5 「若者の誓い」
若者代表は、鹿児島県立加世田高等学校3年生の内之宮由奈さんであった。特攻隊員の心情を深く知ることの難しさを認めつつも、同年代の一人として、当時彼らが置かれた厳しい立場や過酷な状況を、遺書を通じて学び、永きにわたり慰霊していかなければならないとする姿勢が、読み上げから伝わってきた。また現代において自らや同世代の若人が平和を享受していることへの感謝と共に、次なる世代へ戦争を起こさない、起こさせない意志を伝承していくべきことについての思いが込められていた。
特に、戦争の全面否定だけを主張するのではなく、先の大戦において国家存続のために、わが身を賭した若者達の存在を忘れてはならないと強調された点が印象的であった。これに対して参列者から大きな拍手が送られた。
昨年、私は万世特攻慰霊祭にかかる会報記事において、『戦没者慰霊顕彰の先行き不安について警鐘を鳴らし続けるだけではなく、若い世代、とりわけ十代の児童に慰霊顕彰の行為を継承させるために、学校教育の中で我が国が過去関与した戦争・紛争に関する正しい史実を学ばせ、常識に基づく歴史観を育ませようとする教育行政が大切だ』と記述した。
昨年に続いての参列となった今年、特攻はもとより戦争を含む歴史観の育成は教育行政の義務であるべきとの思いを強くした。さらには、健全な戦争史観に関する教育が、特攻基地が存在した周辺地域のみならず、戦没者慰霊のためにも全国へ波及することを望むものである。こうした児童教育の変化の原動力に、これまで「若者の誓い」を朗読してきた地元の若者達がなっていくことを大いに期待したい。
なお、内之宮由奈さんによる「若者の誓い」の全文は次のとおりである。
『若者の誓い』
戦後79年、刻々と時が流れる中で戦争の悲惨な記憶も薄れてきました。79年前、この広大で美しい吹上浜と青松の広がる万世の地から201名にものぼる多くの特攻隊員が沖縄に向けて出撃していきました。いった彼らはどんな思いで出撃していったのでしょうか。彼らの心の内を知るすべはもうありません。
しかし、同年代の私たちだからこそ、彼らがどんな気持ちだったのか、もし自分が彼らと同じ立場だったらと思いをはせることはできます。
私は先日、万世特攻平和祈念館に伺い、遺書を拝読しました。どの遺書からも国にために、愛する人のためにという思いが溢れ、死ぬことに対する恐怖や弱音は一切ありませんでした。
彼らは、本当に強い気持ちだけを抱えて出撃していったのでしょうか。もっと家族と過ごしていたかった、愛する人と共に年老いるまで一緒にいたかった、友人と遊び語り会いたかった、もっと学びたかった、将来の夢を語りたかった、生きていきたかった…。そのような思いは、本当に抱かなかったのでしょうか。「戦争をするなんて愚かだ」「未来ある若者の命をなんだと思っているんだ、戦争なんて行かなくてもいいじゃないか」。当時の話を聞くたびに、平和な現代社会に生きる私は、そのようなことを考えます。
しかし、当時の日本は、戦わなければ明日の命が約束されない状況におかれていたのです。今とは全く違う教育・環境下で自分の思いを堂々と語る、ましてや自分の保身のために国を捨てて逃げるようなことはできなかったでしょう。たくさんの希望を胸に秘め、愛するものたちのために命を捧げた方々に、心から哀悼の意と敬愛の念を抱きます。そして、学びたいことを自由に学び、大いに夢を語れる私達の日常をもっと大切にし、感謝しようと思いました。
現在、日本、世界では平和について深く考えなければならない時が来ています。自分たちの平和を守るためだけの行為が他の人たちの平和を脅かす行為になり、「平和」という言葉の矛盾が起きています
現代に生きる人の多くは、戦争を経験していません。しかし、歴史を学んでいます。今一度、歴史を学ぶ意義を考え、二度と戦争が起こらないように次の世代に私達が戦争の悲惨さを語り継ぎ、平和を祈る心を次の世代に繋げていくことをここに誓います。
若者代表 鹿児島県立加世田高等学校 3年 内之宮 由奈