、死の可能性と向き合う恐怖心を、定年退職まで何とか現役自衛官を全うしたいとの願望で、拭い払おうと葛藤した。おかげで、単なる生への執着ではなく、職業倫理に結びついた固有の死生観を自覚できたように思う。療養中、この大病を私事の災いと認識し、指揮の観点で殊更の口外は好ましくないものと避けた。


 しかし、同様な状況に苦悩する隊員が少なからずいること等に鑑み、自殺防止、安全遵守、服務規律という題目の中で自らの体験談を積極的に発言し、指揮官としての隊務運営にかける意気込みを伝えるよう心境は変化していった。

 

3 先人に学ぶ

 安全意識の持ち様は死生観に固く結びつけられるべきものと、私は定義している。平素から、自分、家族、同僚等といった生命の在るところには、必ず不安全要因が存在するからである。特に自衛隊員はその職務上、死傷の危険性と隣り合わせにある。だからこそ、安全と死生は決して切り離せない、指揮官が考え抜かねばならない、極めて重要な課題ではないだろうか。

 
 前大戦の経験者である長嶺秀雄氏は、著書『戦場 学んだこと、伝えたいこと』で次のように記述している。「戦場における兵隊さん(*原文のまま)の主な関心事については、英国のウェーベル元帥によれば、第1に食事、衣服、宿舎、病院など、一身上の快適に関することであり、第2に勝利と生存を可能ならしめることである」。この一文を含む著者の論調に対する私の理解は次のとおり。


 指揮官に関する信頼は、先の第1の要件が満たされた、すなわち服務に安んじる条件が整った段階で得られる。その上で、部下は自己保身の域を超えて部隊に帰属する心を高揚することができる。こうした信頼関係と帰属意識が相俟って、ひいては部隊が有事に勝利し部下の生存が確保される。


 近代戦においても、この戦場心理としても変わるものではない。したがって、現代の我々自衛隊員にとっても、有事平時を問わず実任務、演習・訓練、日々の業務を行う上で、指揮統率を為す中で、一身上の快適と安全をおざなりにしてはならない。

 

4 部下が安んじて服するが指揮

 前項においては、先人が個人として書き下ろした図書の記述内容を通じて、私なりの学びを説いた。以下は、空自が発刊した資料についてである。なお、引用は字数の関係から一部のみとした次第。


 私が幹候校に入校した昭和56年に配布された資料『山の辺の道』(発刊は昭和51年12月)には安全に関する項目が多い。中でも第26項の「指揮即安全」では、「任務を積極果敢に遂行するうちに安全を確保することが、指揮官たる者の最大の責任であり、部下に対する責任がある」と記載。また、「部下の安全を確保しようとする行動の根底をなすものは、愛情以外の何ものでもなく、統御を支えるのもまた然り」と第27項「統御即安全」が続く。


 この資料を読み返して、改めての気づきが2つ。ひとつは、安全に関する私の捉え方は、35年前、奈良の地において教え諭された賜であったこと。もう一つは、指揮官にとって、死生のみならず慈愛、すなわち人(部下)・物(装備)を慈しむ心がいかにも大切なのだということである。


 多くの先人はもとより我々現役も、安全についてその意義をかみしめ、各種施策を創り出し、各種の教訓を後進に教え育みする等、理想の指揮官像のあくなき追求に取り組んできた。私もまた同様に、指揮と安全の関わりについてこれまでの経験と知識から得たことをもとに、思いの丈を伝えてきた。これからも、その姿勢は変わるものではない。

 

5 指揮の集大成期を迎えて

 第20代航空幕僚長・鈴木昭雄氏が航空総隊司令官に就任された際、「…自衛官として最高レベルの指揮官であらねばならないとの重責も感じておりました。さらに、「終わりよければ、すべてよし」と、立派な統率をして…」と『軍事研究』(2015年12月号)の中で回想されている。

 
 この記事を目にしたのは、私が総隊司令官として横田基地に着任した直後だと記憶している。偉大なる大先輩と比べようもないが、心境としては同様。加えて、これまで新たな職務に就く際に必ず復唱してきた「Well begun is half done(初めよければ、半ば成し遂げたも同然)」の精神をもって、着任当初から思う存分の指揮統率の実行に励みたい。驕らず、昂ぶらず、歴代司令官に後れをとることなく、邁進していきたい。


