この文章は、F3プロジェクト・メンバーである荒木淳一が日本戦略研究フォーラム季報の【特集】第3回台湾海峡危機政策シミュレーション報告に寄稿したものを再掲載したものです。
1 はじめに
令和5年7月15日(土)~16日(日)、JFSS主催の第3回台湾海峡危機政策シミュレーションに参加する機会を得た。筆者にとって第1回から3年連続の参加であったが、終了後の充実感・達成感は前の2回に較べて遥かに大きなものであった。台湾海峡有事という対象とする事態こそ共通であるものの、シナリオも年々精緻にかつリアルになっており、参加プレーヤーも実務に関わってきた元事務次官クラスや安全保障に詳しい政治家の方々などが増え、年々充実してきている。模擬する意志決定の場も国家安全保障会議(NSC)9大臣会合を中心に関係国、関係省庁等との協議・調整の場も設けられるなど極めてリアルな場の設定の中で、論点を絞った重要なテーマに関して真摯で活発な議論が時間を忘れるほど熱心に交わされ、極めて有意義であったことを実感したからでもある。
1、2回目はプレーヤー(航空幕僚長役)としての参加が主体であったものの、今回はシナリオ作成から政策シミュレーション全体の建付けまで企画・運営サイドとして参加することとなった。昨年8月に第2回シミュレーションが終了した直後の9月からキックオフ・ミーティングが開始され、ほぼ1回/月の頻度でシナリオ検討会議が重ねられた。本番数か月前からはシミュレーションの運営・実行の為の様々な調整会議も頻繁に行われた。所用で参加できなかった次の会議で、シナリオの進展・深化の度合いに戸惑うほどスピード感をもって精緻なシナリオが作成されるなど、毎回真剣な議論が積み重ねられていた。この様な準備プロセスへの参加を通じて、第3回シミュレーションの狙いと焦点、シナリオの意図、期待するアウトプット等を十分理解して本番に臨めたことも、遥かに多くの気付きや学びを得ることに繋がったと考える。安全保障・防衛に関する国民の理解を深め、各種政策を推進する国内環境を醸成することは制服OBとしての責任でもある。今回の政策シミュレーションに関与することで少しでもそれを果たすことができたことに安堵するとともにこのような機会を与えてくれたJFSSに深く感謝したい。
今般のシミュレーションは世界で初めて日米台のシンクタンク関係者が参加するなど、内外のメディアの関心は極めて高かった。シミュレーション期間中も各メディアで取り上げられ、TV番組内での視聴者アンケートで91%が「台湾有事に日本が巻き込まれると思う」と回答するなど、台湾有事に対する国民の関心を喚起するというミュレーションの狙いの一つが達成されつつあることを実感できた。同時に、ウクライナ戦争が長引くにつれてメディアの報道はどんどん少なくなり、国民の関心が薄れていく実態を見るにつけ、継続的な発信がいかに重要であるかを改めて痛感している。
本稿では、プレーヤーではなく企画・運営側の一員として関与する機会を得た第3回政策シミュレーションの特徴、意義、成果についての私見とオブザーバー(大使館関係者)支援を担当して気付いた点について述べてみたい。そして、最後に今後の日本の安全保障における民間シンクタンクのあり方についての私見を述べてまとめとする。
2 第3回の特徴と意義・成果
今回の政策シミュレーションの特徴は成果速報等でも触れられている次の三点である。第一にはシミュレーションのサブ・タイトル「徹底検証:新戦略3文書と台湾危機」が示すとおり、戦略3文書に書き込まれた日本政府としての取組みの一部が実現していることを想定し、2027年時点での日本の安保体制が台湾有事に機能するか否かを検証しようとした点である。第二に、台湾海峡危機に直接・間接的に大きな影響を受け、深く関与せざるを得ない関係国等(日米台)からの研究者や実務者などの参加を得たことである。第三には、従来の我が国における机上演習やシミュレーションにおいて殆ど実施されてこなかった武力紛争を如何に終結させるかというシナリオを採用したことである。
