ホーム勤務の思い出府中基地(東京都府中市)

府中基地(東京都府中市)

府中基地勤務時代(平成26年8月~平成27年12月)の思い出

市ヶ谷での勤務を終え、再び部隊指揮官の配置に就けていただく栄誉を賜り、航空支援集団司令官として府中基地に赴任しました。

 私にとって、はじめての航空支援集団隷下での勤務であり、加えて同集団が創立から四半世紀経った節目の年でもありました。
 
 横田基地分と同様に、やはり当時添付していた写真を見つけることができませんでした。

着任時の思い:平成26年8月18日

現職に就く以前において、府中基地(東京・府中市)での勤務が一度だけあります。
 平成6年、西部航空方面隊司令部の防衛班長の職にあった折、米国フロリダ州で行われた日米共同指揮所演習に参加のため、当時この基地に所在していた航空総隊司令部に臨時勤務した時のことです。

 当時を振り返れば、その時、航空支援集団は、隷下に新たな部隊を編成し、また国際平和協力業務に着手し始めるなど、任務や諸活動において変貌を遂げようとする、さきがけの時代でした。

 航空支援集団にとって、今年は創設から25周年の節目となる年。予断を許さない情勢にある現在はもちろんのこと、将来にわたり任務を確実に遂行する態勢を保持し、国民の期待に確実に応え得る組織であり続けなければなりません。

 このため、私はまず、現場進出等を通じて、隷下部隊及びその取り巻く環境を把握するよう努めます。
 そして、これまでの隊長、群司令、団司令及び方面隊司令官等の指揮官職並びに幕僚勤務等の経験を踏まえ、航空支援集団における隊務運営上の中長期ビジョンを示し、それらを具現化していきます。それらを就任早々自らに課したところです。

 着任から半月が経過。航空支援集団に所属する全隊員の陣頭に立って、常に隊務運営のあるべき姿を追求しつつ、任務至上、全力を尽くします。
平成6年頃の支援集団司令部庁舎
平成26年頃の支援集団司令部庁舎

初めての部隊視察シリーズ(府中基地編):平成26年8月22日

着任後、最初となる隷下部隊の視察。まずは航空支援集団司令部と同じ府中基地に所在する部隊からです。この基地には、現在隷下として航空保安管制群のうち2個隊(群本部、飛行情報隊)と航空気象群の3個隊(群本部、基地業務隊、中枢気象隊)が配置されています。
 
 私の元来の専門特技は「高射整備」(地対空誘導ミサイル関連の運用・整備に従事)。その職種柄からも、若年幹部の時代には管制及び気象の業務については、あまり馴染みがありませんでした。
 私が両機能に高い関心と強い認識を持ったのは、千歳基地司令の職にあった平成19年から21年。特に平成20年夏、北海道で開催された洞爺湖サミットにおいて、現地の部隊指揮官として基地の総力を挙げて国家的イベントを全力支援した時のことです。
 今でも記憶に鮮明に残るのは、参加26か国等の首脳が搭乗した各国専用機が、霧による悪天候の状況下で、千歳に次々と着陸した状況。この無事の全機着陸を成し遂げた陰には、管制塔やターミナル・レーダー管制所で保安管制業務に勤しむ管制隊、霧の侵入を的確に把握するために苫小牧方面に関係隊員を派遣してまで予報に当たった気象隊の存在がありました。

 こうした貴重な体験を通して、今般私が航空保安管制及び航空気象の両群を直接指揮できるのは大変光栄なことと感謝している次第です。

 なお、航空気象群は航空総隊司令部が横田基地に移転した平成24年春から、基地業務担当部隊となっています。中でも、登・退庁時における警備小隊によるラッパ演奏は、職務遂行上の遣り甲斐を私にも与えてくれています。

職務遂行のための健康管理:平成26年8月27日

私が勤務する府中基地に隣接して、都立公園の「府中の森公園」があります。米軍基地の三分割利用により平成3年に開園。広さは東京ドームの約3.6倍。野球、サッカー、テニス等のできる施設や多目的広場、そして日本庭園までも整備され、市民の憩いの場となっています。

 早朝から多くの地域住民の方々がトレーニングされています。談笑しながらの散歩や体操を楽しまれているグループもよく見かけます。私も天候に恵まれた日の早朝は、この公園を利用。平日は出勤前に30分以上のスロージョギングやウォーキングを心がけ、ラジオを聞きながらの時もあれば、仕事をする上での事前シミュレーション等にも活用しています。
 また、困難な課題に直面した時には、思考の整理やストレス発散のために利用するつもりです。個人的には、充実した時間帯のひとつです。

 公園利用者の中には、きっと基地所属の隊員も多くいることでしょう。私達にとって、士気旺盛にして精強な組織の維持のために、余暇を有意義に過ごすことはとても重要なことです。

 朝の健康管理上、これもまた欠かせないのが朝食です。私は基本的に自衛隊内の食事をとります。カロリー計算に基づいたバランスのとれた食事のおかげで、職務に精励できています。日々の活力となる食事を提供してくれている給養班に感謝!

初めての部隊視察シリーズ(入間基地編):平成26年9月2日

入間基地は、私にとって30数年前に幹部候補生学校を卒業した後の初任地。同基地では、地対空誘導弾ナイキJを保有し、首都圏防空の一翼を担っていた第1高射群第4高射隊に配属されました。しかし、当該部隊での勤務は、浜松の第2術科学校への入校のため、わずか4カ月でした。

 その1高群及び4高隊の各本部、宿泊先であったBOQ(独身幹部のための隊舎)、銃剣道の練成等に汗を流した武道場といった建物は、老朽化のため、既に取り壊され、今日では新たな各種施設が整備されています。新旧の施設について、時代の変遷を最も感じさせられるのは、修武台記念館でしょうか。それでも当時の面影は基地内各所に残っており、入隊後まもない頃の様々な経験が思い出されてなりません。

 この基地には、航空支援集団の隷下部隊は、4個隊(第2輸送航空隊、航空保安管制群内の飛行管理隊と入間管制隊、航空気象群内の入間気象隊、飛行点検隊)が所在しています。このたびの視察は、日帰り日程で時間の制約がありましたが、関係部隊相互の事前調整のおかげで、効率的に隊務運営の状況等をよく確認することができました。

 入間基地での老朽建物と言えば、飛行管理隊の本部がその対象のひとつに挙げられるでしょう。それでも隊長以下、安全面に十分に配慮しながら、丁寧に施設を管理していることに感心した次第です。

横田基地にて日米関係指揮官を表敬:平成26年9月9日

航空支援集団が任務を遂行する上で深いかかわりを持つ航空総隊司令官(中島空将)、第5空軍司令官を表敬するため、福生市に所在する横田基地を訪問。ただし、5空軍に関しては、互いの業務日程の都合から、司令官(アンジェレラ中将)と副司令官(クラム准将)は、異なる日での個別の表敬となりました。

 航空総隊は、我が国及びその周辺地域において有事・平時を問わず各種事態が生じた場合、その対応の主体となる空自に最大組織を有する編合部隊。したがって、当集団が支援する任務及び業務も多岐にわたります。
 昨今の情勢下にあって、南西方面の態勢強化並びに同方面への機動展開に伴う航空輸送及び空中給油が、任務遂行上、優先度の高い機能となっています。今後とも、総隊のニーズに応ずるべく、航空支援集団は輸送機部隊にあっては確実性に加え、即応能力を、管制・気象・機動衛生の各部隊にあっては、機動展開能力に焦点を当て、各能力の向上のための計画の策定、訓練・演習に励むこととしています。

 また、5空軍に対しては、日米関係の重要性にかんがみ、従来に増して緊密な連携を図ります。このため、まず日米輸送機部隊をはじめとする関係部隊の交流、指揮官・幕僚による会合等、当集団が独自に培ったきた枠組みを充実する方向を目指します。また、日米共同の観点では、特にアジア太平洋地域におけるHA/DR(人道支援・災害救援)について、航空輸送機能の連携強化を重視するとともに、本来の共同作戦の実を上げるうえでは、空輸機能のみならず当集団が保有する全ての機能を対象にその向上に努めます。それらの事柄によって、互いの国の安全保障によりいっそう寄与していくものと確信しています。

 横田基地には、航空支援集団の隷下部隊としては唯一となる横田気象隊が所在。航空総隊司令部をはじめとする横田基地所在の関係部隊等に対して気象情報を適時に提供するほか、米空軍気象部隊が同基地に所在するという特徴を活かして、日常的に相互の連携、交流を深めています。隊長以下、限られた人員によるシフト勤務を上手くやりくりしています。課業外でも、家族ぐるみの交流イベントにも工夫を凝らし、隊の融和団結に努め、服務上の成果を挙げています。
横田基地の正門付近

初めての部隊視察シリーズ(小牧基地編):平成26年9月18日

 私にとって小牧基地は数多く訪問した基地の一つです。特に、平成15年から20年までの間、イラク特措法(イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法)に基づくクウェート派遣部隊の出国・帰国の各行事に参加するため、幾度か往来しました。

 

 当時、私は空幕運用課に勤務、派遣部隊の隊務運営状況を調査のため現地入りした経験もあります。現地アリ・アル・サレム基地におけるC-130(差出元は、第1輸送航空隊)の運用を中心とした派遣任務にすべての隊員がひたむきに取り組む姿勢に心を打たれた感がありました。

 

 直近の同基地訪問については、昨年末、前職においてフィリピン国際緊急援助活動の終了に伴い、同派遣部隊の出迎え行事において航空幕僚長の名代で帰国歓迎の辞を述べた時になります。

 

 この基地には、先に述べた第1輸送航空隊のほか、小牧管制隊、小牧気象隊、航空機動衛生隊の3個隊が所在しています。

 

 中でも、航空機動衛生隊に関しては、平成18年に新編。これまで、臓器移植や高度小児医療など、限られた専門医療機関での緊急対応を必要とする患者の搬送実績については、合計13件を数えます。私の就任後でも、すでに2件の任務遂行からすれば、今後一層業務上は多忙になることが予想されます。引き続き、任務の完遂を望みます。

フィリピン国際緊急援助活動 出迎え行事25.12.25
航空機動衛生隊 機動衛生ユニット

統合運用及び後方の中核的存在たれ!:平成26年9月24日

 現職に赴任してから1カ月半が経過。司令部の幕僚及び隷下部隊のおかげで、遣り甲斐を持って隊務運営に取り組むことができています。ようやく、解決すべき当集団の現下及び将来の課題が見えてきたというところでしょうか。

 

 今週初め、統幕学校特別課程入校中の学生24名が来基。現場部隊の研修という貴重な時間の一部をいただき、「統合にかかわる過去、現在、将来」という題目で、統合に関する私の業務経験、支援集団司令官としての統合及び共同に関する課題認識、そして将来における統合の充実・強化を図るうえで支援集団が目指す将来像について、話をさせていただきました。

 実は、私は統幕学校の入校、統幕勤務いずれも経験が無いので、学生の履修内容にどれほど参考になったかは少し不安がありますが…。

 

 こうした機会に、私がよく引き合いに出す話があります。米軍との防衛交流を通じて、統合の意義、必要性を強く意識した出来事についてです。

 もう10年以上前のことです。空幕勤務時代に上司の米国出張に随行して米軍の統合司令部を訪問。この際、米軍指揮官が次のことを話してくれたことが今でも忘れられません。米軍は1990年代、予算及び人的制約から統合路線を追求せざるを得ず、4軍種が制服の色にこだわることなく共通(統合)の任務を遂行するのに、10年の歳月を要したとの内容で、統合体制に移行しようとしていた自衛隊に対するエールではなかったかと考えています。