 今後とも、総隊隷下の部隊を率いていく中にあって、平素から部下隊員が安んじて任務に精励しうるよう「任務遂行上の快適性」に対する最大配慮に努めるとともに、死生を賭けて有事に身を投ずることになったとしても、部下隊員の生存、そして航空作戦遂行にあたっての組織的勝利を追求することを、片時も忘れずに現職を勤め上げる所存である。

続・安全意識の根底(平成25年6月:福江広明)

 この記事は、航空安全管理隊が編集、航空幕僚監部が発行している「飛行と安全」No.681から再掲載したものです。

1 安全意識の更なる定着化に向けて

 前回、本誌に巻頭言として寄稿したのは、4年前。当時は第2航空団司令の職にあって、特に航空事故の未然防止に日々心を砕いていた。幸いだったのは安全に対する部下隊員の関心が固かったこと。2005年9月対戦闘機戦闘訓練実施中、F-15が空中接触し大事故になりかねなかった事故の教訓が受け継がれ活かされていた。人的過誤の事故事例を基に、同種事故の再発防止を目的とした活発な議論が今でも思い出される。 

 
 前回は団及び基地内の安全気運を更に高める好機と捉えた。題材は長男の不慮の事故と教訓。「安全とは、生命という尊厳の確保であり、死生と密接に関わる極めて重要な課題。この解決に当たっては、自らの安全意識の根底に確固たる死生観が定着していることこそが肝心」と説いた。それが『安全意識の根底』(2009年3月号)での主張である。

 
 2010年夏、航空幕僚監部装備部長の職を拝命。在任期間中にF-15機外タンクの破裂・落下事故が生起。それ以降も様々な事故が連続発生し、航空自衛隊(以下「空自」という。)は組織を挙げて装備品等の不具合防止に取り組むことになった。この職務を通じ、空自全体を視野にいれた安全施策について、当面の具体的な対処措置のみならず多角的な検討と、これを踏まえた中長期的事業化を図った。安全管理体制に関する組織的な整備を効果的に推進する上で大きな糧になった。

 
 そして方面隊司令官となった今、現場指揮官の立場で改めて安全について考える。安全に対する自らの意識を問い直し、組織における安全意識の更なる定着化に向けて自らが為すべきことと、組織への提言をまとめた。まずは前回書ききれなかった自省から始めたい。

 

2 試練、再び

 長男の最後を看取った5年後、待望の男子出生。しかし次男は腎臓や心臓に疾患を抱えていた。このため、「手術を行うにしても体力的に耐えられないことから、数年は成長を見守る」とする病院側の方針に従った。掛かり付けは出産時から国立の総合病院。少しでも容体に異常があれば病院側と相談するよう心がけていた。しばらく入退院を繰り返したが、自宅で家族とともに生活ができるところまで病状は回復した。

 
 年の瀬間近になり次男は風邪を引いたらしく発熱、幾度目かの入院となった。大晦日、病状は悪化。明けて新たな年を迎えた元旦の早朝、息を引き取った。その日は晴天で風のない穏やかな中、私は一人で病院を出て官舎を目指し、ふらつくように歩いたことだけを鮮明に覚えている。

 
 後日、妻から聞いた話では「担当医が解熱のために特定の医療品を処方。しかし熱は下がらず。それどころか投与する度に体力が消耗し生気が失われた状態になっていった」という。家族の期待と裏腹に次男は衰弱。同一医薬品の使用を繰り返すだけの納得のいかない状況の挙句、再び我が子を失う。

 
 生まれつきの障害及び体力・体質について医療上の考慮はなされたのかとの疑問が残った。高熱発症だけで診て漫然とマニュアルに沿った判断をしたのではないか。刻々と変わる容体の変化に見落としや気づきはなかったのか。しかし、あの時は「医師がマニュアルを遵守し執った措置の結果だ」と自らに言い聞かせるのが精一杯だった。マニュアルの否定など考えもしなかった。今では説明責任を問うべきだったとの後悔が付きまとう。

 

3 特定のマニュアルに依存しない改善の意欲

 その後マニュアルにまつわる息子の件を忘れていたところ、最近になって職務の上でマニュアル運用・整備のあり方について考えさせられることになった。

 
 前及び現職において、主に防衛関連企業の現場を実見する機会が幾度かあった。企業は安全管理の体制を確保しながら、厳しい経営競争における生き残りをかけ、より高い作業効率と品質管理を常に追求する。その多くの現場では、業種・経営規模によって形態等は異なるものの、一般的に分業化が図られている。


