ホーム勤務の思い出春日基地(福岡県春日市)

春日基地(福岡県春日市)

春日基地勤務時代(平成24年7月~平成25年8月)の思い出

 春日基地に着任して以来、次の基地に異動するまでの間の出来事を綴った内容になっています。
 
 自身、2度目の勤務だったこと、郷里の長崎に最も近い勤務地であったことから、思い入れも強く、他の勤務期間も含め、最多の記事を掲載しています。

7月26日(木) 着任

 20年ぶりの九州(福岡)勤務。本職の就任については、私の出身が担任する防衛区域内の長崎県ということもあり、 光栄に感じています。


 前回は、西部航空方面隊司令部(西空司)の防衛部署での配置でした。3等空佐の階級にあって、主に防衛諸計画の立案等を2年間担当しました。
 この間、特に印象に残っている業務は、不測事
態対処に関する年末の詰め切り作業、方面隊災害派遣計画の作成、部隊検閲の計画、実施等です。


 着任当初は、意気込みと熱意だけで要領を得ず、「お前の仕事ぶりは、壁にぶつかりながらだが、それでもちゃんと前進しているから、まだましか!」と先輩諸兄から苦笑されたものです。
 この西空司勤務が、その後の幕僚勤務の基 本となったことを考えると、厳しくもわかりやすく指導してもらった当時の上司・同僚には大変感謝しています。


 今回は、司令官という指揮官職。まず、これまでの幕僚勤務及び隊長、群司令、団司令の部隊長経験を踏まえ、西部航空方面隊を取り巻く環境を現場進出等を通じて把握することに努めます。
 次に、方面隊としての隊務運営上の  中長期ビジョンを示し、これを具現化していくことを自らに課すことにします。

 今日から西部航空方面隊に所属する全隊員の陣頭に立って、任務至上、全力を尽くします。

7月29日(日) 隣接公園での軽運動

 着任後、初めての休日。

 

 癒し、健康そして懐かしさを求めて、春日基地に隣接する市民の憩いの場である春日公園内でウォーキングを楽しみました。

 

 気温30度を超える猛暑の下、ジョギングで 汗を流す人、木陰で涼をとる家族、タイムトライアルで鍛錬する団体。公園利用者の中には、自衛隊員も多く含まれているでしょう。私達隊員にとって、士気旺盛にして精強な組織の維持のために、余暇活動はとても重要なのです。

 

 同公園の施設、環境整備の状況は、前回の西部航空方面隊司令部での勤 務当時とさほど変わりないように見えました。当時は第二子が生まれたばかりで、家族で週末に何度となく訪れ、はしゃいだことを思い出します。

 その子が成人した今、あらためて時が経つ早さを実感します。

 

 これからも、健康管理はもちろんのこと、仕事上の困難な課題に直面した時等には、思考の整理やストレス発散のために春日公園を大いに利用させていただきます。

        春日公園内

8月3日(金) 春日基地の夏祭り

 今夕は、春日基地の年中行事のひとつ「夏祭り」が催されました。この行事は春日基地と春日基地協賛会との共催で、関係地域との共存共栄及び主に周辺住民の方々との信頼関係醸成を目的としています。

 

 週初めから台風接近の心配がありましたが、基地司令の強運のおかげで好天に恵まれ、来場された皆様には、蒸し暑い中でも楽しんでいただけたのではないでしょうか。

 
 私も浴衣と半被をまとい、祭り気分を満喫。基地側のサポーター役を務めながら、基地招待の皆様にご挨拶できた初めての機会でもありました。

 
 この日のために、基地所在部隊の関係隊員は各種イベントの準備を早い時期から着手、当日も雨天の際の段取りを周到にした上で、夕方5時から4時間にわたり、各々の役割を果たしてくれていました。
 中には入隊して間もない空士隊員もおり、接遇の仕事をこなす様子等がみられ、頼もしさすら感じた次第です。

 
 こうして春日基地における夏の風物詩が今年も無事終わりを告げ、お盆を迎
えます。多くの隊員は夏季休暇に入っていきます。

       基地内の会場

8月8日(水) 航空自衛隊内における一連の指揮官会合に出席

 初日は市ヶ谷(東京・新宿区)、翌日には横田(東京・福生市)の各基地において上級部隊等が主催する部隊指揮官等会合に出席。先月、複数の関係指揮官が交代したこともあって実施されたものです。

 

 上司等からは統率上の方針、隊務運営上の基本的方向等が示され、隷下部隊側からは当該部隊の抱える課題、その措置要領等について報告。その後、意見交換等が行われました。
 さらに翌々日には春日基地(福岡・春日市)に戻って、方面隊も同様な主旨と形式で部隊長等会合を実施して上意下達の徹底を図りました。

 

 通達類の配布、テレビ会議の利用等、コミュニケーション手段は多数あるわけですが、こうした対面方式の場を設定し、かつ関係指揮官が一堂に会する場は頻繁でなくとも不可欠だと考えます。

 

 これは、上司の職務上の様々な考え方、課題への取り組み姿勢といった結論  だけを知るのではなく、意図や企画の背景、根本あるいは側面の各種要因をも理解でき、これらを踏まえて自らの考え方をとりまとめたり、各種方針を立てたりする上で重要な資が得られるからです。

 

 また、こうした対面式の会話は、指揮官間の信頼関係の促進や個々の利害判断の認識にもつながるはずです。
 仮に、不測の事態が突発的に発生し連絡をとる十分ないとまがない場合や、適切な通信手段を確保できない場合が生じたとしても、こうした平素の指揮官間の良好な意志疎通が行われていれば、関係部隊が機能不全に陥ることを防止する一助になります。
     春日基地内での会合

8月10日(金) 日米共同及び統合運用の重要性を強く意識

 日米親善交流の一環で第7艦隊旗艦ブルーリッジが博多に寄港したことに伴って、同艦隊司令官(スウィフト海軍中将)の来基がありました。

 

 先の東日本大震災対処時における米国政府及び米軍の協力支援への感謝の意を伝えるとともに、当方面隊の任務及び運用態勢等について説明。基地所在部隊の一部見学を終えた以降は、日米共同上の意見交換を行い、わずかな時間ではありましたが、極めて有意義でした。

 

 その夕刻、旗艦甲板上のレセプションに出席。福岡県知事をはじめ多くの招待 者が第7艦隊側の演出により、華やかな雰囲気に包まれ歓談する中、第7艦  隊司令官並びに陸自・西方総監、海自・自衛艦隊司令官及び佐世保総監、そして私と、甲板上で記念撮影に及びました。

 

 日米共同はもとより、九州の地にあっても自衛隊の統合運用体制が充実期を迎えつつあることを実感させられたひとときでした。

        表敬受け 

8月21日(火) 准曹士先任制度の充実に向けて

 航空自衛隊(空自)の人事施策のひとつに、准曹士先任(「准曹士」は幹部を除く自衛官の階級の総称、「先任」は各級部隊における最上位者を意味し、現在対象者は約780名)制度があります。

 

 部隊等において准曹士(空自全人員約50,000名のうち、対象者は約38,000 名)の意思を隊務運営に反映することにより、組織の活性化及び士気の高揚を図ることを主なねらいとしたものです。

 平成18年から試行を経て平成20年から正規化、充実を図るべき時に至っています。

 

 今日は、当方面隊直轄部隊の准曹士先任等8名との会合(議題:各自の勤務方針、創意工夫事頄、各部隊等の雰囲気等)、並びにいずれ後継者となるであろう同候補者(10数名)への教育(心構え、自学研鑽の必要性等)を行いました。試行の段階から関わってきた私にとって、従来からの思いを直接伝える願ってもない機会でした。

 

 この制度には、「准曹士先任信条」なるものが存在します。初代航空自衛隊准曹士先任(航空幕僚長の補佐者のひとりで、市ヶ谷にて勤務)が、全国の対象者が心一つにし、全員が明るく元気に、自信と誇りを持って勤務に精励できる ことを目的に作成したものです。5つの項目から成り、そのひとつに『自らを律し隊員の鑑であれ』とあります。

 

 実は、私も以前から統率方針に「自律」の二文字を取り入れてきました。この西空でも同じです。これは、職務範疇における組織的活動以外にあっても、隊員自らが定めた規範に基づく健全な行動に徹するべきとの意味を込めています。

 
 したがって、今日は、准曹士先任信条と同じ価値観を共有できていることに喜びを感じるとともに、私自身も方面隊所属隊員の鑑とならんがため、自律心を強く持つことをあらためて意識させられた一日でした。

  すべての准曹士先任との記念撮影

8月23日(木) 就任後、初めての築城基地訪問での初体験

 訪問行事の関係上、基地到着時から気になったのは天候と外気温。観閲式に参加する隊員も、服装は1種夏服(長袖のスーツタイプ)を着用している 上に、訓示する私の倍以上の時間、屋外にいることになるわけですから。
 ところが今日は連日の猛暑も一休み。おまけに微風。その安堵感からか訓示はゆっくり目だったような気もします。

 

 この基地には隷下部隊は3個隊(8空団、7高隊、西施隊3作隊)が所在しています。各部隊長の事前調整等のおかげで、限られた時間の中でしたが、各部隊の状況等をよく理解することができました。

 

 こうした中で、民間ラジオ番組での放送(「ホットスクランブル」というコーナー) 用インタビューを受けました。人生初めての経験。担当する複数の築城基地 所属隊員が軽妙なトークを織り交ぜながら、私の経歴、統率方針の背景等を取材してくれました。以外と落ち着いて気取らず応えられたと思うのですが、結果は如何に。

 

 次回もマイクを向けてくれることを心待ちにしています。その前に今回のインタビューが没にならなければの話ですが。

8月28日(火) 就任後、初の基地訪問シリーズ(芦屋基地編)

 先週の築城基地に続いて芦屋基地を訪問。あいにく天候不項でしたが、雨の合間を縫って部隊状況等をみることができました。

 

 また、芦屋基地所在の部隊である方面 隊隷下の5部隊(西施隊本部、同1作隊、2高群5高隊、同6高隊、同整補隊)が、 基地業務担当部隊である3術校から積極的な各種支援を受けている現状から、基地内における部隊間関係、基地としての隊務運営が良好なのだと推察しました。

 

 この日は、各隊の初度視察を終えた後、来月中旬に計画している方面隊による滑走路復旧訓練の進捗状況(基地内訓練場でのデモンストレーション)を見学。
 一糸乱れぬ組織行動が目の前で展開。同訓練実施の主体となる西施隊各作業隊隊員の機敏で巧みな動きに大いに頷かされました。
 特に中堅空曹の手際の良さと空士の漲る若さが目につきました。現時点、本番に支障なしとみています。

 

 ただし、この訓練成果を左右するのは天候次第で、それは自らの運頼りのようです。果たして私は「持っている」でしょうか。
    施設部隊による訓練風景

8月30日(木) オピニオン・リーダーとさっそくの安全保障談義

 西部航空方面隊には、7年前から当時の司令官の発意等に基づき「オピニオン・リーダー」と称する部外有識者から成る枠組みがあります。現在では7名の方にお世話になっています。

 

 国内外情勢を踏まえて自衛隊の防衛力整備状況及び西空の任務遂行の現況等をお伝えして、主に西空の部隊施策及び隊務運営の改善の資としているところです。これまで多くの実績を上げています。

 

 今日は、遠方の方にもわざわざ来基いただき、委嘱(先述の活動を正式に依頼)式を行いました。式自体は写真撮影を含めても15分程度で終了。それ以外の滞在いただいた2時間、多方面にわたる活発な意見交換となり、ちょっとしたフォーラムの様相でした。

 

 それほど平素から皆様が防衛をはじめ国家・地域の安全保障に高い関心を抱いておられることを痛感。
 今後とも、先達が作り上げたこの貴重な枞組みをさらに充実して、西空自体の能力向上、並びに自衛隊の諸活動に対する地域住民の方々の理解を求めていければと考えます。

   オピニオンリーダーとの会合

9月5日(水) 西部航空方面隊内の武道大会(前編)

 西空の武道大会の戦いが明日から2日間築城基地で開催されます。来年1月の航空自衛隊・武道大会のいわば前哨戦。今日はその開会式を執り行いました。

 

 空自は、これまで行ってきた各種大会を、個人訓練の促進状況を踏まえ見直し、今後は持続走と武道を2つの柱としていくことになり、今年度は武道大会の年。

 

 大会種目の対象は、銃剣道、剣道、柔道それに拳法の4種目。心技体のうち、 心(精神力)の鍛錬を重視すべきとの考えの下、復古したのが今大会です。

 

 選手、控え、コーチ、監督それぞれに、この期に及んで気の緩みはないだろうか。心の隙は生じていないかが気になるところ。最期の一瞬まで奮戦、奮闘を期待しています。わずかな勝機を決して逃さないように。

 

 ぜひ防府南基地(空自大会の開催予定基地)への切符を手に入れ、いずれの種目においても優勝を目指してもらいたいものです。

      武道大会・開会式

9月7日(金) 西空の武道大会(後編)

 午前中、剣道と銃剣道の熱の入った個人戦を観戦。選手の気合いが直に伝わる何とも言えない緊迫した雰囲気の中、接戦に次ぐ接戦が築城基地体育館にて展開されました。

 
 大会終了後、講評の総括として、私からは選手等に「ありがとう!」の言葉を贈りました。

 その理由のひとつとして、自衛隊各部隊・戦闘集団にとって、また隊員個々・戦闘員(ソルジャー)にとって勝利を追求する姿勢、意気込みが如何に大切であるかを再認識させてくれたからです。
 もうひとつには、勝者及び勝者が属する部隊は互いに喜び、そして称える。

 

 一方、敗者及び敗者が属する部隊であっても互いに悲しみ、悔しがり、そしてねぎらう。
 ここから、共助、協調、信頼が生まれ、連携、協力、団結に発展して  いくことになるという私達の組織にとって使命遂行上、不可欠な要素をこの大会を通じて知ることができたことによります。

 

 今大会において、残念ながら勝利し得なかった隊員は次の機会での捲土重来を期すでしょう。
 一瞬のチャンスを活かした隊員及び部隊は西空の代表として、編合部隊から、西の武士(もののふ)、強者(つわもの)と言われる活躍が  見られるはずです。きっと。

        柔剣道の試合

9月12日(水) 部隊指揮官らしい心境に…

 今週はじめから3日間、東京方面に出張。久しぶりに春日基地の正門を通過した時に警備にあたる隊員を見て安堵感を覚え、司令部庁舎内に入った際には、安心感すらありました。

 

 過去、基地司令等の職に就いていた時に得た実感です。この経験からすると、ようやく私も現職での勤務と生活に馴染んできたようです。

 

 もちろん慣れは向上の阻害要因でもあります。明日は日出生台演習場における実爆(実弾を使用)を伴う重要な訓練の日。赴任当初から高い関心を持ってきた訓練ですので、安全かつ確実をモットーに成功裡に終わらせるために気を引き締めることにします。

 

 夜、官舎で寛ぎながら、いつの間にか熟睡。これは、部隊指揮官として勤務環境等に適応しはじめた兆候でしょうか。

     基地正門での警衛勤務

9月14日(金) 実爆を伴う被害復旧訓練を終えての思い

 この訓練は、各航空方面隊が毎年持ち回りで実施します。昨年は東日本大震災対忚のため見送り。このため主体となる西部航空施設隊(芦屋基地所在)をはじめ参加予定の方面隊各部隊の隊員は、例年以上に各種準備及び事前訓練に気合いが入っていました。