 その自衛隊も、統合運用体制に移行して8年以上が経過。すでに統合スピリッツが確立した感があり、被害日本大震災対応をはじめ多くの実績をこれまで残しています。決してこのことに満足することなく、統合運用体制のなお一層の充実を求めていかなければなりません。加えて、後方分野の統合化を早期に実現していくことも望まれます。

 今回来基した学生諸官は、これまでの統合運用体制の推移をどのように見ているのでしょうか。また、今後の統合について、いかに貢献すべきと考えているのでしょうか。入校中に自らに大いに問うてもらいたいものです。

 

 現下の情勢をみれば、統合が抱える課題、その解決策、さらにはその将来の体制づくりの方向性が、これから急速に明らかになっていくはずです。こうした中にあって、彼ら/彼女らが、統合運用及び統合後方の担い手、あるいは統合任務部隊編成時にその中核的存在として活躍することを心から期待します。

府中基地の「名所」:平成26年10月3日

 航空自衛隊の基地内には、飲酒できる施設・場所が定められています。通常、「基地クラブ」と呼んでいます。多くの基地では、民間業者への委託経営により、平日の限られた時間帯で運営されています。一方、一部の分屯基地では、周辺地域の生活環境(離島、遠隔地等)から、委託先が存在しない所もあります。

 こうした基地クラブは、基地内で居住する隊員にとって飲酒を伴う憩いの場であり、基地内外の隊員同士や一般の方も交えた中での懇親会場として広く利用されています。

 

 府中基地の「基地クラブ」が入っている施設にはいくつか特徴があります。現在使用している建物・日本庭園等は、戦後米軍が駐留していた時代に作られたものです。外観のみならず施設内の多くにその面影が今でも残っています。

 特に、大ホールは最大200名(立席の場合)を収容できるほどです。基地クラブが提供する料理及びサービス共に満足していただけるはずですし、私にとっても着任早々から安心してリフレッシュできる場所となっています。

 ただ、ひとつだけ残念な点は、予算的制約もあり近年、建物の老朽化が進んでいるところでしょうか。

 

 昼食の時間帯での営業もあります。この場合の飲酒は不可となりますので、ご承知おきを。府中基地を訪問される際には、ぜひお立ち寄りいただき、他の基地クラブとは異なる風情を楽しんでいただきたいものです。

初めての部隊視察シリーズ(美保基地編):平成26年10月10日

 美保基地は、山陰地方に位置する航空作戦支援基地として、また南海トラフをはじめとする各種事態対応の拠点・基盤として、これから一層の注目を浴びる空自基地のひとつです。この基地には隷下部隊として、第3輸送航空隊、美保管制隊、美保気象隊の合計3個隊が所在します。

 

 本年4月、前職・空幕副長として前防衛大臣による同基地視察に随行。その際には、特に開発中の大型輸送機C-2関連施設、完成間際の管制塔が印象的でした。

 また西空司令官の職にあった昨年にも、移動警戒隊(本年3月に改編)の視察等の目的でこの基地を訪問しています。

 支援集団司令官として着任する以前に、こうした経験を通じて、美保基地を取り巻く勤務及び生活の各環境をある程度、知り得ていたことについては幸いでした。

 

 その一方、今回の視察では、先入観を持たず、あらたな視線で、支援集団司令官という立場で隷下の隊務運営状況を確認できました。中でも、地上輸送員による空中輸送のための事前の梱包要領(パレタライズ)や空中輸送員と連携した輸送機への物品搭載手順に関する展示では、空中輸送に馴染みのない私にとって現場感が得られ、任務遂行上の大きな資となりました。

 

 この基地にも一般広報を担っている「基地資料館」があります。美保基地の戦前からの歴史をたどることができる資料や、航空自衛隊のみならず旧海軍関係者から寄贈された貴重な展示品が整然と陳列されています。基地を訪れた折には、ぜひ立ち寄られてはいかがでしょうか。お薦めします。

司令部庁舎前の神授梅:平成26年10月16日

 私は、大宰府天満宮(福岡県太宰府市)から航空自衛隊の関係部隊等に対して寄贈いただいている神授梅にかなりのご縁があるようです。

 

 千歳基地司令の職にあった当時、大宰府天満宮の「梅の親善使節団」により紅白一対の梅の盆栽を賜りました。これは、民間航空会社による福岡~千歳間の直通運航の開始を記念して、毎年1月下旬に北海道所在の官公庁等に梅が届けられているものです。その一環で千歳基地も対象となったようです。これが最初の縁です。

 

 次に西空司令官勤務時です。西空司令部庁舎前には、国旗掲揚塔を挟んで向かい合うように紅白神授梅それぞれ一対が植樹されています。庁舎正面から掲揚塔に向かって左側に、「航空自衛隊創設50周年金(平成1610月)」として、また右側には「西部航空方面隊創設50周年記念(平成223月)」があり、春を迎える時期にはそれらの芳香を楽しむことができます。

 

 そして、この支援集団司令部庁舎前にも、新庁舎竣工記念の一環として神授梅が植樹(平成142月)されていました。昨年春には、立て看板を更新した上でその除幕式を行うなど、今でも丁重に管理させていただいています。

 

 先日、西部航空方面隊勤務時に隊務運営上のご支援ご協力をいただいた福岡防衛協会女性部会の濱田会長をはじめ会員の方々が府中基地を来訪。当該会員バッジには大宰府の梅が描かれていることもあり、これを機に今回の内容を紹介した次第です。来春の開花が待ち遠しいです。

航空観閲式を成功に導いた力:平成26年11月4日

 1026日(日)、第7回航空観閲式(目的等については下記を参照)が茨城県・百里基地において、観閲官に自衛隊の最高指揮官である安倍内閣総理大臣をお迎えして挙行されました。天候にも恵まれ、成功を収め無事終了しました。

 当日の様子については、各種報道、空幕及び関係基地等のホームページをご覧になっていただくことにして、ここでは航空観閲式を準備段階から百里基地で臨時勤務しながら、陰で支えた多くの隊員にスポットをあててみました。

 

 従来、百里基地には基地司令以下約1,600名の隊員が勤務しています。航空観閲式の準備及び実施にあたっては、さらに接遇、警備、輸送、会場設営、広報等の任を担う他基地等からの支援要員を毎回必要とします。

 今回は、長期の者で4カ月を超える期間、全国各地の基地等から総勢約2,000名の支援要員が当該基地内で居住しながら任務に当たりました。このうち、当支援集団からは300名を超える隊員を派遣。彼ら/彼女らも、本来の任務とはかかわりなく航空観閲式のために各々に付与された役割を果たしてくれました。

 

 私自身は、この式関連では統一訓練、予行、そして本番と三度百里基地を訪問。関心どころは、観閲式そのものの成功はもとより百里所在各部隊による任務遂行、他基地等から派遣された支援隊員の活躍ぶりにありました。結果、期待にみごとに応えてくれたことに対してあらためて称賛します。

 本番当日、百里基地で勤務する全隊員の顔から、笑みと共に自らがこの一大イベントを必ず成功させるのだという意気込みが感じられたのが特に印象的でした。

 

 撤収作業後に行われたであろう慰労会等は、さぞかし盛り上がったことでしょう。

 心身のリフレッシュが図れたならば、百里基地での貴重な体験を活かし、これから始まる演習・訓練に、そして活気溢れる隊務運営に積極的に取り組んでいきましょう。

 

(参考)「当日配布されたパンフレットの記載内容から一部抜粋」

 

 航空観閲式は、自衛隊記念日記念行事の儀式として、陸上自衛隊及び海上自衛隊の協力の下、航空自衛隊の総力を挙げて実施するものであり、世界各国に例を見ない、我が国独自の式典です。

 その目的は、内閣総理大臣(観閲官)の観閲を受けることにより、隊員の使命の自覚及び士気の高揚を図るとともに、航空防衛力の主力を展示し、自衛隊に対する国民の理解と信頼を深めるというものです。

 1954年(昭和29年)71日に、防衛庁(当時)が設置され、保安隊及び海上警備隊がそれぞれ陸上自衛隊及び海上自衛隊となるとともに、航空自衛隊が新たに創設されました。今回の航空観閲式は、防衛省自衛隊が創設されてから60周年の節目の年に実施される記念すべき式典となります。

初めての部隊視察シリーズ(千歳基地編):平成26年11月11日

 私が千歳基地司令の職に付くために千歳空港に到着したのは、7年前の911日夕刻。この日は、基地に隣接する千歳神社の秋季例大祭・宵宮祭にあたり、参道および周辺が屋台や多くの人出で賑わっていました。この3日後に次のような所信(一部抜粋)を朝礼で述べています。

 

 『…近年、自衛隊の任務拡充に伴って業務量は確実に増えてきています。その一方で自衛隊員の数や防衛予算は削減の傾向にあります。こうした私達を取り巻く環境の変化に対して、…隊員個々の能力を向上させるとともに、組織全体で業務の効率化を図らなければなりません。…その効率化は思い切ったものでなければならないのだと思います。「自ら次第で個人は変えられる。私達次第で組織は変わる」を掛け声に、まずは私自身が業務処理の考え方や要領の見直しを通じて、変わっていくべきでしょう。…』

 

 この気持ちは、現職でも変わりません。こうして自分なりの指揮官像を振り返ってみると、2空団司令兼ねて千歳基地司令の補職のおかげで指揮及び業務遂行上の実践力を鍛えてもらったように思います。

 

 この基地には隷下3個部隊(管制隊、気象隊、特別輸送航空隊)が所在しています。このうち、管制及び気象の両隊とのかかわりについては、先の司令官雑感(822日版)で紹介したとおりです。

 また、特別航空輸送隊については、洞爺湖サミット支援業務の最終ステージを締めくくるべく、同隊が運用する特別輸送機に搭乗して羽田空港に向かう福田当時総理を、特輸隊の整備格納庫前で見送ったことがとても印象的で、大きな思い出です。

 

 今回の特輸隊視察中に思い出したことをもう一つ。整備格納庫内の床面には、創隊20周年記念のロゴマークが所属隊員達の手によって描かれています。

 私が千歳基地司令の時に同基地は創設50周年を迎え、その際も、隊員手作りの各種記念イベントを行いました。そのうちの一つが50周年記念ロゴです。今回は懐かしさが募る中での視察となりました。

初めての部隊視察シリーズ(百里基地編):平成26年11月21日

 百里基地の視察にあたり、私が入隊後、初めてこの基地に立ち入ったことを思い出してみました。関係の部隊記念誌等をみると、どうも昭和58年度総隊総合演習時のようです。当時、私は任官してまだ2年目の3等空尉。習志野に所在する第1高射隊・発射小隊付幹部として勤務していました。その総隊総演において同隊が運用していたナイキ・システム(ペトリオットの前装備)を用いて防空戦闘に参加するため、同基地に機動展開したものです。

 諸器材の展開場所が基地内のどの辺りであったかまでは定かではありませんが、時期的には、簡易テントの中でも寒さに震えた記憶はないことから、10月初旬の季節的には恵まれた時ではなかったかと思われます。これも、若き時代の懐かしくも、良き想い出のひとつです。

 

 現在、百里基地には、支援集団隷下の3個隊(管制隊、移動管制隊、気象隊)が所在。先月の航空観閲式においては、本来任務を遂行しながら、観閲地上部隊への人員、装備の差出支援等にあたり、大いに貢献した部隊でもあります。また、これら3個隊に共通しているのは、過去5年以上にわたり服務事故等の発生がないことです。

 

 ちなみに、基地名の百里は地名から名付けられたとのこと。諸説ある中で、江戸時代に水戸藩主が下総国(千葉県)の九十九里海岸に対抗したとの説と、水戸からこの地を通り潮来まで延びていた百里街道から命名したとの説の二つが有力だそうです。詳しくは百里基地のホームページをご覧ください。

