ホーム人材育成の糧指揮官教育の伝承その1

指揮官教育の伝承その1

企画(担当・福江広明)の概要

1 目的
 昭和、平成の時代において伝承されてきた指揮官のあるべき姿に触れることにより、令和の時代において複雑多岐な安全保障環境の中で活躍する現役指揮官の自己啓発に寄与する。
 特に、令和4年2月ロシアによるウクライナ侵攻に伴う各種情勢がメディアを通じて伝えられる中で、ほぼ報道されない両軍将兵の多大な犠牲の下で遂行されている指揮・統率を推し測り、あらためて自らが今なすべき指揮・統率の在り方について問い、考え抜く一助とする。

2 記載事項
 参考資料から任意に抽出した指揮に関する題材(論題)を記載した上で、平成の時代に指揮官を務めたOBの一人として、その内容に関連するコメントを付言する。

3 参考資料
 平成元年航空幕僚監部教育課が、指揮官教育の充実施策の一環として編集した「言い残すべきこと」(ー若き指揮官達のためにー)

4 本資料の編集趣旨(以下は、開示資料表現のママ記載)
(1)資料の内容は、執筆者である各級部隊長が、これまで指揮官、幕僚等としての職責を真摯に果たされてきた成果の集大成である。

(2)指揮官としての追求すべき究極の目標は、時代の変化にかかわらず不変であるとの認識から、努めて実践に即したこれら先人の体験、意見を通じて、被教育者に自己啓発の資となるよう活用していただきたい。

(3)これら趣旨を十分に理解の上、本教育資料の十二分な活用により、真に実のある教育を実施され、航空自衛隊の輝かしき将来を担うに足る指揮官を育成されんことを願って止まない。

5 企画の背景
(1)私自身が、この指揮官教育資料を眼にしたのは平成6年初めての空幕勤務の時である。当時は指揮幕僚課程を卒業して間もないことと、日々防衛力整備事業にかかる業務の専従であったため、部隊指揮官に強い憧れ(小隊長の経験は無し)を抱いていた時代でもある。

(2)空幕3年間の勤務を経て、初めての部隊指揮官(高射隊長)として現場部隊に赴任する前に、この資料を大いに活用したことを思い出し、行政文書開示請求を令和元年11月を行い、各種手続きを経て今月入手した次第である。


(3)この資料は「作り人」知らずではあるが、まさに現場指揮を執った先人の実感が伝わる内容であり、必ず現役の若き指揮官・幕僚に有用であると確信する。


6 今後の予定

 この資料は、3部約80編が集約されている。この中から、私自身が共感、共鳴できる指揮統率上の体験を付言できる題材を抽出して、月1編を基準に継続掲載できればと考える。

先人の知恵と経験(その1):「指揮官教育のためのノウハウ」(第1分冊29~32)

Ⅰ 「昭和」からのメッセージ

   1989年空幕が指揮官教育の充実施策の一環として編集した参考資料「言い残すべきこと」(ー若き指揮官達のためにー)の中から、任意に抽出した指揮に関する題材(論題)の一つを記載。

1 現場進出

  現場進出は初級幹部の頃より、上司に指導を受け、その必要性を説かれて来た事項であるが自分が指揮官の立場で問題解決に当たって見ると改めてその重要性を痛感した。そして、次の2点を特にメリットとして体験している。

(1)現場は情報の宝庫である

   かつて、サイト長時代、隊員の行方不明という事案が突然発生した時の事である。隊長、先任空曹等に当該隊員の内務班ロッカー、下宿等を調べさせ報告させたがどうも手掛かりらしきものもつかめない。
        そこで、みずから、下宿へ行き、チリ箱の中等を引っかき廻したら、出るわ出るわ、サラ金からの請求書の山であった。一目瞭然とはこの事で、2日後に大阪へ飛んでいた隊員を無事保護し、本件は解決したが、本件ではこのほかにも当時の真面目、優秀と言われている上級空曹の実態がこの程度かと思い知らされた面もあった。
         即ち、「触らぬ神に崇りなし」という態度で、問題ある隊員を避ける風潮が底流にあった事も確認できた。

(2)指揮官が現場に出れば隊員はよく働く

   指揮官の現場進出は「率先躬行」という事で統御的側面が教範等で強調されているが、それはそれとして、現実的には、自分の人事権を実質的に有し、評価する立場にある指揮官の前では隊員は本能的によく働くという事を痛感した。
         これは極めて正常な人間関係であって、この事をよくわきまえて指揮官は指揮の実行にあたる必要がある。「神の如き高邁な人格を指揮官に求め、その人徳に部下は従うが如き」指揮官教育から脱却し、人間の本性に素直に立脚した教育が実効あるものとして推奨される時期に来ていると考える。

2 他人の智恵を借りる

   年を取って来れば誰でも他人の智恵の活用は重視するわけであるが、指揮官の責任を全うする為には取り分け重要である。私は次の事例においてその事を痛切に感じた。

   某年の空自総演の真最中、管制隊長から「異常接近が発生しました。」という報告が入った。サイト長に就任時、「異常接近」、「隊員の死亡事故」及び「飲酒運転」の3つだけは何としても起こしてはならぬと胆に命じていた。
      その「異常接近」が発生したと言うのであるから内心ギクリとした事は今でも憶えている。早速、オぺレーションに入って見ると隊長以下茫然自失の状態であった。零石事故以降「異常接近」は御法度であり、AC&W部隊に取って最大の恥である。隊長以下の気持ちもわからないではないが、この事態に部隊として、最善の対処をしなければならない。
      本来であれば、編単隊長が.率先処置すべき事項であったが、隊長の様子を見て、群司令みずから事に当たる必要があると判断し、関係者から直接事情聴取を行った。
      その結果、「異常接近」と言明しているのは運輪省の管制官で、パイロットが「異常接近」と認識した事実はどこにも確認されてい なかった。更に運輸省の管制官と話して見ると1人は声高に自衛隊の非をなじり、鬼の首でも取ったかのように「異常接近」と断定しているが、直接管制していたもう1人の管制官は必らずしもそうではなく事実の照合をもう少し、冷静に行う必要があると判断された。ところが運輸省ラプコン側は強硬に「異常接近」を主張する管制官が現場を統制して、サイトとの直通ラインに出て来ないため、問題解決は袋小路に陥入った。
      そこで困った私が突破口として頼ったのが「他人の智恵」であった。誰の智恵を借りるか?私はその時点で運輸省ラプコンと日頃から交流のある管気団某基地管制隊長しかいないと考え彼に電話した。
      防大の後輩であり、事情を説明し気楽に「おい、智恵を貸してくれ」と依頼したところ、すでに状況は管制隊側にも流れていて承知しており、すぐにラプコンの先任管制官であれば冷静に意見の交換が出来るとのアドパイスを受けた。私は直通ラインではラプコン側が応対しない状況となっていたので公衆電話で先任管制官に電話した。
      彼は基地管制隊長が助言した通り、冷静で理性的対応に終始し状況も的確に掌握していたので、お互いの事実関係と主張の異なる点を明確に弁別することができた。そして事態が「異常接近」なるものではない事も了解した。
      演習時の通常と異なる錯綜した状況の中で感情的判断をもって事が処理されようとした時、それを食い止めることができたのはまさに「他人の智恵」のお陰であった。あの時、基地管制隊長の智恵を借りようと私が判断せずそのまま自分の智恵だけで突走ろうとしたら、この問題解決は失敗していたであろう。

3 今、自分に出来る事は何か?

  自分は出来る事を100%成したるや?

  不測事態に遭遇した時、「今、自分に出来る事は何か?」という発想で事にあたり、初動の措置がー段落した時点で「自分は出来る事を100%成したるや?」 と自らに問う事は、問題を生起させた部隊の指揮官として大切な事であり事態を進展させる上で有益であったと体験上言える。
      勿論「なすべき事は何か」という事が、頭の中に一通り入っている事や「速やかに所要の報告」をなすべきは前提としてあるが、突発的に事態か生起し、実効ある対策がすぐに頭に浮かばない場合、なかなか有益であった。
      前2項であげた「異常接近騒動」で袋小路に入った時、「今、自分に出来る事は他人の智恵を借りる事なり」という結論に達したのもこの発想であった。


  ある年、2人の空曹が通電関係の講習でX基地に出張した。帰隊当日のタ方その1人某1曹から部隊に電話が入り「現在地、A駅、午前00時00分頃、B駅で荷物をすり換えられ、団司令部から配布された講習資料を紛失した」旨の第1報が入った。
      更に追加で「秘文書はなかった模様」と報告された。追加報告はあったものの、何か引っ掛るものを感じながら,早速、資料配布元の団防衛部長に電話し、更に団副司令に報告した。
      まもなく防衛部長から電話が入り、「あの文書は部外に渡ってはならぬ文書である。警務・調査にも依頼した。」旨の連絡があった。その時点ではB駅で発車問際にみやげ物を買いに行き「みやげ」の袋がすり換えられ、中に入っていた文書もろとも消えたというだけで部隊としても手の打ちようがなかった。
      1時間半程して、本人達2人が帰隊したので状況を詳細に確認するとともにもう1人の空曹が持参した同じ文書を見て、これはえらいものをなくしたと直感した。
      その時の発想が、「今、自分に出来る事は何だろう?」であった。故意のすり換えか、単純な過失か?その時点で断定する何物もなかったが、状況から単純な過失の可能性は十分にあった。単純過失であればその人の善意に期待できる、それにかけようと決心した。
      すり換え発生と推定される直後、B駅を出発した汽車は全部で3本あった。 D線,E線それにF線各1本であった。 それらの全ての駅に電話を入れた。 届出の有無を確認し、連絡をお願いした。
       次の日まで待って駄目な場合、次に何が出来るか?駅に制服の隊員を張り付けよう、そう考えていた。しかしその必要はなかった。待望の連絡が入ったのである。

      本事例では、この発想が結果を導いたわけではないが、指揮官として、己れの責任を全うしようとした気持が天に通じたように思えてならない。


4 編単隊長の指揮実行上の着意事項

(1)部下掌握

     隊員個々に至るまで、詳細に掌握に努めるとともに、掌握している事項を活用する。また隊員に掌握されていると言う認識を、持たせることも統御上のー法である。このため、身上票、個人申告書等と写真を常時見れるようにすることが必要。

(2)意図の明示

     あらゆる事象で,隊長の意図を明示し、部下が進むべき方向を明確にして、常に動きやすいようにする。

(3)企図は断じて実行する気迫での業務処理

     「上司は2~3年で変わる、我慢すればよい」の風潮を打破すべく、思った事(企図)は断じて実行する必要がある。

(4)実行の確認

     3項と同じ理由から細部にわたるまで実行の確認をする必要がある。

(5)隊内業務の有機的かつ組織的な実施

     安全係、品質管理係、訓練係、服務指導係、体育係を有機的に活用し、常にオーバーラップして、業務処理をさせるとともに、ショップ長、服務指導係、内務班長、内務指導係空曹(各内務班に配置)等が隊務運営に参画出来るようにし、組織的業務遂行に努める。

(6)組織の有効活用と業務処理能力の向上

     方面隊、補給処、団司令部等と積極的に調整し、部下が困っている事象を効果的に解決する能力を保持するとともに、状況により解決して見せることが必要。

(7)機会教育

     あらゆる業務処理を通じて、階級に応じた教育を重ねるとともに、教えかつ闘う臨場感と愛情をもって機会教育を行う。

(8)部下意見の聴取と採用

     部下意見を聴取するとともに、生活環境の改善、外出回数の増加、希望する基地への転勤、特昇等、努力かむくわれると言う環境作りを、一歩一歩進めてゆく。ただし、真に実行すべき内容か否かの確認が前提。

(9)あるべき姿の追求

    小隊長の経験不足、上級空曹の能力の低下から、えてして易きに就く傾向がきわめて大きいため、常にあるべき姿を追求する必要がある。

(10)直接的な任務遂行と隊員指導の「最後の砦」との認識

    機能別編成を基本とする空中組織にあって、編単隊長はその機能の最高位に位置する者であり、直接的な任務遂行と隊員指導についての最高責任者である。   誰よりも業務内容を熱知していなければならないと同時に、自分がやらなければすべてが「危うい」との強い認識が必要である。

 

 

Ⅱ 「平成」からのコメント等:

  ここではⅠ項の大項目及びその内容を受けて、私が現役時代に思考及び実行した体験談を付言するとともに、関連しそうな当該ホームページ内記事をリンクとして掲載するもの。なお、以下の文中、「先人」とあるのは、Ⅰ項の論者を指している。

 

1 『現場進出』

  私自身は高射幹部であり、初級幹部の時代は勤務場所が、まさに現場そのものであった。昼夜を問わず曹士隊員と共に日々の訓練・業務に勤しんだ数年の経験こそが後々まで私の現場感となった。
      小隊長職には就く機会がなく、「先人」が言われる人事権を有することがなかったからか、階級や年齢を超えた厳しい指導を隊員から受けることはしばしばであった。
      それでも彼らとの切磋琢磨は、自らの技量発揮上の大きな自信となり、相互の信頼感を醸成していったものである。


   私が現場進出を最初に強く意識したのは、高射隊長として分屯基地に赴任した時である。着任後、まず実施したのは、基地内施設及び周辺環境の把握である。
         特に、基地外柵については、一人で歩いて回り基地警備上の問題がないか、警備強化のための事業要求が必要か等、現場の物的状況を知ることに専念した。


         その後も異動先においては、「指揮官、執務室に蟄居せず」「顔の見える指揮官」を常に念頭に置き、基地内に点在する「現場」である各種事務所、ショップ等に足を運び、それとなく新人や気になる隊員を中心にコミュニケーションを図るようにしていた。

         こうした現場進出の行為は、航空総隊司令官として北朝鮮弾道ミサイル対処事案の最中でも継続した。
         部隊等の規模が大きくなればなるほど、任務遂行にかかる諸活動はシステム化、効率化、円滑化を求められ、教範等でよく見かける「有機的な組織活動」が問われるのだが、その有機性を醸し出すのに、指揮官の現場進出が不可欠だというのが実感である。


  なお、「現場進出」の題材に、関係ある(ありそうな)同ホームページ内ブログを、一読いただければ幸いである。
  1.八雲分屯基地勤務時代の思い出 3月分の雑感-第3項「高射隊長として…」

 

2 『他人の知恵を借りる』

  航空幕僚監部の装備部長(現在の装備計画部長)の職に就いた時の経験である。私自身は、それまで主に運用職に補職されたため、装備部が所掌する整備、補給、調達といった後方業務に従事した経験がほとんどなく、正直戸惑うことばかりであった。
     そうした私の歯がゆい思いを承知してのことか、幕僚は皆全力で支えてくれた。この時ほど幕僚の「知恵」を頼りにしたことはなかったのではないだろうか。
     この補職期間に、部下の知恵出しが難儀な事態を解決の方向に導いていったケースを経験することになる。

  2011年3月東日本大震災が発生。空幕勤務者も多くは帰宅を控え、現地の復旧作業に全力を尽くす日々が続いていた。
      後方業務にかかわる各種課題が山積する中、統幕後方・補給部長が陸海空各幕僚監部の装備部長を召集し、課題解決の定期的会合を開催し、東北及び関東一円で滞る物流の効率化・円滑化をはじめとする各種の難題についての対策を打ち出すための検討が連日なされていた。


  ある日、如何なる状況であったかはうろ覚えだが、被災地への救援物資の早期提供を図るために為すべきことについて議論していたと思う。各装備部長が事前に幕僚から得た情報を提供し合いながら、解決先を見出していくのが常であったが、補給業務に知見のない私は最もこの事案の解決に精通する幕僚をその会合の場に同席させ、一連の説明をさせることにした。これは、「部下の知恵を借りる」というよりも、部下の見識に全面的に縋るという表現が正しいかもしれない。結果、他の装備部長は彼女の説明に納得し、対策案の方向性が整い、解決につながったと記憶している。

  想定外の事態に一刻も早く適切な対応をとる必要がある時に、検討、議論、案出に多くの時間を費やしている場合ではない。この場合、最も事象に精通したプロフェッショナル、専門家、有識者を登用する英断も指揮官には必要になると思う。もちろん、指揮官としては、その幕僚(班長・1空佐)が如何に平素から部下を適切に指導し、当該班において優れた業務処理を行っていたかを把握し、その実力を認識していることが重要である。加えて、その幕僚に関係者に対するブリーフィングを実施させるものの、最終的な決心や責任は指揮官自らが負うのは当然のことである。

  なお、「他人の知恵を借りる」の題材に、関係ある(ありそうな)同ホームページ内ブログを、一読いただければ幸いである。
  1.府中基地勤務時代の思い出 「航空支援集団の「顔」は隊員1人1人」

  

3 『今、自分にできる事は何か?』

  「先人」も40年近く職務を遂行する中で、この『今、自分にできる事は何か』という自問自答を毎日のように繰り返してこられたはずである。私の場合、その中で究極の状況はどのような事であったのかと問われると、航空総隊司令官の職にあり、就任中に頻繁に発生した北朝鮮弾道ミサイル対応事案であったと言える。

  着任して最初の事態対応は、2016年2月の事案であった。この時は、自らが与えられた権限の中で適切に指揮することに専念するばかりであった。ミサイルの発射直前から我が国領空を出ていくまでは、指揮所の専用席に腰を下ろさず、時折腕を組みながら起立の状態であったはずである。
      元来、高射幹部として初級幹部の時から戦闘爆撃機及びミサイル(この場合は、空対地)の迎撃に関しては相当に訓練していたこともあり、オペレーションに臆することはなかったが、先の場合は、まさに有事である。我が国領空に侵入した以降、迎撃に失すれば領土・領海内に着弾し、以後はすみやかに国民保護のための対応を指示することが求められる。
      秒単位で刻々と変わる弾道経路を見ながらその次に起きるであろう事態をイメージしながら最適行動を繰り返し頭の中でレビューした。

  こうした事案の経験を幾度か重ねていくと、それまで自分自身の果たすべき事に精一杯だった状態から、隷下部隊に対象にして『今、自分にできる事を何か』という指揮官が本来果たすべき役割に目を向けることができるようになった。


  まず考えたのは数千名から成る統合任務部隊をマインド面で密接連携・一体化することを目指すために為すべき事である。もちろんその時点までにありとあらゆる対策が計画に盛り込まれているわけであるが、さらなる機能発揮に役立つことがあるはずとの考えの下、執った行動は三つ。
      ひとつは、毎日数度行われる事態対処のための小規模限定の練度向上訓練に自らも参加することとした。他の業務を考慮して、要人との会合等の機会を除けば、日に一度は必ず通信手段を確保して実施した。
      二つ目は、先に述べた「現場進出」の一環でもあるが、指揮所の中の幕僚はもちろんのこと、連携する横田基地所在部隊には機会を見つけては激励というよりもむしろ関係部隊が着実に練度を上げている状況とその能力を把握することを目的に関係部署に立ち寄り、隊員に直に声を掛け信頼関係を高めることに努めた。
     三つ目は、弾道ミサイルの破壊措置命令の下、事態対処の開始及び終結にあたっては、檄文を自ら作成し、統合部隊の関係部署と通信回線を構築し、直接統合の各級指揮官に訓示することを課した。
      内容は、保全の関係で掲載できないが、ある事態では最後に『永き情勢緊迫に備え続ける忍耐と、瞬時の事態対処に臨む勇気、加えて態勢強化を求める改善意識こそ重要なり』を付言したことを覚えている。


  計画された行動のほかに、指揮官の責任・権限の範疇において「先人」が述べられる「自らができる事は何か」に対する回答はいくつもあるだろう。その中からの選択はいつに直面している状況と時間の制約によるのだと思う。
      結果、その選択が最適であったか、効果を上げたかの評価は十分得られないことが多いと思う。それでも組織力、とりわけ人的戦力の最大発揮を考慮しながら事態対処のみならず、平素の隊務運営においても「今、自分にできる事は何か」を問い続けるべきである。

 
  なお、「今、自分にできる事は何か」の題材に、関係ある(ありそうな)同ホームページ内ブログを、一読いただければ幸いである。
  1.千歳基地勤務時代の思い出 「定年退職自衛官の背中をみつめて」
  2.千歳基地勤務時代の思い出 「若き隊員とのコミュニケーション」
  3.千歳基地勤務時代の思い出 「若き隊員とのコミュニケーション・パート2」

4 『編成隊長の指揮実行上の着意事項』

  「先人」による記載事項は、全部で10項目であるが、ここではそのうち「意図の明示」と「あるべき姿の追求」を取り上げる。


  1項で述べたように、意気揚々の気分で隊長職に就いた私は、部隊への赴任直前に同じ特技職の先輩から、着任までに隊長としての隊務運営に臨む姿勢、部隊のあるべき姿、その実現を目指す上での重視事項を活字にしておくようにと指導をいただいた。
      その際に作成した文書は定年退職時に破棄した可能性があるようで、見当たらない。

  想像するに、初めての指揮官職に就いたこともあり、きっとかなり気負った感があったのだろうと思われる。
      それでもこの文書のおかげで指揮実行にあたって信念がブレずに済んだし、部下隊員も私から少々厳しめの指導を受けても、最初に目指すべき姿や方向を明確に示したために、服従してくれたのではないかと自負している。


  それから5年後、空幕において長期戦略の作成事業に関与する機会に恵まれた。
      その時のノウハウを活かして、次なる指揮官職となった基地業務群司令以降、退職するまでの間、異動の都度、必ず所属する部隊の将来展望と称して、所属隊員があまねく共有する価値観を組織理念として、「先人」が指摘されている「あるべき姿」をビジョンとして、さらにその実現に必要な具体的な事業及び業務等を付した形で作成した。
      その一例として航空支援集団司令時代に当該作業を実施するにあたって、自らが作成した指示書の趣旨部分を以下に掲載する。この部分からだけでも「先人」が言われる「あるべき姿の追求」の意義、重要性を読み取っていただけるのではないだろうか。

  

   「航空支援集団の将来展望」の作成趣旨について(平成26年8月)

  〇昨年度末に防衛計画の大綱及び中期防衛力整備計画が策定。現在、中期防2年度目に当たる27年度概算要求を目前にしているところ。こうした状況から、様々な環境の変化に応じた空自の将来における各種態勢が明らかになりつつある。

  〇本来、軍組織及び経営管理等の分野において、ビジョンと戦略は、使命を達成するうえで極めて重要なもの。

  〇さらに、現場部隊における隊務運営にあっては、人的・予算的制約が著しく単一年度の業務計画では将来見通しの正確性を担保するのは難しい。かつ2佐以上の主要幹部の勤務期間は1年から2年程度と中長期的施策を発想し実行することは困難。

  〇そこで、航空支援集団においては、いかなる環境の変化、事態の発生にも適応しながら、常に将来を見据えた隊務運営を追求していくという信条のもと、明確な中長期的なビジョンを示し、これを具現化するための「航空支援集団の将来展望」を作成することにする。

 

  なお、「あるべき姿の追求」の題材に、関係ある(ありそうな)同ホームページ内ブログを、一読いただければ幸いである。
  1.千歳基地勤務時代の思い出 「第2航空団のビジョンを作成、隊員に周知します」
  2.千歳基地勤務時代の思い出 「2空団で「ビジョン」を作製した訳」

先人の知恵と経験(その2):「編単隊長の指揮は如何に」(第1分冊33~37)

 「昭和」からのメッセージ

   1989年空幕が指揮官教育の充実施策の一環として編集した参考資料「言い残すべきこと」(―若き指揮官達のためにー)の中から、任意に抽出した指揮に関する題材(論題)の一つを記載。

 

1 指揮官とは

  勤務評定の時期に来たが、適職欄に指揮官型、幕僚型等々あるがー言で指揮官としての適性は熱意の有無である。諸々の選考を経て隊長に指名された訳であり、殆どの者が指揮官としての適性を持っていると思って間違いない。

  結果から見て、その隊長が指揮官として適か否かであったかは、指揮に当ってその部隊に対する本人の考え方、或いは組織体の動かし方による。

  即ちその指揮官が組織体の主役を自分に置いたか、部下隊員に置いたかである。教育において教官と学生の何れが主体かと同じである。

  どんな高尚な講義をしても学生が覚えていなければその教育は無に等しい。極端な例で言えば、小学生に大学教育をするようなものである。よくトランプのプリッジで自称名人がパートナーの下手を負けの理由にするが、チームブレーはトータル能力であり上手の者が下手の者を知り、その能力に応じて相手にも解るようなやり方をしなければ決っして勝てない。
      幹部とは、例え1人でも2人でも部下を持ち、その総合力を組織として如何に発揮させ得るかである。その為には、任務をしっかりと理解し、上司の意図を体することは勿論であるが特に部下の能力をよく把握することが大切である。
      その指揮官が優秀か否かは、その指揮官が部下全員の能力を如何に多く引き出し、任務に結びつけるかである。

  
      頭が良く幕僚としては結構有能であった者が、指揮官として不適の絡印を押されることがあるが、このタイプの多くは部下の人間性或いは能力を自分と同じと錯覚して、事を成すに当たって何でも自分と同じレベル、同じやり方を要求し、手取り足取り自分の考えを押し付け、部下の無能を嘆き結局は自分の枠からー歩も出来れない。
      このタイプは、一見秀才風に見えるが多分視野の狭い包容力のない人間で、組織としての力を発揮できないだけでなく、本当に部下を殺してしまう。富士山の登り方にもいろいろある。部下の能力も無限大である。
      この部下の能力を組織として如何に最大限に引き出し任務に結びつけるかこそが指揮官の最大の責務である。

  自衛隊在任期間中、隊長職はそう何回も与えられるものではない。まして隊長は航空自衛隊の核であり実行指揮の90%を担っている。この時こそ、寝食を忘れて部隊の指揮に当るべきである。

2 指揮と安全

(1)指揮官は予言者たれ

    「本日の飛行訓練終了しました」365日繰り返えされた報告であるが、何となく緊張感がスーと抜ける瞬間である。30年間飛行と取り組んで来て一時として(眠っているときも)頭から離れないのが飛行安全である。

   時々、航空事故の夢を見るが不思議と翌日正夢となり、気持ちが悪くなる時がある。事故防止に当たって指揮官は、予言者でなければならない。

      “勘”が当る、“つき”を呼べる指揮官でなければ事故を未然に防止することは出来ない。“勘”とか“つき”は、黙っていても向こうからやってくるものではない。
       勝負事にかいても根拠のない勘は、山勘でほとんど当ることはない。“つき”もいい加減なやり方をしていればどんどん逃げていってしまう。ワンチャンスを如何に活かすか、そして次のチャンスにどう結び付けるかが、“つき”を活かすコツである。