 

 半年にわたる周到な準備と努力の甲斐あって、実施当日の13日は天候等、最高のコンディションにも恵まれ、実爆及び被害復旧作業共に項調に進みました。
 訓練半ばにおいても参加隊員の満足感もひとしおのようでした。

 

 ここで私自身の反省がひとつ。本来であれば、当該訓練実施前日に他の多くの部隊関係者と共に現地入りして参加隊員を激励し、また訓練終了時に慰労すべきところ。

 

 今回は言い訳にしか過ぎないのですが、前日は東京出張、当日は他の行事への出席が重なり、部下隊員等に直接声かけができなかったことが心残りで した。

 

 この思いは、かならずやいずれかの機会に参加隊員に伝えることにします。

     被害復旧訓練の風景その1
     被害復旧訓練の風景その2

9月18日(火) 背振山分屯基地では基地歌で見送られ・・・

 西空の担任防衛区域内には8個の分屯基地があります。その最初の訪問先となった背振山分屯基地。
 ここに所在する第43警戒群と第2高射群・ペトリオット中継班を視察。基地自体は標高約千メートルの脊振山頂にあり、福岡と佐賀の両県を眺望できます。

 

 一連の視察行事を終え離隊の際に、庁舎前で見送り隊員全員による「基地歌」の合唱がありました。当該分屯基地の伝統のようです。見送られる側にとって永く記憶に残ることはもちろんのこと、基地や部隊の団結心を育むことにきっと大いに役立っているはずです。

 

 歌詞の4番の出だしに「風雨にさびし古社(みやしろ)に久遠の歴史を伝えつつ」とあるのは、日本六所弁財天のひとつ・脊振神社上宮を示しているのでしょう。
 これからもご加護がこの地と勤務隊員等にありますように祈りつつ、通勤で隊員達が難渋している防衛道路を通って帰路につきました。

       背振神社上宮

9月19日(水) 出張先での縁

 全国自衛隊父兄会四国地域協議会が愛媛県で開催された関係から、防衛講話の機会を得て昨日松山市を訪問。

 これに先だって、愛媛地本長の案内で空港付近に設置されている海軍航空隊等の石碑を見学している際に、実父の軍歴と同じ「第15期甲種飛行予科練習生」の記載を発見。
 父は松山でなく、福岡、鹿児島、佐世保と九州管内での所属であったようですが、おかげで父の存在を身近に感じた次第です。

 

 また松山といえば、第343海軍航空隊。当該部隊で活躍された笠井智一氏と4年前に北海道・千歳基地でお会いしたこと、同氏が大戦末期に私の郷里である長崎・大村へ転戦されたこと、加えて同氏の当時上司であり、第343航空隊司令の源田実氏は、私の前職であった航空幕僚監部装備部長の初代であ ること等、多くの縁があることがわかり、あらためて現職に就いたことを光栄に思います。

 

 ちなみに、今日9月19日は正岡子規の没後110年目の忌日となる「糸瓜忌」  でした。

       海軍航空隊の石碑

9月21日(金) 新田原基地における関係部隊の初度視察

 新田原基地に所在する西空隷下の第5 航空団及び西部航空施設隊第2作業隊を視察。その際、隊員に対する私の思いを、訓示を通じて次のとおり伝えました。以下はその訓示の一部です。

 

 「私がこの新田原基地を初めて訪れたのは、昭和50年代の半ば、防衛大学校・航空要員としての部隊実習の時であった。

 夏の強烈な日差しの下、F-104戦闘機のエンジン音、各ショップでの見学・体験作業、そして営内空曹や先輩幹部との出会い等、総じてこの基地に暖かく受け 入れられたことがこの場に立って思い出される。


 その15年後、私は西部航空方面隊司令部の防衛幕僚として諸調整のため再び訪問した時も、人に温かく接する5空団及び2作隊の気風をあらためて実感。
 
 さらにそれから20年の時が経過した今日、私が諸官に抱くイメージは変わらない。
 
 今後ともぜひ厳しい勤務環境、辛い訓練にもかかわらず人に優しい文化を伝承していってもらいたい。」

9月27日(木) 国旗に敬礼する習慣

 春日基地における国旗掲揚は毎朝(平日及び祝祭日)8時15分に基地司令が執務する庁舎前で行われます。私は出張等ではない限り、その時間に西空司令部庁舎前で基地の国旗掲揚台に正対して敬礼することにしています。

 

 私がまだ尉官の頃、先輩幹部が「国旗掲揚時、時間にしてわずかだが、敬礼しながら国旗が揚がっていくのを無心に見つめていると、やる気が湧いてくるし、身が引き締まる思いがする」と話してくれたことがありました。

 

 それ以降、基地司令及び分屯基地司令の職に就いていた時には、特に意識して行ってきました。今でも先輩の言葉を実感しています。この習慣が現在の職で変わったことといえば、副官と準曹士先任の2名が加わったことでしょうか。

      基地内の国旗掲揚

10月3日(水) 西部地区における陸海空自衛隊統合の気運高まる

 統合幕僚会議事務局から統合幕僚監部に移行し、3自衛隊の統合運用が推 進されて6年半。この西部地区(九州・ 沖縄が主な地域)においても、これまで現場部隊の統合力向上について熱心に取り組んできています。

 
 先日、同地区所在の陸海の各総監等との指揮官会議に参加。その個人的な所
見のキーワードは、「先進」「高度」でした。

 各種訓練・演習の構想・実施に当たっては、将来戦に勝利するために先進技術に基づく3自衛隊による共通システムの構築を図り、これを正しく理解することと、またこれら共通システムを十分に活用するための高度な技量を確保することが大切との認識を得ました。


 とりわけ航空自衛隊においては、運用面では戦闘機、レーダー、ミサイル等各種装備品を効率的、効果的に使用するために、情報通信のネットワーク網の充実が、また後方面においても統合化を推進することが重要となるでしょう。

 
 それにしても、前回私が勤務した20年前とでは統合に関する捉え方について隔世の感があります。今後とも西空も統合先進の地においてその一翼を担っていきます。

10月6日(土) 健康管理は、任務遂行に直結!

 自衛隊病院で定期の健康診断を受けました。「人間ドッグ」に準じた内容です。結果の詳細は後日通知とのことですが、担当医師からは数値を見る限り異常は見あたらない(かな)と言われ一安心。

 

 自衛官は戦闘員であることが基本。若くないので各所に傷みが生じていますが、いざという時に備えて健康管理に人一倍気を遣っています。

 

 私自身、防衛大学校で4年間アメフト部員として、任官直後の高射部隊では上司から命じられたとはいえ持久走及び銃剣道を通じて鍛錬してきたので、体力には自信がありました。

 

 しかし、40代後半から当然の成り行きですが、運動は無理せず体力増強か ら健康管理へ徐々にシフト。特に現役の間は、常に健康に留意し、任務の遂行、そして使命の達成に努めていければと思います。

 心身共に健康管理は人的戦力の重要な要素のひとつです。

      福岡自衛隊病院前

10月10日(水) 航空救難訓練にかける想い

 航空救難訓練は、航空事故等が発生した場合に当該機の搭乗員等を救出、救助することを想定した訓練です。戦力保全上の重要な訓練なひとつで、本日午後長崎県の大野原演習場にて陸自部隊及び関係機関の協力の下、実施しました。

 

 本訓練の要諦は時間との勝負。一刻も早く事故現場に到達、一刻も早く搭乗者等を発見、救出することです。そのためあらゆる手段を講じます。

 

 これまで自衛隊は不慮の事故等によっ て多くの尊い犠牲を払っています。
 特に、航空自衛隊の事故にあって私自身が忘れられないのは、北海道・遊楽部岳にお けるUH-60Jの墜落事故。

 私が平成9
年から11年までの間、北海道八雲分屯基地司令の職にあった時には、国旗掲揚台の先にユーラップ岳が眺望でき、国旗掲揚時に彼ら英霊に想いを馳せていました。また千歳基地司令の職の時には、千歳救難隊の支援を得て事故現場に降り立ち、献花したことも記憶に新しいです。

 

 あと数時間、あと数分、現場到着が早ければ、救えた命があったかもしれない。航空救難にはリスクが伴う。しかし、そのリスクを冒してでも現場に向かうこともまた必要なのです。

 

 この訓練の成果は、国民の生命・安全の確保に直結していますし、災害派遣 の実行力として転用できるものです。

 

 人の命は儚く尊いということを私たちは肝に銘じながら、今後もこうした訓練に精励し、隊員個人の練度及び組織連携の能力を向上させていきます。

     航空救難訓練の風景

10月15日(月) 先日の航空救難訓練実施で思い出したこと

 先の関連内容として、アーカイブのように千歳基地司令時代の雑感(「遊楽部岳(ゆうらっぷだけ)にて悲涙」(平成20 年10月16日))を以下に掲載してみました。

 

 千歳救難隊の配慮のおかげで十年以上前からの「ある思い」を遂げることができました。

 

 平成6年12月2日急患空輸の任務を受け一路奥尻へ向かっていた千歳救難隊 のヘリが道南・遊楽部岳(標高1276㍍)の尾根付近で墜落、5名の搭乗員が殉職するという出来事がありました。

 

 その事故から3年後、私は現場に最も近い空自・八雲分屯基地に同基地司令として着任。それ以来、現地での慰霊を望んでいました。

 

 現場は急峻な山頂付近でとても陸路からの接近は不可能だったからです。

 

 そして今日、救難団の取り計らいで、私は現・八雲分屯基地司令及び関係隊員と共に救難ヘリで現場まで空路進出して現場にて慰霊することができたわけです。

 

 事故当時のことを私は知りません。が、供花等の際には御霊のことを思うと自然と涙が流れてきました。「永久に安らかなれ、隊員を加護されん」と祈念し現場を後にしました。上空から見る周辺山系等は紅葉していて何とも印象深い半日となりました。

10月16日(火) 西空隷下部隊の記念式典に出席

 先週末の土曜日、西部航空方面隊司令部支援飛行隊(以下、「西司飛」)が創設40周年記念式典を挙行。私は祝辞の中で、西司飛発足(昭和47年10月11 日)以前における関係部隊の多大な貢献にも言及し先達への敬意を表させていただきました。

 

 下の写真は、3年前に発刊された西部航空方面隊「五十年史」に基づくものです。

 

 当該記念誌によれば、西警団・基地業務群・外来機支援班及び8空団・西部支援飛行班は突然の米軍撤退及び部隊の統合等の厳しい環境の中で、並々ならぬ努力で困難を乗り越え、現在の西司飛の礎を築いたと記載されています。

 

 また、同日夕刻には祝賀会が博多駅近傍のホテルで開催され、乾杯に先立ち挨拶。私が西空司令部の防衛幕僚の時に、当時西司飛が運航していたT-33Aにより2度の要務飛行の経験を鮮明に覚えていることを述べたところ、  歓談中に当該機の前席操縦者だったOBの方と再会。20年ぶりのお礼を申し上げました。懐かしい思い出にひたった一日でした。

     創設40周年記念式典
     西支飛創設時の記念写真

10月18日(木) 佐世保(長崎県)は要衝の地

 米海軍太平洋艦隊司令官・ヘイニー大将が用務の一環で佐世保基地を訪問された際に、海自佐世保総監のご配慮により陸自西部方面総監と共に同司令官とお会いする機会がありました。

 

 一連の会合時程の合間に、高台から市内を見渡し、全般地形等を確認した上で、佐世保港内を洋上見学。現代においても我が国の防衛上の要地であることをあらためて認識するに至りました。

 

 私自身、長崎の出身でありながら初めて知見することが多く、海上防衛に対する理解を深め、かつ西空任務遂行上の資をも得ました。海自地方総監部に感謝します。


 次回の佐世保出張の際には、少し時間を見つけて、当地の美しい自然に目を向けたり、いまだ味わったことのない佐世保バーガーなる食文化も楽しめたらと考えています。

        表敬の風景

10月19日(金) 持久走訓練を兹ねての基地内巡回

 春日基地内もすっかり秋めいてきました。基地で勤務する隊員のために設定され た持久走用標準コースを初めて周回してみると、桜木は紅葉、各所にススキが目立つようになっていました。

 

 所在部隊が使用する施設の中には、私がチームの1人としてこれまで関わった防衛力整備事業に基づき新設したものがあり、懐かしくもあり業務の達成感を現場で実感した次第です。

 

 ちなみに、このコースは1周が約3キロ。多忙な業務の合間にを縫って体力練成に努める隊員の様子をうかがうことができました。私も戦闘員の1人。まだまだ体力維持・向上に手は抜けません。

      基地内の持久走

10月22日(月) 司令部勤務者を対象に長崎県人会を開催

 空自は、航空幕僚長の指導もあり、「小集団活動」を全国の部隊で展開中です。職場、私生活といった組織の枞組みを問わず、また趣味や特定の技能といった対象・規模も関係なく、とにかく隊員間のコミュニケーションを図り、信頼関係の醸成や団結力の強化を目的としています。

 そこで、私も職場では孤高の指揮官を気負ってはいますが、勤務時間外での憩い
の場を求め、県人会の開催を准曹士先任に持ちかけてみたのが2ヶ月前。


 先日、ようやく実現にこぎつけ、西空司令部内に勤務する同県人8名(当日、3名が業務の都合で欠席(残念!))が出席。初顔合わせにもかかわらず、そこは郷土を愛する者同士、あっという間に「秘密のケンミンSHOW」状態に。


 長崎県人の性格分析、郷土料理から市町レベルの地元自慢までバラエティに富んだ、あっという間の3時間でした。それでも司令部で長崎県人会(ばってん会)は11年ぶりとか。確かに小集団活動の活発化は必要なようです。
    長崎県人会のエンブレム

0月30日(火) 西部航空方面隊の将来を展望して

 先週末、春日基地開庁53周年を記念する一連の行事が、基地司令主催の下に行われました。その懇親会(式典等の前日に実施)においては、来賓の1人として私が挨拶する機会がありました。

 
 部内外合わせて約180名の方々が出席。こうした中で周辺情勢のほか、①西空が抱える課題②西空の隊務運営に関わる
将来方針③今後の業務遂行上のキャッチフレーズ等について話をさせていただきました。

  
 基地司令に事前了解を得た上で 西空自体に関する将来展望のピーアールをもって挨拶に代えた次第です。基地開庁祭は、周辺地域以外からも多くの自衛隊OBや防衛協力者の方々等に足を運んでいただける唯一の場でもあり、西空の隊務運営に対するご理解とご協力をお願いしたかったからに他なりません。

11月1日(木) 再会は大いなる喜び

 防府北基地(山口県)から約60名の航空学生(いわゆるパイロットの卵)が、春日 及び背振山の両基地等における現地訓練のために来基。
 併せて開庁記念行事の一環で、彼らが得意とするドリル(※注釈)を展示してくれました。昭和50年代はじめ頃から関係基地が相互協力の上で行っているイベントです。今年も多くの観 客を魅了したことでしょう。

 その彼らによる演技開始直前に、私に歩み寄る幹部が一人。2空団(千歳基地)で共に勤務した戦闘機操縦者でした。彼は現在航空学生の区隊長職にあり、今回学生を引率して春日を訪れていたのです。

 互いに懐かしむ時間がなく、私が一方的に「元気か。頑張っているみたいだな」とわずかに声をかけた程度でした。それでも、私は彼の微笑みに何とも言えない喜びを感じました。
 
これも、当時にあって厳しい環境での訓練や国家的行事
(北海道洞爺湖サミット)の成功に貢献することに、互いに懸命に努めたからこそ得られる満たされた気分なのだと思います。

 

※ドリル・・軍事教練の1つ。一糸乱れぬ行進に、隊形変換、銃の操作等を加えたもので、防衛大学校のファンシードリルが有名であるが、航空自衛隊では航空学生教育隊でのみ行われる。将来パイロットとして編隊飛行をするための精 神的基盤の確立、団結心の向上を目的として代々受け継がれている。

  春日基地での航空学生によるドリル

11月3日(土) 台風シーズンがようやく終末!?