航空支援集団の「顔」は隊員一人一人:平成26年11月25日

 航空支援集団の隷下部隊は、総計92個隊です。所在地については、北海道(千歳基地)から沖縄(那覇基地)まで全国の空自基地及び分屯基地に分散展開しています。

 

 そこで、集団のさらなる一体化、融和団結を目的に、新たな試みとして集団司令部が発行する「壁新聞」タイプの通信便りを先月中旬から始めました。

 

 IT化が進み、最先端の防護技術に基づく装備品を保有する空自が、このご時世に壁新聞かと思われる方もいらっしゃるでしょう。

 この試みの背景には、隊員による基地内でのネット端末使用が制約されていたり、同一基地以外の部隊活動については、なかなか知ることが困難であったり、通達類での回覧では、本来任務以外のこといなると周知することにやや時間がかかり過ぎたりするという現状があります。

 そこで、写真や図、表などを主体とした壁新聞であれば、職場の事務所、食堂の出入り口、隊舎の玄関等に張り出しておくだけで、自然と目を向けてくれるのではと考えた次第です。

 取り扱う話題については、賞賛、活気、笑顔等をテーマに現場で職務に励む隊員の明るい、真剣な顔を紹介しようというものです。

 

 支援集団司令部の人事課が、全体の基本コンセプトや「空とも」というタイトル、そして編集・構成を最初に創ってくれました。それ以降、他の課等が積極的に目的・趣旨に合った話題を毎回提供してくれています。

 近々、第5号が監理監察部署から発行される予定。将来的には司令部以外の現場部隊からも、『空とも』発信があることを期待しています。

教育訓練検閲は、真剣勝負!?:平成26年12月8日

 12月第1週、雨降り雪舞う鳥取県の美保基地において教育訓練検閲を行いました。今回の検閲は、先人が積み重ねてきた伝統を継承してきた中にあって、第3輸送航空隊が部隊として、また隊員個人としての任務遂行能力を検閲団(司令部及び他基地の要員から構成)が評価等する場です。

 

 受ける側の3輸空隊は、万全の準備と万端の態勢で検閲に臨み、本番においては、全ての隊員が受け身や後ろ向きにならず、明るく溌剌と実力を発揮してくれたものと確信しています。

 

 一方、検閲を行う側の検閲団には事前に次のような訓示を行いました。『検閲は、「行う側」にとっても真剣勝負。受ける側の実力を見極めるために、「行う側」にも評価の誤り、進歩向上のための必要な事項の見逃しは決して許されない。このことを各人肝に銘じてもらいたい。』と。検閲団の真剣な思いは、評価等を通じて受ける側にも十分に伝わったのではないでしょうか。

 

 今後は、検閲の結果を将来にわたる大きな自信として、あるいは速やかな改善のための教訓としてもらうとともに、決して検閲のためにだけの一時的な成果にすることなく、更なる任務遂行能力の向上に、3輸空隊の繁栄・発展に努めてもらうことを要望します。

西アフリカ国際緊急援助空輸隊の見送り行事に際し:平成26年12月10日

 去る126日(土)雪雲に覆われた小牧基地のエプロン上で、西アフリカ国際緊急援助空輸隊の見送り行事を行いました。休日にもかかわらず、基地所在隊員100数十名が参列。以下は、その際の訓示の内容です。

 

『我が国は、いよいよ西アフリカにおけるエボラ出血熱の感染拡大の防止に向けて、国際緊急援助活動を実施する。そして今日、諸官らがその国外運航の任を受け、2万着の個人防護服を本邦から約17千キロ彼方のガーナ共和国・コトカ国際空港まで空輸することになった。

 KC-767を有する第404飛行隊は、その創設以来わずか5年。この間、パキスタン、フィリピンでの国際緊急援助活動、ハイチにおけるPKO、海賊対処行動等で、各種の国外任務運航を整斉と実施してきたところである。こうしたこれまでの実績、それに裏付けられた自信のもと、このたびの西アフリカ国際緊急援助空輸隊としての新たな統合任務をも完遂してくれるものと確信している。

 本運航では、その任務を国際的意義等にかんがみ、第1輸送航空隊司令・野中将補を空輸隊長に任命した。ぜひ野中将補の厳正な指揮のもと、航空支援集団のモットーである「任務遂行 事故皆無」を果たし無事に帰国することを心より祈念し、出発にあたっての訓示とする。』

常なる空の安全を保つため!:平成26年12月17日

 支援集団の直轄部隊のひとつに、飛行点検隊(入間基地)があります。同隊の基本任務は、飛行点検機による航空保安施設及び航空管制施設の運用状況の飛行点検に関する業務を行うことです。

 

 この飛行点検の対象となる航空保安無線施設等には、ASRPARILSTACANPAPITCOM等、多くの種類があり、航空機の安全な運航を支えています。飛行点検隊は、全国に点在する陸海空自衛隊の43基地等に設置されている165関連施設を担任しています。

 

 先日、同隊のU125に同乗して定期飛行点検の状況を視察。このときには入間基地のTACANPARと小松基地のTCOMを実際に点検し、異常がないことを機上から確認しました。操縦者でない私自身、大きな安心感を得た次第です。

 

 実は、千歳基地司令の時代にF15戦闘機の離発着が気になって仕方なく、飛行隊に足を運ぶことが何度もあったぐらいです。それが、今日の飛行点検隊の業務を通じて、こうした航空保安無線施設等の整備により、飛行安全の確保が図られていることが、よく理解できました。 

 

 空の安全を支えるために、飛行点検隊は今日もどこかの飛行場施設を点検しています。同隊の飛行安全を心から祈念しています。

【略語の解説】

ASR(Airport Surveillance Radar)

 飛行場周辺の航空機の誘導等を行う地上レーダー

PAR(Precision Approach Radar)

 航空機を滑走路のファイナルに無線で精密に誘導する施設

ILS(Instrument Landing System)

 航空機を滑走路のファイナルに電波を使用して精密に誘導する施設

TACAN(Tactical Air Navigation)

 航空機に方位又は距離情報を発信する施設

PAPI(Precision Approach Path Indicator)

 滑走路のファイナルにおいて、航空機に適正な進入角度を示す器材

TCOM(Terminal Communications)

 ターミナル通信施設(管制塔等の無線及びライトガン)

『スマート&チャーミング』で検定合格!:平成26年12月24日

 先日、千歳基地に赴き特別航空輸送隊が実施する空中輸送(特別輸送)幹部等課程の総合実習を視察する機会がありました。

 この課程は、特別輸送機による要人空輸等の任務運航に従事する様々な隊員(幹部及び空曹士)を養成する教育コースのひとつです。政府専用機のCA(キャビンアテンダント)養成コースという表現が分かりやすいでしょうか。

 

 当該隊員達は、従前、各輸送航空隊の空中輸送員であった者ばかりでなく、他特技者からも選抜されます。4か月以上に及ぶ教育機関の中で、客室業務及び緊急対処手順等に関する民間航空会社の委託教育を主体として座学・実習を経て、最終的には空自内の検定試験を受け合否を決定します。

 今回の総合実習は、その検定の直前に実機を使用し、かつ模擬乗客を同乗させた上での最終的な練成の場です。実習中、課程学生が緊張から微妙に指先が震えるのが見て取れるのですが、同時に訓練成果の集大成を図ろうとする懸命さと熱意がうかがえました。

 

 検定に合格した以降は、いついかなる時にもクルーとして任務に就かなくてはなりません。当面は、マニュアルを遵守した正確な行動、おもいやりの心と笑顔、そしてそもそも自衛官としての使命感をもって業務に邁進してもらうことを期待します。

 この記事が掲載される頃には、「スマート&チャーミング」をモットーとする彼ら彼女らは任務運航を控えているかもしれません。

空自英語競技会に備えるべく:平成26年12月26日

  空自の「英語競技会」はリニューアルされ、階級や職域にかかわらず隊員の英語能力の底上げをねらいとして、今年度から5年間、毎年開催することになりました。

  以前は、暗記主体型の個人発表による「英語弁論大会」として開催されていましたが、平成20年度大会を最後に一時中断。

  その後、米国をはじめとする他国との共同訓練、防衛協力・交流が増加するといった実務・訓練における環境の変化を受け、新たな要領に基づく「英語競技会」を実施するに至ったものです。

 

  支援集団内の事前の選抜競技会を12月中旬に実施。結果として、幹部及び准曹士の両部門共に、第1輸送航空隊(小牧)が優勝。

  同隊は、年が明けて1月下旬、防府北基地において開催される空自大会に進出することになりました。支援集団の代表として参加する選手には、本番までのさらなる練度向上と空自大会での好成績を心から期待するところです。

 

  気が早いとは思いますが、「優勝」獲得の暁には、その栄誉を永きにわたり称えるため、支援集団司令部の建物1階に監督・選手等、全員の集合写真を掲載する「勝利の軌跡」(仮称)なる大型掲示板を準備しています。Break a leg !

司令部の御用始め:平成27年1月9日

今年の御用始めは5日でした。風もなく穏やかな晴天に恵まれました。その日は 課業開始前の早朝から司令部主要メンバーと共に、府中市内の「大國魂神社」を拝 殿の上、飛行及び地上の各安全を祈願。

  基地に戻った以降、今年最初の司令部行事として、「だるまの目入れ」を催し、 年男・年女である司令部勤務者にも墨入れしてもらいました。

  その後、年明け最初の司令部主要メンバー会議を実施。その際、私からは司令部 勤務者を対象とした年頭の辞を伝え、御用始めの締めとしました。

                                                        

  翌日からは、業務処理に専念するスタッフの姿がありました。今週は、若干の休 暇者がいますので、本格的に司令部機能を発揮するのは来週以降でしょう。

  毎年4/四半期は、自衛隊・部隊等にあっては年度の任務に関連した各種練成の 集大成の時期。加えて、次年度の防衛諸許画等を作成する、いわゆる繁忙期に当た りますので、意識的にお正月気分を一掃し、本来業務に頭を切り替えでいくことに

 なります。

17日、基地給食班が部隊食の朝食メニューの一環として、「七草粥」を提供 してくれました。おかげで、病気知らずの一年になるでしょう。もちろん新年会等 での暴飲暴食を厳に慎み、あくまでも通年健康管理に努めた上のことですが・・・。

“切れ目のない”指揮を大切に:平成27年1月16日

 新たな年を迎えての初の部隊視察は、浜松と松島両基地に所在する隷下部隊を選択。最近3年間、支援集団司令官が訪れることができなかった部隊を対象とした結果です。両基地には、他基地と同様に管制及び気象の各部隊が所在し、航空管制業務、航空気象観測・予報の適時適切な実施に努めています。

 

  浜松基地は、私にとって術科学校学生という青春の時代と、新規装備品導入に伴う教官職という教育に専念した時代を送った極めて懐かしい場所。

  最初は、昭和571月から13か月の間、幹部通信電子基礎課程及びナイキ整備幹部課程を履修する学生として高射幹部の基礎を習得。

  2度目の浜松は、昭和6211月から豊年半の聞、ペトリオット・システム導入に伴って、準備室要員から引き続き正規の同整備幹部課程の教官として勤務。当時、2術校は最新の装備への換装を控えていたこともあり、肩にかなり力が入っていた厳しい教官だったはずです。

                                        

  ―方、こうした高射幹部である私にとって、松島基地はあまり馴染みのない基地でした。平成233月までは。それまでは業務調整で何度かこの基地を訪れた経験があった程度でしたが、東日本大震災以降は、この基地への関与の仕方は一変。

