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理想の指揮官像

『理想の指揮官像』(2018年8月奈良幹部候補生学校での福江広明による講話から)

 これは、奈良基地・幹部候補生学校からの依頼に基づき、「理想の指揮官像」という題目で指揮官教育の一環で対面講話(2018年8月20日)した際のレジメです。
 あくまでも福江広明個人の体験等を踏まえた記述内容ですが、それぞれの立場で指揮官像を追い求める方々の役に立てばとの思いから、掲載しました。
 今回は、レジメのみですが、年明け1月以降、数回に分けて口述文を掲載できればと考えています。

 

1 はじめに

(1)「理想の指揮官像」…『未だ現実には存在しないが、実現を目指す上での指揮統率の究極目標であり、指揮官の最上級形態。あらまほしき、あるべき部隊指揮官の実像を飽くなき追求するための原動力』

(2)理想の度合いは、自らの能動的行為によって段階的な高まりと共に変化。例えば、『憧』『敬意』から、知識・経験に基づく『自律心』『探究心』『研鑽力』

(3)理想に向かう一歩として、必要不可欠な“顔の見える”指揮官になるために何をなすべきか。そして、命令と服従が真価を発揮するための要件とは何か。

 

2 幹部候補生学校の生活から得た“道”

【ルール1】:先人の薫陶、教訓を真摯に貪欲に学ぶべき。この際、決して受身にならず、自らがそれら宝庫を探り当てようとする意識・行為が重要。

(1)定年後も持ち続ける幹部候補生学校作成の補備教育資料…「山の辺の道」

(2)記載内容は、いかなる時代にも色褪せず、指揮統率のエッセンスが凝縮。

(3)本冊子は、自らを律し、部下を服務させる上でのガイドライン的存在。

 

3 最初の指揮官職にて実践開始:第20高射隊長兼ねて八雲分屯基地司令

【【 【ルール2】:部下たる全ての隊員、加えて家族等に対して、指揮官としての性格、能力、態度、思考、気性等を知らしめる努力こそが健全な隊務運営の基礎。

(1)“顔の見える”指揮官になるための第1歩…練りに練った指導方針を明確に。

(2)部隊指揮官となるための活動(初動)…隊員、装備、施設の掌握。

(3)統率に繋がる活動(第2弾)…任務、プライベートを問わず諸事に関する自らの方針、考え方、所見を雑感として作成、閲覧。

 

4 理想の指揮官像となるための手法との出会い:航空幕僚監部防衛課研究班長

【  【ルール3】:与えられた職務・責務に基づく、基本理念、ビジョンを文書として製作することを自らに課す。あらゆる機会を活用して部下に語るべき。

(1)職務の一つとして「航空長期見積り」の策定を担任。基本理念、ビジョン、ビジョン実現のための具体的施策等から構成。

(2)「理念」は不変の価値観。「ビジョン」は、あらまほしき姿。「現場(力)」は、機能発揮の担い手。

(3)製作のみに終わらず、部下隊員への周知徹底を図ることが大事。

 

 

5 初の戦闘航空団勤務にてビジョンのモデル化挑戦:第6航空団基地業務群司令

【ルール4】:ビジョン等の作成については、着任後すみやかに(3か月基準)実施するとともに、前任者からの、及び後任者への継承が極めて重要。

(1)長期航空防衛戦略の策定に関わった経験と“顔の見える”という指揮官像との融合を試す。

(2)着任後、3か月の期間の中で3年後のあるべき姿の部隊運営を目指し「○○○○の将来展望」というタイトルで伺い文書を作成。

(3)全ての部下隊員にビジョンの徹底を図るには、相当な労力を要す。一方で年度計画に基づく日日及び週間の業務処置では目先の対応に陥りがち。

 

6 「部下を安んじせしめる」ための要件:第2航空団司令兼ねて千歳基地司令以降

【ルール5】:「一身上の快適性、一身上の安全性」について最大考慮すべき。指揮統率にあっては、部下が最大能力を発揮できるよう、衣食住にできる限り配慮するとともに、脅威に晒される中でも部下が身の安全を図れるよう熟慮することは、任務を全うする上で最も肝要。

(1)理想像を追及し続ける中で、自らの指揮統率のスタイルが少しずつ定着

(2)教範「指揮運用綱要」(第1章指揮の第1項「指揮官の権限・責任」の解説の解明に拘り続け15年以上。

①本文:『…指揮官は、任務を最も積極的、かつ、効果的に遂行するとともに、常に部下を訓練し、装備、施設等を良好に管理し、かつ、部下の安全と福祉を図り、もって精強な部隊を育成することが必要である。』

