ホーム勤務の思い出八雲分屯基地(北海道二海郡八雲町)

八雲分屯基地(北海道二海郡八雲町)

ゆーらっぷ会の開催(令和5年11月18日)

 ゆーらっぷ会は、従来八雲分屯基地の運営に協力いただいている周辺地域の支援関係者の方が上京される際に、歴代八雲分屯基地司令等が参集し、八雲の地の近況やそれぞれの勤務時代の思い出を語らい、相互に懇親を深めることを目的としています。
 
 新型コロナウィルスの感染予防上の考慮から、ここ数年は開催を控えていましたが、歴代司令の一人である柿脇2佐の声掛けで久しぶりに開催されました。

 今回の開催趣旨は、長年にわたる航空自衛隊への貢献に対して航空幕僚長から感謝状を贈呈される、黒島竹満様の歓迎及び祝意に基づくものです。なお、黒島様は現在、八雲町自衛隊関係団体連絡協議会座長 兼ねて八雲町議会防衛議員連盟会長を務めておられます。
 
 画像1は、11月18日自衛隊音楽祭りを観賞された後、グラインドヒル市ヶ谷ホテルの近傍で催した懇親会に参加した歴代分屯基地司令と黒島様です。

 画像2及び3は、ゆーらっぷ会翌日の空幕長感謝状贈呈式後のツーショットになります。

八雲分屯基地勤務時代(平成9年6月~平成11年3月)の思い出

 この記事は、航空自衛隊に入隊して初めての指揮官(高射隊長)として赴任した八雲分屯基地における勤務・生活の様子を「雑感」(月1回を基準)と称して綴った内容になっています。また、家族帯同が最後になった赴任先でもありました。

 当時は分屯基地用ホームページがなく、紙使用の基地内回覧としていたこともあり、掲載記事を良好に保管できず、ここでの再掲載では一部にとどまっています。また写真の添付は元々ありませんでした。

 なお、記述にあたっては、高射隊勤務隊員を対象にしていましたので指揮の観点で「である」調をあえて用いていました。したがって、この場の掲載は原文のままです。

7月分の雑感(平成10月8月26日付)

見出し:「英霊よ、安らかに眠れ」

  昨夜、岩手県沖で飛行訓練中であった3空団のF- 1型機×2が消息を絶った。国防を担う同胞の一人として操縦者の無事を唯、祈るだけである。

 私の同期生(防大)では、これまで操縦職2名が殉職し、内1名 が先般「ユーラップ便り」等で紹介した、RF-4型機前席操縦者の故酒井2佐である。

 静狩峠の墜落現場で催した慰霊式及びそれまでの一連の準備にあっては、私情を挟まぬよう、事故現場最寄りの分屯基地司令という公的立場に徹したつもりであった。
 しかし、同期の私が八雲に赴任する
という宿命的な巡り合わせと、不思議と十年以上前 の『ある想い出』が去来して、私人としても感傷的にならざるを得なかった。

  彼( 故酒井2佐) は新田原基地の飛行隊で、私は習志野駐屯地の高射隊でそれぞれ勤務していた当時、東京で行われた同期生の披露宴の席上で久しぶりに再会する機会があった。
 彼は、この時、地元( 宮崎) の焼酎と薫製をわざわざ私のために遠路持参して
くれたのである。親友といえる程の仲ではなかったが、同期というか、友人を大切にする彼の優しさと笑みに感激し、その何気ない行為に恐縮したものだ。

  話は慰霊式の一週間前に戻るのだが、隊員の手で御遺族が作製された石碑を現地に設置した直後に何か御神酒でもと考えていた折りも折り、偶然にも十数年前に彼が私にくれたのと同じ銘柄の焼酎を、整備小隊の先任のおかげで手に入れ献上することができた。

 その焼酎は、宮崎産で全国的にポピュラーであるが、とうとう二人で酌み交わすことがなかった『百年の孤独』。昨年までは、このネーミング故にウィスキーにも似た琥珀色の液体を味わいながら、どうしても物悲しくなりがちであった。

  今年、御遺族が長年願いとされていた石碑建立を実現したことと、来年以降は基地として毎年環境整備等を行うことを可能とすることによって、御遺族の自衛隊組織に対する信頼感は一層高まり、彼の孤独感も払拭されるのではないだろうか。
 同時に、私は責務を一つ果たした安堵感から今後は『百年の孤独』を少し陽気に痛飲してみたいと思う。