  当時、私は空幕装備部長の職にあったことから、被災した航空機をはじめとする各種の装備品・器材に対する再整備事業、さらには同基地所属隊員の負担軽減策等に深くかかわることになったことが思い出されました。

  今回の視察におけるエピソードをひとつ。

  浜松所在隊の視察を終えた後、管制隊の杉3尉が10枚ほどの写真を私に手渡してくれました。それらは、7年前の北海道洞爺湖サミットが終了した翌日あたりに、当時千歳基地司令の職にあった私が、国家行事の成功に貢献した管制官等を移動管制器材の設置場所へ赴き感謝と慰労の意を述べた時のものでした。

  実は、私自身はこのことを失念していたのですが、当時1曹で三沢管制隊から千歳に支援勤務していた彼が、私の行動を覚えてくれていて、視察の機会にわざわざ伝えに来てくれたことに大いに感激した次第です。

  本来、視察は指揮官にとって実地に部隊の隊務運営状況等を把握するための現場進出のひとつの方策です。私は、この出来事を通じて、指揮官は部下部隊からもしっかり視られているのだとあらためて認識できました。また、指揮においては、その時々の補職上の責任・義務を果たすことはもちろんのこと、配置先が変わろうとも、自らの信条に基づく“切れ目のない’’、一貫した指揮の姿勢を示し続けることが大切だとも実感。彼のおかげで、有意義な視察の時間を過ごすことができました。

1輸空隊、栄冠を獲得:平成27年1月26日

 今月20日、2 1日の両日、防府北基地(山口県)において空自の英語競技会が開催され、支援集団の代表である第1輸送航空隊チームが、全ての部門において見事な成果を収めてくれました。以下は、同隊の成績一覧です。

 

〇ブリーフィング競技(団体戦)

・幹部の部:優勝(空自編合部隊等から代表9チーム中)

・准曹士の部:準優勝(同上)

 

 同大会のねらい、新たな要領、1輸空隊の選抜経緯については、既に司令官雑感『空自英語競技会に備えるべく(平成261 226日分)に掲載していますので、参考にしていただければ幸いです。

 

 新たな年を迎え、心待ちにしていたこの朗報は、1輸空はもとより支援集団全体にとっても良好な隊務運営を行っていく上で、大きな“弾み”となるはずです。

 

 昨年の段階から、気が急ぐ形で準備していた空自大会等での栄冠を掲示する大型掲示板「勝利の軌跡(仮称)」の設置が、ついに現実のものとなりました。

 今大会終了後、満面の笑顔の監督及び選手等、出場した全隊員の写真を、司令部1階の壁面に掲げ、この度の彼ら/彼女らが獲得した栄冠を後々まで称えることとします。

梅の香りにつつまれて:平成27年2月11日

 今週、府中は温暖な気象に恵まれ、支援集団司令部庁舎前の『飛び梅』が開花。まさに春の先駆けです。

  大宰府天満宮から寄贈いただき基地内に植樹した神授梅については、昨年10月の「司令官の雑感」で私の補職歴とのご縁と合わせて紹介しました。

                                                                                                         

 最近では、府中市にも同市市政60周年の関係により、大宰府天満宮から梅の木が寄贈されたこと、また今週に入って同天満宮宮司及び座女による「梅の使節」を通じて安倍首相に紅白梅の盆栽が贈られたことの報道を耳にしていましたので、 司令部が維持管理に努める神授梅の開花を心待ちにしていたものです。

 

  司令部に寄贈いただいてから12年が経過。例年の気候ですと、3月の上・中旬に満開を迎えるとのことです。しばらくの間は、高貴な梅の香りにつつまれながら、航空支援集団は国家の安泰に貢献していきます。

グアムにおける訓練を視察(シリーズ1/3):平成27年2月19日

 211日から27日の間、米国グアム島・アンダーセン基地においで日米豪共同演習が行われました。空自は、航空総隊が平成1 1年度から参加し始め、航空支援集団としては平成24年度からの参加、今年度で3回目となります。

  今回の当集団の参加規模は、ほぼ例年どおりですが、人員約100名に、主要装備としてC-1 3 0及びKC-7672機を派遣しました。

 

 今年は、演習訓練の点で空自にとって大きな節目の年。空自が実動演習を開始した昭和31年から60年、また国内での日米共同訓練が始まった昭和60年から起算して30年と、それぞれ記念の年を迎えました。                                          

  こうした中、私自身、初めての国外における日米共同実動訓練を視察したものです。                                                            


 今回の視察は、主要演練項目のうち、人道支援・災害救難活動(HADR)を主体に実質1日半の濃密なスケジュールを組み、実戦環境下における関連活動にかかわる現有能力を把握するとともに、各種かかえる課題の認識、将来における航空防衛力整備事業への反映の方向性等を見出すことができました。                                                     

 

 当該訓練については、計画どおりであれば、本邦への撤収完了まで考えると来月中旬まで続きます。現在は訓練参加の半ば、緊張感が少しとれる時期でもあるでしょう。

  今後とも、精神的にはゆとりを持ちつつもく健康に留意し、常に作戦体質を保持し、気を引締めて本演習・訓練に打ち込んでもらい、全員がそれぞれの装備品と共に無事に帰国・帰隊してくれることを心から祈念し帰国の途につきました。

グアムにおける訓練を視察(シリーズ2/3):平成27年2月20日

 3年前に支援集団が当該訓練に初めて参加した時のことを考えると、同訓練の参加実績において先行する航空総隊からの各種サポートがあったとはいえ、訓練の実施要領及び勤務のための各種環境整備等にあたっては、手探り状態の中で、きっと苦労したのではないでしょうか。

      

  しかし、3年が経過した今、参加部隊の練度及び技能を実地に見てきた中では、同訓練は急速に充実期に移行しているとの実感がありました。と同時に、私は指揮官として、この機を失することなく、隊員及び装備の各種安全を確保しながらも、グアム訓練の編成、演習項目、実施要領等を見直し、隷下部隊の任務遂行能力を充実・発展させる方向に推し進めていかなければならないと強く考えた次第です。

 

 こうした思いを持ちながら、現地での訓示においては、本演習参加の目的である日米豪の組織的対処能力、HADRにかかる米豪軍との相互運用性の向上、部隊・個人の戦術運用技量の向上に遭進することと、次回以降の同訓練の改善を図るために、以下の3点について各人が所見を日本に持ち帰るよう要望したところです。

 

1.グアム訓練の成果において、さらなる高みを目指すために、国内で日々行っている各種訓練の内容について、いかなる改善を図るべきか。

 

2.国内における各種訓練項目のうち、訓練効率や訓練成果の検証という観点で、グアム等における国外訓練にシフトできるものがあるのではないか。それは何なのか。

 

3. 訓練の発展性の観点からは、支援集団の任務遂行において、国内外の訓練において、未だ実施し得ていない訓練項目はないのだろうか。あるとすればどのような訓練の場を創り出すべきなのか。

グアムにおける訓練を視察(シリーズ3/3):平成27年2月24日

 私自身は、レッド・フラッグ・アラスカ、コープ・ノース・グアムに代表される国外における日米共同による実動訓練(FTX)には、これまで参加した経験がありませ

  一方、国外での日米共同の指揮所訓練(CPX)という観点では、米軍では当時ブルーフラッグと呼称されていたCPXへの参加経験が一度だけあります。

  同訓練の主な目的は、米空軍の航空作戦センターで勤務する要員に対する指揮所活動の要領を習得させることにあったように記憶しています。

  過去における作戦結果の分析・評価、作戦現況の把握、将来における作戦遂行のための計画立案等、この時に知り得た一連の作戦推移の中での指揮幕僚活動は、司令官となった今も、指揮や幕僚指導の基礎となっており、まさに得難い体験でした。

 

  米本土で実施された上記のCPXに参加したのは、もう20年以上も前のことです。現在も同一訓練名が残っているのか否かはわかりません。

  あくまでも個人的な推察ですが、司令部等における効率的かつ円滑な指揮所活動に寄与する同種の訓練は、きっと存在し相当な進化を遂げているのではないでしょうか。可能ならば、ぜひとも今の立場で研修したいものです。

 

  現在、グアムで訓練に勤しんでいる空自の隊員達は、訓練制約の極めて少ない中、早朝から夜間までの各種訓練を通じて、組織としての事態対処能力及び隊員個々の特技能力が日々向上していることを、身をもって実感しているはずです。

  また、こうして培われた隊員の実力と自信が、実効性ある日米共同に寄与する大きな糧になるのです。

 

  なお、帰国の直前にはアンダーセン基地から車で約20分のところに所在する「南太平洋戦没者慰霊碑」を訪れ、英霊に対する献花及び供養を支援集団の代表として行ってきたことを紹介して、このシリーズを終わります。

JWSとは:平成27年3月2日

防衛省自衛隊が統合運用態勢に移行して来年3月で10年となります。今では、統合任務部隊、統合作戦、統合輸送、統合教育などと「統合」の冠がついた自衛隊用語は珍しくなくなりました。
 それでも、これから進化させなければならない機能・分野はまだまだ多く、3自衛隊が協力して限られた人員及び装備を効果的に運用・整備していかなければなりません。

 「気象」という機能についても、さらなる統合化は必須です。この点では3自衛隊合同による研究・検討の場として、 「統合気象中枢運用委員会」なる枠組みがあります。同委員会は昭和52年に創設、先月その記念すべき第40回会同を支援集団司令部内で
開催。陸海空の気象業務に従事する関係隊員が集合し、成果等の発表及び意見交換を行いました。

 Jws(統合気象システム)は、その研究対象のひとつになります。この現行システムは、平成25年頃に初めて整備されています。しかし、昨今の各種事態への対処の必要性から、機能の拡充・強化のために段階的なシステム換装が計画され、その仕様等について3自衛隊で事前研究を図っているものです。

 「統合」という枠組みの中ではあるものの、こうした研究・検討の場を支援集団が提供できることは大きな喜びです。
 今後とも、気象分野において、3自衛隊の関係特技者等が共通のマインドセットを持ち、いかなるエリアにおいても気象観測情報及び気象予報結果を、着ている制服の色にかかわらず関係部隊に提供できる態勢整備を目指していきます。

メンターの存在:平成27年3月9日

先月末、府中基地内において「歴代航空支援集団司令官会同」を開催しました。同会同では、毎年1回を基準に支援集団司令官職を経験された先輩(0B)の方々に司令部までご足労願っています。
 参加の諸先輩に対して、現役司令官という立場で私から支援集団の隊務運営状況に関する説明を行った上で、今後の部隊運営にかかる資を得るためのご助言を今回もいただきました。

 自衛隊の部隊等は、任務遂行のための各種訓練や諸行事を、その後において、より効果的に行うことを目的に活動実績を記録しています。これらは、部隊史や記念誌といった形で作成、発行されてもいるわけです。
 それでも、諸先輩から直接伺う話の中には、当時の成果や教訓の背景等にあった、それまで知り得なかった事実を耳にすることが多々あります。また、このことを通じて当時の指揮官による苦難の判断決心に合点し、大きく領くこともしばしばです。

 自衛隊に限らず、いかなる組織についても言えることですが、メンターの存在は不可欠です。今回の会同においては、現行の制度や規則の見直し、そして将来における業務(ビジョン)の進め方についてご教示いただいたのが印象的でした。私達は、こうした貴重なご意見を今後作成する業務遂行上の諸計画等に必ず反映し、その処置状況については来年の会同の際に発表させていただきます。
 現役一同、諸先輩との再会を楽しみに日々の職務に精励します。

華麗な剣さばき:平成27年3月16日

先週、隷下部隊のひとつである航空保安管制群が府中基地内にて銃剣道大会を開催。同群は全国20個部隊が18個基地に分散配置している関係上、事前の地区大会を経た上での猛者揃いの大会でした。