第一の点に関しては、1回目、2回目のシミュレーションで浮き彫りになった課題、すなわち日本の危機管理体制に関する課題や日米同盟の実効性を高める為の課題、更には日台関係に関する課題の多くは戦略3文書に取り込まれたが、その多くが今から取り組まなければならないものである。課題ばかりが浮き彫りとなった前回までとは異なり、政府として如何に適切に判断し実行していくかが焦点となる等、シミュレーションの焦点が過去2回の政策課題の抽出から日本の安全保障体制の実効性検証にステップアップするなど大きな進展であった。他方で、戦略的コミュニケーションを実施する政府内の体制構築、能動的サイバー防御を実施するための法制の整備、台湾との連絡調整メカニズムの構築、更には特に南西諸島における国民保護計画の策定等、現時点で未だ実現していない取り組みの重要性が改めて浮き彫りになったとも言える。すなわち、それらの取組みが実現出来なければ、シミュレーションの様に日本政府として台湾有事に対処する手段すら持ちえないことを意味するからだ。従来、重要な政策決定や新たな戦略策定など、政治的に重い課題を実現した後は、ややもすると「策定して終わり」に陥る傾向があることから、戦略3文書で示された各種取り組みを実現する政府の取組みを詳細にフォローする必要がある。日本の安全保障を全うする政府の覚悟が問われているのであり、国内事情等を理由に先延ばしされることがあってはならないと考える。
第二の点に関しては、台湾当局の外交等の実務に豊富な経験と知識を持つ有識者の参加を得たことで、プレーヤーの各種判断、調整が極めてリアルなものになると同時に台湾当局が日本に対して何を期待しているかなど、当事者の認識を確認出来たことは大きな成果であった。更に、日米台のシンクタンクが参加した本シミュレーションが国内外のメディアに取り上げられたことによって、日米台が台湾海峡危機への対応に真剣に取り組んでいるという戦略的なメッセージを中国政府に送れたことは大きな意義があったものと考える。他方で、今後、台湾有事に対する国民の関心が低下したり、戦略3文書にかかる各種取り組みが国内政治事情を理由に進まないならば、台湾有事に対する日本の真剣さが侮られることになることを政府は肝に銘ずべきであろう。
第三の点に関しては、戦後初めて保有することとなった反撃能力(主として巡航ミサイル)をどの様に使用することが最も効果的かについて、政治レベルで考える良い機会となった。しかし、保有する反撃能力のあり方(保有する長距離精密誘導兵器の種類、弾頭、規模等)については軍レベルで詳細なシミュレーションとネットアセスメント等の分析に基づき結論を得るべきものであり、中長期的な取り組みが不可欠である。当面は現在、整備することとなっている12式SSMの能力向上型やトマホークなど、巡航ミサイルを有効に発揮できる体制・態勢の整備を優先しつつ、並行して敵のA2AD脅威に対する拒否的抑止の観点から弾道ミサイルの保有の可能性を含めて総合的に検討する必要がある。また、反撃能力に関しては、自己完結的なキルチェーンの構築や日米共同でのターゲティング、反撃能力の行使のあり方など、新たに創設される予定の常設統合司令部(PJHQ)とインド太平洋軍司令部との連携の在り方を含めてスピード感を持って検討を進めなければならない。
その他の成果として、第1回から今回まで共通の課題として事態認定の問題が改めて浮き彫りになった。特に政府による事態認定が自衛隊の行動の根拠や政府の権限や危機管理体制の立ち上げなどのトリガーとなっており、認定することによって生じるプラスとマイナスの影響を踏まえた判断が必要になる。事態認定したことによって抑止体制を強化するための自衛隊の展開が可能になる反面、相手から事態をエスカレーションさせたと捉えられたり、民間輸送業者の支援が得にくくなったりする等の背反的な性質を持つことから、法律の枠組みの変更を含めて政治の場での議論が求められる。また、事態認定のための政府としてのプロセス(対処基本方針の作成、国家安全保障会議への諮問、対処基本計画の決定、国会承認、事態対策本部の運営等)に関して、一部の机上検討に止まっていることは大きな問題であり、NSSや関係省庁における個別の検討・検証から始めて最終的には関係者が揃っての総合的な訓練・検証が実施できる枠組みを構築しなければならない。「練習で出来ないことは本番でも出来ない」とよく言われるが、そのレベル以前の現状であることに危機感を覚えなければならない。
また、台湾危機時に想定される邦人輸送、国民保護等にかかる課題も改めて浮き彫りになった。今回のシナリオでは海保の巡視船を含む政府の保有する全海洋力資産を平時から有事に掛けて変化する情勢に応じて如何に最適に資源配分するかという対応が検討された。しかし、そもそも政府保有の海洋力資産のみならず航空力資産にも限りがある。従って、邦人輸送や国民保護等に関わる輸送力の確保に関しては、民間輸送業者(海上輸送、航空輸送)と情勢が悪化する段階に応じて如何なる調整が可能か、どの程度の期間でどの程度の輸送が可能かについて見積もった上で、必要な輸送量を確保するための方策について早急に検討する必要がある。例えば、米国の民間予備航空隊(Civil Reserve Air Fleet; CRAF)を参考に情勢緊迫時に政府が民間航空会社の航空機の機体を一定数チャーターし、予備自衛官として登録された元自衛隊パイロットが運航を担任することを可能とする契約のあり方等について検討する価値は十分にある。