 加えて、私は楽観的なのか、思い込みが強いのか、慰霊式を終えた7月23日以降、基地開庁祭をはじめとする基地及び隊の行事・訓練等が円滑に運営できていることについては、所属隊員の職務遂行の賜であるが、何かしら彼の加護があるように思えてならない。

8月分の雑感(平成10年9月1日付)

1    「基地開庁祭、感激と感動のうちに成功裡に終了」

 平成10年8月8日( 土)、この日、八雲分屯基地で目にした事は、生涯忘れられない。

 昨年、基地開庁20周年という節目の年に、例年にない規模での各種行事を計画していたにもかかわらず、野田生川に架かる国道5号線の橋が損壊する程の豪雨により、全ての飛行展示を中止した経緯があればこそである。

 第11飛行隊(ブルーインパルス)及びロック岩崎エアロバティック・チームの招請について、手間暇をかけた上に紆余曲折( 断念を余儀なくされた時期もあった) を経て実現させ、開庁祭当日、RF-4、F-15、U-125、UH-60J 各型機と共に八雲基地上空で、これら華麗な演技に魅了された時はまさに感無量であった。

 一方、来賓、招待者、一般来基者の受入れに当たっては、関連経費の制約を受ける中、
各担当部署の創意工夫と歓迎の姿勢が工作物等に強く表れており、大いに感心させられた。また、基地内各所の案内掲示、式典及び祝賀会場の設営、エプロン地区における展示及び通信施設、このいずれにも官公庁の堅苦しい雰囲気はさほど感じられなかった。

 これは、来訪者の立場での基地開庁祭の開催を、そして航空ショー的な色合いの濃い飛行展示等を目指したいという機運が部隊側に醸成してきている兆候ではなかろうか。

 

2     「副隊長指揮の下、米国年次射撃訓練に出発」

 『小規模部隊の指揮官は、自らの眼の届く範囲で直接指揮及び管理することで自己の責任感の重さと、部下との一体感( 相互信頼感) を覚えるものらしい。
 それは、部下の表情、言動等から、微妙な身体的・精神的変化を的確に察知する可能性が他の手段に比して最も高いからである。但し、その時の指揮官の判断が、適当か否かは別問題。
 また、こうした部隊が通常とは全く異なる環境の中で一つの任務を遂行しようと行動する場合、指揮官に対する服従心と隊員相互の団結心( 協調心)が必然的に高まるのである。』

 上記は、昨年私が米国年次射撃訓練に参加した際の所懐の一端であり、今年、副隊長を同訓練指揮官に命じた意識の根底にあるものである。
 彼には、私の筆頭補佐的立場にあることを念頭において、クルーが現地で訓練成果を最高度に発揮できるよう、試行錯誤しながら適切な手段を講じて欲しい。かかるように平時は人の育成、次級者の養成が重要なのだ。

 

3     「本年度総合演習、今月下旬より本格化」

 昨日( 8月31日) 北朝鮮から弾道ミサイルが発射され三陸沖太平洋に着弾した模様。
 これに対して様々な報道がなされているが、防空を担任する我々( 高射部隊) としては、この時期、①他国領土から日本全土を射程内におく弾道ミサイルが実在すること、
②我が国現有装備品では同種ミサイルに対処困難であること、③政策上、我が国弾道ミサイル防衛(BMD) 戦略は構想段階にあること- という事実を深く認識しておくことが重要である。

 その上で将来、現有装備品の能力向上、若しくは新規装備品への換装が図られた時に人的即戦力として従事できるのは、我々を除いて誰もいないのだという気概を持ちつつ、今月下旬予定されている東北地方での機動展開訓練に臨みたい。

9月分の雑感(平成10年10月15日付)

見出し:「基地所在3個隊による合同災害派遣訓練を敢行」

 

 八雲町及び周辺では、その地勢、地質及び気象特性 から、過去毎年の様に自然災害等が発生し、また周知のとおり人命の損失を伴う航空機事故も起きている。
 このような背景の中で、私は分屯基地司令として自衛隊法第83条第3項で定義される近傍災害に対して20高隊に限って部隊を派遣する権限を持っている。
 その一方で、八雲所在部隊等の長に対する派遣命令の
下令は越権とされているのが現状である。