②解説:『指揮官が唯一の責任者であるからこそ、部下は安んじてその指揮に服し任務に専心し、…指揮官は自己の意図に基づいて指揮できるのであり、ここに指揮の尊厳性がある。』

(3)自らの結論:「部下部隊にとって、厳しい任務遂行環境であればあるほど、衣服、食事、宿舎、衛生を蔑ろにしてはならず、また部下の安全確保に最大留意し、彼らは勝利に導き、母基地に生還させること」

(4)自らの結論を導いたのは、先人(前大戦の生存者)による書き下ろし著書や談話・講話によること大。それを裏付けたのが自らの部隊経験(東日本大震災対応、北朝鮮の弾道ミサイル対処事案等)

 

7 「山の辺の道」の影響を受け「安全」に対する自らの考えを集大成

【 【ルール6】:人はすべからく、常に順風満帆な人生や勤務ばかりではない。人の“痛み”は自らの強烈な“痛み”を経験することでわかる。指揮官は常に危機管理意識を抱きつつ、決して心を折ることなく難事の打開策に当たるべき。

(1)「飛行と安全」の存在、昭和31年の創刊以来62年が経過。そこには、幾多の先輩の指導・教訓、並びに指揮の要諦が記載。

(2)「飛行と安全」の巻頭言を、現役時代に「安全意識の根底」という表題で計3回シリーズとして寄稿。

(3)「安全意識の根底」(2009年3月号・第2航空団司令)

①生命は尊くも、儚きもの②事故発生の見極めに躊躇せず③平素から態勢及び装備に万全を期す④状況の変化に最適対処を繰り返す⑤最後に

(4)「続・安全意識の根底」(2013年6月号・西部航空方面隊司令官)

①安全意識の更なる定着化に向けて②試練、再び③既定のマニュアルに依存しない改善の意欲④安全の意識高揚は現場から⑤安全は組織の理念、その万全は使命

(5)「続々・安全意識の根底」(2016年4月号・航空総隊司令官)

①指揮統率上、安全に募る思い②身命を賭す覚悟③先人に学ぶ④部下が安んじて服するが指揮⑤指揮の集大成を迎えて

 

8 洗練された訓示等は、士気の高揚に直結

【ルール7】:訓示は、部隊等の叱咤激励を指揮官が実施する上で、極めて有効な手段。積極的に活用すべき。ただし、至短時間、簡明な内容にしてインパクトがあるものでなければならない。

(1)訓示、講話、挨拶等、部内外において自らの意を表する機会は、求めて得るべき。その際、自ら案出し脱稿するのが原則。自らの言葉で語りかけるべき。

(2)最終補職であった航空総隊司令官時代には、部下への発信手段を充実。従来の司令官雑感、年頭の辞、半ばの辞に加え、総隊が関わる主要事業に関するメッセージを作成、部隊回覧。

(3)BMD統合部隊指揮官としての訓示は、関係部隊全てが緊迫、緊張を強いられた中で任務完遂を強く意識して実施した最も記憶に残るもの。

 

9 結びに

【ルール8】:指揮官は、部下部隊の評価を素直に受け止め、理想との格差分を埋めるフィードバックをかけ、さらなる高みへ駆けあがることが大切。

(1)理想の指揮官とは、「はじめに」で定義したとおりで、常に理想像を追い求める姿勢が必要であり、夢想や妄想ではなく現実を見据え、ひたすら部下部隊の事を考え抜くことが重要。

(2)自らが段階的に高き理想を掲げ、知識・経験を積極的にインプットし、自らが練り上げた成果を、自信をもって部下・部隊等にアウトプットすべき。

(3)理想の指揮官像を追求する心構えと姿勢は、定年後の人生を大きく左右するものである。現役時代は意外と短く、鍛錬の機会は多くはない。

(4)恩師の言葉…『戦機一瞬 常備不断』

以上

「理想の指揮官像」についての口述文その1:レジメ1~3に対応

 以下は、講話前に作成した口述原稿を基に記載しています。
 ただし、オリジナルから冗長な部分を削除するとともに、要約ぎみに文章量を少なくしています。

1 はじめに

〇今日、幹部候補生学校において勉学・体力練成に精励する学生諸官、おはようございます。(中略)
 今朝は宿泊先の近傍を30分ほどジョギング。特に今朝は心が弾んでいる自分がいました。なぜならば38年前の自分に、そして同期生に会える錯覚があったからです。
 自衛官として最初の修練の場である母校において講話できることは、OBの身の上になった者にとって、誇りであり、誉です。この点において学校長をはじめ学校関係者各位に心から感謝申し上げます。