 今年は全国で台風による風水害が多発。

 

 今年7月の被害規模の大きかった九州北部集中豪雨については着任前でしたが、郷里のこともあり大変心配していました。この時も、空自も災害派遣に関して万全の態勢を整えていましたが、派遣の主体は陸自でした。

 

 今年の西空管内における台風による被害を整理してみました。装備品関連については、警戒管制レーダーを保護するドーム(覆い)が一部損傷しましたが、機能的には問題なし。
 
 また人的観点では、所属隊員に負傷者はありませんでした。しかしながら、複数名の隊員にあっては親類の方が亡くなられご冥福をお祈りします。
 実家等が床上・下浸水を被った隊員も多数あったことを聞き及び、心が痛むところです。

 

 毎朝、気象情報のブリーフィング支援を行ってくれる春日気象隊によれば、今年の台風は、もうそろそろ発生時期の終末段階にあるようです。
 いずれにしても、西空は災害派遣の際の即忚態勢及び自らの被害局限のため、「油断大敵」「常備不断」の構えを維持します。

     災害派遣の実活動

11月6日(火) 千歳基地野球部に喝采!!

 千歳基地野球部による社会人野球日本選手権・全国大会出場は、航空自衛隊にとっての快挙です。

 

 その初戦で惜敗したものの、昭和56年創部以来の念願成就をあらためて心から祝します。

 

 過去、千歳基地での勤務経験がある者の一人としては、職務との関係から、京セラドーム(大阪市)に忚援に行けず、極めて残念な思いです。

 

 勤務当時の雑感を以下に掲載してみました。今日の全国レベルに至るまでの彼らの躍進過程のひとこまです。来年以降のさらなる戦績に期待が高まりま す。

 

平成20年6月15日(日)付の「司令雑感」より


『基地野球部の都市対抗地区予選・初戦を観戦して』


 第79回都市対抗野球北海道地区予選大会が今年13日から始まりました。千歳基地野球部は、創部以来の念願である東京ドームでの試合を目指し、
「オール苫小牧」との初戦に辛勝です。

 

 先攻の基地野球部は9回表の時点での2点差(4対6)の大ピンチ。結果として攻撃陣が3点を獲得して逆転、その最終回・裏をしっかり守り抜き勝利しました。
 自ら劣勢に陥った感があったものの、最終回・土壇場での再逆転勝利は、日頃の鍛錬の賜物(タイムリーヒット)はもちろんのことですが、勝つことを信じる監督をはじめ選手全員の気持ち(選手相互の信頼)に、幸運(相手選手のイレ ギュラー)が味方してくれたことによるものだと思います。

 

 トーナメント方式の崖っぷち勝負では、チームの実力に加えてツキを呼び込めるか否かが勝ち上がるうえで大切なのではないでしょうか。
 次の一次予選試  合は20日岩見沢、行き足上々の野球部員の活躍を期待します。


平成20年7月5日(土)付の「司令雑感」より

 

『基地野球部が待ちに待った決勝戦についに進出!』

 

 千歳基地として明日から開催される北海道洞爺湖サミットのための万全の体勢を整えて厳重な警備を行っている最中、何とも嬉しい知らせが札幌・円山球場から入ってきました。
 都市対抗北海道地区予選に出場している千歳基地硬式野球部が、「室蘭シャークス」を破り、決勝戦に進出するというものでした。まさに創部以来の快挙です。

 

 私は、サミット対応のため試合会場での応援ができずにいたこともあって、準決勝戦での勝利を確認した直後に、基地内一斉放送をかけさせたくらい歓喜した次第です。

 

 明日はいよいよ宿敵「JR北海道」との決勝戦。頑張れ!基地野球部員、朗報を待っています。(後日談:惜しくも優勝は逃しました)

     千歳基地野球部
     千歳基地野球部

11月7日(水) 長距離走行で肩こり!?

 先月下旬の週末に、家族と一緒にドライブで余暇を楽しみました。前日からの雨も上がり、まずまずのコンディション。往路は、最寄りの太宰府ICから九重“夢” 大吊り橋を経由して阿蘇・長者原まで。復路はやまなみハイウェイから直帰でした。

 

 この日は4年ぶりの長距離運転。かなり緊張したとあって、かなりの肩こりを感じたほどです。立場上、交通規則違反があってはならないと考え、過敏になったゆえのことだと思います。

 

 以前は助手席で居眠りをしていた妻も私の緊張感が伝わったのか、今回は目を見開いて起きていました。官舎に到着した時には、二人同時に安堵のため息をついたぐらいです。

 はたして心身の休養になったかとの疑問は残りますが、それでも九州の深まる秋を体験できた、すばらしい一日でした。

      九州の秋の風景

11月9日(金) 西部航空音楽隊の新たな魅力

 西部航空音楽隊(以下「西音隊」)は、航空自衛隊に所在する音楽隊5個隊のうちの一つ。西空の隷下7個部隊では昭和51年に新編された最も新しい部隊です。

 

 私の立場では、着任早々から栄誉礼(※ 注釈)に伴う演奏活動を目の当たりにするので、最も身近な部隊と言えます。

 

 この部隊の実績は数知れず。自衛隊内外を問わず、むしろ部外活動で得られる高い評価は私の知るところ以上でしょう。

 

 今日、当該部隊の隊舎を訪問。以前から視察ではなく平素の練成訓練状況を  見てみたいという強い思いを持っていました。
 わずかな時間でしたが、新たな魅力を知ることとなりました。

 そこにはまさに「指揮」にかかわる部隊活動が展開されていたからです。若い指揮者(官)による部隊指揮、意見交換を繰り返しながらチーム力を高めて行く演奏訓練を通じて、その指揮官を育成している部下。

 

 私自身は音楽に対する造詣は全く浅く、まさに愛好者の一人でしかありませんが、いままでは音楽隊を優れた演奏等により聴衆を魅了し、華やかなステージを演出する特技集団との見方しかできていなかったことに気付きました。
 部隊活動を真に評価するに当たって、如何に平素の練成活動を直に見聞きすることが大切かということを思い知った貴重な経験でもありました。

 

※栄誉礼:司令官等の栄誉礼受礼資格者が、着任したり部隊を初めて公式に視察する際等に、受礼資格者に敬意を表するために行われる、音楽演奏と儀じょう隊等の敬礼を合わせたもの。

      演奏の練習風景

11月13日(火) 地対空誘導弾システムによる防空は陸空協同でこそ!

 現在、各地に駐屯する陸自・高射特科部隊(陸自地対空誘導弾部隊)が、空自・築城基地に集合して各種訓練を実施中です。
 戦闘機が離発着する近傍で同部隊の主要装備を一望するのは、地対空誘導弾(SAM:Surface to Air Missile)システムが本来専門特技である私も初めて。

 

 陸自は、中SAM、ホーク、短SAM、近S AMを、また空自はペトリオット、短SAM、携SAM、対空機関砲を、それぞれ保有 しています。
 これらSAMを使用する防空装備品は、主な爆破目標、有効射程距離、対処可能高度等によって区分されます。これだけバリエーションを持っているのは、それだけ航空脅威が多種多様化しているからです。

 

 戦闘機のほかに、こうした形態の異なるSAMが複合的火網を形成して、防空の一翼を担っているわけです。近年では、情報通信システムの発達もあり、各装備が連携した効果的な組織的防空ができるようになりました。

 

 今後は統合運用の促進が期待される中、現場部隊としては、陸・空の協同防空態勢のさらなる強化を目指します。 
 それにしても、私が入隊した当時とは防空の有様も様変わりしたものです。

  陸自部隊による防空訓練その1
  陸自部隊による防空訓練その2

11月15日(木) 基地警備訓練の今昔

 空自は、特にこの10年基地警備の強化のために予算及び人員を優先的に充当してきました。作戦発揮基盤の継続的確保を重視するゆえです。もちろん現在でも、有事の警備態勢に当たっては陸自等の支援を必要とします。

 

 しかし、従前に比べて装備の改善及び専門特技者の育成の点では、格段の能力向上を果たしています。

 

 だからと言って過去において基地警備訓練自体を軽視していたのでは決してありません。特技が機能別に細分化されているのは空自のひとつの特色。
 このため、十数年前までは極尐数の警備担当隊員を主体に他特技者の交代差出により、いずれの部隊も警備能力を保持しようと懸命でした。

 

このことは、平成10年北海道・八雲分屯基地で隊長職にあった私の「雑感」からも少し理解してもらえるのではないでしょうか。以下、一部引用しながら。

 

 『総隊演習最終日に、他基地等へ機動展開していた各部隊(20高隊、23高隊、5移警隊(現在、改編))が計画より早めに帰隊を完了したため、この機会  を利用して、八雲分屯基地警備計画の検証を兹ねて合同警備訓練を行った。

…(中略)…。訓練終了に当たって、講評の最後に「本日は、他基地等が既に事実上撤収フェーズに移行しているにもかかわらず、深夜に及ぶ基地警備訓  練に積極的に参加した全隊員の労を多とする」と挨拶。』

 こうした状況や隊員が警備訓練に取り組むマインドは今でも変わらないと確信しています。

     基地警備訓練の風景

11月20日(火) 初の基地等訪問シリーズ(見島分屯基地編・その1)

 山口県・萩港から北北西約45キロ沖にある「見島(みしま)」。人口約950人、全周約18キロ、全体が鳥獣保護区にも指定されています。
 この島内に西空隷下の見島分屯基地・第17警戒隊が所在。主に警戒監視の任を間断なく遂行しています。

 

 毎年、島民の人口が減少する中で、趣味・各種サークルを活かしつつ、島民の方々からの「共存共栄」の期待に応えようとする隊員の姿が、そこにはありました。
 隊員の平均年齢は約37歳。その若さゆえの意気込みや熱意が十分伝 わってきて頼もしさ、逞しささえ感じた次第です。

 

 帰路は1日2便(冬期間)の高速船を利用。その際、多くの隊員が就業前の早 朝(第1便は萩行き0735発)から港に集合。
 一列で並ぶ彼らに見送ってもらった上に、離岸の時にはデッキ上の私及び随行幕僚との間で多数のテープ渡しによる惜別となり、とても印象的でした。これが当該分屯基地の伝統とのこと。

 

 なお、現在芦屋基地に展開している「ブルーインパルス」の訓練飛行が見島上空で時折行われています。

 このことに、島民の方々をはじめ、島を訪れる方に喜んでいただいているとの分屯基地司令からの付言がありました。ご紹介まで。

      見島を出港する高速船

11月22日(木) 二つの縁(見島分屯基地編・その2)

 先日、見島在住の方から葉書が一通届きました。空自による急患空輸への丁重なお礼でした。
 その方は島内の診療所で一刻を争う病状と診断。空自・芦屋救難隊のヘリ(UH-60J)で萩市にある総合病院に搬送、一命を取り留められたとのことでした。
 自衛隊員が任務遂行上の達成感を実感する出来事の一つです。

 

 私は、20年前の西空司令部勤務時に災害派遣(先述の急患空輸も含む)業務を2年間担当。
 当時は見島の診療所で患者発生の場合には、空自の救急車が ヘリ・スポットまで搬送、萩の病院までは海自小月のヘリが空輸するという海空協同で実施していました。
 一刻を争うために関係部隊・機関が迅速かつ密接に連携したことを思い出します。

 

 こうした緊急の業務に真剣に対応していたこともあって、今回の西空での再勤務、そして見島の初訪問がかなったのではないかと勝手に思い込みながら、この縁に深く感謝しています。

 

 もう一つの縁。平成9年夏から約1年半、私は道南に所在する八雲分屯基地の司令職にありました。その当時、私の職務を総務班長の職にあって支えてくれたのが、見島分屯基地の現・司令なのです。私達二人は今回ほぼ同じ時期に西空に異動。今度は彼が分屯基地司令として、再び私の隷下部隊で職務に専念してくれます。

 

 これらは単なる偶然なのでしょう。でも、私自身は与えられた職及び任務にその都度精励してきたからこそ、こうした縁が得られるのだと信じています。
 これから先も、多くのすばらしい縁に恵まれることを心から期待して現職に邁進する所存です。
     実際の急患空輸の状況
  分屯基地司令による周辺状況の説明

11月28日(水) 任務遂行のための安定した生活基盤

 入隊して今年で32年。この間、安全保障環境のみならず自衛隊員の生活環境も大きく変化しました。先日、生涯生活設計セミナーに参加。春日基地内にて関係会社により実施されたものです。50代半ばの私にとっても有意義でした。

 

 自衛隊員の俸給等が減額となる中で、マネープランを主体として人生設計の見直しは重要です。私自身30代には家庭の事情で生命保険の見直しを図った経験があります。しかし、それまでは任務優先をいいわけにあまり関心がなかったように思います。

 

 今回は、職務の一環というよりは、健康や定年退職が気になる年齢に達したこともあり、あらためてライフプランに強い関心を抱いた次第です。誰にでも訪れるいくつかのライフイベント。
 これらを予期して適切な人生設計を行うことは、 個人的には自己資金の防衛になるでしょう。組織的にも人的戦力保全につながるはずです。

 

 セミナーの成果を活かして、人生設計シミュレーションをやってみるつもりです。 現役の間は何をおいても任務優先。しかし、そのために安定した生活基盤をしっかり見つめることも、また大切なこと。

 

 ぜひ多くの隊員が受け身ではなく、自らのため、家族のために生活環境の変化に対する適応力を示す意味でも積極的に人生設計を、豊かな人生を送るこ とについて熟考してほしいと思います。まもなく年の瀬。年末年始の休暇時を利用してみてはどうでしょう。

      セミナーの受講風景

12月4日(火) 「訓練検閲」を行う側・受ける側

 空自では「訓練検閲」について、部隊等の教育訓練の状況を実地に検査視閲して、部隊・隊員の任務遂行能力を評価する等と意義付けしています。西空では、年度計画に基づき特定の部隊に対して近々当該事項を実施します。

 

 15年前、私は「受ける側」でした。高射隊長の立場で、受閲に当たって基本心得と細部の留意事頄を明示し、自らを含めて気後れ防止を図りました。基本心得は次の2点でした。
 ①訓練検閲は、平素の各種訓練・業務の積み重ねを発揮する場と認識すべき②受閲の姿勢として受け身にならず我々自身で明るい雰囲気を作り出し、溌剌と発言・行動すべき。

 

 今回は、「行う側」に立ちます。受閲の部隊は「訓練検閲」の意義をよく理解しています。万全の準備と態勢で臨むことでしょう。したがって、「行う側」としては、その部隊の任務や特性に応じた適正な検査等を実施することが重要です。当該部隊と同様に「行う側」にも誤りは許されません。