 さりとて、基地周辺で起きる一刻の猶予もない各種災害を眼前にして、事態の軽重、規模の大小に限らず、基地の諸力をもって対応することに躊躇する部隊長がいるであろうか。

 そこで、関連の訓令に基づき「派遣先において上級又は先任の者として他の部隊の長を
指揮することができる」という指揮の特例を適用して、現行法規を遵守した形で効果的かつ円滑な部隊行動を可能にする方策に、必然的に着目することになるわけである。


 と、ここまでは誰しもが机上において配慮しうるところとなるのであるが、実はここから先が問題でかつ重要なのである。


 編成単位部隊は、上級部隊等の計画する練成訓練に加えて自隊訓練を完全消化しなければならない状況にあり、自ずと過密な訓練日程となるのが必定である。( 昨今では編単隊の裁量で計画する訓練すら日程を組む上で制約されていると思うのだが…)


 だからと言って、災害派遣訓練を部隊独自の指揮所活動並びに地域自治体等との協同訓練のみにとどめるのは適当ではないのではなかろうか。各種災害派遣においても、防衛( 主として防空) に係わる練成訓練同様、平素からの実動を伴う基礎及び応用訓練が必要不可欠である、平たく表現するとすれば、普段から実際にやったことのない事は、いざという時に決して上手くできないということ。この独自の信念の下に、私は先般の基地外における実動の災害派遣訓練を敢えて実施した次第である。

 前説が長くなったが、今回の基地周辺での同種訓練については、天候不順と他に優先すべき練成訓練との兼ね合いから延び延びとなり、このため事前準備も至短時間ではあったものの、運用及び総務の関係幕僚が現地偵察に基づく想定・状況の作為に努め、中身の濃い訓練計画( 状況一時中止の間の食事、入浴に関する最大配慮を含め) に仕上げたのには憚りなく感嘆している。

 また、これに対して各分隊毎の行進、行方不明者( ダミー) の捜索、各種報告等の有様を見聞きするに、参加隊員が終始真摯な態度で取り組んでいる様子をよく確認できた。

 災害の発生状況によっては、我々の力では抗えない場合も当然あるであろう。それでも地域住民( 時に隊員の家族) の生命が危うければ敢えて自然の猛威に挑まざるを得ない。

 これが我々にとっての本務なのだから。ただ、部隊指揮官としては、二次災害に遭遇する等によって隊員の尊い生命を失うことのなきよう、適切な判断を欠いてはならぬことを忘れてはならない。このことが戦闘組織における、生命の尊厳性に関するジレンマであることを知りつつも…。

10月分の雑感(平成10年11月2日付)

1 「総隊総演の参加所見:情報収集力の重要性と通信手段確保の必要性を痛感!」

 15年振りに基地外機動展開訓練に参加してみて、依然として高射部隊は、部隊指揮に係わる情報収集能力が不十分であり、それは主に関係通信手段の未整備によるということが認識できた。

 同訓練での肝要な意志伝達には、携帯電話( パソコン通信を含め) に依存せざるを得ないのが現実。『携帯』が、大いに役に立ったのは事実であり、特にこれなくしては安全にかつ効果的な機動ができないといっても過言ではない。
 
 しかし、平時における簡便性だけに着目するあまり、有事の代替通信手段と
しては抗たん性に極めて乏しい『携帯』に、過剰な期待をすべきではない。 指揮上の情報収集能力の粗末さは、幕僚の分析力の確度を低下させ、挙げ句の果ては指揮官の判断・決心を誤らせ、部隊存続の危機に陥れることになる。
 
 昨今のような防衛費縮減期には、主要装備の換装・新規取得よりも、現有装備の周辺機器等をより安価な経費で整備する方が、戦力、特に継戦能力の飛躍的な向上につながるはずである。

 

2     「我が隊活性化に寄与する隊独自のインセンティブ制度を早期整備化」

 「信賞必罰( 功罪をはっきりさせ、賞罰を厳正に行うこと)」という言葉をよく見聞きする。とりわけ部隊指揮官にとっては、組織の活性化並びに部下の士気振作上、有効かつ不可欠な方法であり、指揮の常道とされている。

 このうち『必罰』の範疇については、隊員が規律違反、事故等を生起させた場合、編単隊長の判決処分というよりも、空自という全体組織が過去の事例を参考にしつつ懲戒処分の基準に照らして、早急に応分の人事処置を講じている。