 私は大会役員ではありませんでしたが、公私共々の関心もあって、個人戦を準々決勝半ばから観戦。白熱した試合に魅了されました。先に行われた団体戦については築城管制隊が、また個人戦では百里管制隊所属の隊員がそれぞれ優勝。来年度予定されている空自武道大会に駒を進める期待が膨らんだようです。
 私自身、銃剣道に巌(はま)った一人です。幹部候補生学校で昇段、配属先の第1高射隊(習志野)時代には、同一駐屯地内に所在する空挺団をはじめ、下志津及び松戸等に駐屯する陸自部隊との他流試合を求め転戦。半年の間、合宿も含め銃剣道三味の時期もあったくらいです。
 当時の銃剣道の実施要領は、現在のように武道として進化した形とは異なり、銃剣格闘的要素が強かったと思います。2尉・3尉の時代、受け身の姿勢だったこともあり銃剣道訓練が辛いだけでしかなかった私ですが、高射隊長(2佐)の時に先鋒で群大会に出場するまでやっていたことからすれば、いつからか銃剣道の腕試しを望む気持ちが先行するようになったのでしょう。

 冒頭の管制群内の大会に話を戻します。個人戦・決勝は強者(つわもの)同士ということもあり、2度にわたる延長戦の中での決着となりました。まさに甲乙付け難い対戦でした。
 特に優勝した黒田将史3等空曹の剣さばきは、目を見張るものがありました。心・技はもとより、団体戦から個人戦決勝まで負けなしの体力・気力、加えて落ち着いた所作がとても印象に残りました。来年度の空自武道大会における管制群の活躍を祈念します。

基地機能のさらなる充実:平成27年3月23日

那覇基地での勤務経験は、残念ながらありません。沖縄方面の空自基地を最初に訪問したのは、幹部候補生としての研修時であったように記憶しています。地対空誘導弾「ペト リオット」の前身である「ナイキーJ」弾が地下式サイトになっていたことが印象として残っています。今から考えると、年間を通しての高い外気温、塩害予防といった器材保護の観点も考慮されていたのではないでしょうか。 

 その後、空幕重用課勤務時代に那覇基地を頻繁に訪れる機会が巡ってきます。2000年に開催された九州・沖縄サミットです。空自のサミット担当として、その前年から都内及び那覇市内で行われた関係会議等に出席し、要人の空輸及び警備等にかかわることができたおかげで、当時の那覇基地が保有する各種能カを理解することができました。
 サミット開催が沖縄振興を加速させ、県内には万国津梁館をはじめとする関係施設が新設される中、美観整備の一環で同基地の外柵も新しくなり、現在に至っています。
 昨年は、前副大臣等の随行として官古島、与座岳、知念の各サイトを視察、南西方面における空自の防衛態勢を現地で確認する機会に恵まれました。

 先日、那覇基地に所在する管制及び気象の両隊を初度視察した際、支援集団の任務遂行の観点で、あらたな課題としての気づきがいくつかありました。
 戦闘機部隊の2個飛行隊化に伴う那覇基地内における輸送機の駐機ェリアの確保、南西方面における広域輸送支援のための飛行場運用、また各種事態における航空保安管制及び航空気象の機能強化に関する事前検討等、情勢の変化に応じた検討課題はまだまだ尽きません。
 引き続き、積極的に各種課題の解決に取り組んでいきます。

桜花の追憶:平成27年4月1日

平成26年度における航空支援集団内の服務状況を隊務運営、任務遂行の観点から顧みれば結果は良好と言えるでしょう。
 一方で、航空支援集団として掲げている『事故皆無』を達成できなかったことについては猛省しています。
 また、依然として、いじめ、危険ドラッグ等が大きな社会問題となっていることに鑑みれば、自衛隊員として、ー般社会人として、健全な人生を歩んでいくにあたって、まだまだ危険が多いと言わざるを得ません。

 人生は順境と逆境の繰り返し。私自身はむしろ悪戦苦闘の連続との認識が強いためか、精神的な落ち込みが多々ありました。今後もあるでしょう。
 しかし、その度に、家庭及び同僚の支え、良質の本からの感化等により、 「心」は耐久や回復し、今日に至っています。

 こうした不安定な精神からの回復、不平・不満からの自発的治療に少しでも役立ちはしないかと、私なりに考えた試みを部下隊員に提案してみました。
 今は春煉漫。日本全国を「桜」前線が北上中。この桜を愛でながら、これまでの人生において桜にまつわる想いを追憶してみてはどうかというものです。人によっては、桜花とはいえ辛く憂える想い出もあるかもしれませんが、一般的には、桜にかかわる回想では、喜び、楽しみ、懐かしさといった暖かい気持ちに包まれるのでないでしょうか。桜は、やはり日本人にとって特別な存在なのですから。

操縦者養成の地:平成27年4月16日

府中基地内に八重桜が咲き誇る中、航空支援集団隷下部隊の初度視察のため山口県の防府北基地を訪問。幹部に任官後では通算2回目の訪間です。前回は、航空幕僚監部人事教育部補任課長職にあった際に、第12飛行教育団司令等の幹部に関する人事情報を収集するために来訪。この時は、防府北基地内の基地内施設を見学する時間がなかったこともあり、団司令室しか記憶に残っていませんでした。

 この防府北基地に所在する隷下の管制・気象両部隊は長きにわたり服務規律が良好です。また、両隊に共通する編成上の特徴については、幹部を第12飛行教育団・飛行教育群に配置し、初級操縦課程の業務を通じて将来の「パイロットの卵」の養成に当たらせていることです。両隊共に定員規模の小さな部隊ではありますが、難者養成に従事できることを気概として、各種教育に積極的に取り組んでいる状況を実地に知ることができました。

 ちなみに航空自衛隊の全ての操縦要員は、まず地上教育のために防府北基地に開設されている飛行準備課程に入り、その履修後、先に紹介した初級操縦(T一7)課程(同課程は、第11飛行教育団(静浜基地)にも設置)を経て、戦闘機、輸送・救難機についての各専門の操縦課程に進むことになります。

 この日、隷下部隊の初度視察を終了した後、T- 7(写真を参照)に体麟乗。離陸後しばらくして思い出したことがひとつ。それは、実現はしませんでしたが、防衛大学校入校前に、実父(旧海軍・予科飛行練習生)と同様にパイロットになることを夢見たことでした。

パートナーシップ促進を目指し:平成27年4月24日(金)

防衛省は、昨年6月「防衛生産・技術基盤戦略」を策定しました。その中で「施策推進に際しての基本的視点」のーつの項目として、 「官民の長期的パートナーシップの構築」が記述されています。このうち、 『防衛生産・技術基盤の維持・強化を図るためには、 (中略)公正性・透明性に配慮しつつ、適切で緊張感のある長期的な官民のパートナーシップの構築を実現する必要がある』の部分が要点です。

 国内外の各種情勢の変化に応じて、新装備品の導入及び既存装備の維持運用を効率的・効果的に行っていく中で、防衛省自衛隊と関係企業との間において、いわゆるニーズとシーズの適合点を常に追求することがとても重要です。そのためには十分にして不断のコミュニケーション、より高みを求める意見交換が必要不可欠であることは言うまでもありません。
 私自身、平成6年から航空防衛力整備事業にかかわる部署に配置された以降、このことを強く意識してきました。

 先日、日本防衛装備工業会からの依頼に基づき、関係企業の方々に対して当集団の創設以来の編成・任務の変遷、活動実績、当集団が抱える各種課題、並びに3年先を見通した将来展望をお話しさせていただいた上で、司令部幕僚との意見交換会を開催することができました。
 今後とも、保全に十分に配慮しながら、将来の戦闘様相、それに基づく将来的な装備政策の方向性等を、私共自衛隊側から積極的に発信し、関係企業の各種事業にかかる予見可能性の向上に、そして先述の戦略が示すところの「パートナーシップ」の促進に役立つことができればと考えます。

基地観桜会の始まりは日米親善:平成27年5月1日(金)

4月16日、府中基地司令が主催する観桜会に出席。前日までの雨曇りの天候は一転して快晴、外気温も20度前後と絶好のお花見日和に恵まれました。この観桜会の期日については、人重桜の開花期をその対象として設定されたものでしたが、まさに絶妙のタイミングとなり、支援集団直轄部隊のひとつである航空気象群司令を兼ねている基地司令にとっては、面目躍如というところでしょうか。

 府中基地において桜花を鑑賞する催しは、昭和50年米軍が当基地から現在所在する横田基地への移転に伴って府中基地が航空自衛隊に全面返還されたことを機に翌年春に第1回となる「府中基地観桜会」が実施されたとのことです。その後、開催要領等の変更や開催中断の時代もあったようですが、現在でも米軍横田基地から米空軍関係者を数十名招待して行われています。

 平成23年3月、それまで府中基地に所在していた航空総隊司令部が横田基地に移転した以降、府中基地と米軍との文化交流が低調になりがちでしたが、歴代基地司令等の尽力により、年明け早々の賀詞交歓会、春の観桜会、夏には納涼祭、これら三大行事には米軍関係者を基地来賓として招待し続けています。
 こうした日米親善の活動については、日米防衛協力指針の見直しが成就したこともあり、日米共同にかかる任務遂行及び実効性ある演習訓練の実施に併せて、いっそう活発に実行していくつもりです。

来年のサミットに全力支援:平成27年5月8日(金)

5月8日,現在、航空支援集団はネパール国際緊急援助活動の最中ですので、航空支援集団司令部指揮所の開設に伴い、私も府中基地を離れることを控えているところです。したがって、話題としては少し時を遡ることになります。

 年度が改まってから、航空支援集団以外の他部麟や一般の方々に対して、これまでの
各補任先における任務遂行上の経験談や現職における将来展望をお話する機会があり、その中からひとつ。

 報道にあるように、日本が議長国を務める主要国首脳会議(サミット)が来年8年ぶりに開催されます。開催地については、全国幾つかの自治体が名乗りを上げているとのことですが、現時点は未定のようです。
 防衛省自衛隊としては、開催地がいずれであろうとも、過去の経緯からして要人の輸送、警備を主体とする任務に従事することになるはずです。

 私自身は、2000年九州・沖縄サミットでは航空幕僚監部の担当者として、2008年北海道洞爺湖サミットにおいては、空輸拠点となった千歳基地司令として、この国家行事に関与することができました。特に、北海道洞爺湖サミットでは、参加26か国首脳等
が千歳空港に到着するたびに、北海道知事、千歳市長等と共に出迎え行事に参列する栄誉にあずかるとともに、千歳基地の警備をはじめ各種任務に寄与することができました。

 開催地はまもなく決定されることになるでしょう。その際には、過去の経験を活かして、サミット開催にかかる各種検討段階から事前判諸まで大いに役立ちたいと意気込んでいます。
 その際の成果・教訓は、さらに4年後の2020年東京オリンピックの際に担うであろう任務に大いに活用されることになるに違いありません。

父のおもかげ(部隊視察シリーズ:芦屋基地編):平成27年5月22日(金)

着任にあたって、初度視察する基地等の順番については、航空支援集団司令部が所在する府中基地を皮切りに、①隷下の部隊けん制順②所属部員数の大きい部隊③ここ2~3年の間に航空支援集団司令官による部隊訪問の実績がない部隊、この3つの点を優先してきました。
 3番目の点では、今回の芦屋基地の視察をもって一区切りつけることができました。

 管制及び気象の両隊による事前準備が行き届いていたことから、視察自体は整斉と実施。運用時間外における芦屋救難隊の諸活動及び第13飛行教育団の操縦課程教育に対する支援等もしっかりなされている状況を実地に確認。両隊長の指導のもと、隊務運営及び服務規律の維持についても良好でした。