 北朝鮮の飛翔体対応の最中であればこそ、最大限の任務遂行能力を見せてくれることを期待しつつ、「行う側」は、「受ける側」のさらなる任務遂行能力の向上に資する講評で応え得るよう最終準備にかかります。

12月6日(木) 就任後、初の基地等訪問シリーズ(高良台分屯基地)

 春日基地から南に約30キロに位置する高良台分屯基地。ここには第2高射群に属する第8高射隊が所在。弾道ミサイルを含む航空脅威から我が国の空を守っている空自部隊のひとつです。

 

 私にとって8高隊との初めての出会いは印象的でした。昭和60年、関東所在の高射隊で勤務していた私は、この年の年次射撃訓練(※注1)の評価隊(※注2) に編入され、4か月以上にわたり米国で実施される同訓練に参加。空自が当時  保有していたナイキ・システムのMTR(ミ サイル追随レーダー)に関する評価が私の担当でした。

 

 評価の場であるマクレガー射場(ニューメキシコ州)にあって、8高隊の部隊及び個人の各練度は極めて高く、評価隊の中でも話題に上りました。幹部の迅速な指示、上級空曹の的確な指導、空曹・空士のきびきびした諸動作。評価対象外の部隊行動にも感心したほどです。

 

 その8高隊も、平成6年にはナイキからペトリオットへシステム換装。現在は、最近よくマスコミでも取り上げられるPAC3の装備を完了して防空の任に就いています。
 装備やシステムが変更になっても、所属隊員が異動等で入れ替
わったとしても、私が米国の射場で見て感じた8高隊の気風は不変のようです。
 以前から教育訓練に特に熱心だった同隊が、今後とも良き伝統を継承していくことを願ってやみません。

 

※注1 高射部隊が年に一度、実際にミサイルを発射する訓練

※注2 関係部隊の練度・技量を適正に評価するため、臨時に編成される部隊


 

12月10日(月) 初の基地等訪問シリーズ(海栗島分屯基地編:その1)

 海栗島分屯基地を初めて眼下にしたのは2年9か月前。海自対馬防備隊の上対馬警備所からでした。当時、私は市ヶ谷(東京)に所在する防衛監察本部に所属。空自以外の部隊・機関を監察するのが为な職務でした。

 

 先の海自部隊の監察業務においても、着ている制服の色にかかわらず客観的な立場で職務に専念していました。
 しかし、朝鮮半島の南端を背景にするレーダー施設を見た瞬間、厳しい環境の中で警戒監視の任務に日々精励している空自の同胞隊員に思いを寄せたことを思い出します。

 

 海栗島分屯基地には第19警戒隊が所在。まさに我が国防衛のフロントラインとの表現が当てはまる朝鮮半島との地理的関係(釜山~基地間は約50km)にあります。
 島自体を防衛省自衛隊が管理しているのは、この海栗島だけとのこと。島の面積はわずか0.12平方キロメートル。そのわずかな馬の背に庁舎及び関係装備等を並べた感が強い要衝の地です。

 

 こうしたことから、自衛隊関係者の来訪は多く、また、陸自との協同基地警備訓練も進んでいます。今回の初度視察は今次の情勢にかんがみ、3時間程度となりましたが、次回はぜひ勤務隊員とのコミュニケーションを軸に19警戒隊の気風に接しようと考えています。

   船上から見た海栗島分屯基地

12月12日(水) 対馬の記憶は大雪の記録と共に (海栗島分屯基地編:その2)

 これは、先日の海栗島分屯基地での視察を終えた後の記述となります。

 

 視察後、自衛隊協力者の方へ空幕長の名代で感謝状を手交する目的で、基地契約の民間船舶と空自車両を乗り継ぎ、対馬の中心地である厳原(いずはら)町まで移動。この所要時間は2時間。途中の道のりは、海自部隊の監察業務の時に通ったこともあり、覚えがありました。

 

 前回の対馬での監察業務では5日間、厳原町に滞在。実はその間に対馬地 方は109年ぶりとなる大雪に見舞われました。当時、監察業務上の車両移動 やフェリー欠航による夕食の確保等でとても難渋したこともあって、忘れられない出張のひとつとなりました。前回の雑感で海栗島を見下ろしたのが、平成2 2年3月10日記録的な大雪の日だったわけです。

 

 余談です。業務のため同行していたのは少人数の陸上自衛官でした。大雪の  日の夕刻、食事処の探索のため「現地偵察」と称して一緒に歩き回ってくれた諸官、心から感謝しています。

       感謝状の授与式

12月13日(木) 就職援護は重要な組織戦略! (就職援護シリーズ・その1)

 西空司令部では、隊員が定年を迎える1 年前に再就職関連の教育を行うことにしています。
 私も四半期毎に当該隊員等に話をする機会が与えられています。内容としては、①地域の雇用状況②就職援護に関する組織的活動③再就職に当たっての当該隊員の努力事項の3つです。
 この話のスタイルは、千歳基地司令職にあった時から全く変わりません。

 

 特に私が毎回強調するのは、③の中でも次のことです。定年退職の日まで、残りの現役期間を一層充実した勤務に励むこと。
 この点が大切なのです。自ら 隊員としての有終の美を飾るため。後進育成の機会教育のため。新たな雇用環境の中で適応するため。

 

 就職援護は、再就職する個人はもとより人材を確保する観点から空自組織にとっても重要な戦略なのです。以下は、千歳基地司令当時の雑感から再記載したものです。

 

今年度3/四半期に定年を迎える隊員に求めること:平成20年4月21日(月)

 千歳基地も、当基地就職援護室を中心に若年退職隊員の再就職のために、北海道全域において積極的に活動しています。取り組み姿勢とその業務量は、かなりのものだと自負しています。
 ですが、決してこの組織的な活動だけに依存することなく個人での就職先の検討や具体的な就職活動に努めてもらいたいと思います。

 よりよい就職先、自らに最適な就職先に1歩でも近づくためです。また、残りの現役期間を一層充実して勤務することも大切です。このこと自体が後進の育成に直結するのですから。

12月25日(火) 計画的な休暇取得の励行

 北朝鮮の「人工衛星」と称するミサイル対忚のため展開していた部隊等が、約2 週間ぶりに帰隊。隊員及び装備に異常はなく、大いに安心したところです。担任する防衛区域外への部隊派遣は、やはり気になるもの。それが長期間となるとなおさらです。

 

 隣接する方面隊等の関係指揮官から聞き及ぶところでは、当該部隊等は現地にあっても士気が高く、装備の機能発揮も問題なかったとのこと。うれしい かぎりです。その彼らに今必要なのは休養でしょう。

 

 私はこれまでも「仕事でより良い成果を得るための計画的な休暇の取得」を推奨してきました。充実した家庭生活を営みつつ、仕事に取り組む高い意欲及び前向きな姿勢を確保するためのインセンティブ手段のひとつとして、周到な計画のもと、年次休暇を積極的に取るという考えです。

 

 以前、自宅近くの図書館でこの意を強くした記事を発見。それは『プロフェッ ショナルこそ計画的に休まなければならない』(「ハーバードビジネスレビュー」2010年3月号)というタイトルでした。内容としては、「計画休暇をとることで、 業務効率が高まり、かつワークライフバランスが実現する」というもの。しかし、 各種不測事態への対忚等もあり、計画休暇の取得はなかなか難しいのが実情です。

 

 すでに年末休暇に入った隊員もいます。ぜひ年末年始休暇を有意義に過ごし  英気を養うことを望みます。そして年頭から勤務・私生活上の新たな目標の達成を目指しましょう!

1月4日(金) 三箇日(さんがにち)の習わし

 住居形態を官舎から自宅に変えたのが10年前。それ以降、年始に当たってわが家の恒例となっていることがあります。生活環境の変化という節目をきっかけに、 強い意志を持って始めたことでは決してないのですが、今年も家族で行いました。元旦、正確には前年の大晦日夜半から行列に並び、自宅の最寄り神社(氏神)に初詣。

 

 2日には、午前中のうちに明治神宮に新年の参拝を行った後、地下鉄にて二重橋前まで移動。皇居で執り行われる一般参賀にて奉祝。

 3日については、その年でまちまちですが、夫婦で自宅近くの商業地域に出かけ、買い物や食事を楽しむパターンが多いです。

 

 こうした三箇日の習わしに当たっては、不思議と雨で難儀した経験はありません。来年以降も、できるだけ続けていければと願う次第です。

 

 初詣や参賀については、国民の一人として、国家の安泰から家族の健康までを祈願するとともに、自衛官の立場では、自衛隊の使命(わが国の平和と独立 を守り、国の安全を保つこと)を全うすることを、あらためて自覚する上で、この上なく良い機会だと実感しています。

1月7日(月) 太宰府における安全祈願

 新年を迎え、西空隷下部隊でも飛行始めとなりました。これに先立ち、安全祈願のため司令部の主要幕僚と共に、太宰府天満宮(福岡県太宰府市)に参拝しました。
 例年通り払暁時のかなり冷え込む中での神事となり、まさに霊験あらたかな感がありました。

 

 鎮西府の加護のもと、今年は年頭の辞で明示した5つのビジョン(①組織戦闘力の確保②統合・協同の訓練促進③隊員の特技力・任務遂行意欲の向上④地域との信頼関係の醸成⑤隊員・家族の福利厚生の充実)を隷下部隊と力を合わせ具現化していく所存です。

 

 ところで、太宰府天満宮と言えば「梅紋」「飛梅」「梅酒」「梅が枝餅」等で有名なのはご存じのとおりです。
 これも縁の話になりますが、千歳基地司令職に就いていた時に、太宰府天満宮の「梅の親善使節団」より紅白一対の梅の盆栽を賜ったことを思い出しました。

 

 民間航空会社による福岡-千歳間の直通運行の開始を記念して、毎年1月下旬に北海道所在の官公庁等に梅が届けられています。このイベントの一環  で千歳基地も対象になっているようです。

 

 また関係ブログによれば、その返礼という意味で千歳産のスズランが毎年5月 に太宰府天満宮に贈られているとのこと。
 ぜひその時には太宰府天満宮を訪れ、北海道の春を象徴するスズランの芳香を、5年ぶりに九州の地で楽しみたいと今から心待ちにしています。

       太宰府天満宮
      千歳基地の思い出

1月17日(木) 就職援護活動は三位一体(就職援護シリーズ・その2)

 年頭の辞で西空における今年の5大目標を示しました。その一つとして就職援護にかかわる業務を多角的に展開することを掲げています。

 

 私は就職援護という観点では、九州地区就職援護統制部隊長の肩書きを持ちます。その担当範囲は、九州に所在する10個の空自基地等になります。

 

 昨年も、方面隊としての九州地域における就職援護に関する取り組む姿勢、 就職援護業務に従事する隊員への期待等について強調してきました。

 

 就職援護活動は、退職自衛官本人、就職援護活動の任につく現役自衛官、そして部隊等の指揮官、これらの三位一体で行うべきです。再就職する本人は、自らの能力向上、資格獲得、人格形成等に努力する。業務担当者は、将来自分自身も該当するとの当事者意識を持って任務を全うする。指揮官は、親身に相談に応じる等の監督指導を励行する。

 

 三者による相乗効果で、能力等に適応する会社等に就職することが可能になるのではないでしょうか。今年は、人材育成・確保の戦略上重要な、就職援護業務を一層推進していきます。

1月18日(金) 新成人の祝賀会に参加

 基地司令主催による春日基地所属隊員の成人式に出席。今年めでたく成人を迎え、この成人式に出席した隊員は5名でした。すでに出生地等において自治体主催の式にも出席したようです。

 

 今日の彼らの服装は、羽織袴、振り袖、新調したスーツではなく、制服です。自らの国の大空を守るという崇高な使命を果たす者だけが着装できる航空自衛隊の正装を身にまとっての出席でした。

 

 このことを大いに誇りとして、ぜひ自らの国を、地域を、同僚・友人を、そして家族を永きにわたり守るといった気概を持ち続け、優秀な人材に成長してくれることを期待します。

 

 以前、ネットで成人式のルーツを調べたことがあります。今から60年以上前に埻玉県のある町で行われた「青年祭」にあるとの説でした。趣旨は「時代を担う青年達に明るい希望を持たせ励ます」と記載されていたように記憶しています。

 

 ポイントは「明るい希望を持たせる」ことでしょう。私は「わが国の独立と平和を守り、国民の安全が保たれる」という明るい将来を彼らに引き継いでもらえるよう職務に邁進することを誓いました。

 

 自分の子供と同世代の隊員であったこともあり、式典終了後も、何かしらほのぼのとした気持ちに包まれた一日でした。

1月22日(火) 福岡地区の合同新年会

 自衛隊協力団体の方々との新年の集いが、福岡県自衛隊協力会連絡協議会と福岡地方協力本部の共催のもと、博多で行われました。3自衛隊指揮官の1人として出席。新年の挨拶と本年も変わらぬ支援協力のお願いをさせていただきました。

 

 挨拶の中では、年頭の辞で述べた5大目標のひとつを紹介。航空方面隊として総合力を問われる組織戦闘力の向上です。隷下7個直轄部隊、約5500名によるチーム力、ネットワーク力を高めることが必要であるとの思いから掲げている、いわばビジョンでもあります。

 

 隷下各部隊の任務遂行能力については、先人による弛まぬ練成の成果や関係地域の多くの協力支援者のおかげもあり、所望の実力を有していると自負  しています。

 

 ただし、将来の組織戦、ネットワーク戦では、特にレーダー部隊、戦闘機部隊、ペトリオット部隊は、より一体化、パッケージ化した上での行動が重要で、相乗効果を発揮しつつ作戦を完遂することが今以上に求められるからです。

 

 西部航空方面隊は、陸海自衛隊との統合や、米軍各軍種との協同を、より実効性あるものにするため、組織的練度や連携技術における高みを目指していきます。

1月24日(木) 准曹士先任との会食

 今月から月1回を基準に、春日基地所在部隊の准曹士先任(注)との昼食会を准曹士隊員が使用する基地大食堂で行うようになりました。私の依頼を基地司令及び西警団先任に配慮してもらい実現したものです。

 

 この昼食会の目的はいくつかあります。ひとつは基地内の所在部隊の団結。いずれの空自基地も、同一指揮を受ける部隊ばかりが存在するわけではありません。しかし、事態対処に当たって、空自が組織力を発揮する形態は、基地単位のケースが通常です。例として大規模災害派遣があげられます。

 

 今回私が最も期待した効果は、准曹士先任というステータスの向上にあります。この職務に就く隊員にとって、業務を実施する上で物心両面の負担は決し て軽くはありません。このため、この制度において良き後継者を絶やすことなく育成していくにはステータス向上が必須です。

 

 准曹士先任が基地司令等が歓談しながら同一テーブルで会食する様を、若き准曹士が直接見聞きできることに意義があるのではないかと思うのです。

注:関連する用語の定義等は、「准曹士先任制度の充実に向けて」(平成24年8月21日(火))を ご覧ください。

1月29日(火) 西部航空方面隊司令部支援飛行隊の栄えある受賞

 西司飛による飛行無事故3万時間の達成については、西空ホームページ(活動状況)上で、すでに紹介したとおりです。ここでは、表彰にかかわる数字をあらためて確認してみました。

 

 まず3万時間。幕僚試算ではT-4練習機に換算すると、操縦者個人で3級賞詞(無事故飛行)12.5回分。現役期間中、戦闘機操縦者としてずっと勤務した場合でも、3級賞詞の授与は2回程度ですので、6世代分以上となるほどです。

 

 次に34年間の無事故飛行継続期間。空自の航空機保有部隊(25個部隊)の中で、この記録は歴代4位。小型ジェット練習機のみを運用する部隊では最長です。ちなみに、第1位の飛行点検隊は昭和42年から無事故飛行を継続しています。

 

 最後に第2級賞状。同賞の表彰状況を過去10年見てみると、合計32件で、職務遂行、創設記念、各級功績等と受賞内容は様々です。最近は、飛行無事故が多いようです。同期間で2回受賞しているのは、西司飛を含め3部隊。

 

 西司飛の諸官には、栄えあるこの受賞を誇りに思うとともに、多くの関係部隊 の協力のもと、多くの先輩の努力の上に達成できたということに再度思いを致し、これからも、部隊一丸となってこの輝かしい記録をさらに延ばして行くことを期待します

1月31日(木) 着任後、半年が経ち

 現職に就いた昨夏から半年。前司令官による西空の課題認識とこれに基づく方面隊としての将来の方向性を引き継いだ上で、私自身の勤務方針や方面隊の展望を着任の辞及び年頭の辞等の中で明らかにし、それらの具現化に努めてきました。

 

 年度末まで残すところ2か月。これまで培ってきた方面隊としての各種防衛能力を集大成する時期を迎えます。年度当初定めた各種練成頄目の目標を最終的に達成するとともに、次年度におけるさらなる高い目標を設定します。

 

 また、この半年の間、日々任務に精励する隊員と現場部隊において直接触れる機会を持つよう意識してきたつもりです。これからもそうあろうと思っています。

 

 汗して仕事に打ち込む隊員、寒風の中で安全確保を図る隊員、周囲との連携  を図りつつ装備品等を操る隊員、そして笑顔で敬礼する隊員等々。
 こうした隊員のひたむきな姿勢を評価しながら、彼らの持つ潜在的な能力をさらに引き出し発揮させ、実績と実力ある方面隊づくりを目指します。

2月5日(火) 西空司令部内における幕僚との面接!?