 一方、『信賞』の部分に関しては、特別昇給、特別昇任、防衛記念章及び精勤章の授与等といった制度が存在するものの、内容以外に「員数枠」という制約、上申という手続き、他部隊との横並び等に対する配慮を要するために今ひとつ歓心を得ていない。

 これは、『信賞』を行う上での重要なポイントである「時機」を失しているからである。先の演習において村田3曹が待機車の焼損を未然防止した件で隊長褒賞状を授与したが、これを機に従前から具現化したかった編単隊インセンティブ( 奨励報償) 制度をまず20高隊で整備してみたい。

 このねらいとするところは、既存の褒賞制度の選考基準に該当せずとも、隊員の優れた行動、成果を、時機を失せずに、かつ口頭のみによらない有形評価で賞賛することである。

 

3 「昼夜を問わず、優れた嗅覚を武器に警備任務を遂行してきた警備犬の慰霊式を挙行」

 今年に入って警備犬「チビ」が他界。この基地ではほぼ毎年1頭が土になっているが、そのほとんどが「チビ」同様、老衰が原因らしい。過去殉職した警備犬は、警備職の隊員等によって、基地内旧犬舎近くの一角でそれぞれの墓碑の下に丁重に埋葬されているのが実状である。

 私は、先の悲報を受けた際に、静狩峠に眠る英霊( 殉職隊員)の供養を現地にて行った経験から、警備犬の慰霊式を挙行することを思い立ち、その実施日としては自衛隊記念日が最も相応しいと判断した。

 空自にあって警備犬は、警備器材として正式に物品番号が付与され管理されているが、我々としては、生き物というほかに、作戦発揮基盤である基地の諸機能を維持するという任務を遂行してきた同僚といった見方するのが自然な形であろう。
 今後とも先述の趣旨に
基づき、自衛隊記念日関連行事の一環として彼らの慰霊式を継続実施していきたい。

11月分の雑感(平成10年12月4日付)

1     「モラルに反する行為を戒め、その絶無を図るべき!」

 既に基地会報で承知のとおり、今年基地内の公共場所( 食堂及び第1隊舎2階便所) において壁面を故意に損傷させる事件が2件発生している。
 また、最近では第1駐車場に駐車中の隊員の私有車が何者かによって当て逃げされるという犯罪にも等しい行為が発覚。この類の行為は、一般社会にあっても『他人に知られなければ… 』、『自分さえ口を閉 ざしていれば… 』、或いは『お前が黙っていてくれさえすれば… 』などと自己責任を回避
する最低の愚行である。

 ましてや自衛隊員の職にある者が犯した行為( 今のところ何の確証もない)だとしたら、平素から我々が追求して止まない「精強」は絵空事にしか過ぎない。
 更には、厳正な規律、強固な団結、旺盛な士気を得んがために、時には練成訓練に勤しみ、時には教育指導に当たる誠実な隊員を嘲笑う如きの悪行であるともとれる。

 先述の各事件は、起こした本人にしてみれば、罪の意識など全くない、軽はずみの上の出来事なのかもしれない。
 しかし、これしきのことではあるが、これまで培われてきた、隊はもとより基地所属隊員相互の信頼感を失わせ不信感だけをつのらせ、挙げ句の果てには、組織を内部崩壊させるのには十分な魔力を持ち合わせている。決して大袈裟ではなく。

 さて、私自身としては、この一連の事象をきっかけに、当該者が隊員であろうとなかろうと今一度隊長としての指揮、指導のいたらなさを反省するとともに、あらためて明るく健全な隊務の遂行に努めねばならぬものと自戒している。

 

2     「『勝利』という二文字がもたらす効果とは…」

 上記の内容とは一転して、この11月中に我が隊にとっての朗報が2件あった。一つは初めての試みで実施された群整備競技会において隷下全部隊中総合2位、高射隊の中では1位という高成績。
 もう一方は、当隊所属隊員の貢献度絶大であった、北空武道大会における群銃剣道チームの準優勝( 3高群と対戦して「1本差」) という快挙。

 これらの成果については、いずれも優勝という頂点を極めた結果ではなかったが、個人的にも部隊指揮官としても手放しで嬉しい。

 個人的感情が何処からわいてくるのかと考えてみると、どうも自分自身が任官時から整備幹部として現場を経験し現在整備幕僚であることと、また2・3尉の頃、高射群銃剣道大会を目指して集合訓練等を通じ上級練度者と切磋琢磨した古き想いにその源泉があるようである。( * 個人的感傷で文章が冗長的になって申し訳ない)
 