更に、今回のシナリオでは余り検討・議論されなかったが、米軍の事前配備部隊(インサイド・フォース)の展開を担保するために必要な九州、南西諸島を中心とする民間空港や港湾の使用、更には燃料・弾薬等の事前配備等を具体的にどのように実現するかについて法制上の課題や具体的な資器材の整備、更には地域社会の理解を得るための取組みなどについて検討を加速化する必要がある。特にA2AD脅威下における台湾有事に対応するために米空軍は迅速な戦闘機動展開(Agile Combat Employment; ACE)という構想によって地上における脆弱性を局限するとともに航空戦力を最大発揮するドクトリンの具体化を急いでいる。ACE実現の鍵の一つが自衛隊の飛行場等の使用のみならず民間空港の使用、弾薬等の事前配備等である。これらの措置はわが国の航空戦力運用にとっても不可欠な措置であるだけでなく、米軍の航空戦力の展開と活用のための前提条件でもあることから、事態の推移に応じて民間空港、港湾等の特定公共施設をより早い段階で使用できるよう、法制度の改正を含めて検討すべき課題である。
3 オブザーバー(大使館関係者)担当としての気付き
シミュレーション期間中においては、オブザーバー(大使館関係者)支援の担当であったことから、米国、英国、フィンランド、台北中日經濟文化代表處からの18名のオブザーバーに対して補助者1名と共に対応した。英語版のプレーブックと各シナリオの狙い、期待するアウトプットを要約したシナリオ概要(英語版)を手交し、別室で説明した後、シミュレーションのシナリオ結節時に質疑応答を受けたり、補足説明を加えるなど彼らの理解が深まるよう支援した。その質疑応答のやり取りの中で気付いた点は以下の通りである。
第一に、当然ではあるが、在日大使館勤務の外交官、武官等であっても必ずしも日本の有事法制に関する理解が十分であるわけではないということである。日本の武力攻撃事態法を含む安全保障法制は、その都度、新たな法制を継ぎ足してきた「増築を重ねた古い旅館」のような構造になっており、実務に携わった経験がある日本人にとっても理解が難しく複雑な法体系となっている。シナリオにおいて何が論点となっているのかより、何故そのような法体系になっているのかに関する質問が多かったのも頷ける。彼らの視点からすると安全保障・国家防衛を全うする為の合理性より、憲法を頂点とする国内法体系との整合が優先されるように見えることに違和感や不思議さを感じているようであった。従って、日本政府の危機対応時に如何なる課題があるのかについて、武力攻撃事態法を含む安全保障法制に関する理解を得られるよう不断に在京の大使館関係者に対して説明する機会が必要であり、本政策シミュレーションのみならず民間シンクタンクにおける各種の政策シミュレーションが日本の法制に関する理解を促進する重要な役割を果たすものと考える。
第二に、本シミュレーションにおいて事態認定が焦点となる中で、日本における国家としての意志決定や政府内の手続きが如何なるプロセスを踏むのかについても理解は十分でないよう感じられた。事態認定に当たって、対処基本方針の策定、国家安全保障会議への諮問、対処基本方針の閣議決定、国会承認、事態対策本部の運営等、一連のプロセスについて説明を行って理解を得ることが出来た。しかし、彼らに説明しながら、現実にそのような事態認定を行う状況が生起する前に、関係省庁の実務者間で机上演習やシミュレーション、細部の検討などを実施しておかなければ「画にかいた餅」になりかねないと感じた。
第三に海自と海保の平時から有事に掛けての連携が議論された際、国交大臣役の有村議員から紹介された「国民保護標章」について殆どの大使館関係者が認識していなかった。あの旗は何を意味するのか、何故、その旗が論点となっているのかについて質問され、説明を試みたものの十分な理解は得られなかった。また、近年の弾道ミサイルや巡航ミサイルの脅威が顕在化している状況下において、ミサイルは標章を認識できないという指摘も受けた。未だ武力衝突に至っていないグレーゾーンにおいて目視範囲内に近接して活動する場合は確かに識別できるが、目視範囲外からの攻撃が想定される状況では標章は意味を成さないとの指摘だと理解した。自衛隊の海空輸送力に限りがあり、非軍事組織である海上保安庁の巡視船を国民保護の輸送に使う意義については説明し理解された。