 西部航空方面隊司令官の職を離れて以来、3年ぶりの九州所在部隊の訪問となりました。基地到着直後から九州弁(方言としては、出身県を離れて40年近いので、使い方はあやしいのですが)が出る始末。ついつい懐かしさが表に出てしまい、自ら苦笑してしまいました。

 私の実父は、軍歴の写しによれば、昭和19年予科飛行練習生として入隊、最初に「福岡航空隊」に配属。当該部隊の正確な在所は分かりませんが、芦屋管制塔から見渡すことができる空域での飛行訓練をしていたのか、あるいは地上において機銃掃射の脅威にさらされていたのかもしれません。芦屋周辺の山系、遠賀川、響灘に目を向けながら、父の面影を追っていたような気がします。

家族の支えがあってこそ (部隊視察シリーズ:三沢基地・秋田分屯基地・新潟分屯基地編):平成27年5月

現職に就任して夏で1年bこれまで一度も訪問できていなかった隷下部隊の数は少なくなってきています。そこで、今月は東日本を中心に三沢基地、秋田及び新潟の各分屯基地に所在する管制及び気象隊を一気に初度視察することにしました。

 まずは、三沢基地の管制及び気象隊です。三沢管制隊は、三沢飛行場を使用する日米の関係航空機、民航機に加え、海上自衛隊の大湊航空基地及び八戸航空基地の管制支援を適切に実施し、三沢気象隊については、気象の各種情報を基地所在部隊に限らず周辺基地へ提供する等、多岐にわたる業務を取り扱っているのが特徴です。
 あと数年もすれば、次期戦闘機F一3 5Aが同基地に配備される計画ですので、当該航空機に対する適正な業務処理要領等を先行的に定めていくことが課題です。

 三沢基地に次いで、秋田気象班(三沢気象隊長の指揮下にあり、秋田分屯基地に所在)、新潟気象班(入間気象隊長の指揮下にあり、新潟分屯基地に所在)、いずれも人数は多くありませんが団結力の強い部隊を視察。
 両気象班は、日本海側の厳しい気象環境の中で、航空総麟t下の秋田及ぴ新潟救難隊と一体となって救難救助の任務を支援する態勢を、現場で確認することができました。

 新潟分屯基地でのエピソードをひとつ紹介します。視察をタ方5時に終了し近傍の宿泊施設に向かうため、車で基地の正門を出たところ、幼子を連れた女性3、 4名の方と挨拶を交わす機会がありました。
 分屯基地司令によれば、父親である隊員が基地の行事や訓練等で帰宅が遅くなることがしばらく続いていたために、お子さんと一緒に基地近くまで様子伺いに来られたのではないかとのことでした。この話を聞いて、心温まる思いを持ちつつ、私達自衛隊員の任務は家族の支えなしには成し遂げられないのだとあらためて気づかされた次第です。

霊峰・富士が描かれた部隊章が誇り(部隣見察シリーズ:小松基地・岐阜基地・静浜基地編):平成27年6月

今回は、中日本廻りの初度視察を敢行。最初の訪問先は、小松基地に所在する管制及び気象の両隊です。
 これら部隊にとっての「難敵」は雷。小松基地周辺は広域で雷の発生率が高く、このため小松管制隊は特に冬季において雷雲回避を適切に指示し、自衛閉幾及び民間機の被雷防止に努めているのが特徴です。
 また、小松気象隊については、全国で同隊だけが保有する地上用雷電探知装置を運用し、詳細な雷情報を関係部隊等に提供する業務が大きな特徴です。ただし、課題もあります。当該装置は老朽化が著しい上に、器材設置に使用している支柱等の腐食もあり、現場任せにせず航空支援集団をあげて換装事業の早期実現に取り組んでいます。

 小松基地の次に岐阜基地へ移動。同基地には、航空自衛隊が保有する航空機の能力向上、改修等を目的とした各種飛行試験を行う飛行開発実験団が所在するため、岐阜管制隊はそれぞれの機体特性にあった航空交通管制を、また岐阜気象隊は周辺部隊等と連携しながら、気象観測及び予報の各業務を実施。両隊共に新人の養成にも努カしている感を受けました。

 最後に静浜基地を訪問。先に雑感で紹介した防府北基地(第12飛行教育団)や萱屋基地(第13飛行教育団)と同様に、操縦課程学生の学科教育等を担っている第11飛行教育団が同基地の運営に携わっています。こうした教育重視の環境の中にあって、静浜基地の管制及ぴ気象の両隊は、明日の航空作戦を担う操縦学生の育成を強く意識して任務遂行に当たる姿勢が、視察を通じて伝わってきました。

 静浜基地からは雄大な富士山を仰ぎ見ることができます。当日もその世界遺産を眺めながら、厳かな気持ちになったのは言うまでもありません。この日、航空支援集団の部隊章に霊峰・富士をデザインした先人に心から感謝するとともに、そのおかげで航空支援集団における任務遂行を一段と誇らしげに思えることにあらためて気づくことができた、極めて印象深い視察となりました。

南鳥島への任務運航から知り得たこと:平成27年6月17日(水)

日本の最東端として知られる「南鳥島」。東京から南東へ約1900キロに位置する同島には、海上自衛隊硫黄島航空基地隊の分遣隊である南鳥島航空派遣隊※1が所在し、航空機の離着陸に関する機能の維持、航空交通及び気象情報の提供等の業務を行っているほか、国土交通省、気象庁等の関係者が勤務しています。
 
 航空自衛隊の部隊は、南鳥島には配置されてはいませんが、航空支援集団は月1回を基準に、C-i 3 0Hにより、先述の所在部隊・機関への糧食運搬及び気象庁の依頼に基づく温室効果ガスの観測※2支援にかかわる任務運航を行っている関係にあります。

 今月は、第i輸送航空隊のC-13 0Hを任務便として使用。これに私が同乗し、片道約4時間の長距離洋上運航を経験できたおかげで、輸送航空隊による国外運航の状況を垣間見た思いでした。
 国際緊急援助活動等の運航任務では、通常1回のフライトで8時間以上を要し、かつ数日かけて派遣先の飛行場に向かいます。
 その間、経路上の気象状態を常に把握し、経由地ごとに各種難題に直面、そして解決のための努力等、運航クルーが心身の疲労と闘いながらも任務に遭進する様をうかがい知った感があります。国外運航任務時には日本国内で指揮する立場にある司令官として、現場力を実感した貴重な視察となりました。

※1 南鳥島航空派遣隊「出典:海上自衛隊厚木航空基地公式サイト
(http : //www. mod. go. jp/msdf/atsugi/butai/mar. html) 
※2 温室効果ガスの観測「出典:気象庁ホームページ
(http://www. data. ima. go. ip/gmd/env/ghg obs/station/station ininamitorishiiua. html) 
WMO(世界気象機関)が実施している「全球大気監視」の一環として、北西太平洋上空高度600 0mでi 00kmおきに大気試料を採取し分析

年次有給休暇の取得促進:平成27年6月26日(金)

部隊において隊員個人が付与される任務及び取り扱う業務は、私が任官した昭和50年代当時と現在とを比較すると、その量は確実に増えています。
 中でも、各級司令部及び隊本部等では、業務処理が難解なケースを抱えることが多く、「仕事最優先」になりがちです。常に円滑な部隊運用を第一と考える職業論理から生じる使命感がこの傾向を強めているようです。このため、部署にもよりますが、勤務する隊員は休暇を取得することに抵抗感を持っているのが実情です。

 数年前に、休暇の効果的な取得に関する民間論文を最寄り図書館の一般刊行物の中で見つけました。
 そこには、体調不良、冠婚葬祭、免許更新等の不可避な法的手続き等の個人事由による休暇とは異なる計画的な休み(以下、 「計画休暇」)を取得することで、個人のリフレッシュやワーク・ライフ・バランスを図り、より良い業績を残せることが可能との検証結果が寄稿されていました。

 それ以降、これまでの補職先で「計画休暇」の取得を部下隊員に勧めてきたところです。
 航空支援集団司令部においては、月に1回を基準としで、また夏季休暇及び年末年始休暇の時期を除き半期に連続3日を基準として「計画休暇」を取得することを推奨しています。

 ただし、あくまでも効率的な業務の処理という本来目的を踏まえ、同僚の間で「計画休暇」の対象日ができるだけ重複せず、かつ休暇取得者の業務代行を確保することとしています。
 逆に、業務多忙を理由に「計画休暇」制度を安易に断念することなく、お互い融通を図るように努めさせてもいます。

 先月、平成26年度の休暇取得の実績をまとめた結果がでました。平成25年度に比して、航空支援集団は司令部及て機下部隊の多くが、休暇の取得日数において、若干ではありますが、増えました。
 平成26年度における任務遂行への悪影響や業務処理の質の低下はありませんし、先の研究結果どおりの効果が得られていると考えています。今後は、こうして結果を定量的に分析できるよう隊員アンケートを実施して、制度化が図れればと期待しています。

先輩から学んだこと:平成27年7月10日(金)

予算と人員の制限がある中で確実に増える業務量を的確に処理し、従来どおりの、またそれ以上に質の高い任務遂行を目指す手段のーつとして、隊員個々が持つ各種能力を向上させることがあげられます。

 これを受け、指揮官の立場にある私も今年度当初から航空支援集団司令部で勤務する隊員を対象として、月に1回程度ではありますが幕僚教育を行っています。より効果的な幕僚活動を促す上で、各人の任務遂行意欲及び業務処理能力の向上等を図ることを目的にしています。また、教育内容についても概念論を避け、私自身がこれまでの実務の中で得てきた実績をもとに具体的に説明するように心がけています。

 新人幕僚としての各種業務に何度も蹟き、ため息をつきながらの毎日を送っていた20年前の自分自身を思い浮かべてみると、今の若き幕僚勤務者たちの方が多種多彩な文書作成ツールを駆使して、はるかに見栄えのする報告書を作成しているのは確かです。

 こうした私が航空幕僚監部担当者時代にあって、業務遂行上の精神的支えになったのが直属上司でした、当時の上司からは”幕僚勤務の十訓“と称していた指導を適時受け、いまでもその教えが記憶に残り実践しています。”解決の糸口は3か日考えて結論を出
せ!” “長くても暗くてもトンネルは抜ける” “課題解決のヒントは通勤の途中で石に蹟いた時に閃くこともある” “食事は忙しくても、食欲がなくても、無理して食べろ”など明確なのもでした。事実、これらの言葉に、これまでも何度も難局に対時した際に助けられてきたことか。

 10番目となる最後の項目は、 「健康管理を怠るな」。自らが体調を崩せば、結果として他の幕僚に余分な業務を請け負わせることになるし、ついては部署全体としても業務処理能力が低下するというものでした。
 多忙な中にあっても、自らをいたわる気持ちを大切にしろよという温情溢れる指導は、今でも忘れられません。




続・華麗な剣さばき:平成27年7月17日(金)

以前、航空保安管制群が催した平成26年度銃剣道大会について、この「 雑感」の中で触れました。

 来年2月、防府南基地で行われる予定の航空自衛隊武道大会に先駆け、航空支援集団内における同大会倹寸道・銃剣道の各団体戦及び個人戦)が、今週3日間にわたり小牧基地にて熱戦が繰り広げられました。大会結果については、航空支援集団のホームページに掲載しています。

 私は、大会会長としての立場で、会場となった基地体育館で観戦。長期間の演練によって、技量向上した選手の華麗な剣さばきに、くぎ付けとなりました。現地において応援していた多くの隊員達が、選手の白熱した試合にきっと魅了されたはずです。