 では、部隊指揮官の立場で歓喜したのは何故か。競争の原理が作用する大会( 戦い) に勝利した隊員は、本人の自覚にかかわらず、必ずや何らかの達成感とこれから生じる自信を得ているに違いないわけである。
 この自信こそが、過酷な訓練、あってはならない有事の際に人的戦力の源となる。

 また、部隊指揮官にとっては遂行すべき任務が重要であればある程、部下がこれを持っているか否かが隊員指揮上の判断の大きな分かれ目となる。
 私はこのことを今回の彼らの活躍で実感できたことに対して、素直に喜んだのである。

 部隊運営にあっては、勤労意欲の向上や融和団結等のために、肩肘張らない娯楽やレクリエーションは必要不可欠。

 しかしながら、競技会というタイトルが付く付かないは別として部隊又は個人訓練の実施に当たっては、今後とも大いに「勝つこと」に 拘り、鎬をけずってもらいたい。

 そう
すれば、自律心、向上心、自学研鑽意欲、闘争心等といった、己の大きな精神的支えとなるものを今よりはっきりした形で得る日が将来必ず来ると私は確信している。

12月分の雑感(平成10年12月21日付)

1     「ミュージカル『美女と野獣』を見て、魅せられて」

 11月末、家族と共に札幌で公演されていた、劇団「四季」によるディズニー・ミュージカル「美女と野獣」を堪能した。

 その華やかな舞台設備と他に類を見ない優れた演技力は早くから承知していたが、実際に眼前にして釘付けとなり、この時の感動は今でも忘れられない。

 元はと言えば、娘達の感受性を豊かにすることが目的であったのが、いつの間にか自らが団員の魅惑的な歌声と一糸乱れぬ集団演技の虜になったようである。

 時には、戦闘員としての意識から離れてインパクトの強い文化教養に触れ、家族と共通の話題を持つことも必要であることを痛感した。

 

2     「群調理競技会を終えて」

 後方特技を有する隊員の練度確認と士気高揚を目的として企画した調理競技会は、当隊参加空士両名の研鑽努力と、指導並びに運営に当たった関係者の尽力によって、成功裡のうちに終了した。

 この結果もさることながら、当日の宴席において二人の『なせばなる』という満ち溢れた自信と、素直にな喜ぶ姿に接し感無量であった。彼らが、自分たちが快挙をなし得たのは関係者の協力支援の賜であることを理解した上でのことであればなおさらの事。
 人はこうして体験から得た自信と常続的な向上心で成長するのだなと私自身学んだ次第である。

 

3     「群武道大会によせる思い」

 当隊は、平成元年度銃剣道団体部門における優勝、平成2年度剣道同部門における準優  勝以来、個人戦を除けば群武道大会で、いわゆる「優勝」の二文字から遠ざかっていた。
 今年度については、方面隊主催大会経験者の参加をみなかったとはいえ、銃剣道の団体
準優勝と総合3位を手中にしたことは手放しで喜びたい。

 先の北空大会( 銃剣道の部) で群の準優勝に大きく貢献した当隊所属隊員の存在を思う時、来年度以降の群大会の結果が楽しみとなったのも事実であろう。
 また、総合優勝を目指すためには剣道の指導並びに練成の態勢を整備強化することも忘れては成らない。

 競技会において、「常勝」を維持することは極めて難しいことは百も承知。
 しかしながら、これを目標とするには①新人育成を絶やさず、厚い選手層を確保すること②可能な限り指導者と選手を弁別して練度向上の場から「妥協」を排除すること③選手等の練成訓練環境を整え、「やる気」を高揚させる施策を多用すること- を実施すべきと実感。

 

4    「この一年を振り返り… そして、来年の抱負は」

 隊並びに基地としての任務遂行能力を向上させることだけを念頭に置き、自分自身を律しながらも、その方向性を模索した一昨年に較べれば、自然体で隊務に取り組めたのが着任して2年目の今年であったようである。

 結果的に1年越しの基地開庁記念祭における飛行展示等を完全実施し、かつ年次射撃訓練及び総隊総演に代表される練成訓練等を良好に終えたことに対して正直なところ安堵している。これは何つけても全隊員のお陰であることは言うに及ばない。