しかし、シナリオ③において政府が既に「武力攻撃事態」を認定し、九州と南西諸島の米軍・自衛隊基地に弾道ミサイル攻撃が開始された以降、与那国島に取り残された住民を輸送するため、国民保護標章を付けた海保巡視船が住民の島外避難のため輸送任務を行うことについては殆ど理解されなかった。海保巡視船などの政府保有の輸送アセットを最大活用することは重要ではあるが、状況に応じて使用の適否を判断すべきではないだろうか。「事に臨んでは身の危険を顧みず」という宣誓を行っている公安職国家公務員は自衛隊員のみである。武力紛争の最前線に法執行機関たる海上保安庁の職員と巡視船を送りこみ、文民輸送の任務を担わせることの実行可能性、リスク等について更なる検討が必要かと思われる。少なくとも国際社会からの理解を得られない日本の「独り善がり」になってはならない。
第四に、シミュレーションにおける議論の主たる場であったNSC9大臣会合において、リーガル・アドバイザーがいないことに対する疑問が呈された。日本の場合、多くの官僚、実務者が法学部出身であり法の専門家でもあることを伝えたが、状況が変化する中で、安全保障・軍事の観点から法的助言が出来る国際法等の専門家が必要ではないかとの意見であった。武力攻撃事態など国民の生命財産が武力によって直接脅かされ、政府の判断次第で情勢が大きく変化する切迫した状況下で、瞬時に判断と意志決定を行わなければならないNSCにおいて、事態に応じてリーガルアドバイザーを配置することも検討すべきであろう。
第五に、反撃能力の行使に関して日米共同での使用を追求する姿勢と総理レベルでの判断が必要との慎重な対応については理解された。英国においてもトマホークの使用は戦略的な判断が必要な事項であり、首相の判断に委ねられるとのことであった。反撃能力の整備と並行して米国の目標情報の共有やターゲティング要領などに関するノウハウの修得を進め、攻撃目標や優先順位などについてインド太平洋軍と統幕又は新設される常設統合司令部(PJHQ)間で事前に十分擦り合わせた計画を策定しておくことが極めて重要である。
最後に、今後、本政策シミュレーションを更に発展させるためには、在京の大使館関係者のみならず海外の研究者、シンクタンク関係者等の参加、又はオブザーバー参加を求めることも一案である。その為には、日本語が堪能でない参加者、オブザーバー等に対しては、PPT資料、ハンドブック等を含めて全て英語版で提供できる準備をするとともに、必要に応じて同時通訳の配置、動画配信などについても検討すべきである。
4 おわりに
第3回政策シミュレーションは多大な成果をあげたものと高く評価できるが、シナリオ作成、全体の建付け、参加者(特に政治家等)に対する事前説明など、本政策シミュレーションの企画・運営を主導したコア・メンバー(岩田氏、武居氏、尾上氏)並びに長野禮子事務局長を筆頭とするJFSSスタッフの全面的支援無しにはこの成果を得られなかったと改めて感謝したい。特に、コア・メンバーを含め企画・運営に携わった多くの実務家OB、制服OBの安全保障・防衛に関する経験・知見のレベルは、日本国内においては考え得る最高のレベルに近い。翻ってこのコア・メンバーに匹敵する専門家を有するシンクタンクでなければ同様の質の高い政策に直結するシミュレーションは不可能であるとも言えるが、志の高い実務家OBのリクルートだけではなく、そのような専門家を育成しておくことも極めて重要である。成果速報で長島議員が指摘するように、「政治家を鍛える、政府としての判断・決心の練習、訓練が出来る仕組みを作る」ことは極めて重要である。また、今回、議論が深化した経済安全保障に関わる検討を進めるに当たり、有事における経済・財政・金融のあり方等を検証するとともに経済界が参加できる政策シミュレーションが必要であるとの指摘もなされている。様々なシミュレーションの場を提供し、政策の議論に繋げるためには国内におけるシンクタンク機能の強化とともに専門家の育成、活用が重要である。防衛省・自衛隊の現役が秘密を含む詳細な情報に基づき実施すべき検証演習、机上演習等に関しても、現役だけの知見、識能で全てを自己完結させるには限界がある。従って、退官した自衛官の適格性の延長を可能とするよう現行規則類を見直すことにより、現役が実施する秘の内容を含む検証演習のみならず人材育成のための訓練演習などを企画・実行できるOBの人材を確保し、活用することが、最終的には防衛省・自衛隊の抑止・対処能力の実効性向上に繋がるものと考える。JFSSには今後とも日本におけるシンクタンク機能を底上げ・強化する流れの先頭に立ち主導して行って貰いたい。