 西空が方面隊としての組織力を高めることを努力目標の一つに掲げているのは、年頭の辞で紹介したとおりです。このためには当然ながら良好なコミュニケーションが不可欠。


 私が西空司令部で幕僚勤務した20年前は、指揮システムや各種イントラネットは なく、報告文書の作成に私物のワープロを使用していたぐらいです。文書によらな
いコミュニケーション手段の主体は口頭か内線電話でした。

 
 当時の上司からは、「司令部内の業務調整は相手と直接会って話してこい、時間的余裕があるなら基地内の部署は足を運べ」と言われたものです。情報の減 衰や真意の未伝達を予防するためには、この上ない方法です。コミュニケー
ション手段が多様化した現在でも、私はこのやり方を意識しています。熱意や危機感を伝える場面が多いからでしょうか。

 
 当時の幕僚経験から、もうひとつ。いざという時に組織力を発揮するために、できるだけ多くの部署・隊員と平素から半ばプライベート的なコミュニケーションを図ることを大切にしてきました。
 今回着任してからも、少なくとも司令部内の職員とは面接するようにしています。業務以外の家族の状況や趣味などが話題の中心です。

 
 この面接に課題がひとつ。着任して既に半年を経過しているのですが、いまだに司令部全員の面接が一周りできていないことです・・。

2月6日(水) 飛行安全に万全を期す!

 国旗が掲揚される朝8時15分。司令部庁舎前に立つ私の位置から国旗掲揚台に正対する方向を正面とすると、左側から右方向に民航機が徐々に高度を上げながら通過していきます。航空会社及び機種は異なりますが、ほぼ同じ時間にこの光景を目にします。福岡空港をテイクオフした定期路線便だと思います。

 

 先日、福岡空港の発着回数が新聞に掲載されていました。その記事によると福岡空港における最近10年間の発着回数は14万回前後であったのが、昨年は15万回を超えたとのこと。こうした状況の中で無事故の実績を継続できているのは、飛行安全に関する関係機関等の並々ならぬ努力があってこそで しょう。

 

 福岡空港では、今後ともLCC(格安航空会社)の参入及び国際線等の新規就航・増便が予期されており、さらなる安全施策がとられるのではないでしょうか。
 空自の場合、九州に所在する築城及び新田原両基地における発着回数は、先の福岡空港に比すと、規模的にはかなり下回ります。それでも、戦闘機を運航するに当たっての飛行安全には十分な配慮をしています。

 

 これからも飛行安全に万全を期すために、装備・施設等の充実のみならず人的要因に起因する事故の未然防止策も怠りません。

2月7日(木) 統幕学校学生懇親会における挨拶

 統合幕僚学校・第13期統合高級課程学生等の約60名が学校教育の一環として来基。私も業務説明の場を得たので、西空における主に統合・共同の実情と自らの統合体験談を話しました。

 

 もう10年前になるでしょうか。空幕勤務時代に上司の米国出張に随行して米軍のある統合司令部を訪問。この際、米軍指揮官が次のことを話してくれたことが今でも印象に残っています。

 

 米軍は1990年代、予算及び人的制約から統合路線を追求せざるを得なかったこと、4軍種が制服の色にこだわることなく共通(統合)の任務を遂行するのに10年の歳月を要したとの内容だったと記憶しています。

 

 一方、私たち自衛隊は統合運用体制に移行して7年が経過。すでに統合スピリッツを確立し、多くの実績をこれまで残してきています。決してこのことに満足 することなく、統合運用体制のいっそうの充実が必要でしょう。また今後は後方分野の統合化を早期に実現していくことが望まれます。

 

 こうした統合に関しては将来の方向性が明らかな中、彼ら学生は、統合運用及び統合後方の担い手、或いは統合任務部隊編成時にはその中核的存在として活躍することが期待されます。

2月8日(金) 第2高射群がもたらす歓喜!

 先週、北海道千歳基地にて空自高射部隊による航空総隊戦技競技会(運用及び整備の各部門)が開催。今年度総合優勝の栄誉は、北空・第6高射群(青森県と北海道の基地等に所在)が獲得。総隊司令官が講評の中で同群の組織力の高さを賞賛されていたのが、印象的でした。

 
 西空隷下から参加した2高群については、今回初競技頄目であった整備の部におい
て、優勝の栄冠に輝きました。私自身、元々高射整備員です。古くはナイキJシステムから現有のペトリオットの運用及び整備に従事していたこともあり、個人的にも嬉しい限りです。

 
 2高群の目標は、あくまでも両部門での優勝でしたので、この結果を西空としても真摯に受け止め、今後の練度向上施策に反映していくことにします。この上級部隊等競技会における2高群の成果が、方面隊の今年の行き足になることを期待します。

2月9日(土) 九州地区における防衛大学校同窓会に出席

 私は昭和52年に防衛大学校25期生として入校。当時の新聞紙上では、「防衛大学校、ついに四半世紀を迎える」との見出しが躍っていました。


 いまや半世紀を過ぎた卒業生が現場で活躍。頼もしいかぎりです。 先日、博多駅付近で催された同窓会会場にも、1期生をはじめ約230名の出席者の中に55期生4名の顔を見ることができました。

 

 20年前、西空司令部勤務期間中に参加した防大同窓会では、先輩に対する挨拶はそこそこに、後輩に対する激励もほどほどにして、同期生との話に終始したような記憶があります。

 
 今回は、定年退官された諸先輩との歓談のほか、校友会活動(アメリカンフット
ボール部)の先輩とも久しぶりに再会し、近況を知ることができました。


 したがって、同期生との懇親については、場所を替えて2次会にて盛り上がったのは言うまでもありません。

2月15日(金) 復古した空自武道大会での栄冠!

 春日基地内にある外来者用宿舎「飛梅荘」の周りには紅白の梅が咲き誇ってい ます。今月に入ってほぼ毎日通勤時に見慣れている風景なのに、今日は一段と美しく、かぐわしく感じられます。空自武道大会(概要は下記*のとおり)に出場した西空選抜選手等のおかげです!

 

 同大会の結果はホームページにも掲載。西空については、団体戦では剣道の部で優勝、銃剣道の部で準優勝、また個人戦では柔道軽量級で3位という栄冠を獲得しました。私自身、試合の観戦はできませんでしたが、開催地(防府南基地)で応援する隊員からの速報に心躍る思いでした。

 

 大会表彰を受けた選手のみならず、西空の代表として参加した全ての選手を賞賛します。また、方面隊の総力として彼らを練成に専念させた隷下関係部隊にも感謝の意を表します。

 

 高射部隊戦技競技会における2高群の整備部門優勝に引き続き、年度末に向けての隊務運営上の行き足となることでしょう。選手諸官には心身の休養に努めてもらいたいと思います。ありがとう!

 

*航空自衛隊は、従来の各種大会を個人訓練の促進状況を踏まえ見直し、持 続走と武道を2つの柱としました。今年度は武道大会の年。大会種目の対象は、 銃剣道、剣道、柔道及び拳法の4種目。心技体のうち、心(精神力)の鍛錬を重視すべきとの考えの下、復古したのが今大会。

2月18日(月) 初の基地等訪問シリーズ(福江島分屯基地)

 長崎市から西方約100㎞に位置する福江島。五島列島の中では一番大きな島。その北西域の三井楽町内に福江島分屯基地があり、第15警戒隊が所在。
 私の名字が島・地域の名称や分屯基地名と同じということもあり、若い頃には当該分屯基地で将来勤務することがあるだろうかと考えたこともありました。

 

 結果として当該基地での勤務機会はなく、今回就任後初めての訪問となりました。警戒隊長からの状況説明の中から2点、私の想いも含めて紹介します。

 

 ひとつは、平成15年基地内に整備された総合訓練場についてです。現在、同 訓練場は、警戒管制、戦闘機及び高射の各部隊が連携した組織的防空戦闘能力の向上の場として活用しています。
 また、近年では空自高射部隊と陸自高射特科部隊との協同訓練も実績をあげています。20年前、西空司令部の幕僚として、日出生台演習場におけるペトリオット及びホークの連携訓練の実現を 図るため、実施構想を企画していた頃を思い出しました。

 

 もうひとつは、4部隊合同観閲式です。実は、私は長崎県大村の出身。同市に  所在する陸自第16普通科連隊(大村駐屯地)、第7高射特科群(竹松駐屯地)、海自第22航空群(大村航空基地)には昔から馴染みがあります。
 第15警戒隊が、これら陸海部隊と合同の観閲式を大村の地で挙行していることにやはり縁を感じます。統合のひとつの姿を垣間見た気がしました。

 

 今回は、なにやら私の名字と出生地がらみの雑感となりましたが、第15警戒隊の隊員との懇親を通じて郷土愛にも触れることができた半日でした。

2月19日(火) 募集及び就職援護の最先端部隊

 福江島分屯基地の視察を終えた翌日、同島に所在する長崎地方協力本部・五島駐在員事務所を訪問。地方連絡部の先端部隊に所属する職員(2名)による募集・就職援護の活動状況を知る大変良い機会でした。

 

 募集については、同事務所は最近4年間連続して5名以上の入隊者を獲得しています。五島自体も少子高齢化の波の中で毎年人口が減少。島内の高校卒業者のほとんどが島外進学・就職という厳しい募集環境にあるにもかかわらずで す。所員の並々ならぬ努力をうかがい知ることができました。

 

 また、就職援護に関しても雇用状況は厳しいものがあります。それでも、大村地域援護センターと連携しながら、再就職を希望する隊員の雇用先確保に奔走しているとのことでした。

 

 福江島分屯基地は五島唯一の自衛隊基地。このため五島出身者で自衛官を目指す者の多くは航空自衛隊を希望しているようです。西空としても分屯基地を通じて募集と就職援護の先端にある同事務所の支援を惜しみません。

 

 五島駐在員事務所の所員はもとより、当該事務所の訪問を勧めていただいた  陸自西方総監並びに長崎地本関係各位にあらためて感謝する次第です。

3月5日(火) コミュニケーションの重要性

 先月末は演習に参加していたため、しばらくぶりの雑感となります。

 

 以前にも「組織力を高めるためには、良好なコミュニケーションが不可欠」をテーマに掲載したことがありました(『西空司令部における幕僚との面接!?』(2月5日))。
 演習中、私自身のコミュニケーション不足が原因で命令・指示上の問題を生起させないように常に留意しました。
 
 結果として指揮所内における情報共有や上意下達
については、平素からの司令部勤務者間の信頼関係や訓練の成果もあり円滑に実施できたと自負しています。

 一方、上級及び隷下の部隊とのコミュニケーションについては、手段は十分に 整っているものの、情報や指揮官の意図が減衰しがちであることを認識しました。
 この場合、タイミングや内容の精査はもちろんのこと、指揮官同士の直接会話が重要だと痛感した次第です。

 今回の演習に臨むにあたり、先述の問題意識を持ったのは過去に以下の文章が印象に残っていたからに他なりません。

 『情報技術の発展により、イントラネットやメール、携帯電話など、コミュニケー ションの手段は多様化し、かつ安価で手軽になってきた。しかし、昔に比べてトップからのメッセージが伝わりやすくなったかと言えば、必ずしもそうではない。 安価で手軽になった分、意味のない情報が氾濫したり、本当に大事なことが埋もれてしまったりする。また、熱意や危機感などは言葉以上に、話し方や表情、その場の雰囲気などで伝わるものだが、それが抜け落ちた形で言葉だけが行き来し、結局、最も大事なものが伝わらない状況を生んでいる。』(「組織力を高める」(東洋経済新報社)より一部抜粋)

3月7日(木) 西空庁舎前の神授梅

 福岡地方では、梅の満開期を過ぎ桜開花予想の情報が聞かれるようになりました。

 

 西空司令部庁舎前には国旗掲揚塔を挟んで向かい合うように、太宰府天満宮から寄贈いただいた紅白神授梅それぞれ一対が植樹されています。

 

 庁舎正面から掲揚塔に向かって左側に、「航空自衛隊創立50周年記念(平成 16年10月30日)」として紅梅(品種・記念梅)と白梅(品種・白牡丹)が、右側に は「西部航空方面隊創立50周年記念(平成22年3月31日)」に紅梅(蘇芳)と白梅(天龍梅)が紅白寄り添うように咲いています。

 

 創立から半世紀の節目の年に賜った貴重な神授梅に見守られながら、隊務運営に精励できることを光栄に感じないではいられません。

 

 ちなみに、20年前に新築された西空司令部庁舎に現在の基地庁舎から「家移り」して来た時には、庁舎前は殺風景でした。今や芝の整備、梅や桜の記念植 樹のおかげで景観は一変。あらためて関係各位に感謝いたします。

3月12日(火) 西部航空音楽隊による練成成果の発表

 去る8日(金)西空直轄部隊のひとつである西音隊が年に1度の定期演奏会をアクロス福岡シンフォニーホールにて行いました。

 

今年も、1600名を超える来場者の方々には十分に楽しんでいただけたのではないでしょうか。私自身は主催側の代表ではありましたが、演奏を聞き入っている間は、聴衆の一人として満たされた時間を彼らのおかげで過ごすことができました。

 

 また自衛隊員の立場では、西空周辺の安全保障情勢がますます緊迫の度を高めている中で、日頃から緊張感をもって勤務していることもあり、西音隊の演奏により心が癒されたり、曲目によっては士気を鼓舞された実感がありました。

 

 来年度は50回の大きな節目となります。すでに次回の開催に向けて着々と準備し、例年以上に充実した内容を企画し始めています。ぜひ期待していただきたいと思います。

 