     「彼を知り己を知れば、百戦してあやうからず」“勘”とか“つき”は彼を知り己を十分知らなければ呼び寄せることは出来ない。

     指揮官は、”予言”が出きるようになってこそ一人前である。

(2)正当な訓練こそが事故防止の要訣である

   病気子防の第一は、強健な身体を養うことにあるように事故防止の第一要件は、正当な訓練による練度の向上であり、精強な部隊を作ることである。事故の多くが判断不良とか技豆未熟等、人的過誤によることを考えれば人間の能力開発向上こそ事故を局限させる要訣である。

   事故が起きるとよく安全がための安全に偏ることがある。例えば、着陸で失敗があればまずモーポ幹部の格上げをするとか、新戦技開発に伴う事故などは即中止する等(起承)転結の発想が乏しすぎる。経験こそ能力開発そして向上に最も重要であり、簡単に飛行中止とか資格の格上げをすることは能力を摘むことになり事故防止の役には立たない。
      勿論、意味のない危険な冒険を冒したり飛躍した無理な訓純は、事故を誘発し剖隊士気の低下そして部隊の発展を著しく阻害することになるので、厳に慎まなければならない。

   “攻撃は最大の防御なり”これは、行為でなく主動性の重要さを述べたものであり、事故防止に当たっても“攻め”即ち積運的な訓練こそが真の事故防止に役立つことを銘記すべきである。

(3)基本に還れ

   個人に好、不調の波があるように、個人の集まった部隊にもパイオリズムがある。よくスポーツ選手がスランプに陥ることがある。

   王選手や落合選手でも一旦スランプに陥るとなかなか立ち直れない。これは、スランプの原因が一つでなく多分、精神面、肉体面、或いは技術的なもの等が入り混った原因によるからであろう。
         問題はどうしたらスランプから脱出できるかである。野球選手の場合は多分、好調時のフォームを見直し、繰り返し繰り返し練習をするであろう。部隊(組織)がスランプに入ると個人の場合よりー段と立ち直るのに時間がかかる。部隊のスランプの典型的な徴候が事故の続発である。
         よく事故が起き始めると、色々な事故が続いて発生することがある。そしてこれらの事故に共通した原因を発見することは難しい。マスコミの論評は“たるんでいる”の一言…。私は、安外この素人の意見は傍目八目的正しさがあると思う。しばらく事故がなかったことによる気の緩みか?いずれにしても目に見えない 何か」があることは間違いない。
         原因が特定できないだけにこの立て直しは、「原点に還って」見直すことしかできない。迷路に入ったらスタートに戻るのと同じで、部隊のスランプ脱出はバックツーベイシック以外にはない。急がば回れである。 基本の確立は、必ず次の飛躍に生きてく る。

(4)常に部隊の活性化に努めよ

   一般に歴史の長い部隊ほどマンネリ化に陥りやすい。安定しているが故に 自分の身の回りの事象特に現在やっている事について、この方法が良好か、安全上不具合はないか等あまり問題意識を持たなくなってしまう。

   “心ここにあらざれば見れども見えず”で視点を変えれば、結講危険な状態が見えるものである。“トラプルが起きて”どうしてこんなことに気がつかなかったのか、と後で思うことがよくある。
        「今までこうやっておりました」「規則がこうなっております」ではなく、「何故こうなっているのか」「どうしてこのような規定になっているのか」とせめてもう一歩突っ込んで考えて見たいものである。

    もし、 自分の部隊に改善意見も無く、問題点も無いと思っているとしたら、その部隊の能力は、じり貧の状態にあり、近い将来原因の分からない事故に遭過するであろう。

    よく指揮官が替わった後、一年位すると自ら部隊が大部良くなったようなことを言うが客観的に長期レンジで見れば、格段に部隊能力が上がったということはあまりない。まして前例踏襲のみでやっていれば部隊の力は間違いなく低下してくる。

(5)事故防止対策について

    …物事をトータルで見よ

     パイロットとして適性が無いと判定される殆どの者は一点集中の傾向の強い者である。

    このことは必ずしもパイロットだけでなく指揮官にとっても重要な必須の要件である。事故は不思議と続いて起きるものである。

   事故調査では、それぞれの事故原因を専門的立場から調査する訳だが一般的に、部分的かつ断定的な結論になってしまう。しかし、事故は飛び火の様にー見関連性がないかの如く形体を異にして次々と発生する。この様なとき、指揮官は、あまり事故原因からの直接的な防止策だけに頭を突っ込まず、できるだけそれらの事象から距離をとって、より広い視野で物事を見て対策を考えたほうが良い。

   私は、事故が発生した場合、事故そのものの事象は勿論であるが、部隊全般を、そして視点を変えて見るよう心掛けている。例えば小さな不具合が続発するような場合は、部隊士気の低下が考えられ大事故の徴候である。

   地上事故の多発は、航空事故への伝播の前ぶれかも知れない。

   事故防止策に当たっては、その事故だけに捕らわれず出来るだけ部隊活動をトータルで見るよう心掛けることが大切である。

3 力を出し切れる部隊を造れ

  “やるべき時に力を出し切れる”これが真の実力部隊である。平時においては、果たしてどの部隊が本当に実力を持っている部隊なのか、なかなか判断し難い。その判定は、種々の競技会等の成果を見るしかない。
      これら競技会も、参加部隊の規模或いは競技内容等によって、一既に勝った部隊が実力のある部隊とは言えないが、少なくとも事前訓練を含めて持てる力を出し切ったか否かに上って、その部隊が一旦事ある時に力を発揮し得るかどうかの判断は出来る。
      しからば実力を出し切る方策や如何に。まず第一に、徹底した訓練である。よく準備(訓練)の段階において最大の努力をしたとか精一杯やりましたとか聞くことがあるが果たしてそうであろうか?

  ―生懸命とか厳しい訓練とかは主観であって絶対的な基準ではない。目標に対する個々の捕え方、考え方によって大きな差がある。

  強化訓練と銘打って2ケ月も3ケ月もそれー筋に訓練を行うことがあるが、他の部隊と同じ訓練をしていたのでは大概例年通りの成績に終わってしまう。

  某部隊における経験であるが、その部隊は数年間、常に最下位レベルに低迷しており何とか勝つ方法をと1ケ月間体育学校に入れ、将に“扱き”の訓練をした所、見事にパーフェクトの優勝をすることができた。
      又、違う例では3曹の昇任試験において、せいぜい50%前後の合格率で異口同音に最大級やらせているが、仕事が忙しくてとか、隊員の力が低いとか言う答えが返ってくる。

  
      私は某部隊の経験から、合洛率を上げることは、昇任には程遠い隊員を含め、結局は隊員自身の為になることであることを話し、数カ月間夜遅くまで土、日曜も無く、勿論専任教官は営内に泊まり込みで教育させた。その結果、隷下各部隊が競り合い平均90%以上の合格率を上げることかできた。 
      その部隊は、現在でも常に80%前後の合格率を続けている。一度徹底的に教育すると素地が出来るとともに伝統的になり、その後はそれ程苦労しなくても良い成績を出すものである。

  しかし、目標が高ければ高い程良いと言うものでもない。特に競技会においては我が実力の程も知らずに指揮官が何でも優勝々々と捧げれば結果は逆に士気を低下させることになる。
      相撲で幕下に横綱に勝てと言うようなものである幕下は幕下なりの十両は十両なりの当面の目標を明確に与えてやる必要がある。 又、検閲等を含め本番に臨んではまず部下をして如何に“やってやる”という挑戦者的な気持にさせるかがポイントである。 

  特に、“…ねばならぬ”という追いつめられた受け身の姿勢にさせないことが肝要である。

  次に、結果に気を奪われさせないことである。 一般に目標が近づけば近づく程、結果に気をとられ精神状態が浮わずりがちになるものである。ゴルフでホールに近付くほどヘッドアプブするのと同じである。
      木登りの名人は、木から下りる時あと1メートルに全力を集中すると言われる。目標に気を捕らわれないためには、その過程の各段階における基本動作をしっかり見つめ、これを確実に実行することがもてる力を出し切る要訣である。 

  “勝負は勝つことに意義がある”

4 指揮官として自分なりのものを一つ残せ

  航空自衛隊は、積の部隊と言われる。 各部隊は防空任務を遂行するため、夫々分担が明確になっており、隊員も特技に応じて特に指示等しなくても概ね動〈ようになっている。

  従って2~3年の任期の、ある隊長が仮に無能(何もしない)であっても任期中大過なく終えることができる。

  操縦者、整備員等の練度にしても定量的に判定するのはなかなか難しいし、航空機の可動率等も結構まやかしがあり、部隊能力を明確に評価することは出来ない。特に、部隊の士気となると表面的な恰好とかはったりに惑わされてしまうものである。

  事故なども潜在要因を抱えながら、病気と同じでそっとしていたが故に、そのときは起きず次の人にそのつけが回ってくるということがある。
      いずれにしてもその指揮官が部隊の流れのままに何もせずにいたならば、部隊の能力はじり貧状態になり、いつかは士気の低下、事故の頻発等々顕在化してくるものである。

  部隊指揮の権限の大部分は編単隊長が持っている。部隊を強くするのも弱くするのも隊長の双肩にかかっていると言っても過言でない。またこのようなチャンスはそう多くはない。全て前例踏襲では、隊長になった意味がない。
      唯、部隊と言うものは生き物であり、伝続を尊重し、慣習とか前例からー気には抜け切れないものであある。決して事を急いではならない。自己の考えをしっかり定め自分なりのものを部隊に浸透させるべきである。


  私は幸い、多くの部隊指揮官をやらせていただいた。各部隊はそれなりに良いところをたくさん持っているが、概して任務が単純で運用が定着している部隊は、隊員の問題意識とか向上心に貧しく、逆に任務運用が多岐にわたる部隊は、前向きで開発精神は旺盛であるが、落ち着きとか基本動作に欠けるところがある。
      士気の高揚、基本動作の徹底、開発向上心の壌成、体力武道の向上、或いは挨拶の徹底、給食の改善、施設の整備等やることはいっばいある。いずれの部隊もこれで良いということは永久に有り得ない。

  何でも良い。その部隊の歴史に残るようなことを一つやれ!

  指揮官が部隊を愛し信念を持って当たれば隊員はついてくるし、部隊は活性化し精強へとつながる。

 

Ⅱ 「平成」からのコメント等:

  ここではⅠ項の大項目及びその内容を受けて、私が現役時代に思考及び実行した体験談を付言するとともに、関連しそうな当該ホームページ内記事をリンクとして掲載するもの。なお、以下の文中、「先人」とあるのは、Ⅰ項の論者を指している。

1 『指揮官とは』

  「先人」が文中で述べているとおり、指揮官は部下を把握し、その能力を任務達成を目標に最大発揮させるための明確な命令指示や具体的な行動ができるかどうかで、その適否が判断される点について全く同感である。

      指揮官が自らの言動をもって能動的に部下に対して任務遂行の意義を理解、納得させる行為は極めて重要である。併せて、部下が積極的に指揮を受ける姿勢を促す行為も指揮官が果たすべき責務の大切な点であり、統御に欠かせないものと、任官直後に入校した幹部候補生学校で学んだ。


  初めて指揮官を務めた編単隊長以降の補職において、部下が自ら進んで指揮下に入るためになすべきことを、日々の業務の中で常に意識していた。
      編合部隊指揮官ともなると、現場で実務を遂行する部下隊員と対面する機会が極めて限られるため、現場隊員との意思疎通を図り、直面している、あるいは、しようとする事に関する存念や真意を如何に正しく伝えるべきか苦心した。
      全ての部下の氏名、出身、家族構成等に関心を払うことができる編単隊長の立場であれば、大いに実践できるはずである。


  指揮官は、隊務運営にかかる方針、構想、所信、考え方等を部下部隊に伝達する機会・手段が果たして必要十分かということを常に考えるべきである。
      私は、着任の辞、朝礼、訓辞、講話、隊員面接、部隊等ホームページ等を活用するほかに、命令指示とは異なるメッセージ性を持たせた業務連絡の形で隷下部隊にも発信していた。
      この際、中間指揮官の指揮・監督を妨げないことと、部下部隊を困惑させないように、発出のタイミング及び記述内容には十分配慮したつもりである。


  その例として、航空総隊司令官職にあった当時に作成したメッセージ①『伊勢志摩サミットにかかわる支援活動は、作戦意識のもとに!」と、②『伊勢志摩サミット支援任務を完遂した全部隊等を称賛!』の2つを以下に掲示する。

 

 

メッセージ①:「伊勢志摩サミットにかかわる支援活動は、作戦意識のもとに!」(平成28年4月25日付)

 

  伊勢志摩サミット開催までのカウントダウンが刻まれている中、『世界の難題 協調練る』『対テロ、核軍縮を議論』『経済失速回避へ結東』等と、広島市で行われた先の外相会合を皮切りにサミット関連報道が頻繁化してきたところ。
      また、警察による警戒警備にかかる訓練が本格化するとともに、防衛省自衛隊においても、関連部隊等が統幕計画に基づき細部実施要領の検証を兼ねた事前訓練等を実施しているのは、承知のとおり。


  サミット支援は、国家行事への貢献という大義や名誉のもとでの活動ではあるが、想定外の状況や緊急の事態が生起する可能性がわずかでもあるかぎり、サミット関連活動は有事対応の延長上で捉え、実行しなければならない。まさに「作戦」に匹敵する実任務を付与されたという認識を持つべきである。


  この「作戦」を全うするために、航空総隊は年初から各種の見積り、検討、調整、計画及び事前訓練等、諸準備を周到に行い、対応能力の向上を着実に図り、かなりの実力と自信を得たものと確信している。開催まで1か月となった、この期に及んでは各人が「作戦」の完遂を強く意識することこそが肝要である。


  本年3月「航空総隊の将来展望」の中で記述した航空総隊の組織理念のひとつに、「作戦体質の維持」を掲げた。まさしく我々一人一人の作戦体質について、サミット関連活動を通じて、その真価が間われることになるわけである。


  私自身、この「作戦」に臨むに当たり、掌握と即断の2つのキー・ワードを常に念頭に置いている。他省庁、陸海部隊及び空自内他メジャーコマンドとの密接な連携にかんがみ、航空テロ対処、国賓等の空輸、弾道ミサイル等の警戒監視といった任務を遂行するに際し、的確な対応を行う上での基本姿勢として「掌握」を、また状況の急変に伴い十分な情報を入手できない中にあって全体最適の措置を講ずることの急務性から「即断」を選択したもの。


  結びにあたり、総隊が一丸となって伊勢志摩サミットを安全保障の側面から成功に導くとともに、2020年開催の東京オリンピック等における支援活動の資を得ることを要望したい。

 

                                                                                                                  

 メッセージ②「伊勢志摩サミット支援任務を完遂した全部隊等を称賛!」(平成28年5月28日付)

 

  北海道洞爺湖サミット以来、8年ぶりに日本において開催された伊勢志摩サミットは、不測の事態に見舞われることなく、予定どおりの日程を終え閉幕。参加国の要人等は、すでに帰国の途につかれている。

  当該サミットにおいては、世界経済の堅調化のための政策協調が主体であったものの、我々の基本任務にかかわる北朝鮮の非核化、海上安全保障、テロ対策等、安全保障上の議題についても、各々に合意形成が図られ、我が国政府として一定の成果が得られたものと思料する。

  航空総隊によるサミット期間中の諸支援活動を総括してみると、―部装備品等の不具合が生じたが、代替手段を講じ任務遂行に影響を及ぼすことなく、整斉と実施することができた。


  今次のサミットでは、過去最大となる警察官の動員数と報道されていたことから、様々な事案・事態が発生する可能性は決して低くはなかった。
      総隊としても、こうした予断を許さない状況、並びに変化する航空気象に適応し、空自組織が有する本領の発揮に努めたところである。


  世界の主要国等が注目した国家イベントに関われたことは、まさに誇りである。また期間中、些細な事故も発生させず、人的・物的戦力の低下を生じさせなかったことは、各人が自らを強く律した結果だと確信している。

  かかるように、総隊が今次のサミット支援活動をほぼ計画どおり実施し得たのは、航空支援集団、航空教育集団、補給本部等、空自の関係部隊はもとより、他省庁、関係自治体、陸海関係部隊等との密接な連携による賜物と関係各位に深く感謝する次第である。

  結びにあたり、伊勢志摩サミットの支援活動を通じて得られた教訓等を決して散逸させることなく、2020年開催の東京オリンピック等をはじめとする将来の国家的行事における安全確保の資として、後進に継承されんことを切に要望したい。

 

2 『指揮と安全』

  「先人」によるこの項においては、いくつかの中項目を挙げられているが、このうち『基本に還れ』を選択する。

  平素から任務遂行にあたっては、基本重視の姿勢を維持することは当然であるし、事故発生時又は所望の成果が得られないといった逆境にあっては、基本に立ち返り足元を見直すことを忘れてはならない。


  私は、「基本の重視」「基本の徹底」「基本の確立」といった一連の言葉に触れると必ず各種競技会や訓練検閲での経験を思い出す。
      高射隊長の時代に、方面隊司令部が計画する戦技競技会に参加するにあたって、参加隊員に対して訓辞したのは、基本動作に忠実であることをはじめとする基本的な心構えだった。念には念をと、各小隊本部及び同ショップ宛てに文書も配布した。

  この時に、“基本の確立なくして応用は効かず”、ましてや不測や緊急の事態に適応できるわけがないとの自覚が芽生えたように思える。
      この認識が、その後の職歴において自らが訓練検閲等を実施する側に立った時の重要な視点となった。関連する経験談を二つ紹介する。


  まずは西部航空方面隊司令官時代における航空団訓練検閲である。当該航空団は検閲項目のうち、幾つも「優秀」を獲得し、その評価は高いものであったが、最終的な講評においては、一部の項目を捉え、改善の必要性を強調した。
      具体的には、「特に、基本と積極性を重視した組織的かつ継続的な練成訓練を実施し、要改善事項の早期改善を図るとともに、戦闘航空団としての更なる能力向上に努める必要がある。…(中略)…団司令を核心に全隊員が一致団結、基本に立ち返り、日々の練成訓練において、探究心を持って臨み、いかなる任務にも即応し得る隊員及び部隊を育成することを要望する」と指摘したはずである。基本という言葉を繰り返した。


  もう一つは、航空支援集団司令官時代。ある輸送航空隊を対象に12月に訓練検閲を実施した。検閲期間中、雨・雪の悪天候に見舞われ、特に早朝時の検閲項目では防寒着に雨衣を着込んだ検閲団ですら震えが止まらぬ状況だった。
      おそらく検閲に向けての事前訓練でも体験しなかった環境であったにもかかわらず、受閲部隊が基本動作を貫こうとする姿勢が伝わってきた。

  基本をしっかりと身につけてこそ、応用の動作を繰り出すことが可能となる。逆境にあっては、基本に立ち返り、事態を好転させるべきだと先述したが、順境が継続する好ましい状況にあったとしても、あえて基本事項を再徹底することも忘れてはならないのだろう。

 

  なお、「基本に還れ」の題材に、関係ある(ありそうな)同ホームページ内ブログを、一読いただければ幸いである。
1.春日基地勤務時代の思い出 「訓練検閲」を行う側・受ける側」

2.府中基地勤務時代の思い出 「教育訓練検閲は、真剣勝負!?」  

 

3 『力を出し切れる部隊を造れ』

  この項で「先人」は、実力を出し切る方策の筆頭に、『徹底した訓練』を挙げている。
      その中で、訓練自体が目指す達成練度のハードルを上げればよいというのではなく、対象とする部下部隊の練度の現状をよく把握した上で、訓練の構成、期間、規模等が適切でなければならないとし、
      加えて、士気の高揚策を講じることを強調している。真の実力は弛まぬ訓練によって培われるという「先人」の主張に疑念の余地はない。


  私は、訓練の観点以外に『力を出し切れる部隊を造る』上で必要な2つの点を自らの経験を基に付言する。

  一つ目は、部下部隊の実力を最大発揮させるためには、いかなる展開先、配置先においても、糧食、被服、宿営、衛生に対する配慮を決して怠ってはならないということである。  

  これは、前大戦を体験した軍人の著書から得たもので、現役時代の実任務、とりわけ大規模災害派遣、弾道ミサイル事態対処にあたって、準備、実行、撤収の一連の活動を通して、最も関心を高く持っていた信条である。
      著書の中では、「一身上の快適性」と表現され、部下部隊に達成度の厳しい任務を強いれば強いるほど、部下の身を安じ、所望の戦力発揮に直結する先の4つの機能が不可欠であると私は理解している。
      緊急・緊迫した事態は往々にしてその対応が長期間にわたることが多い。不慣れな展開先において、部下部隊が長期にわたり過酷な任務を遂行する上では、戦力保全にかかる施策の充実度が肝心だということだ。


  もう一つは、「先人」がこの項目の最後に『勝負は勝つことに意義がある』という一文に関連している。「先人」が言うように、部下を勝負の結果に執着させないことは、部下を萎縮させたり、能力以上の大胆な行動をさせないためには確かに大事である。
      その一方で、指揮官は大いに勝負、つまり戦いにおける勝利にこだわるべきである。先述の著書における「一身上の快適性」には続きがある。部下の関心事の2番目は、「一身上の安全性」であると記述されている。   
      つまり、部下は我が身の安全確保ができているかを意識しながら、戦闘において勝利し帰還することに高い関心を抱くと表現している。
      前大戦中にあっては、生存と共に勝利が関心事の大きな一つであったのは、愛国の心はもとより帰郷し、家族と再会することへの何にもまして強い思いがあったからであろう。


  この学びのおかげで、高射隊長時代に、部下のほぼ全員を率いて遠方の地へ機動展開する演習や訓練に参加した際には、部隊の実力を十分発揮させるとともに、部隊が事故に見舞われず部下を一人も負傷させることなく、無事に帰隊させるかを念頭に置きながら指揮の実行に努めることができた。

 

  なお、「力を出し切れる部隊を造れ」の題材に、関係ある同ホームページ内ブログを、一読いただければ幸いである。
1.八雲分屯基地勤務時代の思い出 「本年度冬季機動展開訓練期間中に考えていたこと」

 

4 『指揮官として自分なりのものを一つ残せ』

  人事発令により次なる補職を拝命すると、一刻も早く赴任先部隊の現況を知り、どのような指導方針を打ち出し、伝統・実績ある部隊をいっそう繁栄させるべきかとの考えを巡らせたものである。
      特に初めての指揮官職であった高射隊長(編単隊長)着任にあたっては、その思い入れがいかに強かったかは「先人の知恵と経験(その1)」に記載したとおり。


  赴任後、勤務の月日を重ね、当該部隊の伝統・慣習を理解し、実際に体験すると、さらに良好な隊務運営を目指す観点から、新規の事業・行事・イベント等を企画、実現しようという高揚心が生じてくる。
      従前から実施、開催されている行事やイベントの多くは、歴代指揮官の発意によるだ。この行為の背景には、指揮官として部隊発展に貢献するとともに、自らが当該部隊に所属した証や足跡を残したいという意識が働くからであろう。

  もちろん、私自身も編単隊長以降の指揮官職の配置において、隊務全般から隊員との懇親の場に至るまで新たな企画を立ててその実現に努めた。
      他方、1人の指揮官が就任している期間ではなかなか根付かせることが難しい意識改革等については、前任者の指導方針をそのまま引き継ぐこともあった。


  多くの部下に受け入れられ、支持を得た隊内の事業やイベント等は、生みの親である指揮官が異動した後も長きにわたり部隊の伝統として受け継がれるが、いずれ取りやめになるか、実施・開催上の形式、方針、要領の変更が余儀なくされる。
      新企画に熱意を持って取り組んだ指揮官にしてみると誠に残念なことではあるが、部隊活性化は、こうした指揮官の新旧交代によっても継続されていくのだと考える。
      このことに気づいたのは、千歳基地司令時代に基地の創立50周年記念行事で歴代司令官等が来訪され、それぞれから当時の勤務状況を拝聴した時であった。


  指揮官が部隊史に残すのは、形が有るものにかぎらない。部下隊員の心の内に任務遂行にあたっての大事な無形の要素をしっかりと意識付けができれば、それは価値あるものとなるはずである。
      私が選んだ無形の要素は、隊員個々の脳裏に安全意識を定着させることだった。


  千歳基地勤務時代に、部下隊員の自殺及び道内での交通事故、家族の死といった心痛む報告を受ける時期が続いたことがあった。このような中、「飛行と安全」への寄稿依頼を得て、「安全意識の根底」という表題で任務遂行における安全の意義を綴った。その後も合わせると「飛行と安全」の巻頭言として、計3回の投稿となり、一貫して安全を個々の意識の根底に定着化させる方策等を主張し続けた。

  ただし、どれだけの部下隊員に読んでもらえたのか、また私の主旨がどの程度隊員の意識に定着したかはわからない。ただ、「先人」に指揮官として自分なりのものを一つ残したかと問われれば、迷うことなくこの巻頭言シリーズだと返答する。


  なお、「指揮官として自分なりものを一つ残せ」の題材に、関係ある同ホームページ内ブログを、一読いただければ幸いである。

1.現役時代の主張「飛行と安全」:「安全意識の根底(平成21年)」
2.現役時代の主張「飛行と安全」:「続・安全意識の根底(平成25年)」
3.現役時代の主張「飛行と安全」:「続々・安全意識の根底(平成28年)」

先人の知恵と経験(その3):「指揮官としての指揮実行上のノウハウ」(第1分冊88~92)

 「昭和」からのメッセージ

   1989年空幕が指揮官教育の充実施策の一環として編集した参考資料「言い残すべきこと」(―若き指揮官達のためにー)の中から、任意に抽出した指揮に関する題材(論題)の一つを記載。

 
1 はじめに

  私は指揮所運用隊長を2年間、その後3年間の幕僚勤務の後、高射隊長を1年半の2回,編制単位部隊長を奉職しました。

  この間は失敗の連続であり、今から考えると反省させられる事、残念に思う事等も多くありますが,本当に充実した3年半であり自衛隊生活の中で最も生甲斐を感じ、生気溢れ輝いていた時期だったと思います。

  指揮行為は、指揮官の能力と人間性を合わせた全人格により実施するものであり、指揮官本人の能力又は人間性をカバーしたり拡大するテクニックは無いと考えます。

  ただ指揮官も指揮を受ける者も人間であるため、相互の情報伝達の悪さに起因して部下が知らなかったり、誤解する事がありますが、指揮官の意図が部下に伝わらなかったり、間違って理解されたのでは.指揮は実行されません。