〇学校からいただいた命題は、「理想の指揮官像」。私なりの解釈をレジメに記載しましたが、『未だ到達していないが、実現可能を目指す上での指揮統率の究極目標であり、指揮官としての姿の最上級形態。そして、あらまほしき、あるべき部隊指揮官の実像を飽くなき追求する原動力』だと私は理解します。
 平たく言うと、「最も望ましい部隊指揮官の具体的イメージを持つこと、と同時に、そのイメージをしっかり持つことが実現に向けて自らを突き動かす力になるというものです。当然のこととして私自身も36年間の現役時代にその理想像を常に追い求めた一人です。

理想像の追求は、変化を伴いつつ、通常は高みへ向かいます。

 私の場合、防大の学生時代は、指導官の姿に、候補生学校では区隊長の言動にそれぞれ憧れを持ち、敬意を表していました。今思えば、その時のそれぞれが理想像であったように思います。
 その後、勤務年月を経て数百名、数千名と部下部隊の規模が大きくなるにつれ、世に名をはせた指揮官に強い魅力を感じ、自らの姿を重ねて指揮統率について深く考えるようになりました。
 私の場合、コリンパウエルはその対象の一人でした。「リーダーを目指す人の心得」は何度となく読んだものです。

〇今日は、私が理想の指揮官像に近づこうと、達しようと試行錯誤した36年の代表的な行為を紹介しようと思います。
 そのことによって、諸官たちが38年前の私よりもずっと高い理想を現時点で持つことができるのではないかとの期待をします。私は退官して社会人となった今でも理想のリーダーシップを追い続けています。
 サミエル・ウルマンはこう言っています。「人は年月を重ねたから老いるのではない。理想を失うときに老いるのである」と。つまり理想を追求する姿勢維持は、老化防止にも効果てき面ということですかね。

 

2 幹部候補生学校の生活から得た“道”

 それでは、指揮官教育にかかわる講話を始めましょう。まずレジメの2番です。時期は皆さんと同じ幹部候補生学校在学期間です。

【ルール1】 先人、先達の薫陶、教訓を真摯に貪欲に学ぶべき。この際、重要なことは受け身にならない、自らがそれらの宝庫を見つけ出そう、探し出そうとする意識・行為こそが重要である。

 

〇このルール1を意識した時期、背景、理由等を説明していきます。

 最終補職であった航空総隊司令官を退職する直前、私はすべての業務資料をシュレッダー等により破棄。その中には幹部候補生学校の学生時代に使用した教範類も結構ありました。ただし、この冊子【添付画像①参照】だけは補助教材であったこともあり、手元に残すことにしました。

〇その「山の辺の道」、当時の学校長の巻頭言【添付画像②参照】には、次のような下りがあります。

 「この道は、自らの足で一歩一歩踏みしめながら歩いて味わういにしえの道であり、また、そうすることによって先人の残した何ものかを探り当てることのできる心の道である。人々は、この道を「山の辺の道」と呼んでいる」と。

 なぜこの補助資料を大切に使用保管し続けのか、わかりますか。そこに、いかなる時代や情勢下にあっても、色あせない、指揮統率のエッセンスが凝縮されているからです。

〇いずれにしても、この冊子は私にとって自らを律する上で、部下を服務させる上でガイドラインであったわけです。もちろんそのことをはっきりと認識したのは、学校を卒業して10年以上経ってからのことではなかったでしょうか。

 つまり、何に啓発されたのか、何に刺激されたのか、何に影響を受けたのか、何に感化されたのか、部隊経験もない時には見当がつくはずもありません。
 しかし、間違いなく、自らの拠り所にしよう、部隊勤務上の不安、不満の解消にしようという意思が芽生えたのはこの時期(幹候校時代)です。 
 ルール1を繰り返します。ここで大切なのは、先人、先達の薫陶、教訓を真摯に学ぶことなのです。この際、重要なことは受け身にならない、自らがその宝庫を見つけることなのです。

 

3 最初の指揮官職にて実践開始:第20高射隊長兼ねて八雲分屯基地司令としての勤務時代

 次にレジメの3番に移ります。最初の部隊指揮官の時代です。

  
【ルール2】 部下たる全ての隊員、加えて家族等に対して、指揮官としての性格、能力、態度、思考、気性等を知らしめる努力こそが健全な隊務運営の基礎であるのです。

 