 なお、西音隊はこの年中行事である定期演奏会を終えた翌日の土曜日13時に、山口県・防府北基地へ向け出発し、日曜日に同基地で行われた航空自衛隊・航空学生の卒業式の演奏支援を行いました。

3月15日(金) 定年退職者の見送りにあたり

 先日、西空司令部勤務者で定年を迎えた隊員(准空尉)に対して、司令部勤務者と共に見送り行事を挙行。着任後始めてです。

 

 式典に先だって、これまで35年余にわたる自衛隊勤務の中で強く印象に残るいくつかのエピソードを司令官室で語ってくれました。まだ再就職の決定段階には至っていませんが、関連の資格について取得できるよう努力しているとのことでし た。

 

 自衛官は最終階級によって異なりますが、いずれにしても若年退職となります。当該隊員は私よりも年若です。
 充実したセカンドキャリアを歩むためのキャリア&ラ
イフ・ビジョンが彼の言葉から伝わってきました。再就職に当たっては、現役時代に培った使命感、危機管理能力を十分に活かしてもらうことを切に願ってい ます。

 

 春日基地内でも3月13日に桜の基準木に5輪咲いているのが確認され今月22日には満開との予測。先述の隊員から近い将来、再就職を意味する「桜咲く」の連絡があることを心待ちにしています。

3月19日(火) 西部地区における3自衛隊の信頼関係

 今週初め、西部地区陸海空自衛隊指揮官会議に参加。わが国の西・南西域を担任する陸海空自の関係指揮官(西方総監、佐世保総監、西空司令官、南混団司令)が一堂に会し、現下の情勢を踏まえた情報共有及び意見交換等を目的に年2回を基準に持ち回りで行っているものです。

 

 今回は南混団主催であったため、那覇基地が会場となりました。現在、担任防衛区域並びにその周辺の情勢は緊迫の度を深めていることから、各司令部の発表をもとに活発な議論が交わされました。

 

 関係指揮官のみならず各司令部から参加した幕僚を含め、引き続き周辺国の動向を注視しつつ慎重なる対忚の必要性を再認識するとともに、新たな年度における統合・協同の練成訓練の大きな資を得た感がありました。

 

 なお、この会議体は昭和38年に設立。今年はちょうど50年の節目となります。 昨今の予断を許さぬ情勢とあいまって、今後とも当該会議の持つ重要性は一層高まっていくことでしょうから、この場を大いに活用することとしています。

月25日(月) 総合防災訓練への参加回数が倍増

 東日本大震災以降、全国的に防災意識が一層高まる中、西空による関係自治体等为催の総合防災訓練への参加回数・規模が昨年度までの倍となる実績を得ました。

 

 具体的な回数としては、平成22年度14 回、平成23年度15回、そして今年度は28回。

 

 これは、西空が担任する防衛区域内(九州・中国・四国計16県)の地方自治体及び地域住民の方々に、各種災害に対する不断の備えの重要性が浸透してきていることと、自衛隊の保有する装備品等を災害対処に活用する期待が高まっていることの証左と考えています。

 

 その一方で、司令部及び部隊等において災害派遣を担任する隊員の定数は増えてはいません。

 

 こうした人的制約はあっても、南海トラフ巨大地震をはじめ予測される災害事態に初動から的確に対処するため、これからも積極的に防災訓練の現場に進出していきます。

3月27日(木) 『翼』へ念願の投稿

 『翼』は航空自衛隊連合幹部会の機関誌。昭和53年の創刊から毎年3回を基準に発刊され、部内外から好評を博しています。

 

 当該誌には「随想」という空自隊員の投稿記事が掲載される頁があります。しかも著名人の特別対談やインタビュー等に先立って。

 

 以前から、この「随想」に自らの一編を掲載してもらえたらとの願望を持っていたところ、今月発行の「東風号No.99」で実現することができました。

 

 題目は『父の軍歴に想う』。終戦一年前に中学三年生で予科練を志願・入隊した父の知らざる軍隊時代。厚生労働省から入手した人事記録の写しをもとに、 それ以降の父の半生を追想したものです。

 

 父の所属部隊が九州内であったことから、昨夏、西空への赴任をきっかけに 筆を執った次第です。一読いただけると幸いです。

4月3日(水) 「しだれ桜」の前で記念写真

 先月初め、「雑感」の中で太宰府天満宮から寄贈いただいた紅白神授梅を紹介。今回は桜の話題です。

 
 西空司令部庁舎前に設置されている国旗掲揚塔の右横に位置する場所で、紅白一対のしだれ桜が満開の時期を迎えています。

 
 これらの桜は、福岡県防衛協会女性部会の設立10周年を記念して平成23年1
1月に植樹されました。品種はヤエベニシダレ(紅)とシダレザクラ(白)。

 

 桜木が寄贈の対象となった理由としては、自衛隊の象徴であるほかに、「花は桜木、人は武士」「一期一会」といった女性部会の理念等に基づくものと聞き及んでいます。

 

 春日基地観桜会が開催された今月2日、福岡県防衛協会女性部会の为要メ ンバーの方と植樹から2度目の開花に合わせて記念撮影を行うことができまし た。枝が柔らかく枝垂れる風情が女性らしく、司令部勤務者のみならず来訪される方々の心を和ませてくれています。

4月5日(金) 命の尊さ

 警察庁の発表によれば、昨年の自殺者数は1997年以来15年ぶりに3万人を下回ったそうです。それでも2万7千名以上の方が自ら命を絶たれている。西空においても昨年度の自殺者はゼロではなく、どのように事情があれ、心からご冥福を祈るばかりです。

 

 昨年度は通達類のみならず、「西部航空方面隊瓦版」と称する新規の部内通信の手法を整備した上で、自殺防止に十分に心がけていましたが痛恨の極みです。

 

 新年度を迎え、あらためて「自殺者ゼロ」を念頭に関連施策の推進にさらに積極的に取り組みます。

 なお、私の娘(当時中学3年生)が8年前に「翼」に投稿した記事の一部を以下に再記載します。隷下の隊員及びその家族の目にとまることを期待して。

 

『命の尊さについて』(一部抜粋)

 

 「………。 今、私達が生きる時代は、自分から命を絶つ人、大人に限らず多くの中高生も人を傷つけたり、命を奪ったりと、命を粗末に取り扱う人が急増しています。
 私はせっかく戦争の無い平和な時代に生まれてきたのに、自分や人の命を傷つけては命が可哀想ですし、絶対にしてはいけない事だと思います。  
 私達は、生きたくても生きることもかなわずに、戦争で亡くなった人達、日本の平和のために礎となって死んでいった人達の命のことを深く考えて、自分を大切にして生きなければいけません。
 今の平和な世の中で生きて、生活できる幸 せを日頃から認識して感謝することと、一人一人の人間が自分の命と自分を取り巻くあらゆる命の存在と尊さを知り、向き合う事が現代には必要で大切なことであると思います。」

4月8日(月) QCサークルの活性化

 QCサークル活動とは、職場で働く人々が継続的に製品・サービス・仕事等の質の管理・改善を行う小集団活動です。空自の関係部隊は、この活動に関連する  全国大会(民間団体の为催)において、優良企業がひしめく中、高い評価を得ています。

 

 しかしながら、こうした全国又は地方でのトップレベルにある空自部隊のサークル数はごくわずか。また、全ての部隊・機関に普及するまでには至っていないのが現状です。

 

 そこで、空自は自己啓発・相互啓発による人材育成、組織改善、生き甲斐ある 職場づくりを目指し、あらためてQCサークル活動の活性化を図ることにしています。来年度の空自为催QCサークル大会の開催計画はそのひとつ。これに先立ち、今年6月にはプレ大会が開催。

 

 これまでの民間大会における西空隷下部隊の実績は他方面に比較してまだまだの感があります。西空の将来ビジョンの3点目として挙げている「隊員個々の能力向上」の中で当該活動を推進して3年内には頂点を極めることができればと期待しています。

 

 私自身も、品質管理をテーマとした部内外での話を通じて、西空のひいては空自の品質文化の育成に貢献する所存です。

4月10日(水) QCサークル活動への期待(アーカイブ編)

 先の「雑感」の中で、QCサークル活動について取り上げました。実は、空自のQC サークル・プレ大会に向けて、西空所属の関係隊員をQCサークルのメッカともいえる第2航空団(千歳)に年明け早々から派遣、研修させたところです。

 

 西空のビジョンでは、今年の目標のひとつにQCサークルの活動基盤の強化を掲げていますが、プレ大会には挑戦者として臨み、高い評価の獲得を目指しま す。

 

 以下は、私が第2航空団司令の職にあった際に記述した「雑感」の一編。今でも当時のQCサークルへの強い思いは変わりません。

 

「題目『QCサークル活動に期待すること』:平成20年3月19日(水)

 

 第2航空団のQCサークル活動は、昭和57年に整備補給群が導入した以降、飛行群、基地業務群も加わり、近年では道内大会、全日本選抜大会への出場、そして名誉ある各賞の受賞と成果をあげています。

 

 今日、その団内の発表会を基地体育館において、部外からの専門審査員2名と他基地からの聴講者も得た中で行いました。
 参加した9つのサークルはいず れも後進育成を念頭に置き、考え抜かれた業務改善内容で、何度も大きく頷  かされる場面がありました。

 表彰されたサークルについては、この発表会での講評等をもとに全国大会(札幌)及び北海道支部大会(苫小牧、室蘭、札幌) を目指し、さらにプレゼンに磨きをかけてもらいたいと思います。

 

 このQCサークルには、私自身大いに関心を持っていて、各種大会や交流会  に参加しています。
 単なる受賞のための活動ではなく、実務に反映することはもちろんのこと、人生においてさえ得るところの大きな活動ですので、ぜひとも  多くの隊員が取り組んでくれることを期待しています。」

4月15日(月) 安全保障談話の意義

 今月に入っての休日、福岡市内において一般市民の方に対する安全保障談話の機会がありました。

 

所定の時間どおりに談話と意見交換を終え、主催者の方に挨拶を済ませ開催施 設を去ろうとした時でした。

 

 参加された女性お二人が目にとまったので「荒天の中、足を運んでいただきありがとうございました」とお声をかけたとこ ろ、しばらく歓談した最後に次のように忚じていただきました。「国を守るということでは、私達(国民)一人一人の自覚が本当に大切ですね」と。

 

 談話の中で、自衛隊の使命や任務について説明したことを受けての言葉でも あったのではないでしょうか。

 

 今回、先ほどの言葉をいただいたおかげで、基地の外での安全保障談話が、自衛隊の役割や防衛力整備の方向性を地域住民の方々に正しく理解してもらう上で重要な活動であることをあらためて認識できました。職務遂行意欲の高まりという喜びを感じながら、会場を後にした次第です。

4月17日(水) 陸・海自衛隊の現場部隊を実見して

 先日、西空が担任する防衛区域内に所 在する陸・海自の関係指揮官を表敬。 その際に部隊を研修させてもらいました。
 これまでは同じ九州内にあり、統合運用上、西空司令部が最も連携を密にして いる陸自・西方総監部(熊本)と海自・佐 世保地方総監部(長崎)については幾度かの訪問実績があります。

 

 今回は、広島及び山口の両県に所在する一部の陸・海関係部隊等を訪問。任務及び練成訓練にかかわる連絡調整の円滑さや統合スピリッツの醸成に若 干なりとも寄与できたものと思います。

 

 中でも、呉における海自・輸送艦「しもきた」の実見は初めてのこと。艦長自ら の説明・案内もあって、統合運用の観点から同艦の運用状況等を学ぶことができました。

 

 他自衛隊の部隊活動等については、報告や提供された資料等を通じて理解していましたが、様々な苦慮の末に綿密な事前調整や日々の訓練が行われているという現場部隊の実態を知る貴重な機会となりました。

 

 今後も、西空隷下部隊の精強さを追求しながら、陸海自部隊との連携強化のために現地訪問の時間を作為していくつもりです。

4月22日(月) 西空司令部庁舎は今年築20年

 私が西空司令部防衛課に幕僚として赴任したのは、平成4年の夏。当時の西 空司令部は、西警団司令部及び2高群本部と共に基地庁舎に所在していました。

 
 現在使用している西空司令部の庁舎は、平成5年9月に建設。その後の連休期 間を利用して、司令部勤務者総出で真新しい職場に事務機器や膨大な資料等
を移す引越作業を行ったと記憶しています。

 
 基地庁舎に残る隷下関係部隊に申し訳ない思いを持つ一方で、広くて明るい職場環境は日々の各種業務を行う上で有り難く感じました。


 20年前に私が勤務していた部署のレイアウトは、今でも大きくは変わっていません。防衛部各課が同居している大部屋に足を運ぶ度に、当時のことを懐かしく思い出します。

 

 以下は、参考までに西空司令部の前身である「西部航空司令所」が開設されるまでの経緯と春日基地の沿革を記載したものです。

 

 「『春日』という地名誕生は、神護景雲2年(768年)藤原氏の氏神である春日明神を大和国から迎え入れ、春日神社を創建したことによると春日市のホームページに紹介されています。

 

 近代に入り、大正13年、九州鉄道(現西日本鉄道)の福岡と久留米間が開 通し、春日原駅が開設されたことをきっかけに、この春日の地が発展を遂げていきました。

 
 昭和15年、当時春日村の保有地を陸軍省が買収、ここに小倉造兵廠・春日
原分廠が置かれ、終戦を迎えました。その後、春日原分廠用地は、米軍が接 収し、その管理下に置かれました。


 昭和29年10月、米空軍からわが国の防空組織を引き継ぐための要員教育 とレーダーサイトへの展開を任務とした西部訓練航空警戒隊が、陸自福岡駐屯地内において新編され、航空警戒関連部隊の部隊基盤が確立されました。


 現在の地(当時、福岡県筑紫郡春日町米軍基地内)に春日基地が新設されたのは昭和34年3月1日であり、同日付で西空司令部の前身である西部航空 司令所が誕生しています。」

4月26日(金) 春日基地で親しまれている隊員新聞

 昨年4月に初号が発刉された「春日基地隊員新聞」。基地新聞とは別に、基地所在部隊等で活躍する准曹士隊員に焦点を当てて、隔月基準に作成されているものです。

 

 編集発行元は、春日基地准曹士先任。その編集協力には基地所在部隊(西警団直轄部隊を含む)等の准曹士先任が当たっています。

 発刊
の背景には、この春日基地が3地区(飛び地)に点在していることから、他基地以上に隊員間の相互理解に基づく一体感を追求したいとの思いがあったと聞き及んでいます。

 

 掲載されている記事を通して、同一基地で勤務する隊員の日常を間近に感じ  ることができ、私は大変気に入っています。きっと家庭内の話題提供に結びついていることでしょう。

 

 基地は戦闘単位に重要なひとつの形態。その基地内において准曹士の要である先任同士が、任務や部隊規模の大小にかかわらず、風通しよく、横断的 なコミュニケーションを図ってくれることは何よりです。

 

5月1日(水) 癒される基地内の風景

 以前、「私も空自の戦闘員の一人です」との記述を「雑感」の中でしたことがありました。半年経った今でも、気力・体力の充実には気を遣っています。おかげで、体脂肪をはじめ各種測定の値は、年齢相当の標準内です。

 

 久しぶりに基地内での持久走訓練を実施。とはいえ、ほぼスロージョギングのペースで、所定のコースを2周程度、距離にして4~5キロでしょうか。

 

 一年を通じて、基地内各所の紅葉、山茶花、梅、桜等、季節の花が勤務者の 目を楽しませてくれます。持久走をはじめとする屋外での体育訓練中の隊員にとっては、なおさらではないでしょうか。

 

 今の時期はツツジです。基地庁舎前付近には端正に刈り込まれたツツジ群が  目を引きます。特に、雅な鞠の形に刈り込まれたものが目立ちます。

 

 予断を許さない周辺情勢の下、即忚の態勢を維持するが故の緊張感。色とりどりの「鞠のようなツツジ」に癒されるのは、私だけではないと思います。

5月7日(火) 地対空用装備品による防空システムの進化

 昨年、築城基地に訓練のために各地から展開してきた陸自・高射特科部隊が保有する装備品等を研修しました。この雑感シリーズ中の「地対空誘導弾システムによる防空は陸空協同でこそ!