  従って、指揮官は、常日頃から、人間性及び自分の考え、任務への取り組み方等を末端まで正確に伝えておくことが重要であり、特に、着任後日が浅く、これから部下に自分を理解してもらう立場の指揮官の場合は、若干のテクニック的要素をもって指揮を継続する必要がありますので、この点において指揮実行上のノウハウが存在すると考えます。

  本課題に対して私は、これから編制単位部隊長に就く人の参考になればとの立場から、自分の経験した事で指揮実行上プラスに作用したと思われる項目を採り上げ、若干の説明を加えたいと思います。

 

2 指揮官としての心構え及び態度

  指揮行為の主体である指揮官の生きざまは、指揮を受ける隊員の自主性,積極性を引き出す主要素であり,未熱であっても、真剣に努力しようとする指揮官の姿勢は、部下隊員の心に伝わり、進んで指揮下に入ろうとする部下の心情を醸成することになります。

  指揮官が己を磨く方法は、各自が夫々真剣に取り組むべきことであり、ここにテクニックは通用しませんが、部下の立場から見て、重要であると思われる指揮官の心構え及び平素の態度は、次のとおりと考えます。

(1)自分の仕事に誇りを持ち,常に積極的であること

   与えられた任務を正しく理解し,熱意と誇りをもって行動するとき、指揮官は生気溢れ、部下からみて輝いてみえます。
   自己の責任を回避したり、困難を避けようとする態度は、すぐに部下に見抜かれ、真の服従を得られなくなります。 着任してすぐは、誰でも張り切っていますが、慣れるに従ってマンネリ化するのが通常です。初心を忘れずに自分の仕事の意義をみつめ、受け身に陥る事なく、常に債極的に、全力で努力する必要があります。

(2)部下に期待し続けること

   指揮官だけでは何も出来ない事を認識し、部下隊員がその能力を最大限に発揮できるよう、部下に期待し、活躍の場を作ることに意を用いる必要があります。

   専門的事項については、謙虚に部下の意見を聞き、部下に期待していることを示すように努めるべきです。古い知識や浅い知識で考え、専門意見を求めなかったり、知ったか振りをする等は厳に戒めなければなりません。

   部下は、指揮官の期待に応えて自分の能力を発揮できることを最大の喜びとすることを認識するべきです。

   時には、部下が期待に十分には応えてくれない事もあります。でも、指導の至らなかった事と反省し、少なくとも3回は部下に期待し続けることが必要だと思います。

(3)腹心を作らないこと

   正しい状況判断は、広い分野からの正確な情報があって初めて可能です。有能な幕僚の存在は指揮実行上必要ではありますが、特定の部下に偏って重用し、腹心的に活動させることは、拓みを生じ、広く正しい情報が入らない環境を醸成することになります。

   組織の機能に従って公平に部下を活用し、全部下が自由閥達に意見を言える場を維持するよう細心の注意を払うことが必要だと思います。

 

3 部下隊員の心情を知る

  部下の実情とその心の動きを正しく知るのは最も困難なことであり、いくら努力しても限界があります。しかし、部下の心情は、完全には把握できないという認識のもと、それだけにー層、部下隊員の心情を知る努力を継読する必要があります。

  部下の心情を少しでも正しく把握できれば,指揮の実行にあたり、部下の能力と特性に応じた施策と命令等の伝達か可能となり、その分、より適切な指揮が実行されることになります。

  部下隊員の心情を知るための具体策として、次の事項が効果があると考えます。

(1)隊員カードを熟読すること

   隊員カードは多くの人が記入しているので、局所にとらわれず総体的に見れば,かなり正しい個人の性向が記述されています。 余り先入観的にとらわれては幣害がありますが、隊員個人の人となりを把握するには、隊員カードを真剣に読んでみることが必要です。

(2)隊員と同じことを体験すること

   隊員と全く同じ事を実施することは出来ませんが、出来るだけ部下隊員と同じ環境条件のもとに自分を置き、体でもって部下隊員の実情と心情を理解することに努める必要があります。

   所詮、立場の違いや、日常的にやる事と、体験としてー時的にやる事の間には差異があり、完全には部下の心情は分りませんが、,部下隊員が何を喜び、何を苦痛と感じるかについての傾向は理解できるはずです。

   激しい訓練も、リクレーションも、隊員と一緒になり体験することは、部下隊員の心情を理解するのに大きな助けとなるばかりでなく、隊員と指揮官の一体感の醸成に効果があります。

(3)私的な立場で共に遊び、共に飲むこと

   公的立場だけでは、部下を知るうえで限界があります。仕事を離れて、部下とスボーツをしたり、囲碁、カード等の勝負事等を楽しむことは、指揮官と部下という職務上の壁を取り除き、部下隊員の本音を理解する上で効果があります。

   階級意識を捨て、同じ仲間として、共に楽しく飲む場があるならば、なおー層深く相手を理解出来るでしょう。

   しかしこの場合、交わる仲問が限定されると幣害があります。特定しない多くの隊員とフランクな気持で交わる機会を持つよう努めるべきだと思います。

(4)部下隊員との話し合いの場を設けること

   指揮官が最大限の努力をしても、全隊員とつき合うことは不可能です。     性格的におとなしい人、内向的な人は、自分から進んで指揮官と接触することを避ける傾向があります。

   こんな場合、隊員との話し合いの場を設ける必要があります。ある高射群司令は、隊員を10~15名ずつに分けて、お互いに体操服で話し合うという事を行われました。高射詳の全隊員と話し合うのは大変な時間と労力が必要ですが、ねばり強く実施された結果、隊員は非常に喜んで、本当の気持をぶつけている様子でした。群レベルでは隊員数が多すぎて大変ですが、編制単位部隊長がこのようにして全隊員の心情を聞くことは可能ですので、機会を作り、実行すべきだと思います。

 

4 相互の理解に努め、誤解を排除する

   指揮官が自己を高め、部下の心情を理解した上で、任務に適合した指揮をしているつもりでも、立場の違いから、理解出来ないことや誤解が生じるのが通常であり、些細な行き違いが、指揮の実行を大きく阻害している場合があります。

  指揮官は、これら指揮の実行を阻害する誤解等を生じさせないための処置を講じると共に、誤解がある場合は、これを解消する必要があります。

相互に相手を理解するのに効果があったと思われる方策は、次のとおりです。

(1)情報を共有し、目標の確認をすること

    指揮官だけが情報を持ち、部下には多くを知らさないで指揮する方式は、旧式のやり方であり、現代青年を指揮するのに適する方式とは思えません。

   部下に出来るだけ多くの情報を与え、指揮官と部下が共通の情報を基に判断し、行動することが出来れば、最も効果的な指揮の実行が可能だと思います。

   このため、会議等に上級空曹等を参加させ、出来るだけ末端の隊員まで情報が伝わるように配慮するべきです。情報を共有し、その上で自由に意見を言わせることが出来れば、より効果があります。

     年度の初めには、関係者全員を集めて業務予定表を作成するとか、毎月の訓練行事調整会議等あらゆる磯会に、可能な限り多くの部下隊員を出席させ、目標を共通の場で確認することは、相互理解に非常に効果があります。

(2)重要事項の決定の前に多くの者の意見を聴取すること

   重要事項を決定する時は、指揮官としての腹案ができている場合においても、多くの部下の意見を聞く場を作るべきです。

   戦国時代の武将が重要事項の決定に当たり、配下の武将を集めて意見を闘わせ、それを聴取した方式は、日本人の合意形成に適しているのでしょう。

   この意見を闘わせる場は、部下の教育の場でもあり、十分に討議させ、それを聴取して自分の決定事項を藤認することが必要です。自分の思いもしなかった意見がでてくることがあり、指揮をより良いものとする上で非常に参考となります。

(3)訓練実施において工夫すること

   部隊では訓練を苦しいものときめつけ、旧態依然のやり方で何の工夫もなく非効率に実施していることがあります。

   確かに苦さに耐える事が訓練の主目的のこともありますが、訓練は十分に検討して、最も効果的に実施する工夫が必要です。

   時には訓練の中に楽しみの要素を取り入れたり、豊臣秀吉の割普請の例のごとく競争させ、勝った者に賞を与える等人間の本性を活用したやり方を工夫すべきだと思います。

   又苦しい訓諌をする場合は、その意義をよく末端隊員まで説明して、理解させた上で実施する着意が重要だと考えます。

5 むすび

  指揮の実行の習得に王道はありません。幹部たる者、指揮官にたることを念頭において、常に修養に努めるとともに、未熟のまま指揮官なった場合は、指揮の尊厳を思い全身全霊で努力し、苦労しながら体得してゆくべきものだと思います。

  あらゆる方法で情報が入ってくる現代においては、情報を指揮官が独占したり、判断根拠を伏せたまま、とにかく俺についてこい式の指揮は、余程の人格者か、常に正しい判断の出来る超人でないと、組織の総力を目標に向け結集することは困難です。

  現代においては,むしろ自分の長所も短所もさらけ出し、部下と共に悩み、同じ土俵で考える指揮官の方が、部下の心からの支援を受けることができ、組識の総合力を発揮出来るのではないかと思います。

  至短時間の判断と、組織的行動の要求される航空自衛隊においては、指揮官は、常日頃から部下とのコミニケーションを良くして、情報を共有し、一体となって活動出来る部隊を育て上げる必要があると考えます。

  ここに挙げたことは、その様な考えで部隊を指揮した時の経験から引き出した所見であり、参考にはなると確信していますが、実際の場に適用するには、各指揮官の個性、部下の状況及び与えられた環境に適合するよう、独自の方法を工夫する必要があると思います。 

 

Ⅱ 「平成」からのコメント等:

  ここではⅠ項の大項目及びその内容を受けて、私が現役時代に思考及び実行した体験談を付言するとともに、関連しそうな当該ホームページ内記事をリンクとして掲載するもの。なお、以下の文中、「先人」とあるのは、Ⅰ項の論者を指している。


1 『はじめに』

  私が「先人」と同じ高射特技者であるからか、ここでの論述の一文一文に親近感を抱き、2・3尉の初級幹部時代を懐かしむことができた。『特技愛』とでも言うのだろうか。この方と同一部隊で勤務していたかのような気になったぐらいである。

  全国に展開する様々な部隊においては、それぞれ伝統や気風が異なる。その一方で同一任務を付与されている部隊同士には共通する文化のようなものが存在する。
      これに関連して、同一特技者の間には初顔合わせの場合でも相互認識の心情が働くのは、日々の業務及び各種訓練にあって多くの共通項を体験していることによるのかもしれない。

 

  編単隊長の就任期間について、「自衛隊生活の中で最も生きがいを感じ、生気溢れ輝いていた時期」であったと「先人」は表現している。私も定年退職となった今、36年間の現役時代を振り返ってみて「先人」の想いと全く同じである。
     それは、編単隊の人員規模が部下一人ひとりを把握して指揮するにあたり多からず少なからず適当であり、活気ある現場の中心に位置して自らの命令・指示によって部隊を目指す方向に牽引できる醍醐味があるからではないだろうか。

  私の編単隊長時代の感懐については、このホームページ内にある『勤務の思い出-「八雲分屯基地時代の思い出」』を読んでいただけるとその当時の雰囲気が伝わるのではないだろうか。若き指揮官である貴方には、ぜひ編単隊長職に就く前に読むことを薦めたい。

  ちなみに、私の編単隊長職への思い入れの強さは、隊長職を離任する際に、隊員から贈られた時計付きの写真(縦30㌢×横20㌢)を自宅の机の前に飾り続けたほどである。今でも迷彩乙武装・ライナーに拳銃携帯、左手に指揮棒を持つ写真を目の前に置いている。

 

  この『はじめに』の部分では、「先人」は指揮の実行にあたって情報伝達の不具合について記述している。もう20年以上も前になるだろう、情報は人を介すると多かれ少なかれ『歪む』という内容の記事を一般誌で読んだ記憶がある。(この記事に関しては、別の機会に紹介することとしたい。)

  では、こうした情報の伝達不足、誤認及び誤解といった『歪み』を生じさせないためには、どうすべきか。私は朝礼、訓辞、講話等の様々な機会を作為、利用した上で、さらに文章にして関係部署に回覧する方法をとった。このメッセージ伝達の活用については、先月の『先人の知恵と経験(その2)』にて記述している。


  加えて大事なことは、繰り返すこと、定期的に行うことである。この点で具体例を2つ示す。どちらも航空総隊司令官職にあった当時に、自ら作成し司令部内及び関係する部隊等に配布したものである。

  一つは、指揮官職を経験した貴方ならば、作成した経験がある「年頭の辞」である。これ自体は、誰もが知るスタンダードな伝達方法の一種。もう一つは、その半年後に作成した「年半ばの辞」。これは、「年頭の辞」で示した部隊の目標とそれを達成するための具体的事項を、今一度総隊に所属する全隊員及び家族に知らしめるために配布した『繰り返し伝達』であった。

  この2つの内容は別として、指揮官としての自らの指導方針及び部隊発展の方向性、そのために為すべき事項を部下部隊に対して誤解なく伝達するための手段の一つとして、貴方の指揮にあたっての参考になれば幸甚である。

 

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年頭の辞

 

 明けましておめでとう。平成28年の初春を迎えるにあたり、航空総隊(以下、「総隊」)司令部勤務の隊員諸官、そしで家族におかれては、それぞれの新たな展望とその実現のための決意を胸に、新年を迎えられたこととお慶び申し上げる次第。                                                                                 

 

  司令部所属の隊員諸官においては、就任の辞で述べたように「変化への適応」「矜持の保持」「改善と自律の追求」の3つの統率方針の下、総隊の組織力を結集させる要となり、いかなる環境の変化にも、いかなる事態の発生にも適応するとともに、隷下部隊を精強かつ健全な方向へ導くための円滑で効果的な司令部活動を念頭に、個々の職務に精励することを引き続き強く要望する。

 

  昨年末、本職に就任した以降、幸いにして緊急・不測の各事態への実動を伴う対処はなく、初度報告受けによる状況掌握、並びにBMD及び領空侵犯措置等に関する所定事項の確認を行う等、前司令官の指導・指示を踏襲しつつ、本年度の業務青酒及び練成訓練計画に沿った業務の推進及び任務の遂行を図ることができた1か月であった。


  こうした状況の中にあって、「航空総隊の将来展望」(仮称)の作成を指示。総隊隷下部隊等の将来進むべき方向性を明らかにするために、司令部所属隊員一人ひとりの与えられた職務に対する真塾な態度はもとより、部課を超えた横断的な協力、そして隊員の業務遂行に対する家族の理解及び精神的支えを得ながら、早期に完整させることを心待ちにしている。

 

  さて、今年は年度業務計画及び恒常的業務に加え、次の5項目を大きな目標とし、その達成のために全力を投じていくこととする。

 

  第1に、就任の辞をもって自らに課した、航空総隊全体の隊務運営上の明確な中長期的なビジョンである「航空総隊の将来展望」(仮称)については、先述のとおり司令部各部署による協力のもと、年度末までに通達化を図る。今後は、司令部全隊員が総隊の将来像を共通の認識とした上で、各部課等と協力しつつ、課題解決に当たること。

 

 第2に、年間の主要事業等については、以下の3つを特に重視する。

  まずは、戦闘機部隊の体制移行において、対象となる飛行隊の人員・装備の移動を安全に完了させるとともに、移行前後における安定した隊務運営状況についても注視すること。

 次に、伊勢志摩サミットに対する支援活動においては、他省庁及び他自衛隊と密接に連携しながら、遺漏なきよう尽力し国際的な国家行事に最大貢献を果たすこと。

  3点目は、KE、CNG及びRFAをはじめとする各種演習のみならず、本年2月下旬に予定されている航空自衛隊図上演習に参加するにあたり、事前検討会をはじめとする諸準備に万全を期すこと。

 

 第3に、日米防衛協力の深化という観点では、第5空軍司令部をはじめ米軍関係部隊との交流を演習訓練の内外を問わず積極的に実施する。このため、司令部は第5空軍及びPACAFとの各種調整においては、先行的かつ計画的に実施すること。

  特に、共同の演習及び訓練については、これまでの実績をもとに体系の検討見直しに配慮すること。

  また、米国以外のオーストラリアをはじめとする関係国空軍種との部隊間交流の方向性について、空幕等と協議を踏まえ、必要事項を明らかにすること。

 

  第4に、総隊が保有する全ての装備品の可動率について、現状把握、原因分析、対応の方向性、具体的改善策に関する措置を明らかにし、部隊側の要求・期待に積極的に応ずる。

  この際、単なる予算措置に依存するのではなく、業務改善活動を活用する中で、より質の高い維持整備にかかる各種態勢について見直し・検討を図ること。

  また、QCサークル TPM活動(全員参加型QCサークル)の促進を図るとともに、防衛生産技術基盤の維持・強化のため関連企業との積極的な対話・交流を行うこと。

 

 第5に、人的戦カの質的向上という点では、司令部所属隊員相互の団結と士気の高揚を図るとともに、メンタルヘルスを含む健康管理、レジリエンス力の強化、隊員を支える家族への支援等、人事・厚生面の施策を推進する。

  このうち、すでに検討及び実施の指示済みである計画休暇については、早期に制度に準じて実施すること。

 

  結びに、今年も総隊隷下の全部隊等における飛行及び地上の各安全を祈願しつつ、隊員諸官並びに家族の益々の健勝及び多幸を、加えて「Shift & Create to Grow」(変革と創造、そして成長)を合言葉に総隊の飛躍の年となることを祈念し、年頭の辞とする。

 

                                                             平成28年1月1日

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年半ばの辞

 

  航空総隊(以下、「総隊」)司令部勤務の隊員諸官、そして御家族におかれては、それぞれの新たな展望とその実現のための決意を胸に平成28年初春を迎えてから早半年が経過。

 

  年明けから間もなく、日米共同統合演習の終了を待たずして始まった事態対応にあたっては、適切な措置を講じ、任務を完遂。その後も、各種演習を通じて指揮所能力の向上に努めるとともに、先述の同種事案、熊本震災、伊勢志摩サミット支援等、様々な事態対応に臨み、その都度、所定あるいは所望の成果を得てきたところ。まさに総隊司令部勤務者が一丸となって、直轄及び関連部隊を先導、牽引してきた結果であり、諸官一人一人の業績を心から称賛するものである。

 

  こうした順調な隊務運営を行えている現下の状況にあっても、司令部所属の隊員諸官においては、就任の辞で述べたように「変化への適応」「矜持の保持」「改善と自律の追求」の3つの統率方針の下、総隊の組織カを結集させる要となり、いかなる環境の変化にも、いかなる事態の発生にも適応するとともに、隷下部隊を精強かつ健全な方向へ導くための円滑で効果的な司令部活動を念頭に、個々の職務に精励することを引き続き強く要望する。

 

  さて、本年の下半期については、年度業務計画及び恒常的業務の推進に加え、次の5項目を大きな目標とし、その達成のために全力を投じていくこととする。

 

  第1に、航空総隊全体の隊務運営上の明確な中長期的なビジョンである「航空総隊の将来展望」については、防衛部が主体となり、かつ司令部各部署による協力のもと、3月18日付で通達化。同通達については、1/四半期末をもって状況の変化を踏まえた見直し作業を実施し、第2版を作成したところ。あらためて司令部全隊員が総隊の組織理念及び将来像を共通の認識とした上で、各部課等が協力しつつ、各種課題の解決を図りビジョンの具現化にまい進することを切望する。

 

  第2に、戦闘機部隊の体制移行を引き続き重視する。今後は、8,305、301の各飛行隊の人員・装備の移動を安全に完了させるとともに、体制移行の前後における安定した隊務運営状況についても注視する。

  また、F35Aの導入に関連する事項として、操縦者及び整備員の米国委託教育を計画どおりに実施中。関連施設整備の進捗状況についても把握し、導入に伴う諸準備に万全を期す。

 

  第3に、日米防衛協力の深化という観点では、第5空軍司令部をはじめ米軍関係部隊との交流を演習訓練の内外を問わず積極的に実施する。

  特に、11月予定の日米共同統合演習については、将来の戦闘様相を踏まえた内容であることから、事前準備の段階から密接な調整に努める。

  また、秋期には英空軍との共同訓練実施の計画が進行中。航空自衛隊史に残る成果及び今後の同空重との継続訓練を期待することから、空幕をはじめとする関係部署と密接な連携を図る。

 

  第4に、総隊が保有する全ての装備品の可動率向上について、関係部署と連携し、具体的改善策を継続するとともに、F-35Aの導入に際して、運用に支障を来さぬよう必要な資格取得及び要員養成等の態勢整備を推進する。

  また、昨今の品質管理上の不具合事案における教訓にかんがみ、過去のQCサークル大会において頭著な成果を収めた部隊による「QCサークル・サミット」を開催し、意見交換による改善策の反映をもって人的過誤の再発防止に万全を期す。

 

 第5に、人的戦力の質的向上という点では、「意識改革」を念頭に置き、隊員に対するメンタルヘルスを含む健康管理、レジリエンスの強化等、関連施策の浸透を図る。

  また、心身のリフレッシュを目的とした計画休暇の足着化、ワークライフバランスの推進により、介護、育児等と本来業務の両立に努め、隊員が高い士気と生き甲斐を持ち得るよう人事・厚生面の施策に積極的に取り組む。

 

 結びにあたり、下半期も、総隊隷下の全部隊等における飛行及び地上の各安全を祈願しつつ、隊員諸官並びに家族の益々の健勝及び多幸を、加えて「Shift & Create to Grow」(変革と創造、そして成長)を合言葉に、総隊のさらなる飛躍を祈念し、年半ばの辞とする。

 

                                                             平成28年7月14日

                                      

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2 『指揮官としての心構え及び態度』

  「先人」の論文の小見出しにある「自分の仕事に誇りを持ち、常に積極的であること」をはっきりと自覚したのは、2等空尉に成り立ての時。
      任期満了で退職する空士長からの深夜の電話が、准曹士隊員に対する平素の心がけや指揮官としての勤務姿勢はこうあるべきだと、私に意識付けた。

 

  私は術科学校での教育を終え、関東に所在する高射隊に赴任。上司・同僚に恵まれ、年間の半分は、長距離走及び銃剣道の監督兼ねて選手としての競技活動を、残りの半年は高射隊特有の米国における年次射撃訓練のための練成訓練に明け暮れていた。


  そうした中でも、服務指導の係幹部であったため、営内に居住する若い空曹士隊員としばしば接する機会があった。
      彼らは年齢的にほぼ同年代、仕事自体の知識や経験は私より勤務年数が長い分、彼らの方が豊富である。特技関連の技能については彼らから学ぶことが多かった。時には下宿点検と称して、分屯基地周辺に間借りしている彼らにとって唯一のプライベートな空間を訪問していた。
      こうして公私の付き合いを重ねていく中で、日々の仕事ぶりと年次射撃訓練での実績を彼らが認めてくれたのか、人事権を有しない付幹部の私に対する態度が変わっていくことに気づいた。階級に応じた服従の姿勢を感じられるようになった。

 

  それから数か月が経過。私より年長で仕事もしっかりできる空士長が深夜官舎で就寝していた私に電話してきた。当時は、携帯電話は存在しないので公衆電話からだったと思う。
      電話の内容は『付(当時、小隊長職に就いていない、若手幹部は「づき」は呼ばれていた)は、俺たち空士を信頼して付き合ってくれた。これからも俺たちのことをよく考えてくれ。頼んだからな』という主旨だったと記憶している。
      その電話が私に対する激励、要望のいずれであったのか、また電話を受けた日については、すでに彼が任期満了で退職した後であったのかは、よく覚えていない。それでも若い隊員の心情に触れる機会を作ることの大切さを、彼の電話によってはっきりと自覚できた。

  
      部下は常に指揮官の何気ない会話や動作をしっかり見ている。一つでも彼らに対する指導内容と相反したり、矛盾する行為を行えば、指揮は成立しないことを知らされたわけである。
      とりわけ営内居住の若い空曹空士を常に関心の視野に置き、機会があれば懇談の場を設け、わずかな時間であっても本音の話を交わすことを強く意識するようになった。私なりの指揮統御の原点だと確信している。

 

3 『部下隊員の心情を知る』

  ここでは、「先人」による論文の二つの中項目に関する内容についてコメントする。

 

  一つ目は、「(2)隊員と同じことを体験する」。

  前項に続き尉官時代の高射隊勤務における私の経験。部下一人ひとりが担っている任務とその達成に伴う彼らの行動を知ることが、いかに大事であるかをまさに身をもって体験した。

 

  昭和50年代後半、空自が保有するナイキ・システムは老朽化して新機種への器材換装が求められていた時代。それでも年次射撃訓練(米国ニューメキシコ州においてナイキ・ミサイルの組立から実弾をもって実目標を迎撃する訓練等までの一連の訓練)は事業として継続され、高い成果を目指し相変わらず厳しい国内訓練が計画されていた。

  
      米国年次射撃訓練に初めて参加したのは、ミサイル組立幹部兼ねて発射小隊長としてであった。当時の階級は3等空尉だった。

 

  ある日の国内でのミサイル組立訓練に、クルーの一人(空士)が風邪で欠員となる事態が発生した。状況としては各人の練度を上げなければならない重要な時期に差し掛かっていたため、訓練は実施することとなった。
      組立クルーは6~7名(記憶が少々曖昧)で、幹部1名が安全係として立会し、実際の作業に手を出してはならないと規定されていた。

  
      この状況で欠員が担任する作業を代行者が模擬することで進めようとしたが、クルー連携の練成に効果的でないことにすぐさま気付く。
      この細部状況を少し説明する。ミサイル組立に必要な重量物を上げ下げする行程があり、その際には、「Aフレーム」という簡易な手動式クレーンを使用する。この機材を主に操作する隊員が病欠となった。
      そこで、当該作業を私が代行することになった。この場合、安全幹部が不在となるため、訓練効果を確かめる時間計測を安全重視の点から行わなかったのは言うまでもない。

      「Aフレーム」の鉄製チェーンを作動させることは、私にとって初めての体験。うまくいかない、いくはずがない。重量物の上下動という点では問題はないのだが、要領を得ないため時間がかかって仕方ないのである。

 

  この経験から、部下隊員の連携動作を把握できているとの私の自信は、多分に思い込みに過ぎないことがわかった。彼ら(当時は女性自衛官の任用制度はなし)がどのようにして作業に習熟したのか、コツは何なのか、その際の彼らの意識はどこにあるのか等を知ることが、指揮官にとっていかに大事かと痛感した。

  以来、部下隊員が行う作業をOJTの一環として実務の妨げにならない範囲で実体験することにした。

  
      その後、10年が経過して高射隊長職に就き、尉官時代と同様に部下が行う器材操作手順等に関して体験学習の場を求めていたところ、さすがに上級空曹から「そうした積極的な姿勢は理解できますが、隊長と一緒にシフト勤務に就くクルー員がことのほか緊張するので、やめていただけますか」と丁重に釘を刺された。