 さて、来年は、年当初から高射部隊としての表芸を遺憾なく発揮しなくてはならない。1月の冬季機動展開訓練、3月の北空戦技競技会(3高群との対抗戦方式)、そして7 月予定の総隊戦闘能力点検受検。隊務を進めゆく道は明々白々。来年も私自身、知識・技能を磨きつつ、虚勢なく隊団結の核心となりたい。

1月分の雑感(平成11年2月4日付)

1     「平成10年度北部航空方面隊戦技競技会(高射部隊)にのぞむに当たり」

 戦いの場における「勝利」は、これを得た個人及び団体、組織等にとって、総じて有形・無形の好影響を及ぼすものである。

 その効果の一例については、私見として『第20高射隊長霜月( 11月) 雑感』の中で述べたとおり。

 この3月上旬、6高群と3高群の各高射隊による戦技競技会 が計画されている。ここでの勝利は、間違いなく群はもちろんのこと隊、参加クルーにとって最高の光輝となるはずである。

 何も名声の獲得に、はしれと言うのではない。方面隊、群本部 に20高隊の任務遂行能力と、平素の努力と献身を正しく評価してもらいたい一心である。

 このために、選抜クルーは心身共に充実させ、限られた時間を最大限に活かして個人及び連携能力の錬磨に努めよ。その他隊員は、休日返上で訓練に取り組む彼らの全面支援に徹せよ。“ 成なせば成る、成さねばならぬ何事も、成さぬは人の成さぬなり”

 

2    「本年度冬季機動展開訓練期間中に考えていたこと」

 私は、冬季機動展開訓練に先立ち、大先輩から先般寄贈していただいた図書の一冊を紐解くことにした。それは、大東亜戦争生き残りの陸軍歩兵大隊長・長嶺秀雄氏が書き下した著書『戦場 学んだこと、伝えたいこと』である。

 読み出すまでは、よくある大言壮語の戦争よもやま話か何か、そうであれば得意のナナメ読み、飛ばし読みだなと高をくくっていたのが正直なところ。それが読み出し直後から、私の思い込みを恥じ、悔い改め、最後まで熟読玩味の連続。自らの実体験とその時の著者の心中を淡々と、そして切々と語る、分かり易い内容に感じ入ることとなった。


 とりわけ、下記枠内の二項目( 著書からの抜粋: ただし、両項は著者が、第2次大戦中英国のウェーベル元帥が戦後行った講話から引用したとの前置き有り)が印象的であった。

①“ 戦場における兵隊の主な関心事は、第1に一身上の快適、すなわち食事、衣服宿舎、病院などであり、第2に一身上の安全性、すなわち生存と勝利である”

②“ 戦場の指揮官は、第1に糧食( パン、塩、水など) と資材( 弾薬、医薬品など) を与えること、第2に( 注) 実際感覚( 環境変化の本質をつかむ) があること、第3に親切であり、かつ厳しくあることが必要である”

 

 ①については、戦場心理というよりも死活に苛まれる「人」としての本能行動そのものである。
 これは近代戦にあっても不変ではなかろうか。自衛隊の訓練では、先の「快適」に対して十二分に配慮され、「安全」に対しては、危険要素の排除という観点から意図的に生死に直面させる状況は皆無。本当にこれで戦闘のための訓練なのだろうか。

 ②は、①の現実の上に必然的に求められる指揮官の管理、指揮、統率の各能力を平たく表現したものである。①が真実である限り、いずれを欠いても早晩隊員を死に至らしめることになるのであろう。

 平時は隊長という部隊指揮官の立場で、部隊としての要望・要求に納得いけば、「押印」という行為で責任を果たすことができる。しかし、有事において「印鑑」など無用の長物。
 その時に、「指揮」、「統御」、「信頼」、「団結」等が誠に必要不可欠であった反省せぬよう、指揮官としての数少ない疑似体験を大切にしなくては。“ 努力に勝るものなし”

*( 注):「実際感覚」に関する私自身の解釈- いずれの戦地においても、気象、地形、彼我の状況を把握し、応変の指揮を無意識にとりうること

 

2月分の雑感(平成11年2月26日付)

1     「北空戦競いよいよ間近に…」

 昨日、我が隊戦競クルーは、群の最終指導を終え、『表芸』における栄華を求めて会場となる千歳基地へ向かった。
 その実力たるや今般の戦競で定められている実施項目別基準  時間に対して、全ての項目にわたり、はるか至短時間での手順動作を体得した感がある。