 従業員は分業ラインごとの明確な役割分担の下、割り当てられた業務をマニュアルに従って、均一かつ確実に作業を行う技能を要求される。このため企業は従業員に対して知識、技能等の教育訓練を行うとともに、必要に応じ関連資格を取得させている。

 
 また、企業は、こうしたマニュアル遵守のための体制を維持すると同時に、QCサークル、TPM活動(*)等を通じてマニュアルの随時更新を含む多種多様な改善活動を推進している。これは規定のマニュアルのみに依存しない体質を身につけ、経営上の費用対効果を高めるとともに、リスク管理の観点から想定外の不具合要員を発見、排除するのに役立っている。


 マニュアル遵守の精神とマニュアル非依存型の改善意欲を強く求めているのが企業の実情である。これら両面を保持する姿勢を貫く企業が優良企業としてこれまで存続し、これからも発展していくのだろう。

(*)TPM活動:Total Productive Maintenanceの略で日本プラントメンテナンス協会が運営する全員参加型の小集団改善活動。3000社を超える国内企業が参加。自学研鑽型のQCサークル活動とは性質的に異なる。



4 安全の意識高揚は現場から

 ここでは最近の空自内で発生した事故等を振り返るとともに、マニュアル運用に関わる企業の現状を空自組織に照らし、安全の意識高揚の資を得る。


 一昨年、冒頭に記載したF-15機外タンク関連事故をはじめ飛行及び地上の各種事故等が発生した。重大事故につながるおそれのある状況に鑑み、全部隊長等に対して装備品の不具合発生の未然防止に関する通達が発簡されたほどである。


 しかし、翌年も同種事故等は断続的に発生した。西部航空方面隊においては航空機関連では、海外訓練参加機の燃料タンクの誤投棄等が発生した。

 
 こうした不具合事案を含む事故等の多くは、人的過誤に起因している。関係する隊員がマニュアルに忠実でありさえすれば回避できたはずである。したがって、現場部隊では①実務訓練の強化による装備品等に係る理論及び手順の理解促進、②ヒューマン・ファクターズに係る教育の拡充、③作業品質管理制度の最大活用を重点に安全教育の徹底を図ることとしている。

 
 では、人的要因が原因とみなされない事故等の未然防止について現場部隊で為すべきは何か。この場合、まずは空自の各部隊に浸透しつつあるQCサークル活動の普及及び拡大が考えられ、その本格的な大会化が持ち望まれる。以前、部外のQCサークル指導者から「空自隊員は、QCサークルを適応する業務範囲の拡大に努める姿勢、活動成果をマニュアルに準拠した形で職場に活かす意欲、そして何よりも既存のマニュアルにしがみつかない体質を持ち得ている」との評価を得たこともあり、その効果が期待できる。

 
 次の段階では、企業が近年積極的に取り組んでいるTPM活動の導入に着手し、全隊員が自己研鑽の範疇ではなく職務の一環として改善活動に精励することを提言する。現場の組織的な改善活動を通じて安全意識が高揚し、空自全体における安全文化の育成に弾みがつくのではないだろうか。

 

5 安全は組織の理念、その万全は使命

 前回は冒頭の主張に至る過程で、私自身の決して忘れられない体験から「生命は尊くも儚きもの」という哀惜の念が意識の根底に定着していることを認識した。続の今回、想念は確信に変わった。人はいかなる時も安全すなわち生存に関心を怠ってはならず、自らが安全の意識を疎かにすれば他人や組織自体をも危険にさらす羽目になる。これが指揮統率上の強い信念になっていることにも気がついた。

 
 また、厳しい人的・予算的制約の中で事故を回避しつつ効率的な各種作業を実施するために、空自の現場部隊は企業の現状に鑑み、マニュアル遵守の精神を培うことと、マニュアル非依存型の体質改善を会得することの両面を更に追求することが極めて重要であると強調した。こうした体制・体質の追求に当たっては、隊員一人ひとりが安全を健全な隊務運営のために必要不可欠かつ不変の価値観、すなわち理念として持つべきとも考える。

 
 方面隊司令官としての立場で、今年2月『西部航空方面隊の将来展望』という伺い文書を作成。その中の「組織理念」に、方面隊の存続の観点から「作戦体質の維持と戦力保全の意識高揚」を項目のひとつとして挙げた。安全を戦力保全の範疇で捉え、西部航空方面隊所属隊員に対する安全意識の定着化をねらいとしている。ぜひ全ての隊員が銘記することを願って止まない。