  
      貴方も部下隊員と同じことを体験しようとする場合には、周囲に与える影響をよく考えること、実行する際には限度をわきまえることの着意を忘れずに。

 

  もう一つは、「(4)部下隊員との話し合いの場を設けること」に関する事。

      組織におけるコミュニケーションの重要性は貴方も知ってのとおり。問題は、そのやり様である。

  
      公的な場では、会議形態や個人面接等の方法がある。課業時間内のしっかりしたコミュニケーションは極めて重要である。このことを踏まえつつ、私は高射隊長になった時から、半フォーマルなコミュニケーションを実践することにした。
      どうしても指揮官と部下の間では、互いに階級、権限等を意識することになり、忌憚のない会話にならない。そこで、半フォーマルな会話力が重要になるわけである。

  
      ちなみに、「半フォーマルな会話」について説明すると、自衛隊という戦う集団にあって命令と服従、階級の上下等という基本的関係を保った上で、相手に対する尊敬、期待、激励、思いやり、労り、気配り等、様々な心情を込めるコミュニケーション・スキルだと考えてもらいたい。

 

  具体例として、ここでは2つの例を紹介する。

  一つは、県人会の開催。

  これは、貴方も入隊した以降、所属する部隊や入校する学校機関等においても経験があると思う。県人会、高校人会、地元会、いわゆる郷土を中心とした地域枠組みの関係は格別である。そこには共通の話題が山ほどあるはずだ。年齢差や性別があったとしても、話題は尽きないものである。


  貴方もきっと基地の内外で郷里に縁ある同僚とこうした懇親の場に参加したことがあるだろう。私も異動のたびに所属部隊等において、長崎県人会を企画、開催して、忘れかけた片言の方言で会話するのが楽しみだった。


  もう一つは准曹士隊員とのコミュニケーションの場。

  前回(「先人の知恵と経験(その2)」、営内者の若い隊員との基地内夕食会(BBQ)を紹介したが、隊員食堂における昼食の場も大いに活用した。千歳基地勤務時代は所在部隊長との会食を、春日基地勤務の時代には同基地所在のすべての准曹士先任との合同昼食会を催し、転出入者や部隊毎のイベント結果の発表紹介を通じて互いの信頼感を深めた。
      こうした平素からの何気ないコミュニケーションの真価は、基地及び分屯基地内で緊急事態が発生した時にこそ、大いに発揮されるのだと今でも信じている。

 

  なお、「部下隊員との話し合いの場を設ける」の題材に関係ある、同ホームページ内のブログを一読いただけると幸いである。

  1.春日基地勤務時代の思い出 「司令部勤務者を対象に長崎県人会を開催」
  2.春日基地勤務時代の思い出 「准曹士先任との会食」

 

4 『相互の理解に努め、誤解を排除する』

  ここでは、「先人」が記述する「(3)訓練実施において工夫すること」を選択してコメントする。

  
      「先人」は個人及び部隊の各訓練のいずれにおいても、成果向上を目的として工夫が必要だと主張されている。そのとおりである。前例踏襲型の訓練ではマンネリ化に陥ることになる。
      だからこそ、訓練規模の大小にかかわらず重点を絞り込み新味ある内容・要領を企画する工夫が必要となる。その際には、被訓練者又は部隊が状況下に入れるような設定に対する配慮も工夫の範疇であることを忘れてはならない。

 

  私自身は、高射隊長時代にあって工夫を凝らす訓練の計画・実施に積極的に取り組んだ。当時、八雲分屯基地には3つの編単隊が所在していた。20及び23の両高射隊、そして後に改編となった第5移動警戒隊である。
      私は第20高射隊長の職にあって、八雲分屯基地司令を兼ねていた。有事にあってはもちろんのこと、平時にあっても、特に災害派遣の事態においては、分屯基地所在部隊が一体となって任務行動をとることになる。
      このために平素から所在の全ての部隊が密接に連携して災害派遣活動が整斉と行うことが求められる。

  

  八雲分屯基地司令として、3隊合同の災害派遣を計画。当時は、当該訓練に様々な工夫を施すというよりは、前年度以前には合同訓練の機会が少なかったために、まずは合同対処訓練の実施に重きを置いた。

  訓練の主眼、重視すべき訓練、相互の支援要領等を定めるにあたって、さほどの実績がないこともあって、各種検討を要した上に、所在3隊長の合意を取り付けるために関係幕僚は知恵を働かせることになった。

  
      この続きとなる当該訓練の計画・実施状況等については、このホームページ内のブログ「八雲分屯基地勤務時代の思い出 「基地所在3個隊による合同災害派遣訓練を敢行」」を読んでいただきたい。

 

5 『むすび』

  ここでは、指揮官が「自分の短所をさらけ出す」ことの是非について若干コメントしたい。

 

  「先人」の論文中にある「指揮官は、常日頃から部下とのコミュニケーションを良くして、情報を共有し、一体となって活動できる部隊を育て上げる必要がある」との一文から、「先人」が指揮の実行にあたって、いかに部下との対話を重視していたかがうかがえる。目指す方向性はよく理解できる。私自身もこのスタイルを好む指揮官であった。

  
      現代は、「先人」が勤務された時代よりもはるかに各種情報が氾濫し、その真偽を確かめることが極めて難しい。
      指揮官が、断片的な情報、偏った情報等に振りまわされた上に、「先人」の言う『俺についてこい式の指揮』を実行するのでは、部隊の総力を任務達成に向けて集中させることは困難を極めるだろう。こうした状況に陥らないためには、部下との常なる良好な対話が重要となる。

 

  一方、『自分の長所も短所もさらけ出し、部下と共に悩み、同じ土俵で考える指揮官の方が、部下の心からの支援を受けることができ、組織の総合力を発揮できるのではないか』との一文については、貴方はどのように考えるだろうか。

  部下とのコミュニケーションがあってこそ、真の部隊戦力発揮に繋がるとの意図は明確である。ただし、貴方達の中には、指揮官が自ら『短所をさらけ出す』ことで、指揮実行上の不具合を誘発するリスクが生じるのではないかと大いに危惧する人もいるだろう。

 

  私自身の解釈は次のとおり。

  先の論文を拝読して、「先人」は空自教範「指揮運用綱要」に記述された『綱領』を学び、その原則を踏まえた指揮の実行に努められたと推察した。
      中でも「指揮の本旨」にある『…部下に対し、もって部隊の模範としてその尊敬と信頼を受けるように努めなければならない』という点を特に重視されたと考える。
      それは、「先人」は指揮官が職責を遂行するにあたっては、まず部下の心情把握を優先すべきとの一貫した論述から読み取れる。

  
      この点から、『短所をさらけ出し』の内の『短所』を「人格形成にかかる欠点」と読み取るのは誤りであり、「不得意な事や他に見劣りする点」と読み替えるべきと考えた。
      そうすると、貴方に質問した「先人」の一文は、指揮官は体裁にこだわらず、自然体で指揮の場に臨み、部下からのさらなる信頼を得ることになる一つの指揮のあり方であると言えるのではないだろうか。

 

  『部下に見劣りする点をさらけ出す』という点では私も経験がある。

  2度の北海道勤務にあって、ノルディック及びアルペンの両スキー競技はとても苦手であった。しかし、部下に訓練の実施を命ずる立場にあることと、当該競技会では指揮官率先が伝統であったことから、観念して部下隊員による厳しい指導の下、日々の練成に臨むこととした。
      結果は貴方が想像するとおりである。千歳基地勤務のノルディック競技会の一幕をブログ化しているのでご笑覧いただきたい。

  
      1.千歳基地勤務時代の思い出 「千歳基地ノルディックの試練」

  2.千歳基地勤務時代の思い出 「またも来ましたノルディックのシーズンが…」

 

  部下との良好なコミュニケーションにより、部隊の総意として隊務運営が整斉と行われることは指揮官にとって願ってもないことである。
      しかし、情勢や状況の変化によっては、部下隊員の思いとは裏腹の方向に進む場合が生じる。むしろそうした結果になることが多いのは、不測・緊急の事態に対処することを任務とする自衛隊組織の特徴なのかもしれない。

  
      指揮官は、部下に対して慈しむ気持ちを持つことを尊重すべきである。しかし、慈愛に徹するあまりに隊務運営にかかる判断を決して誤ってはならない。

  したがって、指揮官は、部下とのコミュニケーションにあたって、慈愛と厳格の両面を兼ね備え、バランスのとれた表現・態度を示すことが重要である。

  特に、任務遂行において難儀な事態に直面した場合には、一身上の心情にこだわらず、大所高所からあくまでも客観的に、そして合理的に判断することに専念すべきである。

  また、指揮官が自ら下した判断・決心が苦渋のものであればあるほど、それに基づき部下に対して命令・指示を行う際には、指揮官のコミュニケーション能力の真価が問われることになる。

先人の知恵と経験(その4):「指揮官を経験して」(第2分冊51~54)

Ⅰ 「昭和」からのメッセージ  
  1989年空幕が指揮官教育の充実施策の一環として編集した参考資料「言い残すべきこと」(―若き指揮官達のためにー)の中から、任意に抽出した指揮に関する題材(論題)の一つを記載。

1 はじめに

  幹部自衛官にとって指揮官は最もやり甲斐のある職務であるといわれるが、幸いにして、航空団編単長、レーダーサイト群司令、航空団群司令を経験させて頂いた私の実感もまさにその通りである。

  幹部の資質には指揮官職を通じてでなければ身につけ難いものがあり、この意味で、幹部に指揮官職を経験しうる機会か少なくなってきているのは、まことに残念である。
  近年、この問題が監察等で指摘され,是正の措置がとられようとしているのはよろこばしく、是非強く推進していただきたい。

   
  さて、今回 「体駿を通じての指揮のノウハウ」と題して後輩の諸官に参考となることを伝えるよう求められ、にわかに困惑したのは過去の自分の指揮が的確で効果をあげ得たかどうかの客観的評価を受けた覚えがなく、単なる自己満足ではないかという疑問である。

  また、指揮官としての未熟さからやろうとしても出来なかったことや、配慮の足り無さ故の失敗も多く、以下記す通りに立派に指揮できたということではないので、意のあるところを汲んでいただきたい。

 

2 決断と責任

    「指揮官は孤独である」とはよくいわれる。

  これは最終的な決断は一人でせざるを得ず、指揮官の名において行ったことの結果については全責任を負わなければならないことを表現したものであろうが、戦争という深刻な状況下でなく、平時にあっても指揮官にはそれらしきことを感じる場面によく遭遇する。

  特に、突発的に発生する不測事態においては、参考となる前例もなく、相談する相手もなく、処置と報告について判断に苦しむことが多いが、このような場合の心構えの第一は、指揮官自ら先頭にたって問題解決に取り組む姿勢だと思う。
  このような場合、ややもすると責任回避の方に意識が向き、本質的な問題解決に集中出きず事態をますます悪化させることがあるが、これは絶対に避けなければならないことである。                                           、


  内閣安保室長の佐々氏は、浅間山荘事件などの教訓から、白己の保身を重視した問題解決は失敗することが多いと述べておられる。事態が深刻であればあるほど、指揮官は責任を免れないものと腹を決め、真正面からそれに取り組む姿勢を示すことが周りにも好影響を及ぼし、良い結果を生むことになるのであろう。

  状況判断の心構えの第二は、視点のレベルをー段高くすることだと思う。小隊長であれば隊長として、隊長であれば群司令としての立場で判断すれば大きな方向の誤りと抜けを防止できる。それがまた、将来に向けて本人を大きく育てるよい機会であるので、チャンス到来とわりきって全力投入すべきである。                                       

 

3 個性

  指揮官とて人間であるから、いくら努力しても完全無欠足り得ないことはいうまでもなく、過去、各指揮官といわれた人たちにはかえって強烈な個性があり、それが人間的魅力となって部下をひきつけたといわれている。従って、指揮官にとって個性は極めて大切であろうし、また指揮官職はそれを出しやすい独立した存在であるともいえる。

  
  しかし、せっかく優れた資質をもちながら、人間としての品格を疑わしめるような欠点があるために部下に不信をかい、良い面を発揮でき無い人を眼にする。

  私が見聞きした指揮官から学んで、自分がその立場になったら気をつけようと自戒したことは、いささか次元が低いが次のようなことである。
(1)
個性≠我がまま

   個性を発揮することとわがままを通すこととは、本質的に異なることは観念的にわかっていても、現実は判然としない面がある。

   かつて、ジャイアンツびいきの指揮官がいてチームが負けるとその日は機嫌が悪く、決済がなかなかおりなかった逸話が残っているが、このような人は御愛嬌ですまされるとして、自制心の乏しい人はいわゆる天気屋が多く、人の意見をきないので部下を敬遠し、指揮官一人浮き上がって必要な情報が的確にはいらなくなる。        

 
   誰しも不愉快な報告は、聞きたくないところだか、悪い報告ほど価値があり早急な措置を必要とするので、常に部下が報告しやすい雰囲気をつくるべきである。指揮官ともなると余程のことがない限り、他人から日常の言動について直接注意を受けることはないので、絶えず自制心を働かせておくべきだろう。

(2)公≠私

   公私混同は強く戒めるところだが、「私」 においても 「公」を完全に離れることはできない一方で、「公」に「私」を持ち込むことは許されず、指揮官の立場は非常に厳しい。ただし、現実には人間関係を円滑に保つため、杓子定規にふるまえない場合もあり、むつかしいところである。

   しかし、少なくとも人間としての品性を疑われるような行為は絶対につつしむべきで、持に金銭的な面には細心の配慮をしたい。個人として負担すべきものを怠ったり、部下の行為に麻痺したりして、部下から「ケチ」と悪評をかう人をみかけるが、そのような人に卓越した指揮の実行は望むべくもない。

   公私混同についての部外からの眼は年々厳しくなっており、批判をうけた場合にあたえる影響もきわめて大きい。ともすれば、甘くなりがちな我々の感覚がいわゆる世間一般の常識から逸脱することのないように常にチェックしておく必要があろう。

 

4 個人と集団

  隊員個人を敦育訓練し、その能力を高めて集団としての力にまとめあげるのは指揮官の大きな責任である。

  最近の若い隊員は新人類とはいわれるが、あの戦後の日本の復異を支えた勤勉な国民性は未だ引き継がれているものと信ずる。この固有の勤勉さを引き出すものは組織への参加意欲であり、指揮官は機会をある毎に隊員の価値観に対する問いかけを行うべきである。


  民間会社においても、幹部クラスが、いわば書生っぼい議論を社員とたたかわせているところは組織が活性化されて成長が著しいという。特に若い幹部に対しては、数年を経て有り難さのわかるような、遠い将来をみこした指導を心掛けたい。

  
  近年、装備の近代化に伴い技術の修得についていけず、若い隊員の指導に自信を失う幹部・空曹をみかけるが、自己の責任を果たす為に必要なことは、自分の能力を越えることでも堂々と部下に要求出来る「あつかましさ」は、わが組織に必要な気風である。

  これだけ技術も価値観も変化の激しい時代は、高度成長期のように単に過去から現在の延長線上に未来を描くことは不可能であり、先見性と創造力が強く求められる。


  いまや航空自衛隊の幹部に「謙譲の精神」は美徳ではなく、大いに出る杭となって打たれながらも進歩していく気概を持つべきである。出る杭は打たれるかもしれないが、出ない杭はどんどん腐っていくだろうからである。

  集団として力の結集はその内部の人間関係に負うところ大である。友情にはたゆまぬ手入れが必要だという言葉があるが、集団で良好な人間関係を保つためにも継続した努力を必要とする。
  そのため、指揮官は努めて現場進出をして部下との接触を保ち、彼らの本音を知りかつ実情把握に努めなくてはならない。趣味などを通じての隊員との接触を非とする考え方もあろうが、私はそれが人事等への不公平につながらないように留意すれば大いに結構だと思う。


  指揮の実行には直接関係はないが、我々の任務遂行という見地からすれば基地周辺の部外の人たちとの良好な人間関係は極めて重要である。指揮官は自分の代に一人でも多くのフレンドリーを基地周辺に確保することを心掛けたい。

 

5 おわりに

  究極のところ、私が指揮官職の間に自分なりに考えたつもりで実行しようとしたことは、幹部学校で習い、先輩に教わり、本で読んだりしたことのうち、その時々の環境で最も大事だと考えたことを選んでいたにすぎない。

  独断と偏見があればお許しを請う。

  

Ⅱ 「平成」からのコメント等:  
  ここではⅠ項の大項目及びその内容を受けて、私が現役時代に思考及び実行した体験談を付言するとともに、関連しそうな当該ホームページ内記事をリンクとして掲載するもの。なお、以下の文中、「先人」とあるのは、Ⅰ項の論者を指している。

 

1 『はじめに』

  私が任官した昭和50年代後半、高射部隊では2・3尉の階級にあっては指揮官職に就くことはまれなことだった。
  私が3尉で着任した時点で、小隊長は防大19期、その次級者である防大22期の先輩も付幹部。1個高射隊に防大出身の幹部が5名も配置されている状況は現在では考えづらいかもしれない。


  「先人」が言うように、「幹部の資質には指揮官職を通じてでなければ身につけ難いものがある」にもかかわらず、当時は若くして指揮官となる希望はなかなか叶えられなかった。

  ただし、私の場合は、約5年間、付幹部の配置にあったおかげで十分に隊長、小隊長の指揮実行ぶりを見取り稽古ができた。
  さらに、人事権を含む指揮権を持たない立場であったからこそ、空曹士と率直に付き合い、彼らの知識・経験も学べた。

 

  指揮官職がいかに責任を伴うのかは、現場部隊に配属になった3尉の時から肌で感じた。それでも一種の憧れがあり、できる限り早い時期に指揮官職に配置されることを熱望していた。
  そのため、毎年提出を義務づけられていた「幹部自衛官申告票」のうち、「自己評価」と「指揮官としての自己啓発」の各項目欄には、とても細かな字でびっしり書き込んでいた。

 

  たとえ個人申告票や勤務成績報告書に自らが希望する補職配置及び地域を記入したとしても、実現するのが難しいと諸先輩から聞いていた。

  しかし、その後昇任はしても、いっこうに指揮官配置を伴う異動にはならない。さすがに、先述の提出文書を取り扱い部署において、じっくりと見てもらえているのだろうかと疑心暗鬼になる始末だった。

 

  こうした自分勝手な疑いを払拭したのは、自らが空幕補任課長職に就いた時である。
  限られた指揮官のポストにそれに倍する適材を配置する人事管理の作業が、適正な人事考課とそれに基づく公平な補職管理にいかに時間と労力を費やすのかがよく理解できた。

  だからこそ、指揮官職の配置に就き、隊務運営に大きな影響力を及ぼす権限を付与される幹部自衛官は、この事を意気に感じ1~2年の限られた任用期間にあって当該部隊等のいっそうの発展に全力で貢献しなければならない。

 

2 『決断と責任』

  この項目で「先人」が強調する「指揮官自ら先頭にたって問題解決に取り組むことこそ肝要」「責任回避など絶対にならぬ事」を眼にすると、教範「指揮運用綱要」に示される部隊等の指揮・運用に関する基本的事項に学び、実践に努めたことが思い出される。

  特に、「指揮の本旨」の一文である「事に臨んでは沈着冷静、積極敢為、き然として難局にあたり、任務遂行の原動力とならなければならない」は、まさに指揮官のあるべき姿を表すもので忘れられない。

 

  私自身、北朝鮮弾道ミサイル対処事案では『沈着冷静』を、日米共同演習等では『積極敢為』を、そして大規模災害対処において『き然』さを体得することが、いかに難しく、部隊指揮に不可欠であるかを思い知らされた。

  しかし、先の緊急事態及び大規模演習等にあって、指揮官は孤独と言われながらも、部下の任務遂行意欲及び能力に支えられ、また関係部隊との密接な組織連携により、整斉と指揮できるという自信も得られた。

 

  その一方で、指揮官職において、あえて部隊内に相談相手を持たず、自分一人で問題解決にあたらなければならない出来事があった。部下隊員の人事措置である。
  守秘義務の観点から具体的な内容は記述しないが、指揮官に求められる責務の一環として紹介したい。この時ほど指揮官は孤独であることを実感したことはなかった。

 

  自衛官であれば、貴方も「経歴当明細書」「身上明細書」を提出した経験があるはずだ。これらの記載内容により、私の部下が特技を変更することになった。

  当該隊員は勤勉実直、訓練成績も極めて優秀という申し分のない隊員である。しかし、人事制度の規則により特技職を変わらなければならなくなった。

  日々嬉々として隊務に取り組む本人に対して、特技転換を伴う配置換えの事由を明かすことが適切な指揮の行為なのか、そもそも部隊全体としての士気や任務遂行力の低減化を招くのではないか等、大いに悩んだ。

 

  結果として、自隊の中でも誰とも相談することなく、当該人事を取り扱う航空幕僚監部の部署と直接やり取りして細部調整を図った。

  しかし、制度の見直しには至らず、当該隊員は配置換えとなった。最終的に彼がどんな心情であったかを知ることはなかった。彼の上司等から指揮官である私に対する意見具申もなかったと思う。

  だからと言って、彼が納得して配置転換を受け入れたわけではないだろう。きっと相当に物申したいことがあったはずである。

 

  指揮官は重責を担う一方、空自全体の制度や規則等に対しては如何ともしがたいところもある。あの時は、私自身は部下の切なる願いを実現することができず、無力感に苛まれた。何とも言えない孤独感であった。

  「指揮官は孤独である」との状況は、何も有事だけにはかぎらない。平素の隊務運営においても生じる。むしろ部下隊員を尊重する上に成り立つ指揮にとって人事等にかかる事案を一人で取り扱うことのほうが難しいようにも思う。

 

  貴方も、私と同様な状況にこれらからも遭遇するだろう。先述のような課題に直面した際には、「先人」の教えのとおりに、決して避けて通らず、部下を親身に思い解決のために最大限の努力を惜しまないでもらいたい。ぜひ孤高の指揮官を目指してもらいたい。

 

3 『個性』

  この項目のうち 『(2)公≠私』の部分についてコメントする。

  指揮官職にある者は、公私混同がならぬことを十分に承知していなければならない。ただし、「先人」の論述にあるように、「公」と「私」をわきまえ分かつことは意外と難しい。

  課業外にあって、「私」の空間と時間を過ごしてしても、たとえ休日や休暇の中で休息・休養を取っていたとしても「私」に心から浸れることは無いのかもしれない。
  定年退職して、初めて「私」の時間を享楽する実感がわかったような気がするのは私だけだろうか。

 

  平成2年に幹部学校の指揮幕僚課程の入校した折、課程主任であった森田1空佐が常々、学生の我々に訓辞されていたのが、『戦機一瞬 常備不断』であった。
  「戦いに勝利するチャンスはほんの一瞬。そのワンチャンスをつかみ取るためには、平時から24時間365日絶えることなく備えるべきである」を意味すると理解している。当時は、装備、システム、組織の態勢についての教えだと考えていた。

  この遺訓をあらためて考えてみると、指揮官には真にプライベートの時間など存在せず、常に「公」の立場を貫く姿勢を求められているかのように思える。

 

結論的には、「先人」が言う「公私混同を戒める」ことはなかなか困難である。それならば、「公」の立場を常に意識する心構えを持つのも一つの方法ではないだろうか。

  私は指揮官職に配置された期間は一貫して、部下隊員に対して「戦闘員たれ」と奨励し、職務を離れた環境にあっても、戦闘体質を保持するように求めていた。

  自らも官舎や自宅でリラックスしている時でも、不測・緊急の事態が生起したならば、どのように行動するかを自問自答したりして過ごしていた。

 

  なお、ここでの題材に、関係ある(ありそうな)同ホームページ内ブログを、一読いただければ幸いである。

  1.八雲分屯基地勤務時代の思い出 2月分の雑感ー第1項「北空戦競いよいよ間近に…」
  2.八雲分屯基地勤務時代の思い出 3月分の雑感ー第1項「離任に当たって…」及び第2項「基地司令として…」
  

4 『個人と集団』

  「先人」が論述する「いまや航空自衛隊の幹部に、「謙譲の精神」は美徳でなく、大いに出る杭となって打たれながらも進歩していく気概を持つべきである。出る杭は打たれるかもしれないが、出ない杭はどんどん腐っていくだろうからである」にコメントする。

 

  平成の時代に入ってからも、会議等の場で事実と異なる発言があった場合、発言者より下位の階級者であっても、その事をすみやかに指摘する行為を良しとする雰囲気は確かにあった。

  航空作戦の展開が陸海の作戦に比して極めて早く、一瞬の誤認や判断ミスが命取りになるとの戒めからか、訂正の情報を迅速に提供する者の発言を妨げないという点で、謙譲の精神が不要と言うのは理解できる。

  こうした状況について、指摘される側、指摘する側のいずれも経験したことがある。ただし、どちらの側であったとしても、相手の階級や立場を尊重しない発言は厳に慎まなくてはならない。そうでなければ、事の真偽を明らかにするはずが、感情的な言い争いとなり、挙句の果てには人間関係をこじらせることに発展する可能性があるからだ。

 

  「出る杭」の推奨する「先人」の意図は、組織の発展のために、常に研鑽努力を惜しまず、そこから得られた成果を公の場で積極的に発信すべきということであろう。ビジネス社会には、『出すぎた杭は打たれない』『出ない杭は土の中で腐る』との名言があるくらいだ。

 

  一方で、無駄に「打たれる杭」にならない着意を忘れてはならない。例えば、自らが指揮官の立場で出席する会議等においては、自隊の都合を主張するのではなく、議題に沿った全体最適の提案を、根拠を示した上で行うことが重要である。

  そのためには、事前に配布された資料を熟読し、しっかりした論理を立てることが肝要である。専門幕僚との意見交換から正確なデータを得ることも説得力を生み、「出る杭」との評価には至らない。

  仮に、会議直前までに議題が明らかにされない場合には、明確な記憶や経験に基づく発言に終始し、決して思いつき等による不用意な発言は避けなければならない。

 

  また、自らが指揮官に仕える幕僚の立場であれば、会議等に先立って上司に発表内容について指導を受ける心得も必要である。

  特に、上司の代理として出席する場合は、事前確認は必須。平素から上司の隊務運営等に関する方針、指導、基本的考え方を明確に把握していれば、会議等で迷うことなく発言すべきである。

 

  私自身は、総隊司令官及び支援集団司令官等の編合部隊指揮官職にある時は、統幕及び空幕主催の指揮官会同に出席するにあたって、部下を通じて部隊の実情を再確認した上で発言することに努めた。