〇平成9年6月30日付で私は20高射隊長兼ねて八雲分屯基地司令に着任します。2等空佐になってようやく初めての指揮官配置だったので、嬉しくて仕方がなかったことをよく覚えていますし、とても遣り甲斐に満ちていました。 
 着任の辞や離任の辞【添付画像③参照】を、いまだにこうしてとってあるぐらいに。
 ちなみに、着任時に指導方針として3点述べています。①戦闘員としての意識付け、作戦体質の保持、②組織行動を最重視、③共存共栄)この八雲での1年半は、顔の見える指揮官を強く意識することを念頭に置いていました。
 自らが率いる高射隊はもちろんのこと、基地所在の他の2個隊、そして基地協力団体等に対しても積極的に足を運び、顔見世を行ったものです。
 

〇新着任時は、覚えることが山ほどあります。多くの部隊指揮官が共通して行うのは、まず部下等の氏名、所属を覚える。そして、基地内の各施設状況をつぶさに観察することです。
 加えて、私は朝礼を大いに活用しました。部下の目にさらされながら訓示することによる度胸付けと、自らの様々な思い、考え方を直接的に知らしめることを目的として行いました。。
 しかし、それでも顔の見える指揮官を目指すという目標にはなかなか届いていないような感じでした。なぜならば、クルー勤務する隊員が多く、全員が一同に会する機会があまりなかったからです。

〇そこで、顔の見える指揮官追求策・第2弾として一計を案じました。それはなにか。シンプルです。文書を作成して回覧形式にしてはどうかと考えました。
 この方式だと全員が眼にするまでショップ、事務所において置けばよいのですから。それからというもの、毎月1篇以上を作成、加えて基地の所在部隊とのコミュニケーション及び信頼関係構築のために基地新聞も自ら編集しました。内容的には、プライベイトな事柄から、演習訓練の心構え、年頭の辞までです。
 スクリーン上の「隊長の雑感」【添付画像④参照】がそれです。ここで重要なことは、ルール2の繰り返しとなります。
 全隊員が私自身の性根、性格をはじめ指揮統率の方針及び指導要領を具体的に理解してくれること、そのことを同僚や家族と会話し、良くも悪くも指揮官のことを語ってくれることなのです。こうした
雑感の作成は、異動先ごとで定年になるまで続けることになります。

①当時の教育用補助教材
②教育用補助教材「山の辺の道」の巻頭言
③離任の辞(「隊長の雑感」からの抜粋)
④「隊長の雑感」中のひとつの頁

「理想の指揮官像」についての口述文その2:レジメ4~6に対応

 以下は、講話前に作成した口述原稿を基に記載しています。
 ただし、オリジナルから冗長な部分を削除するとともに、要約ぎみに文章量を少なくしています。略した部分が多々あるため、脈絡に若干難があります。


4 理想の指揮官像と近づくための手法との出会い:航空幕僚監部防衛課研究班長としての勤務時代
  次にレジメの4番です。航空幕僚監部勤務3回目となった時代です。


【ルール3】与えられた職務・責務に基づく、基本理念(部隊にとっての普遍的価値)、ビジョン(部隊のあるべき姿)を文書として製作することを自らに課す。あらゆる機会を活用して部下に語るべき。

 

〇八雲分屯基地での隊長職から4年後、市ヶ谷の航空幕僚監部の班長職につきます。配置としては幕僚職でしたが、その後の指揮官、幕僚としての思考・行動に大きな影響を与えた職務と事業を経験することになりました。
 その経験とは、防衛諸計画のひとつで、いわば航空防衛力の長期的戦略の策定作業に従事したことです。年度計画、中期防衛力整備計画といった一連の計画類のうち、長きにわたる将来予測を実施し、それに基づく航空防衛力運用及び整備を行うためのガイドラインというべき存在です。
 現在、防衛諸計画体系が見直しされたので別の形に変容しているかもしれません。それは後日、教育部からの教育があるでしょう。ここでは省略します。ここでは、航空防衛戦略的な位置づけにあるとだけ理解してもらえば、よいでしょう。そして、概ね十五年先を見通して作成された見積りでもありました。

 私がこの作成作業に従事した平成13年は、以下の点で画期的でした。それは空自創設以来、初めとなる組織理念、ビジョン等を明記することになったからです。その時の思考過程はスクリーンに示したとおりです。
              (中略) 
 戦略の企画・立案に関するおおまかな思考過程はこうした因果関係と分析検討によって作成されるのだ今は理解しておいてもらえばよろしいでしょう。