 安全が組織理念として各人の意識に定着した上で、与えられた職務を遂行していくことができれば、隊員・装備・組織を問わず事故のない万全の態勢が実現でき、ひいては国家及び国民の安全を保つという空自の使命を達成することにつながるのではないだろうか。安全文化を育む着実な歩みの先に、空自の永続と発展が見えてくるのだと確信している。

常に原点に立ち返って兀兀(こつこつ)と (平成22年7月:荒木淳一)

この記事は、航空安全管理隊が編集、航空幕僚監部が発行している「飛行と安全」No.〇〇から再掲載したものです。

*「兀兀(こつこつ)」:一心不乱な様、絶えず努める様

1 はじめに

 昨年の春からの部隊勤務にあたり、健康のため朝の散歩を始めた。散歩コースには、480年の歴史を持つ小さな神社があり、通るたびに手を合わせている。心に浮かべる願い事は、家族の健康と幸せといった個人的な願いに加えて、部隊の更なる精強化や飛行安全等々、部隊長としての願いなど様々である。着任以来一年が過ぎ、最近ではこだわりを持って「部隊の更なる精強化、飛行・地上安全、家族の健康と幸せ」を想いながら手を合わせている。鎮守の神様に対してお願いするという姿勢から、自らの取り組み、努力について自問自答しながら念ずるようになってきた。これらの変化を自ら振り返ると、部隊着任にあたり掲げた隊務運営方針である「原点に返れ」が大きく関わっていると感じる。この方針は、久しぶりに第一線の戦闘航空団の、しかも指揮官として勤務するに当たり、部隊長の責務を全うするため自らに課した言葉でもある。今般、「飛行と安全」に寄稿する機会を得たので、自ら掲げた隊務運営方針に基づいて、安全について最近考えていることを若干述べたい。

2 戦闘航空団における安全の原点


(1)更なる精強化の追求と安全確保の吻合

 航空事故、特に人命を失うような大事故が部内、部外に及ぼす影響は極めて甚大であり、部隊が被る形而上、形而下のインパクトは計り知れない。被害状況の如何、特に国民の生命・財産に与えた被害の程度によっては、メディアの反応は事実に基づいた客観的なものではなく、一方的かつ感情的なものとなりやすい。その結果として、空自の存在意義そのものを否定するような社会的、政治的雰囲気が醸成される傾向にあることは、過去の例からも明らかである。一旦失った国民、政治からの信頼を回復するのは容易ではなく、結果として任務遂行に多大な影響を及ぼすこととなる。更に、現場部隊においても、事故調査、報道対応、再発防止策の策定、隊員や家族の精神的ケア等々、事故処理にかかる時間と労力は極めて大きく、部隊を事故以前の状態に戻すには長い年月と忍耐力が必要となる。従って、そのような航空事故を未然に防止し、安全を確保すべき事は当然であり、飛行関連部隊の指揮官の重大な責務である。
 一方で、空における唯一の武力集団として、国防を担うという重大な使命を考えるとき、与えられた任務の完遂とそれを可能とするよう部隊の更なる精強化を図ることも、又、部隊指揮官の原点とも言える責務である。部隊指揮官として、与えられた任務遂行のために部隊指揮を適切にする努力を尽くした結果として、安全な状態が確保できることが望ましく、事故防止と任務遂行の吻合を図られなければならない。空自は、過去の航空事故の教訓を踏まえながら、各種の再発防止策を講じるとともに、CRM(Crew Resource Management)を始めとする社会科学的な安全管理手法を導入し、組織的に事故防止に取り組んできた。年々、航空大事故の件数は減少してきており、ある意味、安全管理の組織文化が確立されつつある。
 一方、軍隊が典型的な官僚組織であることとR.K.マートンが指摘する「官僚制の逆機能」と呼ばれる負の影響を念頭におかなければならない。つまり、官僚組織においては、既存の手順、要領を所与の前例として無条件に維持し、それを遵守することが絶対化される傾向にある。つまり、事故防止の活動が徹底され、安全確保の文化が定着すればするほど、安全確保が目的化し、部隊が追求すべき原点である任務遂行と更なる精強化という目標が見失われる可能性があることを忘れてはならないのである。より実戦に近い飛行訓練には危険がつきものであり、リスク管理を適切に行いながら紙一重のところで技を磨かねばならない。リスク管理の為に定めた要領や手順、訓練規定等の背景や意味を常に考えながら、実戦的訓練を追求する意識、姿勢を維持し、その為の準備を怠らないようにしなければ、戦技能力の向上による精強化と飛行訓練における安全も確保できないのである。