 これは、従前のASP訓練の実績を優る出来映えと評価できる。今月に入って本格化し  た戦競関連訓練の期間を考慮すると、訓練というものは、実施回数のみに比例して練度向
上されるものとは限らないことを彼らが身をもって証明したといえる。

 では、何がこれまでの年度練成訓練と異なっていたのだろうか。考えられる要因の中で、私は、①戦競のための一連の訓練にあって、現実の相手に勝利することだけを念頭に集中訓練を行えるよう各種環境の整理に群と共に努め得たこと②クルー各人が、練成に伴ってASP訓練の延長線上ではない、「戦い」に挑むという意識を明確化したこと- の2点を特筆したい。

 現職にある私にとって、今回最後の競技会。平素から練成は段階的に、長期間かけてが  信条であるものの、正直言うと無冠に終わりたくなどない。
 そのために私なりに勝利獲得  のために考えられる最大配慮をしたつもりなのだが。事後の後悔、感傷など真っ平御免。 

 クルーには、戦競訓練の本格的開始にあたって「戦いに勝利し得る好機は、ほんの一瞬。  この時のために、我々は日夜万全の態勢を保持しなければならない」、「20高隊の、高射特技隊員としての栄誉を目の前にして、連携動作の確立こそが、その獲得に最重要とな
る、心せよ」との心構えを伝えた。競技会開始まで忘れないでほしい。

戦競に臨む心構え:其の壱『戦機一瞬 常備不断』
         其の弐『光輝眼前   連携命脈』

 

 

2     「私の信念:『ブラインド・サイドを抑えろ(目立たぬところでも、力を抜かない』」

 私は、防衛大学在学中、アメリカンフットボール( 以下「アメフト」と略) 部に籍を置き、幸いにして一学年で公式戦を経験し、二学年からはオフェンス及びデフェンスの両面でグランドに立つ
ことができた。

 表題の信念の根っ子は、このアメフトを通じて培われていたことに最近気がついた次第。

 『ブラインド』という用語は、スポーツに限らず、日常会話でも使われているさして珍しくない言葉ではないかと思う。
 それがアメフト的定義をした場合、少々小難しくなるが、
「相手攻撃チームのプレー開始前体型を総合的に判断して、比較的攻撃力の手薄な側面( 大まかには、ボールを中心に右翼か、左翼かということ)」となる。

 典型的な攻撃プレーとしては、「リバース・プレー」がある。攻撃チームが右オープンをその主力をもって突破すると見せ掛け( フェイク) て、攻撃開始時点までブラインド・サイドであった左オープンを、バックス( ボールを運ぶ走者) の走力と技術とセンスに期待して得点をねらうトリッキーなプレー。一試合に二、三回程度しかないこのプレイを阻むのが私のデフェンス・ポジションでの役割の一つであった。

 このブラインド・サイドを抑えるという私の意識は自衛隊で勤務( とりわけ幕僚として)する上で、大いに役立ってきたようである。物事には必ず陰と陽が存在するのだから。

 戦競にあっては、クルーに私の押し売り信念を我慢して受けて雄飛してほしい。

  • 視察官、評価員及び同補佐官の観ていない、或いは見えない側面( 位置) でこそ、的確な動作・呼称を、そして自ら指揮下に入れ!
  • また、戦競会場に身を置いている以上、計時停止している時がまさに「ブラインド・サイド」。計時のO N、OFFに関係なく評価されていることを忘れる事なかれ!

3月分の雑感(平成11年3月16日付)

1     「離任に当たって…」

 任官以来の願望であった「高射隊長」の職務をまもなく全うしようとしている。経歴上  部隊指揮官の経験がなく幕僚業務に専従してきた私は、八雲赴任に当たり自らが指揮官として適しているの否かの命題をかした。

 しかし、今日に至ってもその結論は得ていない。ただ、幕僚勤務時代の各種業務処理を伴う責任から生じる多忙感、切迫感といった精神的抑圧( ストレス) と、指揮官( 隊長) という立場で負うそれとは明らかにかなりの差があり、“ 重責” とはよく言ったものだということは実感できた。
 
 このおかげで平時において責任の逃避や回避を繰り返すようでは、部下に生命の尊厳性を語り、有事に生死を超越
した命令・指示を与える資格などないことも察しがつくようになった。