〇さて、ここでは、その組織理念とビジョンについて空自組織に照らし合わせて、定義等を簡単に説明します。

 初めて取り組んだ「組織理念」の明示にあたって、次のように定義付けました。

 「空自の将来像を明らかにする上で最も重要となる組織理念であり、空自が未来にわたり存続、発展するとともに、その使命を全うし、国民の負託に応えるための根本となる価値観であり、不可欠かつ不変なもの。また、これは将来においてだけでなく、今日においても隊務運営の指針として、隊員があまねく銘記すべき共通の価値観」

 この定義を踏まえ、幾多の検討を経て次の項目にまとめられ、結果として以下の4項目になったものです。

一 国家の主権保持及び国民の安全確保

二 航空宇宙領域における迅速・的確な活動

三 精強な組織の追求

四 最先端技術と最適なドクトリンによる優位性の確保

 

 これら四項目については、現在でも共感が得られる内容ではないでしょうか。しかし、不変とは言え、今後国内外の安全保障環境が変化していく中で、見直されなければならないものでもあるでしょう。

 例えば、昨今取り沙汰されているサイバー、電子戦といった新たな領域が主戦の場として重要視されていることから、空自も同領域における戦力の優勢確保のために大きな関与は必然です。

 組織理念は、何より分かりやすく、人を鼓舞し、組織構成員の健全な一体感を生み出す根源でなければなりません。この際、指揮官自らが率先して理念の浸透を目的とした熱意ある発言、行動を繰り返すことが重要なのです。

〇次にビジョンです。「組織が目標として近未来に到達しようとする将来像」と定義しました。

 また、ビジョン作成にあたっては、次のような考え方を基本としています。

 「将来にわたり、脅威及び事態に対応するため、常に航空防衛力の質的向上と必要な機能及び能力の改善及び強化を図ることは、空自にとっての使命。国内外の安全保障環境の変化、これに伴い、見直される防衛力の役割等を中長期的観点から、分析及び検討することが必要。これを踏まえ、組織理念を中核とする明確なビジョンの下、各種事態にも対処しうる均整のとれた航空防衛力の整備を行うとともに、適切な運用を図ることが肝要」

 この基本的考え方に基づき、最終的に空自のビジョンを次の四つの項目に総括しました。

一 情報収集等、各種能力をネットワーク化した航空防衛力をもって、一元的指揮統制を行い、不断の警戒に任じ、事態の発生を抑止しつつ、これに備えること。

二 航空輸送をはじめとする国際貢献に資する能力等をもって、平素より国際社会からの要請に応え、国際的責務を果たすこと。

三 士気と連度の高い精鋭なる隊員をもって、精強な組織を維持するため、優れた人材を計画的な教育訓練の実施により養成すること。

四 組織の行動規範となるドクトリンを策定し体系化を図り、隊務運営の方向性を統一し、常に組織の精強化を追求すること。

 これらビジョンが今日ほぼ現実のものとなりつつあることについては、現役の皆さんに納得してもらえるはずです。 

 一は、JADGE(自動警戒管制システム)を優先整備することで期待どおりの機能を発揮するとともに、データリンクによるアセット間の連接を図り、さらなる進化を遂げようとしていること。
 二は、C‐2大型輸送機運用開始を予期する内容であり、確実に実績を上げつつあること。
 三及び四項に至っては、教育重視を掲げ、航空教育集団、幹部学校が主体となりドクトリンを策定するとともに、教育改革に結果を出すところまできたことです。

 これらすべてのビジョンが実現に向かったのは、各種計画を着実に実行してきただけではなく、空自が一体となって理想の姿を追求する気概を持ち続けたからである。
  

 ここで大切なことは、ルール3を繰り返します。理想の指揮官像を創り上げていく過程で、与えられた職務・責務に基づく、基本理念(部隊への普遍的価値)、ビジョン(部隊のあるべき姿)を部下部隊、関係部隊・機関等の明確に示すと同時に、これらを具現化するための事業線表を作ることであるのです。

 

5 初の戦闘航空団勤務にてビジョンのモデル化に挑戦:第6航空団基地業務群司令としての勤務時代

 次にレジメの5番です。第6航空団・小松基地での勤務時代です。2度目の指揮官経験した時です。

【ルール4】ビジョン等の作成については、着任後すみやかに(3か月基準)実施するとともに、前任者からの、及び後任者への継承が極めて重要。

 