 

(2)部隊における安全の評価


 部隊における安全を如何に評価するかは極めて難しい問題である。航空事故、業務事故、体育事故、服務事故等々、ある一定期間事故がないことが一つの評価基準であり、部隊を褒賞することが制度化されている。一定期間事故がないと言うことは、部隊隊員や関係者の努力の積み重ねの結果であるとも言えるが、その状態を維持できていることが必然なのか、偶然なのか誰にも判らないのが実態である。安全確保への努力に、時間的な区切りが無く、またその幅と深さにもここまでやれば万全という基準はないと言われる所以でもある。
 空自の大事故は、約80%が創設後の20年間に発生しており、残り20%が最近の30年に生起している。これは、安全管理手法にかかる知識、考え方の普及・徹底が、事故防止に一定の効果を挙げた結果であるが、それが十分であったか否かは誰にも判らない。従って、個人と組織が事故防止と更なる精強化の努力を不断に継続するしかないのである。部隊指揮官として、組織として為すべき事を全て尽くした後、天命を待つ心境になれれば、結果として発生した事故に一喜一憂することはないのであるが、なかなかその心境には至れないのが現実である。事故の防止が部隊の目的ではなく、任務の遂行と更なる精強化が部隊の原点であるならば、結果として事故が発生していない状態が維持されていることを評価するのではなく、その間における任務遂行の度合い、或いは精強化の進展の度合いを併せて部隊を評価しなければならないのではないかと考える。事故防止のためのリスク管理において安全係数を不必要に多く掛けていなかったか、リスク回避のため消極的かつ非実戦的な訓練の為の訓練になっていなかったか、事故発生後の再発防止策においても「角を矯めて牛を殺す」施策となっていなかったか、そしてなにより部隊の精強化は図れていたかを問わなければならないのである。平成11年からの連続大事故以降、平成17年のMU-2事故を除き、人命を失う航空大事故が生起していない。このことは大変喜ばしいことであり、空自全体の組織的努力と各級指揮官の継続的な努力の賜であろうが、この状態に満足してはならないのである。事故防止の為のあらゆる組織的努力を継続しつつも、部隊の精強化への努力が阻害されていないか、任務遂行のための態勢を確立できているのかと言った原点に立ち返った評価も同時に踏まえておかなければならないと考える。

3 部隊長として着意していること


(1)プロ意識と当事者意識の振作


 部隊における事故防止の鍵は、事故防止の重要性を理解させると同時に、隊員一人一人のプロ意識と当事者意識を振作することであると考えている。我々は、空における唯一の武力集団の一員として、一般国民より更に高い規範性と遵法精神や国防の為に自己犠牲を厭わない使命感、更に高い科学技術に立脚したエアパワーを運用する為に必要な専門的な知識や技能、そしてそれらを基に戦いを制するという軍事のプロとしての能力が求められている。このような軍事の、そして専門特技分野におけるプロとしての能力を身に付けるためには、自らの職務の使命を自覚し、自ら為した行動の結果の全てに責任を負うという覚悟を持つというプロフェッショナルとしての認識を持つことが重要である。又、常に頂点を目指して技を極める熱意と努力を継続できる強い意志を持つこともプロ意識の要件である。部隊における事故防止は、隊員一人一人の基本動作の徹底や組織的な相互補完のための常続不断の活動によって可能であることから、隊員一人一人にプロフェッショナルとしての意識を振作することが不可欠である。自らの専門特技において技を極めようとする意志がなければ、事故防止の要諦である基本動作の徹底は不可能である。何故なら、基本動作の愚直なまでの徹底はプロフェッショナルとしての最初の一歩であり、基本の積み重ねによる技術の向上無しに更なる精強化も事故防止もあり得ないのである。

