1 「離任に当たって…」
任官以来の願望であった「高射隊長」の職務をまもなく全うしようとしている。経歴上 部隊指揮官の経験がなく幕僚業務に専従してきた私は、八雲赴任に当たり自らが指揮官として適しているの否かの命題をかした。
しかし、今日に至ってもその結論は得ていない。ただ、幕僚勤務時代の各種業務処理を伴う責任から生じる多忙感、切迫感といった精神的抑圧( ストレス) と、指揮官( 隊長) という立場で負うそれとは明らかにかなりの差があり、“ 重責” とはよく言ったものだということは実感できた。
このおかげで平時において責任の逃避や回避を繰り返すようでは、部下に生命の尊厳性を語り、有事に生死を超越した命令・指示を与える資格などないことも察しがつくようになった。
綱領の一節である「指揮の本旨は、部下を振作し、一致団結、至誠をもってその任務を完遂させるにある。指揮官は指揮の中枢であり、………。事に臨んでは沈着冷静、積極敢為、き然として難局に当たり、任務遂行の原動力とならなければならない。」の真意をわずかでも学んだ、八雲での貴重な体験に感謝。
2 「基地司令として…」
私は着任時、基地運営指針として①戦闘員としての意識・体質の保持②組織的活動の実行③地域社会への貢献とした。
①平和な時代に安寧することなく、各種制約を克服して常に戦闘行動を基準に、思考・行動するための自覚を持て②自己及び所属部隊のみの各種目標の達成等に固執することなく、各機能及び各部隊間の調整を密にして部隊又は基地としての総合力の有効な発揮に努めること③戦力発揮基盤である基地の健全な運営には地域住民の正しい理解と支持は不可欠。
このため常日頃からの協調を図り、良好な人間関係を築くことと、両隊長をはじめとして基地運営及び隊の練成訓練に専念し得た。これまで基地対策に尽力されたこられた歴代基地司令の努力の賜に感謝する次第。とりわけ20周年記念行事については、二度とない経験となった。
3 「高射隊長として…」
米国年次射撃訓練では、国内と全く異なる訓練環境の中でおう盛な責任観念と堅確な意思をもってクルーと接することができた。
訓練においては特に方面隊訓練検閲及び昨年の総隊総演( 八戸) においては指揮官として重要な判断を下せる機会を得てなんと幹部冥利についたことか。
また、高射整備幹部として部隊勤務をして、防衛幕僚を経験してきたこともあってペトリオット装備品及びその運用については同装備品の我が国導入に従事したこともあり、安心して射撃、整備の両小隊にまかせることができたようだ。隊長とて編単隊の指揮官として信頼を持ちつつも、現場進出を心がけてきた。
4 「福江広明という一個人として…」
北海道の勤務が始めたであったこともあって家族と共に大自然の恵みを十分に受け堪能することができた。夏のキャンプについては、連休を利用して旭川、網走、釧路、十勝、富良野等、今思えば数千キロにわたる長距離走行かなり無理をしたことも想い出となり。
渓流釣りは3回だけであったが、釣りなど経験のない私には魚を釣る行為以上に、精神的安定を求めることができた。もうきっとイワナ、ヤマベの戯れることはないだろう。
冬のスキーも防大での5日間の妙高訓練以来であったが、部隊での訓練でなんとか楽しむ程度のスキーを身につけられ、また私の娘達も世話になったおかげで親も驚くほどの上達ぶりで今後とも年一で滑走を楽しませてやる決心がついたのも成果でしょう。
もう一つ、どうしても話さなくてはならないのが静狩峠に眠る私の同期生のこと。まさに運命なのでしょうが、偶然この地に勤務することなり彼の御霊を慰めることが何にも代え難い幸せでした。
遺族の方々を迎え、厳かに石碑を設置した上に、慰霊することができ皆になんとお礼を言っていいのやら。現場を是非訪れたい気持ちでいっぱいです。
5 「最後に…」
私は、3月25日付をもって航空幕僚監部防衛部運用課運用1班で勤務することになり不安が先立つ中で前向きに業務をこなしていきたいと思っている。
業務内容が定かでないことは好都合。課長、班長の意思を確認しつつ、各業務担当と議論を交わして具体化していく。その時にここで培った部隊経験、皆の姿を思い起こしながら専心したい。
とにかく人間関係、なんといっても『信頼』が持てるか否かが重要。各担当に私の流儀( 業務処理要領)を理解してもらう一方で彼らの手腕をちゃんと評価することがたいせつなのではないだろうか。
「珈琲ブレイク」
八雲を離任するに当たり、町名の由来となった須佐之男命が妻櫛名田姫に送った歌「八雲立つ 出雲八重垣つまごみに 八重垣つくる その八重垣を」を参考にして作ってみました。
( 因みに私自身、短歌、俳句、川柳には全く造詣はありませんので足からず)
八雲経つ 我が身育む ユ ー ラ ッ プ
遊楽部 八雲盛えし 千代に八千代に
(意味: 八雲( 基地及び町) の地で過ごした時。遊楽部川に代表される大自然と、遊楽部会という友好的な組織のおかげで、指揮官として一社会人として成長できたようです。この基地及び町が自然と共存しつつ永久に発展し続けることを切にお祈りします。)