 「勝者と勝者が属する部隊は、共に喜び、そして共に讃える」 「敗者と敗者が属する部隊は、共に悔しがり、そして共にねぎらう」これらは、いずれも戦いにおいて勝利することを使命とする我々組織にとって、とても大切なこと。また、こうした思いは団結力や現場の活カという大きな力につながっていくのではないでしょうか。

 今大会の優勝部隊及び勝利者は、これから航空自衛隊大会まで航空支援集団の代表となります。さらなる練成に励み、本番において他の編合部隊から航空支援集団の武士(もののふ)、強者(つわもの)と言わしめるほどの名誉を、ぜひ掴んでもらいたいものです。

文化的教養の向上は、健全な隊務運営に寄与:平成27年7月28日(火)

7月23日(木)府中基地納涼盆踊り(一般開放)に先立ち、府中基地内にて美術展が開催(7月21日から3日間)。同展は「つばさ会」※1の共催、「ともしび会」※2の協賛により、毎年航空自衛隊内のいくつかの基地で実施されているものです。隊員及びその
家族の文化的教養の向上等を目的とし、府中基地では今年で33回目となります。

 今回の出展者の7割は航空自衛隊の0Bで、隊員、その家族及び一般の方を含めると総勢88名、総作品数は160点以上にも及んだそうです。開催の都度、こうした作品を鑑賞してきましたが、この美術展が隊員や家族に対して豊かな感情を育んだり、様々な文化
活動に励むきっかけを与えてきたのは間違いありません。

 私自身はというと、小松基地で基地業務群司令の職にあった時には、同基地で開催されたつばさ会主催の美術展に、自ら作成した書を出典するとともに、基地隊員の文化・体育活動に対する啓発に心がけたこともありました。ただ、その時以来、未出展なのが未熟で心苦しいところではありますが・・・。

 今年は開催セレモニーに来賓の一人として同席した関係から、つばさ・ともしび両会の関係各位と共に、力作を拝見することができました。府中基地で勤務する隊員にあっては、感動と和みの時間に、納涼盆踊りの機会に合わせて来展された周辺住民の方にあっては、憩いのひとときになったことでしょう。

※1 つばさ会:航空自衛隊退職者団体
※2 ともしび会:自衛隊遺族会航空部会

アラスカ演習の準備状況等を視察(シリーズ1/3) :平成27年8月11日(火)

米空軍が主催するレッドフラッグアラスカ演習が8月7日から米国アラスカ州アイルソン空軍基地、ェレメンドルフーリチャードソン統合基地及びその周辺空域等において始まりました。
 航空支援集団からは、人員約130名、主要装備としてC-i 30HX3機及びKC-767X2機が参加しています。

 このうち、KC-767については、平成22年から今年で5回目の参加となる中で、三沢基地からエレメンドルフーリチャードソン統合基地への移動間(8月3日)、航空自衛隊F一15への初めての空中給油を実施。その状況をKC-7 67に搭乗して視察する機会を得ました。
 展開撤収時における空中給油については、これまでグアムにおける日米豪共同訓練参加時に実施した鍛はあります。今回は、さらに遠距離渡洋での空中給油能カを向上させることを目的にしたもので、参加した部隊及び隊員にとって大いに自信となったはずです。

 アラスカへ向けての飛行中、眼下には雲海が続く気象状況でしたが、大気は安定していたため、大きな揺れもなく、航空自衛隊F一15に対して空中給油を実施する様(写真①を参照)を数回にわたって間近で確認。
F-15の操縦者とKC-767の操縦者及び空中給油操作員による繊細な空中給油動作を目の当たりにし、貴重な体験となりました。
 これにより、航空総隊が実施する平時の対領空侵犯措置及び各種作戦実施の際における空中給油支援のイメージをしっかり持つことができました。

 渡洋間、雲の隙間から、アッツ島※のほぼ全容を幸運にも視察でき、思わず手を合わせ英霊の冥福を祈った次第です。
  エレメンドルフーリチャードソン統合基地に無事到着した翌日(8月4日)、事前の計画に従って、同基地内の国立墓地を訪間。現地で各種訓練に励む航空支援集団隷下隊員と共に、アッツ島日本人戦没者墓地(木碑には、 『2 002年9月22日アラスカ在住日本人有志一同謹建立』との記あり)に参拝(写真②を参照)、併せて航空支援集団隷下訓練隊の飛行安全と無事の帰国を祈願させていただきました。

※1943年(昭和18年)5月12日、日本軍のアッツ島守備隊は上陸したアメリカ軍と17日間の激しい戦闘の末に玉砕

アラスカ演習の準備状況等を視察(シリーズ2/3) :平成27年8月17日(月)

前回の雑感記事とは日程的に前後しますが、8月4日朝一番に現地の米軍指揮官を表敬。この際、相手方からエレメンドルフーリチャードソン統合基地において昭和天皇とニクソンアメリカ合衆国大統領の歴史的会見が行われたことが話題となりました。
私自身、事前の勉強不足のため、この「歴史的事実」を知らず、深く反省した次第です。

 表敬終了後、基地内に所在する米軍部隊及び関係施設等を見学。その移動間に、今回の視察に航空支援集団司令部から随行していた幕僚が、先に話題に取り上げられた会見跡に案内してくれました(写真①を参照)。施設に設置された銘飯には、次のとおりの記載(英文は省略)があったので紹介します。

『この地、アラスカ州アンカレッジ、エルメンドルフ空軍基地において、日本国天皇裕仁陛下とアメリカ合衆国リチャード・ニクソン大統領は一九七一年九月二六日この記念牌より一一七フイートの地点、駐機場の散司標識上で会見されたこの歴史的会見は、二六〇〇年の日本皇室史上在位中の天皇が、外国の地に歩を印せられた最初の機会となり、また日本国天皇とアメリカ合衆国大統領との初めての会見であった』、(写真②を参照)

 なお、視察時間にいとまがなかったこともあり、銘板の作成年月日は分からず、また記載にあった「駐機場の青銅標識」も発見することができず誠に残念でした。

アラスカ演習の準備状況等を視察(シリーズ3/3) :平成27年8月25日(火)

視察最終日(8月5日)には、演習空域で慣熟飛行する航空自衛隊C一13 0Hに同乗。同機による低高度戦術航進(戦闘機及び地対空誘導弾等の脅威を回避するためのダイナミックな運航)、模擬の物料投下、概の不整地離着陸等の各種訓練項目の実施状況及び広大な訓練環境を確認できました。

 隊員の士気という観点では、現地における隊員個々の挙措動作、発言等から、名々が果たすべき職務を理解し、訓練部隊に付与された演習上の任務を全うしようとする態度がうかがえました。本格的訓練の開始直前とあって、隊員の表情からは、ほどよい緊張感とやる気、そして頼もしさが伝わってきました。

 実質2日間の視察でしたが、米空軍等の各級指揮官と意見交換を行う中で、航空支援集団の将来展望について彼等から賛同が得られるという成果もありました。
 航空支援集団は、近年、人道支援・災害救援に関するさらなる能力向上に積極的に取り組んでおり、特に東南アジア、南太平洋地域における関係国との協力・連携を図ることを強く望んでいます。
 このビジョンをもとに、第5空軍はもとより太平洋空軍、航空機動軍団(AMC)といった航空輸送、空中給油等の同機能を有する米軍部隊等と積極的に交流していきたいと発言、各級指揮官には好意的に受け取ってもらえたようです。

 レッドフラッグアラスカ演習は、訓練環境上の制約がある日本国内で実施できない各種戦技等を演練する場として、とても有効です。
 航空支援集団隷下参加部隊の戦術技量及び日米共同対処能カを総合的に向上させるために、同演習は欠かせません。今回の視察で今後とも継続的に参加すべきとの認識を新たにした次第です。

アラスカ演習の準備状況等を視察(付録) :平成27年9月3日(木)

米空軍が主催するレッドフラッグアラスカ演習は無事に終了。この演習に参加した航空自衛隊部隊はそれぞれ所望の成果を得て、レッドフラッグアラスカ演習関連の最終帰国便となったKC-767が母基地である小牧基地に着陸した8月27日時点をもって、航空自衛隊にとっても、ほぼ1か月にわたる海外での本格的な大規模共同訓練が無事故のうちに幕を閉じました。

 ここでは「雑感」におけるレッドフラッグアラスカ演習シリーズの付録として追加紹介します。

 以下に掲載する写真は、現地における私の部隊訪間等に応じてもらった第11空軍司令官・ハンディ中将をはじめとするエレメンドルフーリチャードソン統合基地及びアイルソン空軍基地の両基地に所属する多数の米空軍高官との間で、表敬・意見交換の都
度、交歓した儀礼上の記念品の一部です。ホッキョクグマ、トナカイ等のアラスカに生息する動物をあしらった装飾品やアラスカ州の広大さを表現したオブジェなど様々です。 

 こうした部隊間交流上の記念の品については、通常、航空支援集団司令部庁舎内の応接室にて展示・保管します。今回は、来訪された方々にもご覧になっていただければとの思いから、期間限定ではありますが、当庁舎の正面玄関を入って右手に展示しております。府中基地、当司令部庁舎にお出での際には、一見していただければ幸いです。


レッドフラッグアラスカの概要

1 歴史
1975年(昭和50年)以降、毎年開催される米空軍及び数か国(軍事同盟国、アメリ
カの友好国)が参加する高度かつ世界最大規模の空戦軍事演習であり‘、当初、 「コープサンダー(COPE THUNDER)」として実施されていました。
2006年(平成18年)以降は、従前からネリス空軍基地で実施されていた演習「レッ
ドフラッグ」にちなんで、 「レッドフラッグアラス力(RED FLAG ALASKA) 」に名称変更されました。
現在は、ネバダ州ネリス空軍基地で行われる「レッドフラッグネリス(RED FLAG
NELLIS) j、アラスカ州アイルソン空軍基地及びェレメンドルフーリチャードソン統
合基地で行われる「レッドフラッグアラスカ(RED FLAG ALASKA)」に分かれ
て実施されており、1年に4回、各回10日間の日程で実施されています。

2 航空支援集団の過去の参加実績
(1)コープサンダー
1996年(平成8年)~2003年(平成15年) (8回) :C一13 0H×2~3、約30~70名
(2)レッドフラッグアラスカ
2010年(平成22年)以降:C- 13 0HX3、KC一767×2、約130名

3 今回の参加実績等
(1)訓練参加
航空支援集団は、平成27年7月29日から同年8月27日の間、次の規模で、レッドフラッグアラスカに参加し、アラスカ州アイルソン空軍基地及びェレメンドルプーリチャードソン統合基地において、戦術空輸訓練及び空中給油支援等を実施しました。
参加航空機: C-130HX3、 KC-767X2
参加人員:約130名
(2)航空支援集団司令官視察
平成27年8月2日から同年8月6日の間、航空支援集団司令官による訓練参加部隊
の視察が行うとともに、米空軍主要指揮官との意見交換を実施しました。

中堅空曹への期待:平成27年9月16日(水)

航空自衛隊には、特定の階級を対象とする訓練があります。多くの編合部隊等が行っている「2等空曹集合訓練」です。現場部隊において、実力発揮と後進育成に当たる中堅どころの空曹として知識、技能を習得させるとともに、さらなる能力伸展に必要な資質を養うことを目的にしています。
 実施部隊ごとの特徴はありますが、この訓練の多くは、2等空曹に昇任して間もない隊員を司令部等所在基地に集合させ、1週間程の期間で濃密な教育訓練を毎年実施しているのが実情です。