 プロ意識と同時に隊員一人一人が当事者意識を持つことも事故防止には重要である。人は自分が集団の中の一人、つまり「One of them」であると認識した瞬間から、関心、責任感、モチベーションが低下する傾向にある。更に、自分が直接関わっていないことについては、当事者意識を持って真剣に考えることができない。当事者意識を持たずに、自ら責任を取るという自覚と覚悟は生まれない。各種機能が有機的に活動して初めて組織力が発揮できる「掛け算」の組織である空自、戦闘航空団にあって、隊員一人一人の能力発揮が、組織全体の能力発揮に直結することから、当事者意識は不可欠である。同様に、飛行安全に拘わらずあらゆる分野の安全を確保は、隊員一人一人が事故に直接/間接に拘わらず関与する当事者であり、自らが自分の立場、期待される役割を踏まえ、為すべき事は何かを考え、状況の判断やリスク管理を行って適切に行動することによって初めて事故を未然に回避できるのである。将棋の羽生名人は、「24時間、365日プロであり続けること。プロであることを常に意識の片隅に置き続けること」がプロフェッショナルの要件であると述べている。安全確保のためにも更なる精強化のためにも示唆に富む言葉であり、隊員一人一人にこのような意識を持たせられるよう努力しているところである。

(2)編成単位部隊長の活用


 編成単位部隊長(以下「編単隊長」という。)が隊務運営や組織活動の中核であり原動力であると言わる。編成単位部隊にあって初めて内訓上に基本任務が付与されており、その職責に応じた権限として、人事権や命令を発する権限が付与されている。部隊を編成する最小の単位部隊の指揮官である編単隊長が、隊務運営の一つの基本であることは明らかであり、各機能が適切に発揮されて初めて組織全体としての能力が発揮されることから、まさに隊務運営の中核である。
 事故を未然に防止するためには、「生き物」と呼ばれる部隊の状況を的確に掌握することによって、事故の兆候を未然に察知し、部隊の特性に応じた時宜を失することなく適切に対処をしなければならない。部隊の雰囲気や疲労度、個々の隊員の性格、能力等を的確に掌握できるのは、現場に最も近い編単隊長であり、部隊の任務上、組織編成上、人員構成上の各種の特性に応じた適切な処置を考えられるのも編単隊長である。「指揮即安全」と言われ、常続不断の指揮活動を通して安全を確保し、責任を持って編単隊の任務を遂行するのは、指揮官たる編単隊長であり、安全確保のための核心であるとも言える。先に述べた隊員個々のプロフェッショナル意識と当事者意識の振作ができるのも、隊員に直接接し、感化、教導できる編単隊長である。従って、編単隊長自身が、部隊の安全、精強化を直接担っていることを自覚させるとともに、各編単隊の特性、現状に応じた事故防止施策を企画、実行すること、その為の中核として努力を継続することを指導している。同時に、自らも編単隊長の活用法について、創意工夫しているか、そのための努力は十分であるかについても、常に自省自戒している。    


4 最後に


 「原点に帰れ」を掲げ、充実した部隊勤務を楽しみながら約1年半が過ぎようとしている。最近では、意識的に「部隊の更なる精強化、飛行安全・地上安全、家族の健康等」の順で神前に手を合わせている。空における戦いのプロとして、任務遂行、更なる精強化を追求しつつ、事故防止を図るという部隊長としての責務を果たすために一層精進しなければならないと感じている。常に原点を振り返りつつ、部隊活動の核心である編単隊長を活用し、隊員一人一人に軍事のプロとしての意識と当事者意識を持たせることにより一層意を用いていきたいと考えている。
 「精強化と安全に王道なし」と言われる。常に原点を忘れずに部隊指揮官として為すべき事を「兀兀(こつこつ)」と行うしかないのである。その意味するところは、安全の確保や更なる精強化のための努力に終わりやこれで良いという幅や深さがないという現実を踏まえ、「兀兀(こつこつ)」=「一心不乱な様、絶えず努める様」で為すべき事を為すという意味で考えている。事故防止や更なる精強化において、結果を「兀兀(こつこつ)」=「着実な様」で求めることは不可能であることを認識しているからである。何時の日か、「人事を尽くして天命を待つ」といった心境で鎮守の神に手を合わせてみたいものである。

安全意識の根底(平成21年3月:福江広明)

 この記事は、航空安全管理隊が編集、航空幕僚監部が発行している「飛行と安全」No.630から再掲載したものです。


1 生命は尊くも、儚きもの
 1991年1月14日、長男はある総合病院の集中治療室で息を引き取った。3日後、湾岸戦争が勃発。私があの世界中が驚愕した事態を理解し、イラク上空に向けて発射される無数の曳光弾の映像を眼にしたのは、開戦から随分と日が経ってからだ。