  空幕副長職の時代には、空幕長の代理として省主催の会議等に出席する際には、必ず事前に空幕長に発表の方向性をうかがう等、指導受けを行っていた。

 

  結論としては、所属する部隊等の発展向上を常に念頭に置き、公私を問わず研鑽して見識を高めるとともに、自らの主張や行為が必要だと確信できるならば、ためらわず発言する積極性を身につけることを切望する。

 

5 『おわりに』

  論述の最後に、「先人」は指揮の実行にあたっては、「幹部学校で習い、先輩に教わり、本で読んだことの中から、状況に応じた方針、方策等を選択したにすぎない」との旨を記述している。

  後進の私も、貴方達の多くも、このようにして指揮統率の原理原則を学び、そして実践したはずである。

  若き指揮官である貴方には、今後とも指揮にかかる方策・方法を多くの「引き出し」の如く準備し、平時にあっては直面する課題を迅速に解決し、有事においては部隊を最適な行動へと導いていけるよう、さらなる自学研鑽に努めていただきたい。

 

先人の知恵と経験(その5):「指揮実行上のノウハウ十則」(第2分冊85~86)

Ⅰ 「昭和」からのメッセージ

   1989年空幕が指揮官教育の充実施策の一環として編集した参考資料「言い残すべきこと」(ー若き指揮官達のためにー)の中から、任意に抽出した指揮に関する題材(論題)の一つを記載。

 

   指揮官の指揮実行に即効薬はない。時と場合によっては、部下を死地に追いやるかもしれないような指揮の実行は、決して安易なものではない。

 また、一日の大半を曹士と直接顔をあわして過ごす編単隊長にとっては、即席のテクニックだけでは一週間も持ちこたえられないであろう。

 俗に言う「上司はだませても部下はだませない」、「上司は部下を3ケ月で知り、部下は上司を3日で知る」というのは、その辺の事情をよく物語っている。

 初めて指揮官となる者は、多くの先輩の体験談、教訓を参考としながらも、究極は、自らの人間性、人格の陶治にこそ理想の指揮官像への道標があることにやがて気がつくであろう。

 以下は、その参考の一つにすぎない。

 

1 一人で責任を取る

  指揮官の指揮官たる所以のものは、その職に「責任」を伴うことにある。責任を取るべき時に、それから逃げ、他人のせいにし、いろいろと弁解を並べたてるのは、まことに見苦しく、いやしくも指揮官たるの名に値しない。

  まして、部下のせいにすることあれば、それは指揮官にとって致命傷となる。すっきりと、一人で責任を取ることである。

 

2 己に自信を持つ

  指揮官は、充分な自信を持って指揮を実行するように努めなければならない。少なくとも、部下の前で自信のない挙措態度を取ることは、部下の指揮官に対する信頼感を損なうものである。

  但し、過信は、部下の不信に連がるものであることもまた、よく知っておく必要がある。

 
3 部下を教育する

  部下を思えばこそ、きびしく教育し、鍛えることが大切である。部下は、鍛えられて能力を開花することができる。

  昇任は、部下にとっては最大の魅力、昇任試験に合格させることは、何よりの恩賞となる。

  部下を遊ばせ、放任することは、一時の喜びにすぎず、将来恨まれることになろう。

 

4 世問の常識を備える

  自衛隊の常識は、しばしば世間一般の常識と遊離することがある。そのために、部下指導の方向を間違えたり、部隊が世聞のひんしゅくを買うようでは、 自衛隊の威信を失う。

  健全な判断をするためには、努めて部外の人とつきあい、世間の常識を併せて持っておくことが大切である。

 

5 部隊の雰囲気を明るくする

  部隊の雰囲気は、明るくなくてはいけない。新人類と称される若い隊員は、隊のムードに大きく左右され易い。

  部隊の中心である指揮官には、明るい性格が必要であり、部隊全体を明るいムードに導かなければならない。

  堅苦しい話だけでない、適度なユーモアやウイットも必要である。

 

6  バランス感覚を備える

       寛厳、清濁、剛柔、硬軟等々、いずれの側に偏しても害はある。左右一方に片寄らない自在のパランス感覚を持ち、ケース・バイ・ケースに応じて使い分けできるセンスが大切である。

       当然のことながら、感情的な判断に走ったり、大局を見ずして目前の事象にのみ気を奪われる等は、厳に慎むべきことである。

 

7 公私をわきまえる

  公の立場を利して、私に走ることは決して許されることではない。往々にして公私混同する者か多いが、部下はよく見ており、敏感に反応する。

      正義感の強い部下がいて、内部告発という不名誉な非常手段を取ることも予想される。最近は、そんな風潮が当たり前であることを忘れてはならない。

 

8 部下の言に耳を傾ける

  誠実に部下に接することは、信頼関係をつくるうえで不可欠である。特に、部下の意見をよく聞いてやることは、部下の仕事に取り組む意欲を一層増加させ、部下の欲求不満を解消させることになる。

  一方的に指示を押しつけ、聞く耳を持たない指揮官には、やがて部下からの情報が入らなくなってしまうであろう。

 

9 部下をよく知る

      部下のことについてよく掌握しておくことは、上司のことを知る以上に重要なことである。部下の能力、性格、個癖から家庭の状況まで承知しておく必要があろう。

  悩みごと等、問題を持っている者については、常に気を配っておくことが大切であるが、深く立ち入ったり、同情の余り公私関係を混同しない態度も要求される。

 

10 熱き心を持つ

      与えられた任務に情熱を燃やして取り組む姿勢は、部下に自然に伝わり、よい影響をあたえる。熱き心をもって部下に接すれば必ずや熱き心をもって応えてくれるであろう。

  熱き心のない指揮官、幹部、人間は、仕事や人生を空虚なものにして、部下は心からついて来まい。熱き心こそ、人間性を豊かにし、指揮官に魂を吹きこむ最大の源泉である。



Ⅱ 「平成」からのコメント等:

  ここではⅠ項の大項目及びその内容を受けて、私が現役時代に思考及び実行した体験談を付言するとともに、関連しそうな当該ホームページ内記事をリンクとして掲載するもの。なお、以下の文中、「先人」とあるのは、Ⅰ項の論者を指している。

 

 今回、「先人」による論述文の選択は、先月ホームページ上に「市ヶ谷基地勤務時代の思い出・装備部長雑感(第1回)」を掲載したことに関係する。その記述の中で、「幕僚勤務の十則」を取り扱った印象が残っていたからだ。

 ここでは、指揮官として修得すべき10項目で構成されている。指揮官職を望む若き幹部にはわかりやすいはずだ。「先人」自らの言葉で表現されており共感を覚える。

 以下は、それぞれの項目に対して経験に基づく私の見解を付言したもので参考にされたい。

 

 なお、「先人」が論述する冒頭文の最終段落中に、「理想の指揮官像」との表現がある。この言葉で思いついたことが一つ。

 一昨年、これと同じ題目で、奈良基地・幹部候補生学校において講話させていただいた。

 その際、使用したレジメを来月このホームページに掲載するつもりだ。現在の幹部候補生のみならず、これから幹部候補生学校へ入校する自衛官、及び既に同校を卒業者して編単隊長を目指す幹部自衛官等に一読いただき、指揮官教育に役立ちたい。

 
1 『一人で責任を取る』

  指揮官にとって責任を果たす態度がいかに大切かは、教範「指揮運用綱要」第1章の最初の項目に、「指揮官の権限・責任」が掲げてあることからもわかる。同項目の解説文を読むとその重要性がさらによく伝わってくる。以下は、「責任」にかかる文の抜粋になる。

 

  『…権限がまずあって責任がこれに付随して発生するものではない。権限は責任を果たす手段であり、手段としての権限は委任できるが責任は免れることはできない。指揮官は、部隊としての行為の結果一切について責任を有するものである。指揮官が唯一の責任者であるからこそ、部下は安んじてその指揮に服し任務に専心し、幕僚は自己を空しくして指揮官を補佐し、指揮官は自己の意図に基づいて指揮できるのであり、ここに指揮権の尊厳性がある。』

 

  30年前、指揮幕僚課程入校の受験勉強をしていた時は、こうした文をひたすら暗記していた気がする。しかし、編単隊長から編合部隊指揮官を歴任する間は、それぞれの文章に対する理解を深めつつ、教範に示される指揮官としてのあるべき姿を態度及び行動で示せるよう努めた。その一端を「飛行と安全」に寄稿したこともあった。

  指揮官にとっては、責任の真意を理解することはもちろんのこと、責任の取り方・果たし方が肝心だ。

  指揮官は、責任感が強いだけでは不十分。任務遂行であろうが、不祥事対応であろうが、責任を全うするためには、初度対応から終結状況までの一連のシナリオをしっかり見定めた上で、部隊全体が最善の状態に向かうよう明確な態度と最適な行動を執ることが大事だ。

2 『己に自信を持つ』

  「先人」は、指揮を実行するにあたって、自信の持ち方を決して誤ってはならないと指摘する。

  自信は豊富な知識だけで身に付くものではない。また自信は主観であるがゆえに、強い思い込みに過ぎないかもしれない。

  さらに、「先人」が言うように、過信や自信の無さから生じる虚勢といった心理状態に陥る可能性もある。

  したがって、指揮官にとっての自信は、順境にあっては知識の修得と実体験の積み重ね、逆境においては自己の反省と教訓の活用を行えてこそ得られるものだ。

  貴方が補職に応じた責務のもと、謙虚な姿勢で着実に業績を上げていくことで自信は徐々に高まるはずだ。その得られた自信によって、次なる高みに挑んでいけることになる。

3 『部下を教育する』

  部下の教育には、内容の適確性と適時性が伴わなければならない。指揮官の意欲のみが先行する教育・指導は、隊務運営自体を阻害しかねない。部隊によっては、隊員の不在率が高く、また分業・シフト制により集合教育自体が難しい状況にもあり、教育実施のタイミングを見極めることが大切。

  部下の教育にあたっては、目的・目標を明確にし、必要に応じてカリキュラムを作成するのが望ましい。訓示・指導・講話(全体集合、グループ別、階級別等)等、教育の場の設定と、口頭・文書回覧・オンライン等、教育の手段について、部隊の状況をよく勘案して選択する必要がある。

  私自身も先輩の教えに従って、尉官の時代には課業外に内務班員に対して昇任試験のための勉強会を行った。その後も、指揮官及び幕僚の立場にかかわらず、部下隊員に空自の将来像をはじめ任務遂行上の心構え・具体的施策等について時宜を得て実施した。

  特に、航空開発実験集団司令部での教育は印象に残っている。当時、私は幕僚長の職にあり、司令部員は80名ほど。空士長は1名で上級空曹が多い職場だった。

  事前に教育の目的、ねらい、主な内容等を周知して、開発実験集団の業務に直結する内容を選んだ。当時の集団司令官から示された指導方針「プロフェッショナルたれ」を受け、各人の達成するべき個人目標や各部署の業務見直し等を勉強会を通じて意見交換できたのは、実に有意義だった。

 

4 『世問の常識を備える』

  2・3尉の時代には、日々の業務をこなすことで精いっぱいで、一般社会常識のなんたるかを意識することはなかったのではないだろうか。あるいは、社会常識は、メディアを介して各種情報を得て、それなりに身に付いているものと高を括っていたかもしれない。

  こうした「世間の常識」に対する気づきの無さは、企業研修生として民間会社に出向したことで一変した。

  当時、幹部学校は指揮幕僚課程履修者の中から数名を選抜して、企業の実態を学ばせ、その成果を空自に活かすことを目的とした、いわゆる企業研修制度を採用していた。

  私にとってこの1年近い研修期間において、会社及び世間一般の常識や外からみた防衛省自衛隊を見聞きできたのは、その後の指揮統率に大いに役立った。

  転勤のたびに、基地等周辺住民の方々との交流の場に積極的に参加する経験を重ねることで、自衛隊と一般社会の常識格差は次第に解消できていったようだ。

  時折、交流していた民間の方から「私服を着ている時のあなたは自衛官とは思えないなあ」と言われることがあった。それは、一般社会にあっても常識人になろうとするあまり、自衛官らしさに欠けるとの評価なのかと思いつつ、なんとも返事のしようがなく、苦笑いしていたことを思い出す。

 

5 『部隊の雰囲気を明るくする』

  「部隊の雰囲気を明るくする」こと自体は、指揮実行上の最も重要な着眼の一つ。健全で精強な部隊は、必ずと言ってよいほど明るい隊風を持っている。

  不祥事が生ずる等、隊務運営上の逆境に遭遇した場合には、一刻も早く沈みがちな部隊の雰囲気を一掃し、元の活力ある部隊へと復帰させることが重要である。これは指揮官の手腕による。

  私の経験を一つ。平成15年、小松基地に基地業務群司令として赴任。当時、基群は大きな問題は抱えておらず整斉と任務する部隊だった。ただ、6空団の中で、「縁の下の力持ち」という存在に徹するためか、淡々と業務をこなすイメージが強かった。

  そこで、基地司令等の承認を得た上で、基地の隊員食堂を使用して基地業務群各隊参加(シフト勤務者等を除く)による大懇親会を企画、開催した。準備と撤収の作業は上級空曹が実施。メインとなるクイズ大会の出題等は群司令が担当する等、若手の慰労と各隊の横断的な懇親を目的としたものだった。

  どれだけ明るいムード作りに役立ったかはわからない。それでも各級指揮官と隊員との距離は間違いなく近づいたはずだ

 

6  『バランス感覚を備える』

      指揮官自らが、適正なバランス感覚の持ち主かどうかを確かめる術はない。実に難しい資質である。私は様々な事態・事案に対応するたびに、自らの判断にバランスを欠いていないかと自問していた。

  上司、関係幕僚、他の関連部隊等からの指導、情報提供及び協力支援がある場合は、用意周到な対処が期待できる。

  その一方、速やかな決心を求められる場合や、マルチタスクを抱えている場合には、迅速機敏な反応を優先することになる。

  要するに、指揮官は各種状況に応じられる幅広い対応能力と、困難な状況に直面した時に最適能力を選択、実行できる胆力を、日頃から持ち合わせていることが重要である。

  稲盛和夫氏も著書の中で、「慎重さと大胆さの両方が必要」「相反する両極端を併せ持ち、局面によって正常に使いわけられる人間でなければならない」と述べている。

 

7 『公私をわきまえる』

 

  先人の知恵と経験(その4)「Ⅱ 平成からのコメント 3 個性」を参照していただきたい。

 

8 『部下の言に耳を傾ける』

  指揮官は、命令、監督指導、報告・通報、意見具申等、自ら率先して発信及び行動することを求められる。こうした行為に至るまでに収集する情報の多くは、部下からの報告や意見提示であるはずだ。

  指揮官の中には、緊急の案件や喫緊の課題を抱えている場合、自らの思考時間を確保するために部下の報告等をできるだけ早く切り上げようとする者もいる。己の意に沿わない報告等に対しては、封殺するような発言をする者もいるだろう。貴方にはそんな経験はないだろうか。  

  上意下達と下意上達はやはり双方向において健全でなければ、部下との間に真の信頼関係を構築することは難しい。任務遂行にも大きな阻害要因となるはずだ。

  私も現役時代には、意見具申を全く聞いていただけなかったこともあった。一方で、私自身も業務の忙しさにかまけて、部下が指揮官に提供しようとした報告等を、時間をかけて彼らの言に耳を傾けないことがあったのだろうと今更ながら反省しきりである。

 

9 『部下をよく知る』

      「部下をよく知る」という点では、「先人」が言われる部下の能力、性格、個癖、家庭事情に加えて、隊員の郷里、趣味、嗜好も人を知る上で大切な要素である。部下の個人情報にかかる把握の仕方については、様々な方法がある。

  編単隊長時代、隊長室の白板にマグネット式の隊員個別札(階級・氏名・配置先・特技・生年月日等が記載)が編成に基づき整然と張り付けてあった。トランプゲームの一つである「神経衰弱」のように、裏返しては記憶を確かめるやり方は、先達から受け継いだものだ。

  群司令以上の職位になると、規模的に全員の個人情報を暗記することがさすがに困難になるため、次の方法をよくとっていた。

  執務の合間に部下の職場を訪れ、デスクの上にある子供や釣果であろう川魚の写真を見つけては話題にして、部下との半プライベート(公務を意識した高苦しい口調にならないような)会話を楽しんだ。

  また、「常に気を配る」ことについては、課業時間外の飲酒を伴う懇親会の時でさえも、アンテナを高くして多くの隊員の発言・行動に、関心を持つように心がけた。この点では、二つの経験を紹介したい。

  一つは、大人数の部下隊員が同席する懇親会で盛り上がる中、私の近くで同僚と歓談していた隊員が小声で「…死にたい…」とつぶやいたように聞こえた。その宴会が終了するまでに当該隊員の部下指揮官に状況を伝え、彼の心身の状況を把握するように指示。翌日、面接等を行った結果、事なきを得たとの報告を部下指揮官から受けて安堵したことがある。

  もう一つは、具体的には記述できないが、職場及び家庭に全く問題を抱えない、極めて優秀な隊員が自殺したことに関係する。

  遺書はなく、動機も見当たらなかったが、自殺に至るまでに何らかの兆候があったのではないか、それをどうして捉えることができなかったかと心から悔やまれた。

  指揮官であった私は、この件を通じて人を把握することがいかに難しいことかを思い知らされた。それ以降、若年隊員やなにがしかの問題を抱える隊員はもちろんのこと、快活な隊員や積極的にリーダーシップを果たす隊員にも、気を配ることを常に意識するようになった。

 

10 『熱き心を持つ』

  冒頭、教範「指揮運用綱要」の解説文に触れた。この教範には、「沈着冷静」「虚心坦懐」といった心の動静に関する表現は用いられているが、この項目になる「熱き心」に類似する語句が採用されているのかが気になった。そこで先の教範の第1章指揮を第1項から一読してみると、第12項「意見具申」の解説に、次の文章があった。

 

  「…意見具申の精神も、またそれがいれられなかったとき虚心坦懐に上級指揮官の意図に努力する精神も、ともに任務完遂に対する『熱誠』に基づくものである。」(一部を抜粋し、鍵括弧は筆者が付与)

 

  熱誠は、広辞苑では「熱情から出るまごころ」とある。この語訳であれば、「先人」が言う「熱き心こそが、人間性を豊かにし、指揮官に魂を吹き込む最大の源泉である」という意味がよく理解できる。

  併せて、指揮官は、有り余る熱情をあらぬ方向へ注がぬことと、偽りのない心持ちでなければならないことに十分留意することが肝要である。

 

 

 

先人の知恵と経験(その6):題名「指揮官としての指揮実行上のノウハウについて」(第1分冊1~3頁)

 ここからは、先人による記述文の一部について、私の体験等に基づくコメントを付記する形式に変更しています。
 ただし、先人による記述文の全文は、「Ⅲ」項目として掲載しています。

Ⅰ 「昭和」からのメッセージ

   1989年空幕が指揮官教育の充実施策の一環として編集した参考資料「言い残すべきこと」(ー若き指揮官達のためにー)の中から、任意に抽出した指揮に関する題材(論題)の一つを記載。

 目次:1 はじめに
    2 平時の困難性
    3 克服の条件
    4 知恵の集積
    5 骨肉の情
    6 おわりに

5 骨肉の情

 私が編単隊長の時代に冒した最大の失敗は、部下隊員の家族を心中に至らしめた事である。
当時の―飛行隊は、数多くの移動訓練を実施していた。当然整備員も暫々家を空けざるを得ない状態にあった。
 然し、優秀なラインチーフである某1曹は、奥さんの状態が不順で、部下を訓練に参加させながら、自らは参加し得ない状況が続いていた。ところが、次の移動訓練に際して、整備小隊長が、彼を派遣したい旨申し出た。 「本人はどうしても行きたいと希望しているし、奥さんの状態もよく、パートにも出ているとの事である。彼の周囲に居を構えている同僚連中も大丈夫だと云っている」 という趣旨である。
 私は、ラインチーフとしての立場を思い、小隊長の具申を認めた。そして、彼が移動訓練から帰る前日の晩に訓練先で打ち上げの宴会があり、毎晩日課としていた奥さんへの電話をかけなかった事が影響したか否かは不明であるが、彼女は、夜中に小学生の坊主2人を乗せて自動車で外出し、山中で排ガス心中をしたのである。
 私は、整備小隊長も、ラインチーフも信頼していた。 したがって、彼等の言を信頼し、ラインチーフの立場を尊重して移動訓練に出した。然し、その結果が部下家族の心中であり、私は、指揮官として部下の安全と福祉を破壊する決心をした事になったのである。「心(身)情の把握Iと良く云われる。私は突込み不足であった。
 彼が、毎晩電話をかけなければならないような状況であると知っていたら出さなかったであろう。心の病気であるが故に、何故もっと突込んだ確認
の仕方をしなかったのか。彼は私に、本当は却下して欲しいと思いながら、参加希望を申し出たのかも知れない。ラインチーフとしての立場の守り方は他に幾らでもあったではないか。真に彼の身になって考え切れなかった結果の悔やみである。

 
Ⅱ 「平成」からのコメント等:

  ここではⅠ項の大項目及びその内容を受けて、私が現役時代に思考及び実行した体験談を付言するとともに、関連しそうな当該ホームページ内記事をリンクとして掲載するもの。なお、以下の文中、「先人」とあるのは、Ⅰ項の論者を指している。

 私自身は、部下の家族が心中するという、指揮官にとって自責の念に苛まれる、これほどの出来事を経験したことはない。 しかし、当該指揮官の悔恨の情はよくわかる。そして記憶からは永久に消し去ることができないことも。

 人が一般社会において営みを行う上で、家族は大切な存在。自衛官の立場からみても、「家族」は、有事・平時を問わず人的戦力として自己の能力を最大発揮する上でなくてはならない重要な拠り所であると私は確信している。

 私が編単隊長を務めたのは、北海道において分屯基地司令を兼ねた高射隊長職の時。当時、妻と共に小学校と幼稚園に通う娘達を連れての赴任だった。任官以来、初めての指揮官職ということもあり、肩に力の入った勤務ぶりだったはずである。それでも疲れて官舎に戻れば、家族の笑顔や会話に癒され、翌朝には家族の「いってらっしゃい」に見送られ、ふたたび元気一杯に出勤することができ、心身共に充実した日々であった。


 分屯基地司令の職にある者が遂行する任務の一つに基地警備がある。上級部隊や自隊の計画によって内容も異なるが、年に数度、基地警備訓練を実施することになっていた。
 当該訓練の実施中に、分屯基地の外周に一般家屋及び隊員官舎が隣接していることが気になった。武装した不法侵入者を基地外で阻止しようとすれば、必ず近隣の住民及び隊員家族が危険にさられることになるはずだと。必ずしも事前の避難が徹底できる状況ばかりではないだろう。その場合、いかに住民・家族の安全を確保しつつ、任務を継続すべきか。
 その日以降、この命題を、定年に至るまで常に念頭に置き、国民保護法に基づく自衛隊活動と併せて意識し続けることになる。

 話を隊員とその家族に戻す。私は執務の合間に、必ず現場に足を運び隊員とのコミュニケーションを図ることを日課としていた。それは隊員の心(身)情把握が目的であると同時に、私自身の心(身)情もわかってもらいたいとの気持ちがあったからだ。部隊・隊員を命令一下で任務に専念させる状況が突発的に生起した時にこそ、こうした平素からの部下との双方向のコミュニケーションが活かされることになる。

 一方、隊員の家族とのコミュニケーションはもっぱら妻に頼っていた。帰宅後、妻との会話の中で、隊員の家族に関わる話題で気になることがあれば、当該隊員の同僚や本人に声掛けすることにしていた。もちろん妻にとっては、私の仕事の手伝いという意識は全くなく、官舎生活に慣れることと、家族同士が明るい雰囲気の中で共同生活ができることを願っての普段の行為である。このこと自体に、今でも妻に大いに感謝している。

 先人による指揮の実行における苦悩の告白は、後進の我々にとって教訓とすべき極めて重要なものである。現代の若き指揮官も、我が事としてよく考えてもらいたい。自分自身であったら、この状況を回避するためにどうすべきかと。
 私は千歳基地司令に任じられていた期間中に、優秀な部下が自死(動機不明)した時、若き部下隊員の配偶者が幼子を残し病死した時に、その都度、私はまだまだ部下を安んじて服務させることができていないと反省し、かつ指揮統率にいっそう注力した。加えて、部下である各級指揮官にも、隊員及び家族とのふれあいの機会を設け、積極的に意思疎通を図るよう努めていた。

 

Ⅲ 「昭和」からのメッセージ(全文の掲載)

「指揮官として指揮実行上のノウハウについて」

1 はじめに

 平時において、その精強さに疑念を抱かれる自衛隊は、存在価値の大半を喪失しているといっても過言ではない。それは、究極的には予見し得ない部分が残るのが、国際情勢の本質であり、不測事態に対処し得る能力に疑いがある場合は、抑止力たり得ないからである。
 ー方、平時において、軍隊組織を精強に推持するのは、生易しい事業ではない。殊に、世界でも極めて稀な社会的環境条件に置かれた自衛隊においておやである。 したがって、航空自衛隊は、一この難しい平時を作戦準備の時期と認識し、全ゆる努力を精強化に集中しなければならず、その核心は各級指揮官であることは論を侯たないところにある。

2 平時の困難性

 平時においては、如何に訓練が厳しくとも、また仮令、災害派遣や対領空侵犯借置においても、敢えて冒す危険は、有事におけるu顧みない危険”と、その度合いが自ずと異なる。 したがって、有事の厳しい状況の中で、強制意志の執行として実行する本来的な指揮の厳しさは現われずに済み、指揮に甘さが残る可能性がある。
 また、平時、部隊の業務が円滑に運営されている場合には、意図的に評価の場を設けない限り、指揮実行の適否が、その都度、直時に、明確には見え難いことが多い。したがって、指揮官自らの指揮実行に関する反省・熟慮・工夫そして新たな状況に備えての洞察・準備に真剣味と徹底を欠く可能性がある。
 さらに、平時にお、いては、隊務運営が規則等に基づき、流れ作業的に運営される面が大きく、また太平ムードのもと、自衛隊をとり巻く社会環境の影響を受け、全般として消極安易につく傾向を生み易い情勢にある。
 こうした傾向は、過去及び現在、航空自衛隊のー部の指揮官に対する次のような批判を斉らしている。
(1)指揮に対する厳格な感覚に乏しく、指揮官としての意識が低い。
(2)問題意識の欠如。
(3) 現状打破の意欲欠如。
(4) 事浸かれ主義傾向の増大。
(5) 命令・指示の実行について、些細な事でも忽がせにしないという気風の不足。
(6) 厳しい現場指導・指揮或いは感化教導の不足。