〇2度目の部隊指揮官である小松基地第6航空団基地業務群司令の職に就いたときには、次の2つのことを強く意識していました。
 ひとつは、防衛諸計画のうち、いわゆる航空防衛戦略の作成に従事した経験と、顔の見える指揮官という私自身の本来目指す指揮官像をこの小松基地で融合しようとしたわけです。結果、融合できたと確信しています。

 二つ目には、3か月の期間内に、「第6航空団基地業務群の将来展望」というタイトルで、自らが率いる基地業務群としての組織理念、基地業務群という組織が3年後に目指すあるべき姿を示し、そのための具体的事業まで記載させた文書を作成しようということです。これも実現することになりました。 
 しかし、課題もありました。具体的な事業計画はやはり基地の諸機能及び能力に密接に関連するという判断から、注意文書にしなければならず、そのため全ての隊員が常に眼に触れるというわけにいかず、ビジョンの共有が不十分であったこと、また3年も部隊指揮官ができず、私の場合は1年程度であったため、3年後のビジョンの完成を確認することができないうえに、後任者がその事業を積極的に推進するか否かが、ビジョンの具現化を大きく左右したからです。

〇したがって、ここで大切なことは、ルール4の繰り返しです。指揮官職に就く期間は短い。したがって、ビジョン等の作成はみやかに(かかっても3か月)、さらには、前任者のそれまでの指導や計画を活かすこと、そして自らのビジョン、事業計画等をなんとか後任者に継承されることが組織として効率的な、効果的な組織運営をやっていく上で重要なことなのです。
 年度計画に基づく実行や、日々の、あるいは短期的、突発的な事案だけへの対処では近視眼的になり、理想を見失うことになるのです。
 まさに理想を失うときに人は老いると言いましたが、これが組織だと、停滞、退化するのです。「ビジョンなき民族は滅亡する(旧約聖書)」。これを文字ってビジョンなき組織は滅亡すると私はよく言っていました。ホテルリッツ・カールトンの元会長は、「企業が従業員に対して犯す最大の罪は、ビジョンを示さないことだ」と言ったそうです。このようにビジョンの重要性にかかるエピソードはいくらでもあるようです。

 

6 「部下を安んじせしめる」ための要件:第2航空団司令兼ねて千歳基地司令としての勤務時代

  後半の部を始めます。レジメ2ページの6番です。

ルール5】「一身上の快適性、一身上の安全性」について最大考慮すべき。指揮統率にあっては、部下が最大能力を発揮できるよう、衣食住にできる限り配慮するとともに、脅威に晒される中でも身の安全を図るよう熟慮することは、任務を全うする上で最も肝要。

 

〇このルールはかなりの説明が必要でしょう。皆さんの顔にも何というクエスチョンマークが出ているように見えますから。さて、3度目の指揮官職となった第2航空団司令兼ねて千歳機基地司令の就任した以降から、理想を掲げつつも、自らの指揮統率のスタイルが少しずつ固まってきたように思われます。

〇ところで、諸官は教範「指揮運用綱要」【添付画像⑤参照】の存在は知っていますか。これです(スクリーンに掲示)。もう相当に古いので改訂されていると思いますが、記載の内容、本質は変わらないと思います。
 その第1章指揮の第1項「指揮官の権限・責任」【添付画像⑥参照】では、「前略…。このため指揮官は、任務を最も積極的、かつ、効果的に遂行するとともに、常に部下を訓練し、装備、施設等を良好に管理し、かつ、部下の安全と福祉を図り、もって精強な部隊を育成することが必要である。」と記載されている。
 その部分の解説【添付画像⑦参照】には、指揮官が唯一の責任者であるからこそ、部下は安んじてその指揮に服し任務に専心し、…指揮官は自己の意図に基づいて指揮できるのであり、ここに指揮の尊厳性がある。」とあります。
 この中の「部下が安んじる、部下を安んじせしめる」というわずか数文字が頭から離れませんでした。つまり、どうすることが望ましいのかがわからなかったのです。自分なりに理解するのに随分と年月を要することになりました。最終補職までかかりました。

〇私なりの36年間で得た答えはこうです。如何なる任務遂行においても、特に有事において部下に職務を果たさせるにあたっては、一身上の快適性と一身上の安全性が極めて重要であること、つまり厳しい任務遂行環境であればあるほど、衣服、食事、宿舎、衛生の蔑ろにしてはならず、また部下の安全確保に最大留意し、彼らは勝利に導き、原隊、母基地に生還させることだと考えるようになりました。