 当時、市ヶ谷の指揮幕僚課程に入校中だった私は、前日(13日)も日曜日ながら夜更けまで官舎で戦史課題に悪戦苦闘していた。昼間、春を思わせる陽気に誘われて官舎近辺で時間を忘れ息子と二人で戯れたせいだ。次の日の早朝、私は息子を抱きかかえ介抱している妻に起こされた。

 それ以降のわずか半日の出来事が、私自身の心の奥底に安全意識や危機管理意識として根付き、今日に至っている。

 安全とは、究極のところ生命の尊厳を確保することだ。我々の組織存立の意義には、崇高な使命である国民の安全確保や隊員の生存といった事象が含まれる。
 しかし、生命なるものは内・外部から及ぶ様々な危害に脆い。

 また、これらの危害は時を指定しない。そもそも生命は儚い。だからこそ、自衛隊員である我々は、人一倍の安全意識を常に有していなければならない。隊員個々に信念ともいえるほどの安全意識、危機管理意識の定着化が必要なのである。

 
 以下は、冒頭に記載した個人的体験を改めて思い返すことによって、私の安全意識の根底にある決して忘れることのない安全管理上の強い戒めなどをまとめたものである。


2 事故発生の見極めに躊躇せず
 その日の早朝、私はぐったりとして動かない息子を一見して、「季節柄の風邪を引かせたかな」と反省した。しかし熱はない。この時、私は息子の状況から「とにかく近くの病院が開院したら、受診させよう」と判断した。

 妻は反対した。母性として息子に通常の病気とは異なる変化が生じていることを感じていたのかもしれない。そこで妻が連絡した最寄りの小児科病院に私達は向かった。病院に到着後、息子の様態は急変した。

 私自身が最も悔やみきれないのは、息子の異変を眼前にしながら、また妻の機転を受けながらも、「救急車出動の緊急要請」をすみやかにとるという判断と行動ができなかったことである。

 今になってみれば、「大したことではないはずだ」「騒ぐことほどでもないだろう」「私が傍にいるから大丈夫」といった、何とも独り善がりで自信過剰的な判断が私の意識の中にはあったのだと思う。


 指揮幕僚課程を修了した以降、私は勤務上のいかなる配置に付いても、安全管理のみならず各種事態の対処にあっては、常に最悪の状況を念頭に置き判断及び決心することとしている。
 事故発生のおそれがわずかでもあるならば、事態の重大さを見極めることに躊躇することなく、まずは考え得る限りのアクションを起こすことが私の信条となっている。

 一般的に、事故、事件、緊急事態(以下「事故等」)が発生した際の報告において正確性及び迅速性を欠くのは言うに及ばず。速報の段階では、事故等の重大性・緊迫度を把握するに当たり困難を伴う場合が多いのが実状であろう。
 まして重大な事故等の発生にかかわる予兆を正しく察知し、至短時間の中で適正に判断して最善の措置を講ずることは至難なことだ。

 したがって、事故等の発生に直面あるいはその予兆を感知したと判断するならば、常に最悪の事態を予測しての最適対処の方法を選択し、これをすみやかに実行すべきである。
 仮に事故等の発生当初に執った対処策が大仰であったとしても、状況掌握が進む中で是正措置を講ずれば大きな問題ではないはずだ。むしろ、事態に直面しているにもかかわらず、遅疑逡巡して人命を失うという事態こそあってはならない。


3 平素から態勢及び装備に万全に期す

 開業医は、息子が呼吸不全の状態に陥ったために救急車を自治体に要請した。考えもしなかった深刻な事態に私は冷静さを欠いていたらしく、この時の医師や妻との会話を全く思い出せない。

 この後の記憶があるのは、総合病院に向かう救急車に同乗している中での理解し難い状況からだ。救急隊員の準備する人工呼吸器に何らかの手違いがあったようだ。自ら救急車に同乗していたその開業医は、いち早くその医療機器の不備を知ると、すぐさま息子の心配機能の蘇生に努めた。

 愕然となった。当時の救急自動車の標準仕様については知る由もない。しかし、患者の年齢、性別、様態に関わりなく緊急搬送に努めるべき専用車両の呼吸・循環管理用資器材に過誤があろうとは。


 平素からの態勢確保や関係装備の点検整備が、如何に重要であるかをこれほど思い知らされたことはない。組織や個人の不注意や点検ミスが取返しのつかない事態をまねく。
 事故等への対処に当たる組織にとって、特に人命にかかわる場合、概ね良好の態勢は許されない。こうした組織に属する者は、対処の要領及び装備において万に一つも手抜かりをしてはならない。