 綱領の一節である「指揮の本旨は、部下を振作し、一致団結、至誠をもってその任務を完遂させるにある。指揮官は指揮の中枢であり、………。事に臨んでは沈着冷静、積極敢為、き然として難局に当たり、任務遂行の原動力とならなければならない。」の真意をわずかでも学んだ、八雲での貴重な体験に感謝。

 

2     「基地司令として…」

 私は着任時、基地運営指針として①戦闘員としての意識・体質の保持②組織的活動の実行③地域社会への貢献とした。
 ①平和な時代に安寧することなく、各種制約を克服して常に戦闘行動を基準に、思考・行動するための自覚を持て②自己及び所属部隊のみの各種目標の達成等に固執することなく、各機能及び各部隊間の調整を密にして部隊又は基地としての総合力の有効な発揮に努めること③戦力発揮基盤である基地の健全な運営には地域住民の正しい理解と支持は不可欠。

 このため常日頃からの協調を図り、良好な人間関係を築くことと、
両隊長をはじめとして基地運営及び隊の練成訓練に専念し得た。これまで基地対策に尽力されたこられた歴代基地司令の努力の賜に感謝する次第。とりわけ20周年記念行事については、二度とない経験となった。

 

3     「高射隊長として…」

 米国年次射撃訓練では、国内と全く異なる訓練環境の中でおう盛な責任観念と堅確な意思をもってクルーと接することができた。
 訓練においては特に方面隊訓練検閲及び昨年の総隊総演( 八戸) においては指揮官として重要な判断を下せる機会を得てなんと幹部冥利についたことか。

 また、高射整備幹部として部隊勤務をして、防衛幕僚を経験してきたこともあってペトリオット装備品及びその運用については同装備品の我が国導入に従事したこともあり、安心して射撃、整備の両小隊にまかせることができたようだ。隊長とて編単隊の指揮官として信頼を持ちつつも、現場進出を心がけてきた。

  

4    「福江広明という一個人として…」

 北海道の勤務が始めたであったこともあって家族と共に大自然の恵みを十分に受け堪能することができた。夏のキャンプについては、連休を利用して旭川、網走、釧路、十勝、富良野等、今思えば数千キロにわたる長距離走行かなり無理をしたことも想い出となり。

 渓流釣りは3回だけであったが、釣りなど経験のない私には魚を釣る行為以上に、精神的安定を求めることができた。もうきっとイワナ、ヤマベの戯れることはないだろう。

 冬のスキーも防大での5日間の妙高訓練以来であったが、部隊での訓練でなんとか楽しむ
程度のスキーを身につけられ、また私の娘達も世話になったおかげで親も驚くほどの上達ぶりで今後とも年一で滑走を楽しませてやる決心がついたのも成果でしょう。

 もう一つ、どうしても話さなくてはならないのが静狩峠に眠る私の同期生のこと。まさに運命なのでしょうが、偶然この地に勤務することなり彼の御霊を慰めることが何にも代え難い幸せでした。
 遺族の方々を迎え、厳かに石碑を設置した上に、慰霊することができ皆になんとお礼を言っていいのやら。現場を是非訪れたい気持ちでいっぱいです。

 

5     「最後に…」

 私は、3月25日付をもって航空幕僚監部防衛部運用課運用1班で勤務することになり不安が先立つ中で前向きに業務をこなしていきたいと思っている。

 業務内容が定かでないことは好都合。課長、班長の意思を確認しつつ、各業務担当と議論を交わして具体化していく。その時にここで培った部隊経験、皆の姿を思い起こしながら専心したい。

 とにかく人間関係、なんといっても『信頼』が持てるか否かが重要。各担当に私の流儀( 業務処理要領)を理解してもらう一方で彼らの手腕をちゃんと評価することがたいせつなのではないだろうか。

  

「珈琲ブレイク」

 八雲を離任するに当たり、町名の由来となった須佐之男命が妻櫛名田姫に送った歌「八雲立つ     出雲八重垣つまごみに  八重垣つくる  その八重垣を」を参考にして作ってみました。

( 因みに私自身、短歌、俳句、川柳には全く造詣はありませんので足からず)

 

八雲経つ 我が身育む ユ ー ラ ッ プ

遊楽部 八雲盛えし 千代に八千代に

(意味: 八雲( 基地及び町) の地で過ごした時。遊楽部川に代表される大自然と、遊楽部会という友好的な組織のおかげで、指揮官として一社会人として成長できたようです。この基地及び町が自然と共存しつつ永久に発展し続けることを切にお祈りします。)

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