3 克服の条件

 上記の指摘は、これらをつきつめれば、指揮官としての自覚不足、指揮官の重要性に関する認識不足、ひいては自衛隊の使命についての確信及び重大性の認識不足という事となり、指揮実行上のノウハウを論ずる以前の基本的な問題であって、航空自衛隊の根幹を揺るがし兼ねない重大問題として把える必要がある。此処に、所謂指揮官教育の重要性が叫ばれる所以があるのであって、幹部たる者は、先ず、指揮の根本を肝に銘じ、自分なりの指揮官像を考え抜いてこれに近づく真塾な努力を重ね、各級指揮官は、航空自衛隊教育訓練基本方針に則った施策を、昭和48年・49年に幹部教育対策委員会で検討された内容を参考にしつつ、夫々の部隊レベルで具体化し、強力に推進して行かねばならないところである。指揮の根本に関しては、昭和41年2月、時の総隊司令官 牟田弘国空将が幹部学校で講演され、 41年6月号の幹部学校記事に掲載されている内容が参考として適当と考える。

4 知恵の集積

 先人の体験を通じた指揮実行上のノウハウは、貴重な参考資料である。 これらを活用することによって、
(1) 現場進出にあたり、指導の着眼がない。
(2) 状況に応ずる判断力・発想力不足。
(3) 思考の柔軟性不足、創造性不足。
(4) 部外対処能力不足
 等の指摘を或る程度カ ーする効果は得られよう。
 但し、問題は、指揮官自らが置かれた環境条件の中で、先人の体験を如何に活かし切るかであって、その基本は、自らの思索の深さであることを忘れてはならないと考える。 A航空方面隊では、編制単位部隊長の不測事態対処参考資料を纏めるに当たり、各編制単位部隊長にその作成を命じている。纏めた結果の重要性もさることながら、具体的なケースを如何にツメ切るかを重視しているためである。考え抜いた者だけが問題意識を持ち、知識を使い得る知恵として集積することが出来るのである。

5 骨肉の情

 私が編単隊長の時代に冒した最大の失敗は、部下隊員の家族を心中に至らしめた事である。
当時の―飛行隊は、数多くの移動訓練を実施していた。当然整備員も暫々家を空けざるを得ない状態にあった。
 然し、優秀なラインチーフである某1曹は、奥さんの状態が不順で、部下を訓練に参加させながら、自らは参加し得ない状況が続いていた。ところが、次の移動訓練に際して、整備小隊長が、彼を派遣したい旨申し出た。 「本人はどうしても行きたいと希望しているし、奥さんの状態もよく、パートにも出ているとの事である。彼の周囲に居を構えている同僚連中も大丈夫だと云っている」 という趣旨である。
 私は、ラインチーフとしての立場を思い、小隊長の具申を認めた。そして、彼が移動訓練から帰る前日の晩に訓練先で打ち上げの宴会があり、毎晩日課としていた奥さんへの電話をかけなかった事が影響したか否かは不明であるが、彼女は、夜中に小学生の坊主2人を乗せて自動車で外出し、山中で排’ガス心中をしたのである。
 私は、整備小隊長も、ラインチーフも信頼していた。 したがって、彼等の言を信頼し、ラインチーフの立場を尊重して移動訓練に出した。然し、その結果が部下家族の心中であり、私は、指揮官として部下の安全と福祉を破壊する決心をした事になったのである。「心(身)情の把握Iと良く云われる。私は突込み不足であった。
 彼が、毎晩電話をかけなければならないような状況であると知っていたら出さなかったであろう。心の病気であるが故に、何故もっと突込んだ確認
の仕方をしなかったのか。彼は私に、本当は却下して欲しいと思いながら、参加希望を申し出たのかも知れない。ラインチーフとしての立場の守り方は他に幾らでもあったではないか。真に彼の身になって考え切れなかった結果の悔やみである。

6 おわりに

 以上述べたように、航空自衛隊が国民の負託に応えて、平時の抑止力として十分に機能し、また、有事において任務を完遂し得るために、航空自 衛隊は常に精強であらねぱならず、現在只今の各級指揮官の責務は重大である。
 指揮の本質は、生命の危険をも超越した強制意志の執行であり、有事にお、ける適切な指揮の実行は、決して、付焼刃で出来るものではない。有事を前提として指揮の根本を考え抜き、自らの指揮官像の確立に努め、部隊の精強化に心を砕き、部下に骨肉の情を以て接する指揮官こそが、指揮実行上のノウハウを自らの知恵として吸収し、平時・有事を問わず、より適切な指揮の実行が出来るものと確信する。

先人の知恵と経験(その7):「指揮官としての指揮実行上のノウハウ」(第1分冊7~8)

 先人による記述文の一部について、私の体験等に基づくコメントを付記する形式に変更しています。
 ただし、先人による記述文の全文は、「Ⅲ」項目として掲載しています。

Ⅰ 「昭和」からのメッセージ

   1989年空幕が指揮官教育の充実施策の一環として編集した参考資料「言い残すべきこと」(ー若き指揮官達のためにー)の中から、任意に抽出した指揮に関する題材(論題)の一つを記載。


1 本論
2 蛇足
3 漫談

1 本論
(1) ノウハウは自分で創り出したものしか使いものにならない。
(解説)何かを知っておればよい指揮ができる、という何かは世の中に存在しません。貴官が「俺はこれで行くぞ」 というこれを自分で創り出すことが
大切なのです。
(2) 指揮は自己の実力でしか実行できない。
(解説)他人の真似などで指揮はできません。ましてや背伸びなどしたら大火傷をします。かねてからものごとに真剣に取り組むことにより自己を鍛えることが肝要なのです。

Ⅱ 「平成」からのコメント等:

  ここではⅠ項の大項目及びその内容を受けて、私が現役時代に思考及び実行した体験談を付言するとともに、関連しそうな当該ホームページ内記事をリンクとして掲載するもの。なお、以下の文中、「先人」とあるのは、Ⅰ項の論者を指している。
 

 「指揮」「統御」「統率」については、幹部候補生学校を皮切りに、幹部普通課程、指揮幕僚課程で学び、部隊勤務で実践するという繰り返しの中で少しずつ修得したつもりだ。もちろん現役時代の36年間には、上司に対する反発、同僚との軋轢、部下への指示不徹底や指導の至らなさ等、指揮の学びに反することは、数えきれないほどあった。
 それでも多様な任務を全うしてきた自負はある。全くの主観だが、旧軍人の遺訓や先輩(自衛官等)の実体験を積極的に拝読・拝聴するとともに、自らの失敗を教訓にして、常に「指揮」道を探究しようという心構えを持ち続けたおかげかもしれない。

 

 ここで先人が言う、『指揮は自己の実力次第』は、退官後の私自身の実感でもある。理想的な指揮は「指揮運用綱要」に記述されていても、実現させるための細部手順が定められているわけではない。名指揮官(英雄)を目標・手本にしたとしても、目指すための手段・方法は千差万別の上、諸環境が異なる中では模倣にしか過ぎないだろう。

 

 では「指揮」道は、コツコツ地道に長い時間をかけて極めていくことに尽きるのかというと、必ずしもそうではない。私が方面隊司令官の職にあった時に隷下部隊の演習で、防大出身の1等空尉がベテランの准曹を指揮所の中で見事に采配している状況を視察したことがある。
 命令と服従の関係だけではあのような秀でた指揮を実行することはできない、天性のものだろうというのが正直な感想だった。当該者は、その後も恵まれた才能と共に人間味ある指揮官として大いに実力を付けていっているようである。

 

 さて、私自身はというと、まさに定年直前に「実戦」を通じて指揮の要訣の一つを修得したと思うくらい、時間がかかったほうである。「実戦」とは、弾道ミサイル等の破壊措置(自衛隊法82条の3)に基づき実任務だ。

 ある行動命令下で、PAC3部隊が基地を離れ、防衛省以外の地域に展開して長期間にわたり任務を遂行させることになった。この時に、指揮官であった私は、現地隊員の衣食住及び衛生に最大配慮することも、「指揮運用綱要-指揮官の権限・責任」の項にある「部下を安んじて自らの指揮に服させ任務に専心させる」に該当するのだと明確に理解できた。と同時に、戦闘時における部下の安全と福祉の重要性については、2佐の隊長時代に読んだ前大戦の陸軍大佐による著書からすでに学んでいたことも思い出した。
 つまり、過去学習していた指揮上の重要事項の一つを、実任務を通じて、把握でき指揮官として実行した瞬間だった。

 

 指揮・統御の修得レベルは、学びと実践の飽くなき繰り返しによって培われる自らの努力の度合いで定まるといえる。
 現役自衛官として、指揮を実行する立場にある諸官には、ぜひ階級・年齢にかかわらず指揮・統御の探究心を常に抱きつつ任務遂行に懸命に取り組んでもらいたい。
 最近では、自衛隊の中でも省人化施策が推進され、とかくシステム化、IT化、AI化と、効率と効果を最大目的にした無機質な環境が整いつつあり、それ自体は大変結構なことである。

 その一方で、いつの時代も「指揮」「統御」「統率」の修得は必要不可欠にして、その鍛錬には困難を伴うことは不変であることを肝に銘じて、日々の職務に精励されることを願うものである。



Ⅲ 「昭和」からのメッセージ(全文の掲載)

「指揮官としての指揮実行上のノウハウ」

1 本論
(1)ノウハウは自分で創り出したものしか使いものにならない。
(解説)何かを知っておればよい指揮ができる、という何かは世の中に存在しません。貴官が「俺はこれで行くぞ」 というこれを自分で創り出すことが
大切なのです。
(2)指揮は自己の実力でしか実行できない。
(解説)他人の真似などで指揮はできません。ましてや背伸びなどしたら大火傷をします。かねてからものごとに真剣に取り組むことにより自己を鍛えることが肝要なのです。

2 蛇足
 指揮実行上のノウハウについては、誰もが教範をはじめ多くの参考文献で何回もお目にかかり、知識としてはー通り承知しているはずである。間題はそれを時宣にかなって実行できるかどうかである。
 先輩の経験談を聞くのは面白い。しかしそのポイントを自己の現実の指揮の中に生かすというのは大変むつかしい。
 問題に出くわし、自分で悩み、考え、「ベストかどうかはどうでもよい、俺にはこれしか方法がない。これで行く。」と決めた方法で執念をもってやり遂げれば、これぞ正しく身についた貴官のノウハウである。
 問題意識がなければ問題に出くわすことがない。 これが一番恐しい。自己の任務と真剣に対面すれば問題が意識できないということはあるまいと思うが、どうか。
 指揮官になる前から、この問題意識とそれをおろそかにしない心がけがあれぱ、指揮官になるときには既に必要なノウハウを備えておられる。多くの先輩方のやり方に長年接しておれば、良い例、悪い例何れも教訓ばかりではないか。

3 漫談
 私は部下や後輩達によく経験談を話す。指揮官としての訓示の中で話すこともあれば、酒をくみ交しながらの漫談ということもある。何れの場合も相手が興味をそそられるように話す。言い替えれば眠気を催す部分はカットして話すのである。
 何かを強調するために引用する経験談や、話を面白くして楽しむための失敗談は、厳密には戦史的教訓をもたらさない。その理由は、前にも述べたようにカットされた部分や特別に強調された部分があって、科学的分析には不向きだからである。
 私の経験では、先輩や文献から得たノウハウを実際に適用してみたいという記憶はない。 それもそのはず、先輩と私とは違う人間であるし、第一問題自体が同じということはないのだから。
所詮、指揮のノウハウは、自分で創り出したもの以外は適用の機会が無いものと心得た方がよい。
 誤解されると困るので付言してお・くが、戦史同様先輩の経験談は批判精神を失わずに聞けば大変よい頭の体操になる。それが自己のノウハウを創り出す糧になるのは当然であるから、諸官、今後も先輩の自慢話を大いに聞きたまえ。

先人の知恵と経験(その8):「指揮官教育資料」(第1分冊9~13)

 先人による記述文の一部について、私の体験等に基づくコメントを付記する形式に変更しています。
 ただし、先人による記述文の全文は、「Ⅲ」項目として掲載しています。

Ⅰ 「昭和」からのメッセージ

   1989年空幕が指揮官教育の充実施策の一環として編集した参考資料「言い残すべきこと」(ー若き指揮官達のためにー)の中から、任意に抽出した指揮に関する題材(論題)の一つを記載。


1 身上(心情)把握
2 規則は守れ、守れぬ規則は改正せよ
3 事故処理
4 責任
5 信賞必罰
6 実行可能な計画の作成


1  身上(心情)把握
 きわめて簡単に言われながら、このぐらい難しい問題はない。しかし、部下隊員の身上(心情)を把握することは指揮実行上の基本である。
(1)身上調書の提出(隊員追跡カードを含む。)と面接をもって事足れりとしていないか。これは全く把握していないのと同じである。少くとも部下全員の状況については、家庭も含めて、丸暗記するくらいの覚悟を要する。しかもこれは単にスタートに過ぎない。
(2)身上把握のためには、隊員の中に溶け込む場を持つことも必要である。
「内務班に宿泊して話をする」
「酒席を共にした折に話を聞く」
「隊員同志の話を注意して聞く」
等の方法もーつの案である。何気ない会話の中に重大な問題が潜んでいる場合が多い。特に女性関係、金銭関係によく注意する必要がある。
(3)隊員の身上を把握するために、貯金、女性関係について掌握するのは 「プライパシーの侵害」であるとする意見もあるが、全く見当違いも甚だしいと言わねぱならない。所謂 「プライバシーの侵害」 なくして内務指導はあり得ない。
むしろ、 この場合、隊員に 「プライバシーの侵害」 を受けたと思わせる部隊の雰囲気が問題なのである。雰囲気のいい部隊では隊員が積極的に身上相談をするものである。
(4)隊員の顔色をよく見ること、特に目の輝きに注意する。視線に落着きがない、視線を外らす、顔色が冴えない等の隊員には必ず問題がある。早急に掌握する必要がある。逆に言えば隊長自身は何事があろうとこのような態度は決して取ってはならない。
(5)問題のありそうな隊員は自宅に呼んでゆっくり話をすることも時には必要である。家庭的な雰囲気の中では気持ちがほぐれ、思わず本音の話が出るものである。 夫人の助けがあればなお効果的である。* 最近の官舎はきわめて静穏で残念である。


Ⅱ 「平成」からのコメント等:

  ここではⅠ項の大項目及びその内容を受けて、私が現役時代に思考及び実行した体験談を付言するとともに、関連しそうな当該ホームページ内記事をリンクとして掲載するもの。なお、以下の文中、「先人」とあるのは、Ⅰ項の論者を指している。
 

 先人が言われるとおり、身上把握は部下部隊の掌握の要である。しかし、その実行は極めて難しい。私自身、年齢及び経験を重ねても「馬が合う」とか「反りが合わない」等、感情移入が生じ、必ずしも的確に隊員の身上把握ができていなかったのではないかと現役勤務の時代を振り返ることがある。

 身上把握の目的は、部下部隊の士気の高揚である。つまり、仕事のやる気・やりがい、人としての生きがいを高め、隊員個々の任務を、ひいては部隊任務を遂行させることであろう。また、指揮官にとって、この行為自体は部下の活動現場に進出するという行動と対をなすものだと考える。
幹部候補生の時代に学んだ教育資料の中に『人は働く機械ではない』との文章があったことを思い出す。以下はその内容である。


 「本来、人にとって仕事はポジティブな性質を持ち、積極的にそれに参加しようとする意欲の対象であり、その仕事が苦痛あるいは退屈であると感じることは、仕事の持つ本来の社会的機能が何らかの原因によって阻まれているからである。戦闘にしろ、一般の仕事にしろ、実際の行動においてそれに参加する人がやる気を起こしたときにはその効果は絶大なものとなる。管理者は、人間は働く機械でないという考え方を前提とし、個人及び集団の一員としての人間的な面を観察し、その意欲を奮い起こさせる能力を持たなければならない。」  


 ここで肝心な事は、「人はやる気によって絶大な効果を生む」という指摘と共に、「管理者(指揮官)は個人・集団の意欲をさらに奮起させる能力を身につけるべき」との明示である。
 
 この教えのもとに、先人同様、様々な方法・手段を講じて、私も身上把握に努めた。尉官時代には、服務指導係として同年代の営内者の下宿を訪問して飲食を伴い懇談。編単隊長時代にあっては、銃剣道、ノルディック等、課業内外での体育活動へ参加。群司令・基地司令の職では基地内外の施設(基地クラブ、
BBQ場等)利用による部隊別若年隊員との懇親。司令官・市ヶ谷幕僚の職にあった時には、直近の部下との個人面接のほか、准曹士先任等との懇談の機会を作為し、常に指揮実行の基本を継続してきた。これらは、いずれの職にあっても「顔の見える指揮官」でありたいとする自らの信念を貫徹して、部下隊員との命令・服従関係の基礎となる信頼構築を追求することでもあった。


 先人の文章において、身上を把握する上での「プライバシーの侵害」に触れる下りがある。今日では、個人の尊重についてコンプライアンスを徹底しなければならない。ただし、コンプライアンスの強化によって身上把握を怠ったり、妨げることがあっては決してならない。むしろ、よりいっそう部下の心情に寄り添うためのコミュニケーションを図る場が必要になるはずだ。その結果に基に、タイミング良く業務改善の施策等に反映することで、個々の部下の任務遂行意欲や部隊全体の精強化を図っていくべきである。


 有事の際は、指揮官は作戦遂行に没入するために隊員個々の身上把握に時間を割く余裕などないかもしれない。だからこそ、平素から部隊活動への現場進出を積極的に実施し、日々の業務を通じて部下隊員の身上(心情)を把握しておくことが極めて重要であると考えるがいかがであろうか。



Ⅲ 「昭和」からのメッセージ(全文の掲載)

 「指揮官教育資料」

 本命題は、編成単位部隊長が部隊を厳格かつ円滑に指揮するためには、その日常における行動の基本がいかにあるべきかという点に重点があるものと考える。したがって、自分の体験に基づいた教訓を順不同で述べ、教育資料として提供したい。

1 身上(心情)把握
 きわめて簡単に言われながら、このぐらい難しい問題はない。しかし、部下隊員の身上(心情)を把握することは指揮実行上の基本である。
(1)身上調書の提出(隊員追跡カードを含む。)と面接をもって事足れりとしていないか。これは全く把握していないのと同じである。少くとも部下全員の状況については、家庭も含めて、丸暗記するくらいの覚悟を要する。しかもこれは単にスタートに過ぎない。
(2)身上把握のためには、隊員の中に溶け込む場を持つことも必要である。
「内務班に宿泊して話をする」
「酒席を共にした折に話を聞く」
「隊員同志の話を注意して聞く」
等の方法もーつの案である。何気ない会話の中に重大な問題が潜んでいる場合が多い。特に女性関係、金銭関係によく注意する必要がある。
(3)隊員の身上を把握するために、貯金、女性関係について掌握するのは 「プライパシーの侵害」であるとする意見もあるが、全く見当違いも甚だしいと言わねぱならない。所謂 「プライバシーの侵害」 なくして内務指導はあり得ない。
 むしろ、 この場合、隊員に 「プライバシーの侵害」 を受けたと思わせる部隊の雰囲気が問題なのである。雰囲気のいい部隊では隊員が積極的に身上相談をするものである。
(4)隊員の顔色をよく見ること、特に目の輝きに注意する。視線に落着きがない、視線を外らす、顔色が冴えない等の隊員には必ず問題がある。早急に掌握する必要がある。逆に言えば隊長自身は何事があろうとこのような態度は決して取ってはならない。
(5)問題のありそうな隊員は自宅に呼んでゆっくり話をすることも時には必要である。家庭的な雰囲気の中では気持ちがほぐれ、思わず本音の話が出るものである。 夫人の助けがあればなお効果的である。* 最近の官舎はきわめて静穏で残念である。

2 規則は守れ、守れぬ規則は改正せよ
 規則は常続的に実行すべきととを定めた「命令」である。 しかし、ややもすると 「規則は規則、実行は実行」 と命令が履行されたい場合がある。これは、将来大きな禍根を残す耀れがあり、以下のことに注意し、直ちに是正する必要がある。
(1)規則はー見きわめてよく整備されており、上級規則の改正あるいは状況の変化に応じ更新されている場合であっても、実行が伴っていない場合がある。
「規則ははこう定めていますが実際はこうしています。」 といった回答が返って来る場合がままあるが、将来重大な事態を招く原因となることを覚悟する必要がある。
(2)規則が数多く制定され、一見部隊が整斉と運用されているように見える場合でも、仔細に点検すると、指揮官が同時に2つ以上の場所で、2つ以上の仕事をするように定めている場合がある。 これは物理的に規則を守れぬ状況にしており、守られていないことを如実に示している。
(3)上級規則が改正されようと、状況が変化しようと全く更新に手をつけていない規則があるカにれは論外である。
(4)規則を守ることのーつに「時刻厳守」がある。 「時間」と言わず「時刻」 と言っているところに注意して貰いたい。
 例を上げると、「一般命令」をもって野外行軍を実施するとする。その予定に0750集合完了0800出 発とあったとしたら、既に時刻が守られていないことになる。ほとんどの部隊は0800に国旗掲揚が行われており、全員気をつけをしている筈である。
寸秒を争う航空作戦を行う我々は、「時刻」について些かでもいい加減な妥協があってはいけない。
「0800出発」は「0805出発」とする「気配り」が必要である。

3 事故処理
 事故は未然に防止することが最良の策であるが、不幸にして発生した場合は、隊務運営への影響を最小限に抑える必要がある。
 そのためには、
(1)必ずトップが処理の責任者となり、上級部隊への基本的報告はトップが直接上司に対して行わなければならない。決して部下に任せてはいけないし、特に、事の大小にかかわらず社会的影響があると判断した場合は、トップの状況判断を報告する必要がある。
 又、部外に釈明する必要がある場合(対マスコミを含む。)は上司の意図、上級施策の確認が必要ではあるが、トップが行うべきである。(いい報告は、幕僚任せでも、遅くなっても構わない。)
(2)事故処理に際しては、最悪の事態を想定して対処するよう計画しなければならない。決して楽観視してはいけない。
(3)事故が発生すると、再発防止策と共に、事故に対する処罰のケースが発生することがある。この場合注意する必要があるのは、事故の結果だけを見て論ずるなということである。事故が発生するに至った経緯を克明に検討し、処分を決定することが肝要と考える。
(実例) 身分証明書の紛失
 A2曹は、区域外へ無許可(無届)で外出し、酪町のうえ公園のベンチに転た寝して何者かに身分証明書を窃取された。しかも土曜日であったため、月曜日の朝、帰隊するまで放置し報告しなかった。
 B3曹は、部隊付近の川に魚釣りに行き、テトラポットを跳んでいるうちにポケットから身分証明書が飛び出し、テトラポットの間に落した。直ちに探したが見つからず、やむを得ず警察に届け、小隊長に報告した。小隊長は、隊長に報告し、可能な限りの人員をもって探したが見つからなかった。ー上記の2例を同じ処分にすべきだろうか?
(4)事故が発生した場合、再発防止策を講ずるのは当然であるが、この場合「角を矯めて牛を殺す」ことになっていないかをよく注意する必要がある。
 例えば、航空事故が発生すると「飛行禁止」、車両事故が発生すると「車両運行禁止」という類の方策である。こんな極端な例は別として、ややもすると同様のことが行われ勝ちである。(勿論数日の単位であれば反省も含めて、「禁止」 という対策が有効な場合もある。)
 ―例を上げると某部隊で若い隊員がモトクロスによって足を骨折する事故が発生した。部隊では直ちに 「モトクロス禁止」を決定した。ところがー部の若い隊員は部隊に隠れてモトクロスの仲間に入り、部外者を巻き込む大事故を起こした。
 この場合、 「それは隊員の自覚の問題で規則を守らぬのが悪い」 と片づけてしまっていいだろうか。「禁止」する前に「教育」「指導」あるいは、他に「余暇の善用」 の道を与えるといった方策が必要だったのではないだろうか。

4 責任
 指揮官は部隊における唯一の責任者であり、在・不在にかかわらず、あるいは事の大小にかかわらず、部隊で発生したことすべてに責任を負うことは観念として十分理解している筈である。
 しかし、いざ事が発生した場合について反省して見ると、「いつも俺がこう言っているのに何故解らんか」「あの馬鹿者、こんなことをしでかして 」
といったことを口に出していないだろうか。又上司に対して、「私はいつも指導しておりますのに、あいつは言うことを聞かず、こんなことをしでかしまして済みません」と報告していないだろうか。
若しあったとしたら、その日から部隊全員の信頼は0になる。指揮官たる者、部隊で何が発生しようと、 「私が悪うどざいました。申し訳ありません」がすべてである。 「何故発生したか」は上司が判断して呉れる。
 又逆に言うと 「俺が責任をとる。思う通りにやれ」と言える部隊造りが必要である。部下にー任できる度量も持っていなければならない。部下が思い切り仕事をし、かつ、その結果がどうであろうと「責任は隊長がとって呉れる」という意識を持っていたら間違いは起こらないものである。

5 信賞必罰
 「言うは易く行うは難し」 とよく言われるがこの「信賞必罰」 も難かしいことのーつである。ややもすると 「過賞寡罰」になり勝ちである。
 しかし、温情をもって処罰したが故に部隊に悪い雰囲気が発生し、「この程度のことをしても大丈夫」 と思わせたら、とんでもないことになる。
「日頃優秀な隊員だから、あるいは真面目な隊員だから可哀想だ」と言った温情はむしろ逆効果を生む。優秀であれば逆に厳しい処罰が必要である。「泣いて馬談を斬る」の例えどおりである。
 本人は、 じ後緊張するであろうし、他に対しては「彼でさえあんな処分を受けるのだから・・ー」 という意味で「見せしめ」の効果がある。
逆に日頃あまり目立たぬ隊員の善行があった場合は、全員の前で口をきわめて賞めそやすことも、必要なことである。