〇この言葉自体は、八雲勤務時代に目にした、大東亜戦争生き残りの陸軍歩兵大隊長・長嶺秀雄氏が書き下ろした著書「戦場 学んだこと、伝えたいこと」から引用したものであったのです。
 実は資料集の第20高射隊長「隊長の雑感」が、この件について触れているものです。眼を凝らして読んでみてください。当時、つまり八雲分屯基地勤務時代は、頭でしか理解できていなかったことと思います。その後、航空幕僚監部・装備部長のときに、東日本大震災を、また総隊司令官職では、北朝鮮の弾道ミサイル事案で急遽沖縄に関係部隊を展開することになった時など、この部下部隊を安んじせしめるということについて先人の知恵がいかに正しく的を得ていたかを実感した次第です。


 ここで重要なことは、ルール5の繰り返しになります。
 指揮統率にあっては、部下が最大能力を発揮できるよう、一身上の快適性、一身上の安全性に最大考慮すべき。衣食住に整備にできる限り配慮するとともに、脅威にさらされる中でもできる限りの身の安全を図るよう考慮することは、任務を全うする上で不可欠なことである。

⑤教範「指揮運用綱要」
⑥ ⑤の第1章指揮の第1項
⑦ ⑥の解説文

「理想の指揮官像」についての口述文その3:レジメ7~9に対応

 以下は、講話前に作成した口述原稿を基に記載しています。
 ただし、オリジナルから冗長な部分を削除するとともに、要約ぎみに文章量を少なくしています。略した部分が多々あるため、脈絡に若干難があります。

7 「山の辺の道」の影響を受け「安全」に対する自らの考えを集大成

  次にレジメの7番に移ります。これ以降のルールについては、第2航空団司令、西部航空方面隊司令官、航空幕僚副長、航空支援集団司令官、航空総隊司令官を歴任した中で共通した、意識的な行為でした。

【ルール6】人はすべからく、常に順風満帆な人生や勤務ばかりではない。人の痛みは自らの強烈な痛みを経験することでわかる。指揮官は常に危機管理意識を抱きつつ、決して心を折ることなく難事の打開策に当たるべき。

 

〇ここでは、冒頭、話した「山の辺の道」の影響を受けた、指揮と安全に関する自らの集大成についてです。実は、「山の辺の道」の編集後記(これは副校長による記事)には、次のとおり記載されています。そのまま読んでみましょう。『巻頭言にもあるとおり、空幕で発行されている「飛行と安全」が昭和31年の創刊以来、本年9月号をもって満20年となり、現在では単に飛行に関することのみに止まらず広く一般地上自己防止や衛生管理、心理等に及ぶ誠に立派な我々の手引書となっていることは、諸官のよく知っているところである。さて、この度、学校長のご発言により、幹部候補生の教育を主任務とする本校が、「飛行と安全」誌上に遺された幾多の名将・先輩の指揮道或いは指揮の要諦とも言うべきものにかかわる記事をまとめて後輩たちに伝えるべきではなかろうかということに相成った次第である。』

 この編集後記から、補助教育資料である「山の辺の道」は、後日寄稿を依頼される「飛行と安全」の20周年記念誌であることがわかります。

〇そこでルール6に話を戻します。私は現役時代に、3度「飛行と安全」に寄稿を依頼されました。

 時間の関係から、レジメに「安全意識の根底」シリーズの大項目だけを記載しておきます。この3篇は必ず諸官たちが行うこれからの指揮統率に大いに参考になるものと自負します。資料集には最初の一篇を入れています。
 指揮幕僚課程に入校していた当時、長男を不慮の事故で亡くしたことに、指揮統率のあるべき姿を照らしながら、断腸の思いで投稿したものです。掲載にあたっては、妻や娘たちからの快く思われませんでした。肉親の死亡事故で同情を求めるのかということでした。長男が死亡して20年の間は、私も指揮官として悲しい出来事を部下部隊に漏らすものではないと信じていましたから。
 しかし、20年の時が経過し、部下の様々な出来事を目の当たりにして私の気持ちは変化しました。指揮官は高潔でなければならないし、崇高な任務遂行のためには時として心を鬼にして非情な命令を出さなければならない。 
 その一方、指揮官は部下の心の痛みを理解してこその指揮、統率、命令を下していくべきだとも痛感するようになっていました。
 こうした読者にインパクトをもって訴えていくには、記事の作成作業にあたっては、物語仕立て、いわゆるストーリー、そして自らの強烈な体験、それに基づく主張、周囲の共感等が重要であることを認識したことによって、一篇では長男の死を、第二編では次男の死を、そして第三篇では自らの大病をストーリー仕立てにして、指揮と安全の本質を述べることにしたのです。ぜひ第二、第三篇も読んでみてください。