(平成24年11月13日(火)」を参照していただけると幸いです。

 

 先月は、それら陸自の防空用装備品等を指揮統制する新たなシステムについて春日基地内で説明を受ける機会がありました。

 

 今回は空自が運用する自動警戒管制システム(JADGE:指揮命令、航跡情報等を伝達・処理する自動化した全国規模の防空用システム)との連接訓練を 行うために来基したとのこと。

 

 陸自も防空戦闘を行う場合には、担任空域の警戒監視や航空機・ミサイル等の目標情報を必要とします。このため、空自が運用するJADGEと連接することで、より効果的な機能発揮が期待できるわけです。

 

 陸自の関係指揮統制システムが今後拡充されていけば、自衛隊が運用・管理する地対空用装備品のほとんどが自動化され、目標情報の収集及び迅速・的確な対空戦闘の指揮・統制がより効果的に実施されることになります。

5月10日(金) 「博多どんたく」ステージで『空の精鋭』!

 5月3日及び4日両日、福岡市中心地で「博多どんたく港祭り」が開催。200万人を超える人で賑わったようです。

 

 振興会作成パンフ等によれば、「博多どんたく」は、わが国の古い民族行事「博多松ばやし」(国選択無形民俗文化財)を起源として、平安末期あるいは室町時代に始まったとあります。

 

 この祭りのメインステージ(全体で36カ所の演舞台あり)のひとつである博多駅演舞台にて、西空隷下部隊の西音隊が各30分、2度の演奏を実施。

 

 私は前段の部を鑑賞。天候にも恵まれた中、マーチをはじめ幅広い分野の曲目を約30名の隊員が演奏。
 司会(もちろん隊員)も、3月末に無事松島基地に帰還したブルーインパルスのエピソードや、現在放送中の関連TVドラマを題 材に、空自の広報に大いに貢献していました。

 

 その後、私は妻と「どんたく広場」(中州・天神付近)に移動して、多彩なパレー ドを堪能。五月晴れ・薫風の季節の下、西音隊の凛々しい制服姿と力強くも爽やかな演奏が印象に残る半日でした。

5月15日(水) 旧海軍航空隊跡地の訪問

 今春の空自機関誌「翼」に寄せた記事で、亡父が昭和19年末に旧海軍福岡航空隊に編入したことを紹介(「司令官雑感(3月)」に掲載)しました。

 

 先の連休を利用して、その跡地を訪問。場所は関係の文献によれば、博多駅から車で30分ほど唐津方面へ向かった福岡市西区周船寺付近。

 

 西空准曹士先任から事前に知らされていた「福岡海軍航空隊」の記念碑を、小さな公園の片隅に発見。玄海国定公園に面した糸島半島の一画で、現在は飛行場や航空基地が存在していたような面影は全くなく、宅地が整備されていました。

 

 それでも父が15歳の頃、この地で大戦末期の青春を送っていたことを思い浮かべると、感慨深いものがありました。
 周辺には、小富士海軍航空隊、玄海航空基地等、旧軍の跡地がまだまだ多くあるようです。時間を見つけて探索してみたいと考えています。

 

 ちなみに、西空准曹士先任の義父(ご健在)は私の父と同期生(第15期甲種飛行豫科練習生)だそうで、これも縁でしょうか。

5月20日(月) 同期生との会合

 私の防衛大学校・同期生(25期)は、各自衛隊入隊時には400名前後ではなかったかと記憶しています。現在は、定年退職を迎えた者も多く、現役組は少数となりました。

 

 先日、陸上自衛隊の現役同期生数名と懇親を深める機会がありました。中には、初顔合わせとなる同期生も。防大在学中、所属の大隊が異なり、任官して別々の自衛隊へ進んでしまうと、一度も会ったことがない(正確には記憶がないのかもしれません)というケースは、よくあります。

 

 それでも、防大生活の4年間を共通の思い出として持っているためか、大概は会ったそのときから会話は弾みます。それだけ4年の「時」は濃密で、話題に事欠かないということなのでしょう。

 

 互いに外見は変わってきつつ(しまった?)あります。それでも学生綱領(*参照)である「1廉恥 2真勇 3礼節」の規範は、不変のようです。

 

 あっという間の2時間でした。最後の一人と別れるまで会話が途切れることがなく、官舎に着いてからも就寝するまで、30数年前の学生時代の思い出に浸っていました。

 

*学生の行動全般を律する規範であり、道徳の水準(防衛大学校「学校案内」より)

5月24日(金) 退職自衛官の雇用と定着促進(就職援護シリーズ・その3)

 今月初旬には、退職自衛官の雇用と定着促進を設立目的とする福岡地区雇用協議会からの依頼により、福岡市内で談話を行いました。
 隊員の再就職に結びつく、願ってもない機会でした。西空でも、再就職を募集と共に将来ビジョンのひとつとして取り上げ、人的戦力の確保上の重要な事業と位置づけています。

 

 自衛隊員以外の一般の方々を対象に、私がこれまで行ってきた談話については、国内外の安全保障環境概観、わが国防衛の基本、航空自衛隊の諸活動が主体でした。

 

 今回は、設立目的に応じた題目の選定という観点で、空自の品質管理を取り扱いました。
 『空自は、保有する装備品(戦闘機、レーダー、ミサイル等)をいかに安全かつ高可動させているか』『このための隊員養成のしくみはどんなものか』『隊員の作業品質の高さがいかに任務遂行に関わりを持っているか』『隊員の品質にかかわる技能がいかに再就職上に活かせるか』について、話をした次第です。
 
 参加された関係者の方々にとって、退職自衛官を雇用する際の参考になればと期待しています。

 

 空自の基本理念のひとつに、「最先端技術と最適なドクトリンによる優位性の確保」があります。
 この理念の下、空自は次期为力戦闘機、新型レーダーをは じめとする最新技術が取り入れられた装備品を導入していくこととしています。
 このため、常に高い品質管理、優れた作業管理が求められるわけです。現場部隊においても、こうした要求に応え得る優秀な隊員の育成に引き続き力を注いでいきます。

6月3日(月) 安全保障談話のため出雲の地へ

 5月の最終土曜日、島根県隊友会の依頼により、わが国の将来における安全保障環境とこれを見据えた空自の理念・ビジョンを主体とした談話のため、出雲の地を訪問。その際、隊友会会員の方の案内で出雲大社に立ち寄る機会を得ました。

 
 今年、出雲大社はいわゆる「平成の大遷宮」の年にあたります。本殿遷座祭の日を過ぎていたとはいえ、人出が多い中、各種奉祝行事が営まれていました。

 
 拝殿に先立って遷宮(*)の説明を受けました。大社の屋根部及び木部の修造に当たっては、将来的に特に檜をはじめとする所望の材木の確保が重要とのこと。
 そのためには百数十年先を見据えた上での長期的見積もりと計画的な植樹が大切ということでした。


 期せずして、確固たるビジョンを持つことと、実現するための具体的な措置を講ずることの重大さを、ここでも認識することができまた。


 また、いただいたパンフレット中には、『御祭神の大国主大神といえば、「縁結びの神さま」と広く信仰をお受けになっています。「縁結び」は、単に男女の縁ばかりではなく、誰もが幸福であるように縁-つながりを結んで下さること』とあります。
 
 これまでも本雑感の中で、縁についていくつか記述してきましたが、出雲大社の訪問をきっかけに、今後もさらに隊員と地域住民の方々とのつながりが広がっていくことを切に望みます。


*「御遷宮とは、ただ国宝御本殿をはじめ諸建造物を御修造するという形に表れることにとどまらず、その形に籠もる歴世の先人たちより受け継がれ育まれてきた日本の心を、継承し、後世に継ぎ伝えていくもの。」(出雲大社作成のパンフレットより引用)

6月5日(水) 「平田延命地蔵尊」の参拝

 昭和44年5月11日、築城基地を離陸し たF86F戦闘機5機のうち3機が、島根県平田市(現在、合併して出雲市)の槍ヶ崎山山頂付近に墜落。各機の操縦者計3名は殉職。飛行の目的は、空自・美保基地開庁11周年の祝賀でした。

 

 出雲市内で談話した翌朝、隊友会の方の案内で、その慰霊の地を訪ねることができました。事故後に墜落現場付近に建立(昭和63年に現在の場所に移設)された「延命地蔵尊」とその周囲は清められ、 慰霊祭の余韻がありました。

 

 「延命地蔵尊」は、事故の翌年2月、殉職隊員の冥福を祈るために、地元の 方々から建立の発意がなされ、建立委員会の設立を経て一周忌には開眼供養が営まれたとのことです。

 

 今日に至るまで地元の方々をはじめ関係の皆様には、環境整備から法要まで献身的な活動をいただいています。西空司令官として、空自隊員の一人として、心から御礼申し上げます。

 

 今年の慰霊祭当日には、好天の下、築城基地からF15×4機による慰霊飛行を行いました。その様子は地上からもよく見えたそうです。

6月10日(月) 空自OBとの出会い

 空自の現役隊員は、「つばさ会」(*)という名称の空自退職者団体による絶大なる支援を受けています。先週末、博多にて「九州つばさ会」総会が開催。
 引き続き行われた懇親会には、在福岡の空自基地 から私をはじめ主要幹部が現役の代表として参加させていただきました。

 

 参加OBの中には、私が尉官の階級にあった時代に厳しくも愛情を持って鍛えていただいた先輩が何人もおられ、緊張しながらも懐かしさに満ちた時間を過ごすことができました。

 

 話題は尽きず、時間を延長。閉会前にはOB、現役共に肩を組み、「航空自衛隊歌」と「浜松航空隊歌」をそれぞれ4番まで熱唱。大いに盛り上がった次第です。

 

 現在、九州つばさ会自体の会員数は、約260名と聞き及んでいます。今後、会員数が増加の一途をたどり、現役に対する協力及び支援の諸活動をいっそう活発化されんことを期待しています。

 

*会の目的:「会員相互の支援及び親睦を図るとともに、必要に忚じて航空自衛隊の諸業務に対する協力及びその活動の支援を実施し、併せて社会に対する貢献等を行い、もって会員の福祉と航空防衛力の発展に寄与すること」

(つばさ会パンフレットより引用)

6月14日(金) 防大アメフト部、交流戦で来福

 防衛大学校在学中、私はアメリカン・フットボール部に所属。もう30年以上も昔のことです。

 

 今月初旬に防大アメフト部が、創部以来初めての九州遠征。9日日曜日、九州の雄・西南学院大学(2年連続で九州リーグ優勝の強豪校)との交流戦が同大学専用競技場(田尻グリーンフィールド・福岡市西区)で行われました。

 

防大チームは学業に影響のない週末利用というスケジュール的には強行軍で福岡入りしたようです。前日には合同練習。当日の交流試合はあいにくの雨の 中となりました。結果的には、チーム力及び個人力に勝る西南学院大学が完勝。

 

 防大アメフト部の後輩には、今回の結果を真摯に受け止めた上で、さらなる練習を積み上げ、秋季リーグにおける一部昇格を目指すことをOBとしては切望します。4年間の部活動を通じて、勝利を追い求める強い闘争心を養うことを期待します。

 

 この試合中、私は他のOB及び学生父兄の方々と共にサイドライン脇で傘を開いたり閉じたりの中で応援。
 この間、学生時代にアメフト選手として勝利に歓喜したり、敗戦に涙したり、また土日や夏季休暇を練習に費やした青春時代を回想することができました。防大アメフト部の後輩に感謝!

6月19日(水) 西空オピニオン・リーダーによる美保基地研修

 西空では毎年オピニオン・リーダー(*) の部隊研修を実施しています。今回の研修先は、鳥取県に所在します美保基地。ここには、航空支援集団隷下の輸送機部隊等が配置されています。

 

 同基地が西空の担任防衛区域内にあり、平素から任務遂行上の密接な関係を有していること、また26年度に次期輸送機・C-2の配備が計画され、将来的に骨幹輸送の基盤飛行場となること等から、研修先に相応しいのではないかと参加者の方々に打診し、理解を得たものです。

 

 福岡(板付)~美保基地間の移動時も含め日程の全般において、梅雨の晴れ間に恵まれたのは何よりでした。天候もさることながら、美保基地司令をはじめ関係隊員による細部にわたる配慮をいただき、この場を借りてお礼を述べさせてもらいます。

 

 参加された全ての方が、初めての美保基地訪問であったため、特にC-1輸送機による物料投下訓練(空自基地内では唯一の訓練場)の展示の際には、  興味深く質問されていました。

 

 基地研修の最後の頄目として、西空ビジョンに関する説明をした上で、隊員の 福利厚生の充実並びに退職自衛官の再就職施策について意見交換の場を設 けました。わずか半日ではありましたが、自衛隊側も含めて参加者一同にとっ て、実に有意義な研修となり所望の成果があげられたと感じています。

 

*参考:司令官雑感の「オピニオン・リーダーとさっそくの安全保障談義」(24. 8.30)

6月28日(金) 初の基地等訪問シリーズ(下甑島分屯基地)

 担任する防衛区域周辺の諸情勢を考慮して、これまで時期を見計らっていた下甑島分屯基地の初度視察を梅雨の晴れ間に敢行しました。
 CH47(春日ヘリ空隊所属)に搭乗して福岡空港(板付)を離陸。 佐賀空港、長崎・雲仙普賢岳、熊本・天草空港を進行方向の左側に確認しなが ら、約1時間の飛行でした。

 

 下甑島分屯基地は、鹿児島県薩摩川内 市下甑島に所在。ヘリから見た島自体の印象としては、他の離島サイトに比較するとやや急峻な地形のように感じました。

 

 この基地の第9警戒隊が運用しているのが、空自が所有する地上配備型の警戒監視レーダーでは最新のFPS-5です。
 ちなみにFPSは地上固定式捜索 レーダーを、「5」の番号については日本で開発された5番目の国産レーダーをそれぞれ意味します。

 

 現在空自は4カ所のレーダーサイトでこの型式のレーダーを運用しています。下甑島以外では、北から佐渡(新潟県)、大湊(青森県)、与座岳(沖縄県)とな ります。
 その最初の配備先が下甑島・第9警戒隊で平成21年のことです。いまや同レーダーは弾道ミサイル防衛においても要的な存在です。

 

 昨今の北朝鮮事案において、常続的な警戒監視の任務を遂行しています。勤務する隊員からは警戒監視をはじめとする各種任務の遂行上の強い自負心と頼もしさを感じ取ることができました。

7月1日(月) 『魁』のレーダーサイト(下甑島分屯基地編その2)