6 実行可能な計画の作成
 第2項の 「規則は守れ、守れぬ規則は是正せよ」 と相通じるものがあるが、実行可能な計画を作ることも指揮の基本である。
 部隊には、年防、業計等の基本的計画から火災対処、災害派遺等の不測事態対処計画に至るまで、大小さまざまの計画がある。これらの計画がややもすると 「絵に画いた餅」になっていないかよく注意する必要がある。勿論、空幕・総隊等の上級部隊では各種の配慮からやむを得ず「願望的事項」 も含まれている。
 しかし、少なくとも編成単位群部隊以下では実行可能な計画を立案する必要がある。
 身近な例を上げて見たい。某部隊にいた頃、火災訓練を実施した。計画どおり、消防隊が出動し、余の者は待避した。そこで、各部屋を廻ったところ、秘文書のロッカーが残っており、「非常持出」「責任者 正 002尉 副 002曹」 と赤い枠どりをした紙が貼ってある。
「これは何故持出さんか」
「本当の時は持ち出します!」
「ではこの訓練は何のためにやっているのか」
といったやりとりがあった。
「持ち出せ」と命じたところ、一人はおろか二人でも持てない。調べたらそのロッカーに入るべきではない物が沢山入っていたのである。早速是正したが、これは全くーつの例に過ぎない。立派な計画があるが実は全く「実行不可能な計画」はないか。
 年防でも 「土木施設器材の不足分は附近の業者から借上げる」 となっているが、果して必要台数あるのか。
 「緊急時には、次の物品を附近業者から購入する」 となっているが、本当にその物品の品物があり、在庫があって販売されているのか。
ということが確認され検討されたうえ、計画されているかを考える必要がある。「実行可能性のある計画」作成は大変であるが、指揮が確実に行われる基本のーつである。

先人の知恵と経験(その9):「指揮官として指揮実行上のノウハウ」(第1分冊14)

 先人による記述文の一部について、私の体験等に基づくコメントを付記する形式にしています。
 今回は
、先人による記述文が比較的短いことから、「Ⅰ」項目に全文を掲載しています。

Ⅰ 「昭和」からのメッセージ

   1989年空幕が指揮官教育の充実施策の一環として編集した参考資料「言い残すべきこと」(ー若き指揮官達のためにー)の中から、任意に抽出した指揮に関する題材(論題)の一つを記載。

 
 私は、編制単位部隊の隊長をF-4部隊の飛行隊長として経験しているが、その時の指揮統率がうまく行ったとは思えないし、編制単位部隊長集合
教育の参考になる資料など持ち合わせてもいないので、その後、飛行群司令、航空団司令を拝命し体験している間に感じている個人的所見を記述する。
 編制単位部隊長として、その部隊を指揮統率し、部隊を動かそうとするときに着意すべき事項はいろいろ言われている。即ち、作業指揮に当っての指揮官の現場進出及び率先垂範、更には、隊員指導に当っての上級空曹、なかでも先任空曹の活用及び隊員個々の身上を把握したきめ細かな具体的指導等々。
 しかしながら、有事に部隊を率いて任務を達成する場合、その強制力の基となる軍法会議のない我々自衛隊において、思うとおりに行動させ得るのは、最終的には 「あの人のためなら」 という1対1の個人的繋がりになるのではないかと考える。
 従って、常日頃から隊員個々の面倒を親身になって良く見てやり、隊員に指揮官が誠心誠意自分たちのために努力していると感服させることが最良であろう。このためには、何を為すにも心が入ってはなければならない。小手先だけの指揮法ではすぐに化けの皮がはがれてしまう。
 また、この際、
一般常識的にみて間違った方向に指導したのでは部下はついてこないし、組織の目的に合わない方向でも困る。このため、常に幅広く勉強をし、ある程度正しい判断ができるように指揮官自身が自己のポテンシャルを高めておく必要があろう。
 要するに、編制単位部隊長たるものは常に勉強をし、正しい判断が為されるように自己のボテンンャルを高めるとともに、誠心誠意部下隊員の面倒を見ることによって良好な人間関係を醸成するように最大限に努力することが指揮統率の要諦であり、このとおり実行する、または実行するように努力するかしないかが、指揮実行上の問題ではないかと考える

Ⅱ 「平成」からのコメント等:

  ここではⅠ項の大項目及びその内容を受けて、私が現役時代に思考及び実行した体験談を付言するとともに、関連しそうな当該ホームページ内記事をリンクとして掲載するもの。なお、以下の文中、「先人」とあるのは、Ⅰ項の論者を指している。
 

 ここで先人が述べる「指揮統率の要諦」を構成する項目ごとに、私自身の編単隊長時代の経験を照らしてみる。

 

 まず『常に勉強し』。この場合の「勉強」の幅と深さは相当なものだ。着任にあたり最初の学びは、編単隊の任務に関係するすべての法及び規則の理解だった。当時、高射部隊には泊りがけの待機任務が割り当てられていた。その任務に就くために、指揮官(幹部)は事前に上級部隊が実施する試験に合格して資格を付与されることが必要となる。当該試験で問われる範囲は、自衛隊法から群等が定める細則に至るまで幅広く、しっかり把握しておかなければならない。 

 また隊内においては、指揮監督の立場から、朝礼及び防衛講話等の場を活用して部下部隊に対し国内外情勢及び服務安全等についての教育指導も重要となる。このため、部内外における各種情報の収集及び整理は日々欠かせない。

 さらに、私の場合は分屯基地司令を兼ねていたことから、部隊が所在する地域の政治・経済状況にも精通することが求められた。

 

 次に『正しい判断を為すために自己のポテンシャルを高めておく』である。この点については、①自らが心身共に健全であること、②家族に不安等がなく協力が得られること、③公私にわたり相談相手がいること-が大切だ。当たり前のようだが、決して簡単なことではない。

 幸いにして、私は壮健であって、妻及び幼い娘二人も病気一つせず、勤務に専念できた。③についての補足説明になるが、適時適確な判断決心を下していく上で指揮系統以外にも相談に応じてもらえる人材を持つべきだ。多くの場合、同一任務を経験している先輩、前任者、同期生等になるだろう。私の場合、一般社会的常識の観点から外れた判断をしていないか等の確認にあたっては、妻によく相談することがあった。

 

 最後に『誠心誠意隊員の面倒を見ることによって良好な人間関係を醸成する』こと。これが最も難しい課題である。部下との接し方に不公平があっては決してならない。自らの都合だけで接しても誠意に欠けることになる。つまり、特定の部下隊員に偏った誠意ある指導態度や自分の時間を優先することで部下からの要望があった時に即応・適応しない姿勢等を示すのでは、人間関係の大きな阻害行為となるだけである。こうしたことは頭ではわかっているものの、数百名の部下を指揮するとなると、なかなか難しい。

 そこで私は課業時間の内外を問わず部下隊員に対して個別に話かける機会を作為しつつも、指揮官としてすべての部下隊員に伝えたい内容の文書を定期的に自作して部内の業務連絡として回覧するようにしていた。これ自体は、常日勤者ばかりではない高射部隊の勤務特性にも合致した手段であったと自負している。

 先人が述べられているとおり、部下との間に信頼関係を構築することを常に指揮官としては意識して、そのための考えうる手段を恐れず実行することが極めて重要である。ただし、信頼関係を損なうおそれがある場合、意図せず損なってしまった場合には、すみやかに是正する勇気を持ち合わせておくことも肝要である。

先人の知恵と経験(その10):「隊長時代の隊長指導について(思い出)」(第1分冊15~18)

Ⅰ 「昭和」からのメッセージ

   1989年空幕が指揮官教育の充実施策の一環として編集した参考資料「言い残すべきこと」(ー若き指揮官達のためにー)の中から、任意に抽出した指揮に関する題材(論題)の一つを記載。

隊長時代の隊長指導について(思い出)

 子供の時からの夢「戦闘機操縦者」 になり、戦闘機操縦者の夢「戦闘機飛行隊の隊長」に補職され、燃え尽きるまでのめりこんで隊長職を全うした。これで思い残すことはない、今までは空自という組織が自分の夢を実現してくれた、今からは自分が組織にお礼奉公する番である。と言うようなことを2年間の隊長を終わった時に何かに書いた覚えがある。それほど2年間の在職期間は充実し、本当に燃え尽きてもいいと考えていた。
 もちろん、この2年間は飛行も地上も無事故で通せたし、総隊、の戦技競技会の2連覇という幸運にも恵まれ、飛行隊は上から下まで「A一家」と言われる極めて団結の強い、 しかも和気あいあいの結びつきを示した。
 この2年間の飛行隊統率の成功は、燃え尽きてもいいと考えた「情熱」と確信している。(情熱は信念と言い換えることもできよう。)
 すなわち、隊長は隊員を動かすものが「心」であることを知り、この心を掴み揺り動かすためには隊長自身がよb強烈な熱く燃えあがる心ーー一言い換えれば「情熱」あるいは「信念」 を持たなくてはならない。いくら筋の通ったことを言っても、それだけでは人は動かない。ILの琴線に触れるもの、つまり感情に訴えるものがないと人は本気にならない。「人生意気に感ず」 と言うが、この言葉の急所は「意気」と「感ず」である。
 意気は隊長、感ずは隊員である。「意気」は「意」と「気」、意志、気心であって共に心を表す。意志は理性、気は感情といってもいい。隊長がリーダーである以上、理性的でなければならないが、その意も 「熱意」 であり、気は「気魂」であり、「情熱あるいは信念」に他ならない。単に前頭葉的な理性より、 もっと奥にあるものからほとばしり出たものでなくては相手を動かすことは出来ない。
 「心への点火は魂の燃焼によらねぱならない」 と言う言葉がある。 こちらが燃えねば、相手に火を点けることは出来ない。理性的でクールであるだけでは隊員も冷えきったままでェンジンはかからない。「人生意気に感ず」の「人生」を隊員と置き換えて考えてみると 「隊員隊長の情熱(あるいは信念)に感ず」である。
 当時、B飛行隊は操縦者52名、整備員等70数名、F- 4の機種転換等の学生30名余りで常に150名余りの隊員を抱えていた。
 隊長として最も頭を痛めるのは、何といっても空曹士の指導である。 この観点から、隊長時代、統率上実施した思い出を2、 3記述し参考に供したい。

1 隊員指導上、夏期休暇や正月休暇での交通事故や破廉恥事故等は、とりわけ神経を尖らせる事項のーつである。
 これは通りー遍の休暇の心得など並べても効果の上がりようがない。そこで、私は早目に休暇の計画を、小隊長、班長等を通じて修正指導させ、それを提出させる。(ここまでは誰でもやることであるが)
 そして、一人一人の計画を交通手段、出発、帰隊の時間、滞在先等、その合理性をチェックし、かつ家族等の状況について詳しく掌握し、それ等の全てを暗記することにした。特に、内務班の若い独身の隊員については、し細な事についても計画を繰り返し見て暗記をした。
 空曹士70数名におよぶのであるから大変な作業であったが、これは徹底してやった。そして、休暇前隊員を集めて指導するわけであるが、普通実施するー般的な休暇心得等の指導をした後、隊員を見回しながら眼のあった隊員に対し、間髪を容れずに「〇〇士長は、〇日の〇〇時青森行きで帰省するんだったな。お母さんが具合が悪いようだが、ちゃんと看病して親孝行してこいよ。帰隊は△日△乙、時の上野着だな。遅れるなよ。 じゃあ元気でな。 」 とやる。
 隊員が「隊長は、こんなに自分のことを良く知っていてくれるのか」 という顔で感激しているのが良くわかる。ー人だけでなく何人かに対し、同じ事をくり返す。 これも、特定の人間に対し前もって用意しているのではなく、誰でも同等に良く知っている事を示さなければならない。その辺りになると、隊長は全員のことを掌握してくれているという空気が流れ、全員の顔に感激が浮かぶ。 一時に全員はやれないので、解散した後も隊員に会う度に声をかけ、なるべく全員にわたるように心がける。又、帰隊した後も 「お母さんは大丈夫だったか?」 等フォローすることを忘れない。
 この休暇前の努力と、夏冬2回の家庭通信の実施が、 2年間の休暇時における交通四悪やその他の服務規律違反等を皆無にした大きな要因であることは間違いない。

2 自衛隊が階級組織である以上、昇任ということぬきでは考えられない。とりわけ空士長から3曹への昇任は、隊長にとって悩みの種となる。日頃一生懸命職務に適進していてもなかなか昇任できなくては、隊員の「士気」に関わり、次第に「やる気」 を無くし、隊の任務遂行にも影響がでてくる。
 しかしながら、組織ピラミッドの構成上、昇任数には制限があるし、その数も在隊年数により枠が細分化されているのは、御存知のとおりである。隊長就任時、わが隊は昇任はなかなか出来ないし、勤務もいそがしいということもあって隊員の昇任試験の勉強にも油がのっていない状況であった。とりわけ、在隊年数の関係で昇任枠の少ないグループに属する隊員は、有資格者でありながら他人毎という感じであった。
 しかし、隊員個々の幸福のため、隊の士気を上げるためにも、隊から多くの昇任者を出す事が隊長の務めであると考えた。そこで、そのためには分母になるー時試験の合格者を多くすることであると考え、有資格者の特訓教育をすることにした。もちろん、何故必要かという事を理解させるところからである。
 まず飛行隊の幹部が多いという特長を生かし、有資格者一人一人に幹部の対番をつけ個別指導をさせるととにした。そして、それは勤務ロードの関係で他の隊員の協力、あるいは忙しくて本人が怠けそうになるのを克服させる努力が必要であったが、最後までやり通した。
 結果は有資格者全員がー時試験を合格することになり、ま,のずと航空団ーの昇任者を出すことになった。もちろん、隊の中には「やる気」が充満し、隊の士気があがったことは言うまでもない。全員一次試験合格は、最初のー回だけだったが、同じ要領でその後の試験にも臨ませ高合格率を維持した。
 これは、その時は辛くても隊員本人の幸福のためと 「信念」 を持って実行した結果であると確信している。 この対番制度は幹部と空曹士のコミュニケーション等を推進し、隊団結強化の副次的な効果を上げる事にも寄与した。

3 最後に、若干前1.2項とは趣を異にする思い出を述べてみたい。ある程度隊員の士気もあがり(とりもなおさず「やる気」が見えてきて)、規律も上々で隊の任務もそれなりに遂行されるようになると、次のステップとしては、もっと強烈に隊員のエネルギーを集中させ「行け」「行け」のムードを作りあげることである。
 そうすれば隊の団結はますます強くなっていき、任務達成の度合も加速度的に良くなる。自主性であるとか、積極性であるとか、協調性であるとかが、自然に湧いてくるようになるからである。
 隊長就任1年たった頃、隣の飛行隊の隊長にハゲで有名な、かつ実行力、説得力にも優れている後輩が着任した。隊のムー ドは上昇傾向にあるものの、 どうも隣の隊長のユ ニ ー クさに差をつけられそうな気がして、 ヒゲをたくわえることにした。ハゲに対坑してのヒゲである。 隊員達はのってきた。
 各種の対坑戦ともなると、お互いにハグとヒグの似顔絵が飛び出す有様で上昇ムートにも拍車をかけることになった。それこそ「行け行けドンドン」である。
 この年の戦技競技会では、参加操縦者が隊長の私に倣ってほとんどの者がヒグをたくわえて参加、結果は2連覇ということになった。隊員のエネルギーを集中させーつの方向に向かって進ませるためには、こういう事も必要になってくる。但し、ある程度の基盤ができていないと逆効果になることも考えておかねばならない。
 まだまだェピソード的な思い出は多々あるが、隊長の統率の要は最初に述べたように 「情熱」 あるいは 「信念」 である。すなわち、編成単位部隊の運営は、一人一人の隊員の特色、 くせ、レペルなどを知りつくし個別指導をしながら全体としての調和を醸し出すための細心の注意と粘り強い繰り返しを行いー歩一歩目標に近づけて行くことである。
 そして、部下の指導は、部下隊員の基本的な欲求が、
 公平に扱って欲しい (差別には反対)
 認めて欲しい (褒め・叱って欲しい)
 目標を示して欲しい (はっきりした仕事をしたい)
 教えて欲しい (成長し続けたい)
 仕事に誇りを持ちたい (仕事の社会的意義をしっかりつかみたい)
と言うことであることを良く理解し、愛情をもって(我が子に対するように)指導してやることが大切である。
 さらに 「情熱」 あるいは「信念」 とは、精神的なものも含めて幅広く徳操、識見、技能などに基礎をおくことに思いを致し自らを磨く努力を忘れてはならない。


Ⅱ 「平成」からのコメント等:  
  ここではⅠ項の大項目及びその内容を受けて、私が現役時代に思考及び実行した体験をもとコメントしたもの。令和の現代にあって、指揮統率における不変の部分、そして変化すべき部分があるはずである。なお、以下の文中、「先人」とあるのは、Ⅰ項の論者を指している。

 編単隊長として、いかに先人が自ら率いる部隊の精強化に努められたかを、よく理解できる内容である。「操縦」と「高射」、「飛行隊」と「高射隊」といった特技や勤務部隊の違いこそあるが、私自身多くの点で共感を覚える。隊員指導上の課題解決や士気高揚にあたって、指揮官が持つ情熱・信念が部隊の運営に作用する状況及び成果へ結びついていく様子が、分かりやすく表現されている。

 

 部隊を指揮する際に部下隊員の心情を十分に考慮されている点においては、私など先人の足元にも及ぶものではない。一方で、隊員指導及び分屯基地業務に注ぐ情熱及び信念については、決して見劣りするものではなかったと自負する。

 指揮官による隊員指導及び部隊運営に懸ける情熱・信念は部下隊員等にはっきり見えるものでなければならないと当時から考えていた。

 とりわけ競技会には強い思い入れがあった。例えば群の銃剣道大会。部下隊員と練習で汗し、大会では先鋒として指揮官率先の姿勢を示した。これは、選手のみならず、来場していた部下、上級指揮官並びに他の関係部隊にも情熱が直接伝わる良い機会であったはずだ。

 

 信念に関して例を挙げると、私は分屯基地司令を兼ねていたことから、分屯基地運営指針として、①「戦闘員としての意識・体質の保持」②「組織的活動の実行」③「地域社会への貢献」を掲げていた。

 ①は、『平和な時代に安寧することなく、各種制約を克服して常に戦闘行動を基準に、思考・行動するための自覚を持て』、②については、『自己及び所属部隊のみの各種目標の達成等に固執することなく、各機能及び各部隊間の調整を密にして部隊又は基地としての総合力の有効な発揮に努めること』③では『戦力発揮基盤である基地の健全な運営には地域住民の正しい理解と支持は不可欠』を意味するものだった。

 これらを勤務上の信念として、文章化し各小隊本部及び班、ショップに事務連絡で回覧。その上で隊内講話や朝礼を活用して自らの信念を具体的に説明して部隊内での浸透を図るよう心掛けていた。

 

 情熱・信念の見える化活動にあたっては、「ムード造り」にも配慮した。この点は、先人による論述の第3項に共通する。私は先の分屯基地運営指針③でも「ムード造り」に努めた。当時分屯基地が所在する八雲町で活発に行われていたソフトテニスの自主練に励むとともに積極的に試合参加して地元の方々との親交を図った。町が開催する冬季祭りには家族と一緒に雪像製作大会に参加し入賞したこともあった。

 このムード造りの手法は、幹部候補生学校の教育資料「山の辺の道」の中にある、以下の一遍(題目は「ムード造り」)に学んだものだ。おかげで部隊や町に明るさや活力が生じることを実感できた。

 

 『優秀な指揮官ほど諸事万端に精通し、いかなる事態や問題が起きても、すばやく適切な判断をし、すみやかに処置することができる。またこのような指揮官は常に精神的なゆとりをもっているので、自らの部隊や職域に対する見方が幅広く客観的で、しかも隊員や部下を精励させるためのムード造りも巧妙である。ムード造りの下手な指揮官は、大概の場合、柔軟性がなく、また、部下の気持ちを見抜く能力に劣る人が多い。「ここ一番」というときに、部下の気持ちを盛り上げるためのムードをつくることができる指揮官はいずれも優秀であり、その部隊にもいつも明るさと活力がみなぎっている。』

 

 先人の論述の最後から10行は、指揮運用綱要の綱領-3「指揮の本旨」を馴染みある表現に直した感があり、よく理解できる。以下は、指揮の本旨の一部を抜粋したもの。

 

『…指揮官は、進んで徳操を養い識見・技能を磨き、常におう盛な責任観念と堅確な意志とをもって率先躬行、その職責を遂行するとともに、公正無私、骨肉の至情をもって部下に対し、もって部隊の模範としてその尊敬と信頼を受けるように努めなければならない。…』

 

 先人は、この内の『おう盛な責任観念』を情熱と、『堅確な意志』は信念と、意図して読み替えているように私には思われる。そして何より肝心にして、先人が最も主張したかったことは、情熱・信念を真に発揮するには、「幅広く徳操、識見、技能などに基礎をおくことに思いを致し自らを磨くことを忘れてはならない」ということなのだ。





先人の知恵と経験(その11):「指揮官として指揮実行上のノウハウ」(第1分冊19~25)

Ⅰ 「昭和」からのメッセージ

   1989年空幕が指揮官教育の充実施策の一環として編集した参考資料「言い残すべきこと」(ー若き指揮官達のためにー)の中から、任意に抽出した指揮に関する題材(論題)の一つを記載。

指揮官の指揮実行上のノウハウ

 私は、部隊指揮官としては、現在の団司令職の他に、第A航空団の第B飛行隊長を経験した。以下、私の指揮官としての着眼や留意事項について述べ、編単隊指揮官教育の参考に供する。

1 指揮について

(1)  任務についての識能を深める
  部隊を指揮するに当たり、部隊の任務についての識能を十分身につけることは指揮官の基本であると信ずる。特に編成単位部隊レベルにおいては部下が直接現業を実施している場合が多いので、その内容をよく熟知している必要がある。 B飛行隊長の時航空機の事、課程教育の事、航空機整備の事等徹底的に勉強し、特に与えられた航空機の運用については誰にも負けない程熟知した。この自信が諸々の決心の根底を支えてくれたと思う。
(2) 極限を作為する
  部隊の能力を最大限に発揮させる時と場合が有るが、その上限を何処辺に定めるかが、きわめて重要であり、自分なりによく研究しておいて、綿密なる計画の下にそれを実証すべく極限の訓練を実施する必要がある。具体的には、隊員の体力、持久力の極限に関する訓練、航空機の性能の限界(離着陸性能等)整備支援の限界等逐次段階的かつ複合的にレベルアッブして、部隊の総合力としての極限状態の会得を作為する。
(3) 組織の秩序を守る
  自衛隊には人的組織の秩序として階級制度があるが、これを厳格に維持することが重要であるが、日々の努力が必要である。特に教育部隊では幹部の学生が空曹等に敬礼をすることが習慣になっていることもあったりして、階級よりも職能や経験が重んじられる雰囲気か出来てしまう例がある。しかし、自衛隊の組織秩序の基本であることを常に念じ、階級を軽んずる例については、いちいち注意をし矯正した。
(4) 責任を持たせる
  隊員の私生活面に置ける事故を防止するため、各種の指導事項や制約事項が逐次ふえていき、隊員側から見ればがんじがらめに管理された私生活になっていることもある。これに対し、私生活として行う余暇活動のよりよいあり方を積極的に教え、 より充実した余暇を過どせるように作為することとが肝要である。 そして、私生活上の自由度を与えるため、各種の私生活上の制約を局限し、隊員の私人としての人格や、市民としでの責任感に大いに期待していることを実感として理解させる。
(5) 全人格で部下と付き合う
  部下との私生活面での交際は行楽、スボーツ、趣味、宴会等の機を通じて得られるが、その場合私は、相手と全く対等にしかも自分及び家族全てを知って貰うために全部紹介しこちらは家族全体で交際するよう心がけた。その結果、子どもと若年隊員の交際や、家内を相談相手にする隊員もいたりして、部隊の状態を、家族全体で掌握することが出来た。特に、何事にも積極的に取り組む生活態度をありのまま部下隊員諸君に見てもらい、私の生活信条を理解し、かつ感化を受けるよう期待した。
(6) 広報を重視する、地域社会との関係を重視する
  民主主義社会にお、ける自衛隊の精強性は、国民がそれを認識してはじめて実体となる。国民がそれを認識しなければ、努力は無に等しい。この様な観点から、指揮官はもとより隊員一人ー人に至るまで、各種の広報の責任を有する。部隊内、空自内そして部外に対する適正な広報を作為する必要がある。部外に対しては、子ども会、PTA、各種スポーツ大会等の機会を利用して、各種のPRに努めると同時に地域社会の人たちにできるだけ多くの知人を得る事が大切である。地元の有力者や協力者、警察関係者等と故知が得られれば、隊員の地域社会での行動の幅を広げることが出来るし、 トラプル等も未然に防ぐことが出来る。

2 幹部教育について

(1) 人間としての資質を向上させる
  職能を磨くことは当然であるが、幹部として、良き社会人として人間性の向上、具体的には、読書、いろいろな趣味、スポーツ、等常にチャレンジさせるととが必要である。そのためには自分もその様な姿を垂範しなければ効果を期し得ない。
(2) リータ’ーンップを啓発する
  幹部の必要不可欠の資質のーつはリータ’ーシッブである。これを体得させるためにあらゆる機会教育を行う。特に初級幹部では職務上部下を指揮する立場に置かれないことがよくあるが、その様な場合には、クラフ活動や厚生活動、スボーツの練習等の機会を利用し、りーダーンッブを養う場を作為する。
(3) 自分の哲学、価値観を持たせる
  リーダーシップや統御の裏付けになるものとして、その人の人間性や哲学、人生観、価値観が重要である。幹部は自らの哲学を育み、価値観を思考思索し、それらを通じて部下に訴えるものを持たなければならない。幹部である部下とは、機会を捉え文化論や語り合え。

3 操縦課程学生教育について

(1) 技能教育と幹部教育の吻合
  操縦教育は知識、理論体系の教育と言うより体で覚える部分が重要な技能教育であり、人間の知的尊厳性と無関係な部分がかなりある。その部分にお・ける結果の出来不出来で人間を大きく評価し続けると、人間の知的尊厳性や哲学、価値観が軽んぜられる職能集団になる恐れがある。技能部分の評価と人間の価値の評価の峻別に常に意を用いると共に、人間性の陶冶にも機会を十分与えてやる必要がある。
(2) 責任感、階級に応じた責任と権限を自覚させる
  操縦課程学生は幹部でありながら学生として、特別扱いにしがちであるが、学生である前に幹部であることの責任と権限を自覚させる必要がある。空曹士が学生に敬礼しないことを許させてはならないし、また課程教務受講時以外は、幹部として部隊の規律維持についての一般的権限と責任を有することを自覚させる。また厚生活動、クラプ活動、趣味の活動等で指揮、統御の場を作為する。


Ⅱ 「平成」からのコメント等:  
  ここではⅠ項の大項目及びその内容を受けて、私が現役時代に思考及び実行した体験をもとコメントしたもの。令和の現代にあって、指揮統率における不変の部分、そして変化すべき部分があるはずである。なお、以下の文中、「先人」とあるのは、Ⅰ項の論者を指している。