 航空支援集団における今年の取り組み状況は、次のとおりです。隷下部隊から教官要員の支援を得ながら航空支援集団司令部隊員が中心となり、府中基地内にて土日を除き5日間のカリキュラムを実施。訓練は早朝から開始。内容も、基本教練から各種課題の作成・討論及びスピーチまでと幅広く、盛り沢山の課目の修得を求められます。

 今回の訓練では、 「先進空曹を目指せ」をスローガンに置きました。 「先進空曹」自体は、私の造語です。中堅空曹としての与えられた職務を全うすることに加え、熱意、趣味、公的資格等をもとに自己研さんにより、子弟教育、家庭融和、地域・社会貢献、ひいては国際貢献に積極的な努カを惜しまない空曹をイメージしています。

 最終日、航空支援集団隷下の当該訓練の対象となった61名に対して、司令官の立場で「先進空曹を目指せ」をテーマに話をする機会を得ました。その際に彼ら/彼女らに要望したのは、①准曹士先任のあるべき姿を常に追求せよ②自らのレジリエンス(回復)力を磨け③若き世代の隊員を育めーです。今後とも、所属部隊において、任務遂行に当たっての原動力となり存分に活躍するであろう彼ら/彼女らが、どこかで私を見かけ、先進空曹のイメージを掴んだと声掛けしてくれるその日を心待ちにしています。

部訓を忘れずに:平成27年9月25日(金)

シルバーウィークが始まったばかりの日曜午後、関東大学アメリカンフットボール・リーグ戦の防衛大学校vs上智大学の試合を、防大アメフト部OBの一人として観戦してきました。
 場所は、アミノバイタルフィールド(味の素スタジアムに隣接する人工芝の多目的競技場:最寄り駅は京王線・飛田給駅)。

 強い日差しの中、防大は序盤から押し気味の試合展開。前半を14対7とリードしたものの、後半に入り上智大学がパス攻撃を主に昨年度「1部リーグ」の実力を発揮。最終スコアは20対21と防大にとっては惜敗となりました。

 都内での試合ということもあり、この試合には防大の一桁期出身の大先輩をはじめ多くの0Bが母校・後輩の応援のために駆け付けました。試合時間は、概ね2時間。ゲーム展開に一喜一憂し、先輩、後輩の間でプレー内容を語らいながら、0B観戦者の多くが青春時代を追想していたはずです。私を含めて。

 以下の記述は、防大アメフト部の部訓と、これに関わるコメントのー部を同部のホームページから引用したものです。

まず部訓です。『闘志なき者は去れ、 而して山を降りよ』 

次に防大アメフト部ホームページからの引用:「防衛大学校アメリカンフットボール部が創部されたのは、1、2期生が在学中の昭和29年・・・。 (中略)それから今日まで部員は初心を忘れずに練習に励み、試合を戦ってきました。数々の輝かしい成績を
収めて大いに喜びました。また、それと同じだけの屈辱、挫折も味わいました。全ての部員は青模っ只中のあの時期に、栄光を求めて、あるいは自分と闘い、汗と涙を交錯させながら土ぼこりの舞う小原台のグランドを走り抜けました。この部訓を胸に抱いて。」

防大アメフト部現役のみなさん、今回敗者となった悔しさをバネに、第3戦後における各選手の奮闘とチームの勝利を心から祈念しています。部を卒業し任官した以降、山(小原台)での心身の練磨が、必ずや「地力」となって、自衛隊の使命、指揮統率、そして各種任務の遂行上の常なる原動力になるに違いありません。部訓を忘れずに!

Fダービー2015 in府中基地:平成27年10月1日 (木)

府中基地は、今年の春から横田基地(航空総隊司令部を主とする空自部閉 との間で、「F(フットサル)ダービー」と称して、基地間交流を始めました。今回はその第2回目の大会。4月下旬の初戦では、試合の申し入れをした側の府中基地が敗れました。

 4か月ぶりの第2戦は、ホームである府中基地にて開催。結果については、大会前の練習段階において杉山航空総隊司令官をはじめ航空総隊司令部の主力選手に負傷者が続出したことや、府中基地選手陣のリベンジ意欲もあって、府中基地側の快勝となりました。

 このF(フットサル)ダービーは、私にとっても大きな意義を持ちます。企画開催の発想の原点は、3年前に遡ります。当時の杉山南西航空混成団司令(現・航空総隊司令官)と、西部航空方面隊司令自の職にあった私は、担任防衛区域において両方面隊等との合同演習を実施。終了後の私の所感は、 「両方面隊等は、支援・被支援の関係というより、行動の一体化を極めるべき」というものでした。現職に至った今日においても、航空総隊と航空支援集団が共に取り組むべきは、融合一体の態勢確保とその保持だと考えます。こうした態勢の実現にF(フットサル)ダービーは貢献しています。

 今後とも、F(フットサル)ダービーを継続することによって、司令部交流、基地間交流を発展、充実させ、互いの隷下部隊はもとより他の編合部隊にも好影響を与えていければと思います。ちなみに、私自身は応援者の一人として終始観戦し、感激と感動を共有させてもらいました。


初度視察シリーズ(春日基地):平成27年10月8日(木)

春日基地は、公私共々、思い入れのある基地のひとつ。最初に訪れたのは指揮幕僚課程の入校期間中でした。総合演習における西部航空方面隊司令部支援要員の一人として来基。当時の西空司令官は、宮下(防衛大学校3期・高射出身)第25代司令官で、退
官後は善通寺市長を長きにわたり勤められた方です。防大アメフト部の大先輩としても尊敬しておりましたが、昨夏にご逝去されました。あらためてご冥福をお祈りいたします。

 当基地で勤務したのは過去2回、初回は、西空司令部防衛班員(途中から防衛班長職に配置)として、平成4年夏から2年間の幕僚勤務でした、日本航空株式会社の出向勤務を終えた直後での久しぶりの部隊勤務、しかも待望の九州勤務となり、充実した時期
を過ごしました。在任間には、西部航空警戒管制団庁舎から現。西空司令部庁舎へ連休を活用した移転業務が記憶に残っています。また、幼い娘たちを連れて、九州各県の名所や四国巡りしたことは、とりわけ懐かしい想い出です。

 2度目は、3年前に西空司令官の職を拝命、1年という比較的短い勤務ではありましたが、これもまた極めて遣り甲斐のある職務で部下部隊のおかげで全うした感が強いです。当時も、管制及び気象の各部隊からは、航空機の安全運航等について絶大な支援を
受けていたわけです。

 今回の視察では、春日管制隊が西部防衛区域にかかる飛行管理中枢業務を適切に実施している現場の状況を確認。また、春日気象隊にあっては、北地区、南地区、飛行場地区の3か所に分散する勤務環境にありながらも、創意工夫を図り、西部防衛区域にかか
る気象情報を関連部隊・部署に適時提供しでいる状況を知る良い機会となりました。

今年度も、支援集団内の英語競技会は実力伯仲:平成27年10月13日(火)

航空自衛隊の英語競技会に関する目的及びこれまでの変遷等、並びに昨年度の航空支援集団内の同競技会の結果等については、 「司令官の雑感 Back Number」のうち、平成26年12月26日版を、また空自の昨年度同大会において、隷下部隊である第1輸
送航空隊が優勝した際の状況等については、平成27年I月26日版を、それぞれご覧いただければ幸いです。

 先週、今年度も空自大会における勝利を目指し、府中基地にて英語競技会を開催。厳正な審査の結果、空自大会への進出を決めたのは、幹部の部では、昨年に続き第1輸送航空隊(小牧基地)、准曹士の部については、支援集団の大会運営を担当した航空保安
管制群(府中基地)でした。

 来月中旬には、浜松基地において待望の空自英語競技会が開催されます。先の2個チームについては、これからの1か月余りはさらなる英語力の練度向上に余念がないところでしょう。支援集団全体が良好な隊務運営を行っていく上での大きな『弾み』を得る
ためにも、連覇を期待しています。

 自衛隊の任務遂行及び国際貢献にあたっては、米軍をはじめとする他国軍隊との共同や協力は不可欠です。実務、訓練演習を問わず、関係国軍との間において、今後いっそう密接な連携を求められることは確かです。

 こうした状況を受け、英語競技会を通じて、空自の全隊員は、実務能力の向上はもちろんのこと英語力の自学研さんに、さらに関心を高めていかなければなりません。

クルー・コーディネイトを大切に!:平成27年10月26日(月)

先日、民間航空会社に委託している特別航空輸送隊要員による客室業務技能教育の現場を羽田空港内の関係施設にて視察。対象は、第16期・空中輸送(特別輸送)幹部等課程(計7名)です。この課程は、特別輸送機による要人空輸等の任務運航に従事する隊員(幹部及び空曹士)を養成する教育コースのひとつです。

 余談ですが、現在、特別航空輸送隊において既に任務を従事している前期(第15期)履修隊員に、先月府中基地で開催した英語競技会会場(当該隊員は選手として参加)で再会しました。
 履修当時、緊張からの微妙な指先の震えや引きつり気味の笑顔が印象にありましたが、今や堂々とした態度と自信に満ちた顔つきに、頼もしさを実感した次第です。

 現在の課程(第16期)学生に対する評価については、委託会社の教官等から、7名全員による業務連携にまだ改善の余地ありというコメントをいただきました。クルー・コーディネイトに関する指摘です。これは、組織の最大機能の発揮が重要視される空自
において、隊員の誰もが求められる能カです。残り2か月間での練成を期待しています。

 前課程学生には、訓示の中で、 『スマート&チャーミング』をモットーにと激励。今期の学生には、来年度早々には実任務運航に従事する可能性があることから、伊勢志摩サミットや将来の東京オリンピックを見据えて、要人の安全確保と品質の保持を念頭においた『セイフ&エレガント』の言葉を贈らせてもらいました。

初めての部隊視察シリーズ(築城及び新田原基地編) :平成27年11月4日(水)

着任から1年以上が経過した10月下旬、隷下部隊に対する初度視察としては最後となる築城及び新田原基地を訪問。航空支援集団の任務遂行に昼夜を問わず精励努力している隊員を激励し、隊務運営状況を実地に確認してきました。

 築城基地は、私にとって印象深い基地のひとつです。2度の西部航空方面隊訓練検閲に関わった経験から、同基地の任務及び基地内施設の状況には精通していると自負しています。最初は20年以上前になりますが、西空司令部の防衛幕僚として、2度目は3
年前、西空司令官の職にあった折に、いずれも検閲を「行う側」の立場で、第8航空団の実力評価に取り組んだことが思い出されます。

 両検閲時に、管制及び気象の両隊から相当の支援を得たはずです。あらためて感謝します。両隊は、来年それぞれ保有するレーダー等の装備品の定期修理を控えており、その際に代替の装備品をもって運用中断対処を実施する計画です。同期間中にあっても、基地所在部隊に対する支援任務に抜かりなきよう実施してもらうことを強く要望します。

 新田原基地については、平成11年8月15日に発生したF-4 E J改戦闘機の大事故(以下、 「8. 15J)が真っ先に思い浮かびます。今年の自衛隊観艦式において首相が訓示の中で触れられていたことを、基地司令表敬時に知り、「8. 15」事故の初動対応に航空幕僚監部運用課の幕僚として関わった一人として、胸に込み上げるものがありました。

 新田原基地の管制及び気象の両隊にあっては、先述の「8. 15」を今でも強く意識した中で、業務遂行を通じて飛行安全に寄与する姿勢がうかがえました。
 管制隊については、同基地が米軍訓練移転の対象施設となっていることから、訓練参加機種に関する緊急事態対処手順等をすべての管制官が、習熟するという目標を、早期に達成することを期待します。また、気象隊には、恒常業務に加え、基地所在部隊の任務・訓練支援にあたって近傍火山による降灰量の計測及び火山灰拡散予報を提供し続けることを望みます。
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