 表題に触れる前に、西部航空警戒管制団の新編にかかわる経緯について少し説明します。

 
 昭和29年10月、米空軍からわが国の防空組織を引き継ぐための要員教育とレーダーサイトへの展開を任務とした西部訓 練航空警戒隊という部隊が陸自福岡駐屯地内において新編され、航空警戒管制部隊の基盤が確立されました。

 
 昭和36年7月15日、それまでの西部航空司令所に代わり西部航空方面隊司令部が、また同日付で西部航空警戒管制団が、それぞれ新編。その後、各警戒隊はそれぞれの固有ナンバーを付与されることになったようです。

 

 このように、米空軍からレーダーサイトの運用業務が逐次空自に移管されていく中で、下甑島が空自全レーダーサイトのうち第1号であったことを隊長の報告から知ることができました。米空軍が昭和29年に下甑島で当時のレーダーを運用開始してから3年半後の昭和33年5月のことです。

 
 「魁」の記念碑が本部庁舎に間近いところに設置(平成3年10月)されていま  す。ぜひ何事にも先んじるとの精神を、片時も忘れることなく、任務に邁進してもらいたいと思います。

7月5日(金) 女性の心意気

 先月下旬になりますが、福岡県防衛協会女性部会総会行事に出席させていただきました。終始、華やかな雰囲気で、今年も昨年同様に会員の皆様による積極的な活動が計画されていました。

 

 福岡県防衛協会女性部会が設立されたのは、平成13年とのこと。当時、日本社会では男女共同参画の観点から、色々な見直しが行われた時代であったと記憶しています。

 

 こうした時期に、全国の各地において防衛協会婦人部会も女性部会へと名称変更されたようです。ちなみに私が基地司令として勤務していた千歳の女性部会は、平成12年に変更されています。

 

 では、自衛隊の中ではどうだったのでしょうか。
 朝霞に所在します陸上自衛隊婦人自衛官教育隊は、平成15年4月に女性自衛官教育隊に名称変更。
 自衛隊組織に先がけて名称変更されたという点で、各地で自衛隊部隊への協力支援をいただいている女性部会員の皆様が、いかに積極進取の気概を持っておられたかということをうかがい知ることができました。
 福岡県女性部会の設立時にも、先のような時代背景があったのではないでしょうか。

 

 女性部会の皆様による心温まる気配りや親身な活動に感謝するとともに、今後とも、女性、母性の観点で自衛隊、自衛官に対するご支援ご協力と、地域に あっては一層の防衛思想の普及啓発にご尽力いただくことを願ってやみません。

7月10日(水) 各種演習による鍛錬

 先月から今月初めにかけて、西空は独自の指揮所演習の実施に引き続き、統合幕僚監部が主催する統合防災演習(「南海トラフ巨大地震」を想定した図上演習との位置づけで7月3日付で一部報道あり)にも、私をはじめ司令部勤務者全員が参加しました。

 

 指揮所演習及び図上演習については、実地に部隊等の全部又は一部を活動させる「実動演習」とは異なり、事前に設定されたシナリオに基 づき関係部隊の指揮運用を模擬して行うものです。

 

 特に、大規模災害事態発生の際、中央と部隊の間の中間的な指揮所を司る西空司令部等にとっては、生起した状況に適応した部隊活動のための『知恵出し』を行う上で、とても良い鍛錬の場です。

 

 平素からの「頭の体操」を実施することにより、実践の場で臆せず気負うことなく最適対処を繰り出すことが可能となるわけです。

 

私自身、これまで日米指揮所演習をはじめ比較的多くの指揮所演習及び図上演習に参加する機会を得てきたほうだと自認しています。こうした経験が、今 日の様々な事態に対処するための判断力に繋がっているのではないかと思います。

 

 また各種演習では、指揮官及び幕僚の個々の能力向上もさることながら、やはり司令部内、関係部隊間といった組織(連携)力が最も肝心です。このため、常日頃から各種演習を実施し、常に高い組織力を維持することが重要です。

7月16日(月) 健康維持は部隊食のおかげ

 先月末、自衛隊病院にて2日間の健康診断を受けました。いわゆる人間ドックです。結果として「異常なし」でしたので、引き続き思う存分職務に精励することができます。

 

 入院中、検査の合間にテレビを観ていたところ、厚生労働省が外食を含めた健康な食事のあり方検討に取り組むとのニュースが流れていました。

 

 ネットで調べると、長生きするための食事についてのわかりやすい基準作りが 目的とされています。
 従前からも、日本人の食事摂取の基準が取り沙汰されていましたが、近年において少子高齢化、核家族化、仕事・生活の不規則化が進んだことに伴って、できあいの総菜や外食がより利用され始めたことを反映してのことだと認識しています。

 

 現在、私は単身赴任中です。平日の食事については、自衛隊内で専門の隊員(給養員)が調理する食事をとっています。
 もちろん有料です。私が現職で健康を維持できている大きな要因のひとつとして、定められた時間帯での部隊内喫食が挙げられます。

 

 航空自衛隊の部隊食は、専属の栄養士により定められた予算の中で、カロリー計算がなされ、栄養に偏りのないように配慮されています。しかも、献立数も豊富で何よりおいしいです。

 

 先述の国レベルでの食にかかわる検討において、自衛隊給食の現状等を参考にしていただくというのはいかがでしょうか。

7月19日(金) 恵まれた環境下にある春日基地

 先日、今夏異動及び退職する幹部の送別を目的とした春日基地幹部会が基地外の施設を利用して開催されました。以下は、その際の私の挨拶を一部記載したものです。

 

 「転出する人も引き続き勤務する人も、春日基地での勤務及び官舎を含む周辺地域での生活をどのように感じているでしょうか。もちろん、空自73基地等、いずれも配置先となれば「住めば都」。その中で楽しくもあり、辛くもある体験をすることに変わりはないかもしれません。

 

 もう15年以上も前になります。六本木(市ヶ谷移転前の防衛庁所在地)で勤務していた時、上司が空自のどの基地が一番勤務し甲斐があったかを話題にしたことがあります。時の上司は操縦者でしたので、「一、二番   は小松、千歳」と主張。私自身も数年の後、両基地に勤務してみて諸環境の良さを実感しました。

 

 その一方で、隊員アンケートに基づく監察結果では、最も業務多忙の上位に、先の二つの基地があげられたこともあります。 
 これらから言えることとしては、仕事が人一倍忙しくとも、勤務・生活の各種環 境が整っていたり、職場の雰囲気や人間関係が良好であったりすれば、配置 先基地での勤務は充実していたという印象を記憶に留めることになるのではないかということです。

 

 こうした観点では、春日基地は、福岡県の経済、文化、教養、交通、エンターテイメント等、各中心圏内に所在する、諸環境に恵まれた基地のひとつです。
 また、基地内においても基地司令をはじめ基地所在部隊長及び各准曹士先任を中心にした良好なコミュニケーションのおかげで、勤務上も各部隊の隊務運営が円滑にできていると感じています。

 今後とも、有り難い勤務及び生活の基盤の上に立って、私達幹部自衛官がこの春日基地で勤務する全ての隊員の団結をより深めていく原動力であり続けましょう。」

7月22日(月) 初の基地等訪問シリーズ(土佐清水分屯基地)

 土佐清水分屯基地は、空自における72 番目で四国初の基地等として平成7年に新設。現地で勤務する隊員は、少人数ながらも協力し合って通信中継所としての役割を果たしてきています。

 

 近年では、南海トラフで生起する東海・東 南海・南海地震への備えが大きな課題となっているのはご存じのとおりです。この点でも西空としては、四国唯一の空自基地等である当該分屯基地の存在を重要視しています。

 

 アンテナ等が設置されている中継所地区及び隊庁舎がある管理地区は、地形的に比較的高い所に位置しています。したがって豪雨による洪水や想定され る津波等の各種被害から、わずかな地積ではありますが、安全地帯を確保することが可能とも考えられます。

 

 今後は、南海トラフ関連防災上の拠点として当該分屯基地を活用することにつ いて検討を進めていきます。

 

 特に、回転翼機を用いた航空部隊を投入した際の運用要領の整備(先の両地区内に場外離着陸場が整備済み)と被災者受け入れ等を見越した施設の充 実が重要との強い認識を今回の視察で持ちました。

7月24日(水) 初の基地等訪問シリーズ(高尾山分屯基地)

 平成15年3月、それまでの警戒群編成から、任務変更に伴い人員規模を縮小した現在の警戒隊へ改編。同年4月には当時最新式のレーダーであったFPS-4を、他警戒管制部隊の先陣を切って高尾山分屯基地が運用を開始しています。

 

 それから10年の時が経過。今回の訪問では、レーダーをはじめ保有する装備品等の運用について安定期に入ったとの印象を受けました。また、隊務運営に関しては、特に服務及び安全管理に重点を置いた各種改善活動に積極的に取り組む姿勢がみてとれました。

 

 当該分屯基地の勤務環境上の特徴のひとつに、空自・美保基地及び陸自・米  子駐屯地が近傍に所在することがあげられます。第3輸送航空隊が基地運営を行っている美保基地から、隊員の各種教育、福利厚生等の業務について協力・支援を得ているのは、他のレーダーサイトにはない恵まれた点です。

 

 また、米子駐屯地に所在する第8普通科連隊との間では、効率的な協同基地  訓練のほか、警備火器射撃訓練に対する支援を得て射撃能力の向上につながっているようです。

 

 一方、個人訓練に関しては十分な地積がないことから、当該基地外での訓練  及び計測を強いられているのが現状です。こうした制約は、離島に限らず分屯基地に配置されている多くの部隊が共通の課題として抱えているものでもあります。

 

 離隊前に所属隊員と歓談する場が設けられ、特に寛いだ雰囲気の中で准曹士との会話ができたのは私にとって幸いでした。今後とも「明るく、強く、プロらしく」との隊長方針のもと、第7警戒隊が健全にして、より精強な部隊であり続けることを大いに期待します。

7月26日(金) 初の基地等訪問シリーズ(第7移動警戒隊)

 美保基地(鳥取県境港市)には、現在第3輸送航空隊をはじめとする6個の部隊が配置されています。このうちの一つが、西部航空警戒管制団(以下、西警団)隷下の第7移動警戒隊です。

 

 移動警戒隊とは、地上固定式のレーダーサイトが故障等した場合、その運用中断対処のため、機動展開による代替の警戒管制等の機能を発揮することが求められている部隊です。西警団隷下においては、他に第3移動警戒隊が春日基地に所在しています。

 

 ちなみに、空自全体では、西空の2個隊以外では北から項番に千歳、入間、那覇の計3個隊が任務に備えています。

 

 第7移動警戒隊は、昭和60年10月美保基地にて新編。以来28年にわたり、主に九州・沖縄方面においてレーダー運用の中断対処の任に当たってきました。

 今後は、より効率的な航空警戒管制部隊の運用といった観点から、当該部隊は現有の装備品等を、他の移動警戒隊に管理換えを行った後、最終的に部隊改編(整理)を迎えることになります。

 

 隊長の報告によれば、現時点では改編事業については項調とのこと。しかし、 私も経験しましたが、部隊整理は部隊新編以上に配慮を要する事業と言えます。
 突発的に生じる課題があれば、各人の業務負担となることでしょう。各人にとって部隊への思い入れから寂寥感もつのることでしょう。部隊転属にも少なからぬ不安もあるでしょう。

 

 有終の美を飾るためにも、ぜひ所属隊員が一致団結して引き続き改編業務が安全な上に整斉と行われていくことを祈念しています。

7月29日(月) 初の基地等訪問シリーズ(高畑山分屯基地)

 今回の訪問は、西空司令官の職としては初めてでしたが、個人的には2度目となります。ちょうど20年前、西空幕僚長(現在の西空副司令官職に相当)の随行者として、新田原基地と併せて高畑山分屯基地を訪問したのが前回。

 いずれの時も天候に恵まれ、隊庁舎地区から都井岬及び恋ヶ浦方面を、またオペレーション地区等からは志布志湾、桜
島方面の素晴らしい景色を眺望することができました。関係施設及びレドームの老朽化を除けば、タイムスリップした感さえありました。

 

 第13警戒群が現在使用しているFPS-6Sと20Sについては、それぞれ昭  和59年と60年に運用開始。現在では、空自が保有する固定式レーダーでは最も旧式のものです。昨今の西空が担任する防衛区域周辺の情勢に鑑みれば、早期に新レーダーの整備が必要となります。

 

 当該分屯基地内に点在する各施設を巡回してみて、思いの外老朽化が進んでいること、器材換装には他基地等以上に周到な計画を要することを再認識 しました。
 現場部隊だけに施設工事上の負担をかけぬよう検討の段階からその進捗について掌握していくべきと考えています。

 

 夕刻、防衛協力関係団体の方々並びに多くの隊員との懇親の場に出席。3時間にわたり隊務への取り組み等について意見交換を行うことができました。中でも空士諸官との車座になっての対話は、実に楽しく、この上ない喜びを感じた次第です。

 

 翌朝、場外離着場からCH47により離隊。隊庁舎直上を通過する際、ヘリのロードマスターに促され屋上で見送る隊員の姿を眼下に確認できました。「P13」の人文字での見送りは、高畑山訪問の良き思い出となるとともに、統率上の責任の重さを痛感することにもなりました。

8月1日(木) F-4EJ改・搭乗による対領空侵犯措置訓練の視察

 現在、新田原基地に配置されている第3 01飛行隊は、今年10月を以て創隊40 周年の記念すべき時を迎えようとしています。これに伴い当該飛行隊が所属する5空団から、記念誌に掲載する祝辞の依頼を受け、既に提出したところです。

 

 原稿作成の段階で関連資料を通じてF-4部隊の輝かしい歴史を垣間見ることができました。

 これをきっかけに、新田原基地においてF-4EJ改による搭乗視察を計画。飛行訓練の内容は「領空侵犯に対する措置」の演練。
 私自身は領空侵犯役訓練機の後席にあって、一個編隊による一連の活動(無線による警告等含む)を体験した次第です。

 こうした戦闘機の搭乗のほかに、弾薬搭載、機体整備、基地警備等、5空団の 任務遂行にかかわる为要業務を確認することもできました。濃密なスケジュールの中で極めて有意義な機会でした。

 5空団については、隊務運営の中で、特にF-4EJ改の減勢管理とアラート待機・練成訓練の吻合を高く評価しています。団司令を中心に3群が、各隊が一丸となって取り組んでいるからこそ、過酷な訓練環境のもとでも操縦者技量の維持、航空機の高可動率の確保を成し得ているのだと確信しています。

 引き続き、積極進取の熱意と気概を以て任務遂行に精励してもらうことを切に要望します。その一方で、次期戦闘機の導入促進を図る必要性もあらためて認識させられた一日となりました。

8月9日(金) 「司令官雑感」の終わりに当たり

 今月22日付をもちまして、西部航空方面隊司令官の職を離れることになりました。これまで「司令官雑感」に目を通していただいた方々には心から感謝いたします。

 

 昨年7月着任以降、部下隊員に対しては指揮官の『顔』が見えることを、また  自衛隊以外の方には隷下部隊の活動状況等を理解していただくことを目的に、方面隊司令官の立場にある者としての様々な考えや思いを掲載してきました。
 今回でちょうど100編となりました。

 

 今後とも、西部航空方面隊の益々の発展とこのホームページをご覧になっている皆様のご健勝とご多幸を祈念申し上げます。

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