 

 これまで私自身、「人事(階級)制度」の意義について記述することはなかったかと思う。そこで、先人が文中で「自衛隊には人的組織の秩序として階級制度がある」「これを厳格に維持することが重要」と表現されていることに着目してみた。

 私が航空幕僚監部人事教育部の補任課長を拝命したのは2005年夏。それまで人事考課に関する業務に従事した経験は全くなかった。そうした不安もあり、着任直後、経験者や関係部署に手解きを得ようと相談したところ、返ってきたのは次のような言葉だった。

 「自衛隊の人事考課制度は、しくみとしてよくできている」「隊員個々に関しての任務遂行状況、業務等の成果、人格及び昇任条件に至るまで、多くの関係情報を入手、把握した上で、適正な評価を行っている」「過去、人事部署での勤務がないにしても、これまで指揮官・幕僚の職に就いて部下の評価に携わる経験をすでに十分積んでいる。自信を持ってやれ」「常なる人事関連情報の収集と共に、公平性・客観性を忘れずに。特に、昇任及び序列にかかる業務は周到にすべき」との激励や助言をいただいた。
 この補職を通じて学んだことは、階級制度を含む人事考課を適時適確に実施することは、組織の秩序形成のための土台造りであり、ひいては指揮の徹底、任務の完遂に直結するきわめて重要な事務だということだった。

 

 階級の昇任は、隊員にとって大きな関心事である。私の場合、防衛大学校の卒業(1981年)と同時に任官して「空曹長」という階級を付与された以降、定年退官時の最終補職まで8回昇任させていただいた。いずれの昇任時も、期待と不安が入り交じっていたことを、よく覚えている。中でも、2000年1月1日付け1等空佐への昇任は印象的だった。

 当時、世界中でコンピューターが誤作動を起こす可能性があるとされた、いわゆる「Y2K」対応が大きな社会問題になっていた。このため、空幕運用課(当時は檜町地区(赤坂・六本木)に所在)運用1班の総括として勤務していた私は、仕事納め以降も、その「問題」が生起した場合の対処要員の一人として作戦室に詰めていた。

 結果的には、自衛隊の装備・システムにもさしたる異常は発生せず、新たな年を迎えることができた。緊張からようやく解放され、元旦を迎えた深夜、空幕が入っていた庁舎の4階(運用課の所在階)ベランダに出た。安堵と疲労を感じながら、新年の星空をひとしきり見た後、準備していた新規購入の階級章に付け替えた。
 付け替えの作業しながら、「今後は、これまで以上に、難儀な事態・事案に遭遇していくことになるだろう。新たな階級の下、上司に誠心誠意仕え、部下部隊を牽引して、自らの重責を果たしていかなければならない」と考えたことを時折思い出す。

付録 防衛大学生に行った講話 「パイロッ トへの道」

 注意:この講話は前回の先人が現役時代(昭和)に行ったものです。
 
 先人の言葉:適性検査のためA飛教団に部隊実習に来ていた防大生に行ったパイロットになることの意義を訴えた講話で私の人生観や、価値観にも若干触れてい
るので、何かの参考まで。

 講話 パィロッ トへの道

 適性検査飛行にきている諸君達にお話ができることをうれしく思います。今日は、私の体験を交えて、パイロットへの道について紹介し、できれば諸君達を全員パイロットに強く希望するように仕向けたいと思う。
 さて、私のパィロッ トになりたい動機は、とにかく飛行機に乗りたい、の一言であった。ただ乗りたい、と言うだけ。防大を受験した動機もそうだし、実は名古屋大学にも受かっていたのだけれど、飛行機に乗るためには防大に進むべきだと考えて、この道に入ってきた。
 2年生の時、陸海空に分かれるための適性検査では、私は適性がないとの結果がでた。そのため航空要員になることが大変困難になった。 当時航空要員には130名の枠があり、うち120名は検査「適」の者を、1 0名は検査「不適」の者をパイロット以外の職域要員として選ぶ、と言われていた。私はとにかく航空要員にならなければいけないと、その1 0名の枠に入ることを狙った。1 0名の枠に入るにはどうすれば良いか。その選定基準は数学、物理とか英語の成績がよいことと言うことで、それらを集中的に勉強して、結果的にはその10名の中に入ることができた。
 次のステップとしては、卒業までの間に航空適性をよくしなければいけない。最大の難関は視力であった。 毎晩屋上で星を見つめたし、授業では、できるだけ窓際に座り、ノートを見る度合と同じくらい窓の外の遠い景色を眺めて目を休めた。心理テストも良くなかったので、心理テストのことをよく勉強して、どの様な結果を出したら良いのかを理解した。そのほか手足の連携運動などについても、うまくできる様に練習した。あらゆる手段を尽くし、とにかく適性検査を良い成績で合格できるように努力した。
 防大を卒業して幹部候補生学校での各種検査ではうまく行って、その夏、このA飛教団へ適性検査飛行を受けにきて、そこでは「準適」になることができた。視力は1. 5まで快復していた。ただ飛行機に乗ると、エアシックにかかった。それを直すためには、戻した物を、飲むしか方法がなかった。船乗りも、そうすると聞いている。
 その後は、お定まりの、操縦コースを進んできた訳だが、44年には、エドワーズの米空軍テストパイロットスクールにも留学したし、T-2のテストにも参画したり、自分としては、かなり優秀なパイロットになった、と自負している。そして、今やパイロットとしては、概ね仕事を、終えるに当たって、私にとって、パイロットになるための、あらゆる努力、かなり我武者らではあったが、その一生懸命自分の信じた夢を、実現しようとした、その努力こそ、自分のもっとも価値ある財産である、と言う気がする。
 パイロットに成ること自体がすなわちチャレンジそのものである。チャレンジこそ価値あるものだと思う。目標を定め、それを達成するために、色々な障害をーつーつ取り除き、克服してゆくこと、色々な手だて、手段を考え、一歩一歩実現に向けて自分なりのやり方で迫って行く。目標が、高ければ高いほど価値あるチャレンジだと思う。
 パイロットになると言うことは、知的に高度な資質、すなわち高度の判断力や決断力、それを裏付ける幅の広い知識、豊かな感性など、人間にとって価値ある形而上の能力が必要である。と同時に、肉体も精神も非常に強健でなくてはならない。そのような状態を、追求することである。知的にも肉体的にも、完全さへの挑戦と言うことである。いわば完全さへのチャレンジである。
 現在の風潮では、非常にきびしい訓練だとか、非常な逆況にあって闘い抜く、と言うようなことには抵抗を感ずるかも知れない。何をするにも、イージーに簡単にできることを期待する。HOW TO物の本などで、簡単に何かをできる様になることが、受け入れられている。しかし、パィロットになるためのHOW TOのやり方はない。そんなに簡単にはなれない。そこにこそ価値があるのだ。言うなれば、そんじょそこらの誰にでもできると言うものではないと言うところに、価値があるのです。その中でも戦闘機パイロットになると言うことは、とりわけシヴィアーさが要求される。
 航空自衛隊が、第ー線で使用しているF - 1 5のような戦闘機は、諸君達も知っての通り、武器としての能力は絶大である。エンジンのパワーにしても、速力、火力、行動範囲、すなわち戦力として非常に大きい。それを一人の人間、パイロッ トが支配するわけで、そのパイロットには、国家的に大きな責任がかかることになる。航空自衛隊の戦力のー番先端的存在として、その戦力を行使する、または執行する立場にたつパイロットが、航空自衛隊の戦力の中心になると言うことは、当然の帰結である。と言うことは、強大な戦力を適切に運用し、発揮するために、自分のあらゆる知的、肉体的能力を駆使する責任がある。そういう立場に置かれる価値を認めるならば、客観的に言って、ー番価値のある立場にたつわけです。
 また、戦闘機は、科学技術的にこの世で最も高級な産物である。諸君達が一人前になる頃は、F一15に乗るか、またはもっと進んだ、その次の戦闘機に乗ることになろうが、それらの戦闘機は、非常に広範な最先端の科学技術の枠が用いられている。そういう素晴らしい物を道具として使うことが出来る立場に立つことでもある。 その意味でもまことにやりがいがある仕事であり、それに向かって努力することも大変価値あることであろう。
 さて、視点を変えて、文明論的にこの現代社会の価値観と、諸君達がパイロットになることの関係について若干触れてみたい。諸君らが昭和40年前後に生まれ、43, 4年に物心がついたとして、その時代には、既にカラーテレビがあり、コマーシャルで、豊富な消費物資の売り込みを毎日見て育った。食べ物をはじめあらゆる消費物資は、市場にあふれており、自分の好みにあった物を選ぶことが出来た。
 しかし振り返って人類が、今日明日の食べ物の心配から解放されたのは、日本では昭和30年代のことであり、歴史が始まって以来その時まで、人類は、常に今日明日を生きるための糧を必死で心配せざるを得なかったのである。私自身も、物心ついてから中学を卒業する頃まで、常にお腹がすいていたし、文房具や趣味の道具、スポーツの道具、どれをとっても欠乏していた。 発展途上国では未だに物の欠乏や、飢餓が日常的なことは、諸君も知っている通りである。すなわち、人類が飢餓から解放されるかどうかの線上にあり、日本では解放されたのだ。諸君達は、その解放された状態しか知らず、それが当り前だと思うであろう。しかし私には、それはついこの間からの事であり、仮の姿のようで、こんなに物が有り余ることが当然とは理解しにくい。
 特に、昭和16年から26年までの1 0年間には、諸君達の想像を絶するもの不足の時代であった。食べるもの、着るもの、金属、燃料、すべて戦争につぎ込んでしまったので、全然ない。 数少ない自動車、バスやトラックなど、 ガソリンがないから、木炭を不完全燃焼させて発生する一酸化炭素をエンジンに送り、燃料の代用としていた。電気も不足でよく停電した。ほとんど毎日停電した。戦後、野球が盛んになってきたが、道具がない。そこで皆自分で作った。バットは木を削って作ったし、グラブやミ ットは布地と綿で作った。ボールは手製で出来ないから、ボールを持っている子供は大事にされた。
 この様な経験を感受性の豊かな少年時代に経てきた私たちの年代と、豊かな最中に物心が付いた諸君達とでは、価値観が違っていても仕方がないと思う。高々5 0年でその激しい変化を経験した私たちは、これからの50年においてももっと大きな変化が起こることを必然とみる。その根底に、地球上の全人口5 0億人が地球上で生産される全ての食料を等しく分けたら皆飢餓状態になる、という現実がある。 全ての生産財を等しく分けたら皆物不足になる、と言う現実がある。
 ー部の文明国が経済原理に基づいて、資源、食料、生産財などを集中的に用いることが出来るので、それらの国では
豊かな生活を送ることが出来るわけです。現在の経済の仕組みがそれを許しているだけで、物が豊富に使えることがいいことであるとか、幸せであると言うことが、普遍的であるとは言い切ることはできない。物が潤沢に使えるとか、お金が沢山はいるとか、より安楽に生活財を手に入れることが、現在では価値あることとして、人々がそうなることを願うことが行動の中心的動機であるとされている。しかし、この価値観は、必ずしも普遍的ではない、と言うことです。
 歴史的にみてみると、イギリスで18世紀に産業革命が起きて、物を大量に作ることが、出来るようになり、近代的資本主義が発達して行った。すなわち、大量の規格品を生産し、それを受け入れる、大きな市場が形成され、新たな需要を生み、そして新たな製品を生んで、市場を拡大していった。
 この様な大量生産による財の供給は、人々に財に対する欲求を拡大させ、また富に対する欲求を正当化した。より多くの収入を願い、物質的により豊に成ろうとすること、努力をすることが善であり、新たな商品を作り出し、市場を作り、利潤を得ることは正しいことであり、善であるとする、これが近代資本主義経済社会における価値観であると言える。諸君達は、まさにその資本主義社会の爛熟期に生きているわけで、そのような価値観を当然の真理として受け止めているのではないか。それでは、産業革命以前の人たち、中世の人たちは、どうであったか。
 ヨーロッパの中世、すなわちローマ帝国が東西に分かれて、形式化したキリスト教が絶対的権力となって社会の全てを支配した時代から、ルネッサンスが興るまでの時代においては、人々は形式化し、また権力化したキリスト教による精神支配と、封建領主による政治的ならびに経済的支配を受け、精神的にも、経済的にもきわめて抑圧された生活を送っていたと言う。すなわち、われわれが、この時代を暗黒時代と呼んでいる由縁である。しかし、そのように規定したのは、堺屋太ー氏によると、資本主義の価値観が確立された近世以降に書かれた歴史における評価によってである。
 その当時の人々
は、本当にその時代を暗黒だと思っていた証拠はない。むしろ精神をキリスト教に委ね、神に対して自分がいかに忠実に生きたか、謙虚に生きたか、人間らしく生きたかと言ったことに価値を認めていたかも知れない。物財を沢山もつと言うことに価値を認めてはいなかったかも知れない。物財に対しては、今日明日の食事が出来れば、最小限の生活が出来ればそれで十分としていたかも知れない。そのような仮説に立てば、現代こそ暗黒時代と言うことになるかも知れない。
 次々に現れる新しい商品に対する欲求が絶えず起きて、常に物財に対する欲求が拡大し続け、それを満たすために収入の増大を常に求める様子は、物欲地獄と言えるかも知れないだろう。その時代においてなお物財を求め物質的所有欲旺盛な人は品性の卑しい人、または道徳的に悪い人と評価されていただろう。
 その中世の価値観を物語る話として、セピア姫という清く貧しく神の教えに忠実に生きたお姫様の物語が残っている。彼女はまさに貧しいが故に尊敬され、歴史にその名を残した。セピア姫は、余りに貧しいから、白いブラウスを着たきりで、代わりもなければ洗濯もままならないので、かのブラウスは、汚れに汚れて薄茶色になってしまった。この色をセピア色と呼び、今では品の良い色と評価されている。
 このセピア姫に代表される、その時代の価値観は、形而上の価値、すなわちキリスト教などの宗教に対する信仰心、忠実度等が中心的位置にあり、清貧がその現れとして崇められた。その対極として物質的豊かさを蔑んだ。そういう時代の次に産業革命を経て物質的豊かさを追求することが価値の主体になった。
 さてそのような物質文明の爛熟期を経て、日本を含む先進国において、富の分配がより公平になり、全ての人が物質的豊かさをある程度満たしつつあるようになってきた今日、諸君達のような物質的欲求だけでは説明できない新しい価値観に向かって模索しているジェネレーションの時代に成りつつあるのではないか。エズラ・ヴォーグル氏の指摘によれば、われわれの社会はいわゆる第3の波、すなわちポスト・インダストリアルソサェティになりつつあると言える。そして物質的豊かさに変わって、再び形而上の価値が重きをなす時代になるとみられる。しかしながら、中世における価値観と根本的に違うのは、キリスト教のような宗教に対する人間の精神のあり方ではなくて、人間の尊厳とか個性に根ざす人間の精神活動そのものに価値を認めるととである。
 これからの精神活動は、高度に発達した科学技術、特に情報関連技術に立脚していると共に、それらによって脅かされない類のものであるべきであろう。と言うことは、高度情報社会になりつつある今日、コンピューターとかOAシステムを駆使して、知識や情報の集積、分類、検索が簡単に出来るようになるし、広範なデーターベースが構築され利用される様になる。すなわち、既存の知識の活用は、誰でも簡単に出来る様になっていく。そこで人間の知的能力としての価値は、機械ではできない、創造的活動や情操的活動、芸術的活動の面が、より価値あるものと評価される世の中になって行くものと思われる。
 この様な価値観の変遷の中で、諸君達に再び訴えたいととは、自らが自分の人間性に対する真摯な考察と、人間的資質を磨き、肉体的にも知能的にも極めて高いものが要求されるパイロットへの道ヘチャレンジすることは、そのこと自体が、興りつつあるこれからの価値観に合致するものと信ずる。
 最後に、将来幹部自衛官となる君達学生諸君に、望むことを2、3述べよう。現在の日本は、大きな転換期にある。その中で君達は未来に生きるのだ。当然1 0年後、20年後の自衛隊にあって、中心的役割を担うことになる。従って、未来を洞察する目がきわめて大切だ。未来を洞察するためには、まず目が澄んでいなければいけない。物事をあるがままに見られなければいけない。偏見は最も目を曇らせる。主義主張にとらわれず、いろんな勉強や、経験をして、まず人間として自らを客観的に見つめ、社会を客観的に見つめてほしい。
 次に大切なことは、自分の価値観を育て、自分の哲学の形成に努めることである。個性の形成、他人と違う自分を育てる、違いに誇りを持つ。これが、これから自衛隊に最も必要になってくる。 諸君達は、学生の時団結の重要性を学んだ。しかしリーダーシッブは団結の中から生まれるのではなく、個性あるリーダーの下に生まれるのである。 諸君達の団体行動の中で、個人個人が各々の個性を最大限に延ばすことの出来るようにすることが、きわめて大切であろう。 そしてもうーつ、 自由と人格の重要性について認識してもらいたい。特に精神の自由、思考の自由、個人の尊厳、人格の尊重などの概念に、諸君達の間で最高の価値を与えてもらいたい。諸君達の未来が輝かしいものであることを祈る。 おわり

先人の知恵と経験(その12):「飛行隊長を顧みて」(第1分冊26~28)

Ⅰ 「昭和」からのメッセージ

   1989年空幕が指揮官教育の充実施策の一環として編集した参考資料「言い残すべきこと」(ー若き指揮官達のためにー)の中から、任意に抽出した指揮に関する題材(論題)の一つを記載。

飛 行 隊 長 時 代 を 顧 み て

1 はじめに
 私が飛行隊長に任命されたのは、年令3 9才4ケ月、 2等空佐昇任後8ケ月の時であった。 その飛行隊は、北辺の地千歳で編成されたF-104の飛 行隊で厳しい環境の中、素晴しい伝統と精強を誇りとしており、歴代隊長も鈴々たる人達であった。パイロット、整備員共、第一線にふさわしい野武士の様な、そして精強な飛行隊に長く勤務してきた という誇りを持った、たくましい連中が多かった。
 かかる飛行隊に着任してきた私は、隊務遂行の方針として、末端の部隊にふさわしく積極果敢という言葉を表看板とした。即ち、単なる積極性ではなく果敢という言葉をつけたのは、北の守りの第一線の戦闘機部隊は敢然として先頭に立つという意気どみをこめていた。
 飛行隊は、大別すればパイロットと整備員等から成り立っているので、その指揮統率のやり方はそれぞれにおのずから異なる点がある。
 以下、私が如何なる点に着意し、 1年7カ月飛行隊を率いたかについてのべる。
2 全般
(1)言葉使い
  人間関係でそれが良く も悪く もなる大きな要素のーつに言葉使いがある。隊長と隊員の間を律するコミニュケーションで言葉使いの占める要素は極めて重要である。 特に部下であっても年長者に対する言葉使いは慎重に行うべきである。
 私は彼等にたいしては、ていねいな言葉を使用した。我々の組織は、軍隊組織だから、上官の命令は絶対である。ビシビシと言うのが規律維持からも、そうすべきであると言う人もいるが、私は全て命令調、あるいは見下したような心ない言葉の使い方は、面従腹背を呼ぶだけであると思う。「です。ます。」 調でも毅然として言えば命令にも指示にもなる。自分より若年者、後輩には、 「オイ、こうしろ、ああしろ、とのバカめ!」等でも結構だが、部下とは言え年長者に言うべき言葉ではない。
(2) 自分自身
  自分自身の自然な姿をさらす事が大事である。隊長位で偉いわけでもない。聖人君子でもない。 ありのまま、気さくに隊員の中に入っていく事が肝要である。当然このため、自分自身で修養し身につけておくべき事はある。(天性の資質以外に)
〇 事に臨んでオタオタしない
〇 ガミガミ小さな事を言わない腹の大きさ(忍耐心)
〇 少しの計器の振れ位無視して飛んでいくクソ度胸(飛行安全に反する)
〇 若い隊員を本当に可愛いと思う愛情
〇 喜怒哀楽を分ち合う心
(3) エビソー ド(2編)
  ある時、私もF-i 04でェンジン始動中、 誘導路上で地上点検中のF-I 04から突然チッブタンクが落下し、 火を吹いて燃え出した事があった。 私は、直ちに私の飛行機のェンンンをとめ、走って来たラインチーフに開口ー番「隊員にケガはないか」 と聞いた。後刻、そのラインチーフは、こう言った。 「我々整備員にとって、あの時の隊長の言葉ほど嬉しい事はありません。普通なら、何をしたか、飛行機に損害は?とかいわれるのにまず第ーに、隊員の身体の事を心配してもらい、これにすぐるものはありません」と。
 2月14日は、パレンタインデーといって、女性から男性にチョコレートを送るという事が流行している。私の家族の事を書くことは恥しいが、こういうこともあった。
 ある2月14日に、家内がチョコレートを沢山買ってきて、これを中(営内)にいる独身の飛行隊の人達に、私と娘達からのプレゼントだから渡してくれと頼まれた。 男だけの社会では気がつかなかったが、 これも、我が家族と彼等と心が通じ、 隊の団結に寄与するならば、 早速その労をとり、チョコレートを分配した。一人にー個も渡ったかどうか疑わしい数だったので、その成果がどうであったかさだかではなかったが。
3 操縦者に対して
(1) 私が、戦闘機乗りとして、常に肝に銘じていたのは、当然の事である、いざという時、憶病風に吹かれる事なく先陣を受けて出撃するゾ、生命をかけて行く ゾという事であった。従って、隊長に着任した時、ハイロット達にー番大事なことはこの精神だということを植えつけてやろうと考えた。この精神を堅持できれば、少々だらしなかろうが、大酒飲もうが構わぬこととした。
(2) 操縦に関する技量の向上については、切嵯琢磨を尊重し、特に若いパイロットの育成、そして彼等に活躍の場を与える事によって下からの盛り上がりを重視した。
射撃係、A C M係、体育係になった2尉位のパイロットがかけ足に、ブリーフィングに、そしてフイルムアセッツングに飛行班員全員を叱吃激励する若さあふれる飛行隊であった。これは飛行隊の伝統でもあったが。
(3) 安全に関しては 「俺はついている男だから、俺が隊長でいる限り、やるべき事をやっておればこの飛行隊で事故は絶対起らない。 心配せずどんどん飛べ」 と広言してはばからなかった。今思えば冷汗ものであるが、それ位の信念も必要であったと思う。
4 整備員に対して
整備員に私の意図、考え方を理解させ、動かすには、彼等との接触の機会を多く持ち、そして彼等の側に立つ事、彼等の身になって考える事がポイントであると考えた。 私は私の方から彼等の方に入っていき、共に過どす時間をできるだけ多くした。
(1) 千歳の冬の朝、厳しい寒さの中、ェプロンで整備員が飛行前点検実施中、つとめて彼等と同じ寒さの中に身を置き、整備中を見まわり、エフ’ロ
ンに立った。
(2) 飛行訓練のあい間、待機中の整備員控室に行き、談笑し、将棋、 トランブをして遊んだ。
(3) 飛行訓練が終了し、夜間、飛行機を格納庫に入れる時、彼等と共に格納庫に立った。
(4) 礼儀や言葉使いに無とん着な整備員が多かったが、その彼等が、演習時の緊急発進の時、食事中の食器を投げすて、私の飛行機にかけ寄り、私
の目を見たあの眼の光は今なお忘れない。ーだからこそ、列線整備員に必要なのは、礼儀とかこぎれいな服装とかでなく、あの限の光であり、そし
てそれを持つ整備員の育成が重要であると思う。
5 おわりに
  やや手前みそが多くなり、謙虚さに欠ける書き方をしたが、勿論反省する点もある。
 寛厳よろしきを得ると言われるが厳しさが足らず訓練が甘くなったり、あるいは隊員のしつけが悪く、ために後任隊長等に迷惑をかけたのではと思う。
 しかし、隊長として指揮統率のあり方で最も大事なことは心を通じ合うととだと思う。最近はともすれば指揮のあり方、管理のあり方といった技法が重視されているきらいがある。指揮と統御は車の両輪であり、指揮官の人格にもとづく統御を軽んじるべきでなく、特に編単隊長級では統御こそ重視すべきであると思う。
 隊長の人格は、完成された人格、聖人君子である必要はない。 ふさわしい人格でいい、酒飲めばだらしなくなる、品位にやや欠ける、知性に乏しい、 自慢話をする、それでもいい。隊員と心が通じ合い、隊員が隊長の思う方向に自ら進んでくれるようになれば、まさにそれが統御の姿であり、編単部隊の力の源泉となると思う。


Ⅱ 「平成」からのコメント等:  
  ここではⅠ項の大項目及びその内容を受けて、私(福江広明)が現役時代に思考及び実行した体験をもとコメントしたもの。令和の現代にあって、指揮統率における不変の部分、そして変化すべき部分があるはずである。なお、以下の文中、「先人」とあるのは、Ⅰ項の論者を指している。

 先人の文章のうち、橙字の部分にあたる「言葉使い」について、私も現役時代(昭和50年代の後半から平成にかけて)を顧みる。

 

 3尉に任官し術科教育を終えて、部隊(私の場合は高射隊)への配置になる。この時点で私は24歳ぐらいで、同僚隊員はほぼ年長者である。年下の隊員は、1・2士の階級者で人数もわずか。空士長にもなると同年配か、中には年長の隊員も少なからずいた。

 指揮とは、「命令と服従の関係」と幹候校で学んだものの、いざ現場部隊の勤務となると、命令口調どころか、若年幹部としては「お願い口調」にならざるを得なかった。当時は、幹部と新参者という両方の狭間で、実務に不慣れにして自信のない中、「言葉使い」について結構考えさせられたように記憶している。

 ただし、その悩みは早い時期に払拭していった。初度配置部隊における最初の2年の間に、米国年次射撃訓練(2年連続)、高射群の持続走(1年目)と銃剣道(2年目)の大会において、いずれも訓練指揮官を命じられたことが幸いした。これら訓練の場のおかげで命令口調を発するに慣れ、それら訓練の成果から実績も徐々に認められたこともあって、「言葉使い」に相手の年齢を強く意識することはなくなった。

 その後の補職先でも、決して乱暴にならず、落ち着いた口調での命令・指示に努めた。

 と思っていたところ、定年退職後、元部下隊員に部隊訪問の際に出会うと、かなりの頻度で「現役時代には、〇〇の案件でかなり厳しいご指導をいただきました」と言葉をかけてもらうのである。やはり自分に都合の良いように現役時代の思い出を創っていたのかもしれない。
 せめて職務遂行ゆえの厳しさであって、感情に任せた不躾な言葉使いではなかったはずだと思いたい。

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