〇したがって、ここでの教訓は、ルール6そのものです。理想の指揮官像を追求するには、残念なことに常に順風満帆な人生や勤務ばかりではないということ、人の痛みは自らの強烈な痛みを経験することでわかるのだということです。
 そこから、指揮官は真に予防意識、危機管理を抱き、心を折ることなく難事の打開策に当たれるのだということです。

 

8 洗練された訓示等は、士気の高揚に直結

  次にレジメの8番です。6回の部隊指揮官職、全てを通じて痛感したことです。

【ルール7】訓示は、部隊等の叱咤激励を指揮官が実施する上で、極めて有効な手段。積極的に活用すべき。ただし、至短時間、簡明な内容でありインパクトがあるものでなければならない。

 

〇訓示、講話、挨拶等、部内外において自らの意を表することは、特に指揮官にとって重要なことです。これまでの私の話から、顔の見える指揮官となるために、自らの指導方針、考え方等を直接的に伝える貴重な機会なのです。
 しかも、こうした機会は、受身ではいけません。積極的に求めて得るべきなのです。その際、スピーチにしても、朝礼にしても、挨拶にしても、自ら案出した文章をもとに実施することが原則です。自らの言葉で語りかけるべきなのです。

〇最終補職であった航空総隊司令官時代には、部下への発信手段をさらに充実したつもりです。従来の司令官雑感、年頭の辞、半ばの辞に加え、総隊が関わる主要事業に関するメッセージを作成、部隊回覧しました。【添付画像⑧参照】

〇BMD統合部隊指揮官としての訓示は、関係部隊全てが緊迫、緊張を強いられた中で任務完遂を強く意識して実施した最も記憶に残るものです。さすがに資料集に入れることは憚りがありましたので、口頭での紹介とします。 
 ここで諸官の意識にとどめてもらいたいのは、ルール7の繰り返しです。特に指揮官にとって、訓示は、部隊等を叱咤激励するにあたり、極めて有効な手段である。積極的に活用すべき。ただし、至短時間、簡明な内容であり、かつインパクトがあるものでなければならないのです。

 

9 結びに

  最後の項目になります。理想の指揮官像は自らの努力の果てにあるものです。

【ルール8】指揮官は、部下部隊の評価を素直に受け止め、理想との格差分を埋めるフィードバックをかけ、さらなる高みへ駆け上がることが大切。

 

〇理想的な指揮官像をまずイメージ化することが大切なのは、これまで話してきたとおりです。ですが、アプローチの仕方、追求の要領等は各人異なるものとなります。
 それは各人に与えられた勤務及び生活環境が異なるからです。ただ理想像を追求するにあたり、現実を見据え部下部隊のことをひたすら考える、考え抜くことが肝要だと考えます。
 理想の指揮官像とは、何ぞやと問われれば、冒頭述べたように「未だ現実には存在しないが、実現可能を目指す上での指揮統率の究極目標であり、最上級形態。そしてあらまほしき、あるべき部隊指揮官の実像を飽くなき追求する原動力」と定義付けしました。
 仮にこれを是として、理想の指揮官像を把握できたとして、それで終わりではないのです。むしろ、それからが困難を極めるのだと思います。

〇理想像のあくなき追求の過程にあって、優れた図書や誰からかに教示してもらうだけではまったく不十分、自らがその都度与えられる職務、任務、部下同僚にかかわりも持ちながら、知識・経験を積極的にインプットし積み上げ、積み上げること。そして自らが練り上げた成果を自信をもって部下・部隊等にアウトプットすべきです。
 まだ続きがあります。さらに部下部隊の評価を素直に受け止め、フィードバックをかけさらなる高みへ駆けあがることが大切です。その時にそれまでに持っていた理想の指揮官像はさらに気高い理想に上り詰める可能性があります。つまり理想に限界はないのだということです。

〇理想の指揮官像を追求する心構えと姿勢は、定年後の人生を大きく左右するものでもあります。現役時代は意外と短く、鍛錬の機会は多くはないのですから。これで私の講話を終了します。

⑧指揮官メッセージの例
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