 自衛隊は、有事はもちろんのこと平時にあっても想定される緊急事態等へ適応するために態勢及び装備は常に要求どおりに機能しなければならない。想定外の事態が生じた場合でも、最善の対処措置を講ずるだけの実力を有しておくべきである。


 私は、幸いにして現職に付いて以来、人命救助を伴う事故等の発生に直面していない。しかしながら、対処のみならず予防及び抑止の観点からも、態勢及び装備に関する常備不断の精神を忘れることはない。

 

4 状況の変化に最適対処を繰り出す

 救急車は指定の総合病院を目指していた。依然として、息子は自発呼吸が困難な状態にあった。住宅街を抜け国道に入ってしばらくすると救急車が減速し始めた。ラッシュアワーだ。完全に渋滞に填まってしまったらしい。
 この間、救急隊員が無線で代替病院や迂回路の調整を行っていたのかは記憶にない。全く為す術がない。無力感に苛まれながら時間だけが刻一刻と過ぎていく。通常ならば20分とかからない所なのに1時間以上が経過し、目的の病院に到着したのだった。


 渋滞に阻まれなければ息子の命を救うことができたのか。わからない。しかし、こうした膠着状態に陥って身動きの取れなくなることの予測は可能であったはずだ。その予測のもと、救急の組織力をもってすれば最悪の状態を回避できたのではないか。渋滞に巻き込まれた状態からでも、脱出する手段はあったのではないだろうか。

 

 事故等への措置については、平素からあらゆる観点をもって予測、分析し、ひとつでも多くの手段・対策を見出し確保しておくことが肝要である。生命を救うことにおいて、執念と手段等に対する飽くなき追求は必要不可欠である。

 事故等の対処には一刻も猶予すべき時間はない。我々の組織にあっても、こうした事態に当たっては、新たな情報入手の都度あるいは状況の変化の都度、最適の対策等を打ち出していかねばならない。当然のことながら、実動人員と使用し得る装備は十分に考慮した上である。

 たとえ、これまで経験したことのない緊急事態への対処を余儀なくされた場合でも、狼狽えることなく沈着冷静に事態打開のための次善策を繰り出すだけの実行力を養っておきたい。
 そのためには、平素から身の回りに起きるさまざまな不測の事故・事件、緊急を要する各種の事態の解決に真摯に取り組む姿勢が特に大切ではないだろうか。

 

 5 最後に

 今更のように医療体制の不備や緊急医療従事者の責任を問うたり、批難したりすることを目的に寄書したのでは決してない。
 また、これまで私の記憶の奥底に留め、思い出すことがさほどなかったこともあり、思い込みの部分もあるだろう。

 しかし、明らかなのは、私の安全意識の根底には決して忘れることのない経験が存在すること。
 そのさらなる深淵に安全管理や緊急事態対処にかかわる発言及び行動の根源となる哀惜の念が定着しているのは、紛れもない事実だ。

 息子を失った直後は、しばらくの間「肉親の命させ救えぬ者が部下隊員、ましてや国民の生命を守れるはずもなし」と塞ぎ込む時期もあった。
 しかし、上司、同期生等、空自関係者の精神的支えにより、先の心のわだかまりはいつしか払拭、無力感は責任感に、そして自虐心は安全保障の志に転化できた。

 そして今は空自幹部の一人として、任務に邁進しつつ、国民及び部下隊員の生存のために信頼度のより高い指導力を身につけるよう日々努力している。

 安全は、死生の問題と密接不可分であるだけに極めて重要な課題である。
 したがって、この課題の解決に当たっては、自らの安全意識の根底に死生観が定着していることが重要であり、
 また、このことにより不安全要素を意識の根本から絶つことが可能になるのではないだろうか。


 起床後の黙祷。何年も続けている私の日課である。これにより、飛行・地上の両安全に対する意識を新たにしたり、加護が得られるような気になる。


 戦闘航空団の指揮官として勤務する現在も、事故の未然防止という観点から「平素の態勢及び装備に抜かりはないか」、事故への対処という観点から「事故発生の見極めに躊躇しない」「状況に応じて最適対処を繰り出せ」と機会あるごとに自らに言い聞かせることにしている。


 さて、貴方の安全意識の根底には、果たして何が存在するのだろうか。一度じっくりと考えてみては如何か。

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